何もしない院長 パート7 ― 野上の逆襲 ―
フィクションです。でも、“あれ、うちの○○に似てる…”と思っても、それはたぶん偶然です。たぶん。
南方総合病院。
その院長・野上は、職員の間でこう呼ばれていた。
「人体Wi-Fi」——電波は届くが、干渉はしない。
誰かが提案すれば「ええやん」と笑い、
何かを相談すれば「任せるわ」と手を振る。
だがこの日、ひとつの事件が起きる。
■ “若き改革者”、副看護部長・井坂恵
30代後半、大学病院からUターンしてきた実力派。
データ分析に強く、臨床現場の効率化に燃えていた。
彼女が提案したのは——
「入退院支援ナースによる主治医サポートシステム」。
要約すれば、
入院予定患者の情報収集、入院時オリエンテーション、退院支援を一括管理するチームナースを病棟に配置し、
医師・リハ・MSWの業務分担を最適化する、という改革案だった。
会議室に並んだパワポのスライドは、どれも綺麗で理論的。
若手看護師たちは拍手し、事務局も「これは使える」と前向きだった。
——そして、院長・野上に視線が集まった。
「院長、いかがでしょうか」
■ 野上、動く
野上は、コクリと頷いた。
「いいと思う。Yes。でも……Butね」
井坂は一瞬、身構えた。
「このシステム、たしかに主治医の業務軽減になるし、退院支援の標準化にもなる。
でもね、“患者にとっての窓口”が誰か、あいまいになる危険があるんよ」
「……!」
「入退院支援ナースが患者を“迎える”役になると、
主治医が“遅れて登場する人”になりかねん。
それって、患者にとってどう見えるやろ?」
静かに、しかし明確な視点だった。
「主治医が初対面で信頼される場を、自分の手でなくすことになるかもしれない。
そういう視点、提案の中に……ある?」
井坂は、無言になった。
その視点は、彼女の“業務効率”と“現場目線”の間にあった抜け穴だった。
野上は続けた。
「業務は整理すべき。でも、“誰が誰に信頼されるか”は、分担しちゃいけないこともある」
その場にいたベテラン看護師が、うっすら涙ぐんでいた。
■ 会議後
井坂は院長室を訪ねた。
「……すみません。なんというか、うまく言えませんけど、
……びっくりしました。いつも釣りと麦茶の人だと思ってました」
野上は笑った。
「俺は、昼行燈やからな。
でも、火はつけてるよ。必要な時に、わかる人には、見えるくらいに」
井坂は静かに頷いた。
「私、もう一度、提案つくり直します。
でも今度は、“誰が主役か”をちゃんと考えたうえで」
「そうしてくれると、うれしいな。君の熱意は、間違いじゃない。
方向が少し違っただけや。ええ提案になるよ」
その週、院長の机に、手書きの付箋が一枚届いた。
「信頼は、渡せない。時間をかけて、受け取ってもらうもの。」
野上は静かに、壁新聞の隣にそれを貼った。
これはフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません