キラキラ、揺れる
海のにおいがかすかに混じる風が吹いていた。
ここは海沿いの小さな町、8月のまんなか。
想太と悠花は、幼なじみとも言えず、恋人でもない、ただのクラスメイト。
だけどこの夏、ふたりの間に少しだけ揺れが生まれた。
きっかけは、プールだった。
*
夏休みの登校日の帰り。
校舎の裏側にあるプールに寄り道したのは、悠花の提案だった。
「誰もいないね。登校日だからかなぁ?」
悠花を先頭に、プールサイドを歩く2人。
「勝手に入ったりして、怒られても知らないからな」
「何言ってんの。その時は同罪でしょ?」
悠花は日差しを手で遮りながらそう言いながら更に続ける。
「ね、水、冷たそう。ちょっとだけ足つけてかない?」
ニヤっとイタズラな表情をして見せた悠花は、
靴下を脱ぎ、プールサイドに腰を下ろした。
そして、ゆっくり水に足を入れた。水面にふんわりと波紋が広がる。
「う〜ん、ひんやり〜」
「おい、落ちるぞ」
「平気。ねえ、想太も入りなよ」
想太は「正気か」と言わんばかりの気持ちが表情に出ていたが、
観念して靴を脱ぎ、足を水に浸けた。
ぷかぷかと揺れる水。二人分の足音が混じり合う。
「夏って、こういうのがいいよね」
「こういうの?」
「意味とか、目的とかないまま、なんとなく一緒にいられる時間」
そう言って、悠花は水面に手を伸ばした。
水が揺れ、その指先からキラキラとした波紋が広がる。
「……なんか、悠花、変わったな」
「変わりたいって、思ってるだけかも。でも――」
悠花はちらりと想太の横顔を見た。
「想太の前だと、ちゃんとした自分でいたいって思う」
「……それ、ちゃんとしなくてもいいんじゃないの」
言いながら、想太は水を手ですくって、そっと悠花の肩にかけた。
「あ、冷たっ!」
「言っただろ。落ちるぞ」
悠花が笑う。水しぶきがきらめいて、想太の胸の奥がじんとした。
*
その週末、町の花火大会。
浴衣姿の悠花は、夕方の海風の中で少し大人びて見えた。
「今日さ、花火終わったら言おうと思ってたんだけど」
「うん」
「うち、今月引っ越すんだ。県外に」
想太は一瞬、何も言えなくなった。
海の音と、花火大会の雑踏。
それらが一気に遠のく気がした。
「……なんで言わなかったんだよ」
「言ったら、こんな風に一緒にいられないかもって思った」
「バカだな。言っても言わなくても、どうせ俺、こうなるんだから」
「うん。私もそう思った。でも……言えなかった」
そのとき、大きな花火が夜空に咲いた。
ふたりの肩が少しだけ触れていた。
でも手を伸ばすには、なにかが足りなかった。
花火の音のなか、想太はこらえるように目を閉じた。
悠花の横顔はまっすぐ空を見ていたけど、
その瞳の端には、かすかに光るものがあった。
*
夏の終わり。
プールの水面は青く煌めき、揺蕩っていたけれど、
そこにふたりの姿はなかった。
想太は一人でその場所を訪れて、水面をのぞき込んだ。
あの日、ふたりでつくったやわらかい波紋は、もうどこにも残っていない。
けれど、確かにここにあったことだけは、
この胸のどこかがずっと覚えている。
ふたりでいた夏。
言えなかった言葉。
触れられなかった指先。
それらすべてが、水の中でキラキラと揺れている。