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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

血の跡

作者: たかし@

ふと、目が覚めた。あまりに突然、しかしあまりにも自然に、まるで眠りに落ちる瞬間をそのまま巻き戻したかのような、そんな覚醒だった。見渡せども辺りには何もなく、只々空間が広がっている。その場所は暗く、しかし明るい。モノクロ映画の様な世界に、私の頭は混乱に満ちる。


「夢か」


 しばらく考えた後、そう結論付ける。夢とはこうも意識を保てるものなのだろうか、とも思ったが、眼前に広がる不可思議な景色を説明するには、そういった考えが手っ取り早いのだ。そうやって、胸の内から強烈に主張してくる違和感を、私は封殺した。


「夢じゃないよ」


 背後から聞こえた、私の心中を言い当てるようなその声は、若い男のものだった。声のした方向に振り向くと、声色の通りの人物が立っている。少し癖のある黒髪で、二十歳前後だろうか、見たところ私と同じくらいの年齢らしい。……どうせなら年上の女性がよかった。男と話してもつまらない。

しかし、なんだろうか、彼の姿を見ると、言いようのないもやもやとした感情が湧いてくる。決して背の高さに嫉妬したわけではない。胸の内が不穏にざわめいているのを感じるのだ。


「何でわかるんだ?」


「何でって……そりゃ、説明はできないけど。ほら、ねぇ?」


 未知の感情の処理に手間取って、思わずぶっきらぼうに質問を投げかけてしまったが、彼は特段気にした様子もなく答えた。


「直感か?」


「そう、直感だ。でも君に会って確信した。これは夢というには現実的すぎる」


 現実というには夢想的すぎるのだが、という言葉は飲み込んだ。私自身、これを夢だとは思えなくなっているからだ。浮遊感と足の重み、その奇妙な同居。まるで別々の場所に住む二人の人間が、距離を超えて出会ったかのような。この世界が夢なのだとしても、大事なのは、私と彼は現実のものだということだ。だが、しかし……


「ところで、ここ何だと思う?」


 タイミングを計ったかのように、彼が話しかけてくる。思考の海に沈んでいた私は、突然の問いに一瞬、頭を白紙にしてしまった。よくある話だ、忘れた事すら忘れてしまう、そんな日常的で些細な忘却。だが今は、それが無性に腹立たしかった。


「ふざけんな。お前のせいで何考えてたか忘れた」


 その腹立たしさを彼にぶつける。普段なら躊躇われる行為も、今は平然と行うことが出来た。


「えぇ⁉ それ僕のせい⁉ 君の自業自得じゃんか!」


 その通りだ。今の私は確かに理不尽だろう。ああ本当に……


「なわけないだろ、お前のせいだ。というか喋り方が鼻につく。君ってなんだよ、インテリぶりやがって」


「酷い言われようだな」


 そう言った彼はしかし、ケラケラと楽しそうに笑っている。まるで自分に向けられた苛立ちには気づい

ていない様子だ。それがまた、私の苛立ちを加速させる。理不尽にも思える感情が、その存在感を増していく。


 そして私は、先程の感情の正体を理解する。


「私、お前のこと嫌いだ」


 嫌悪感だ。生理的嫌悪と言っていい。その一挙手一投足が気に入らない、彼の存在自体が忌々しい、そう本気で思えるほどの強い拒否反応。本能が示す天敵へのサイン。


「あー……そうか、なるほど、そうなるのか。うん、たしかに理解できる。君と同じ立場なら僕もそう思っていただろう」


 唐突なカミングアウトにも動じない、彼は少しばかり思案したあと、なにやら一人で結論を出してしまう。何もかも把握しているかのような振る舞いに、むしろ私の方が動揺を誘われてしまった。


「意味、深長だな」


 必然、声が低くなる。彼に教えを乞うこと、彼と面をむかわせて会話すること、彼と目を合わせること。何より、彼と同じ空間にいることに、腸が煮えくり返る思いだった。


「意味深長って。口調といい、君だってよっぽど気取ってるじゃないか」


 いつからか、彼の顔にはニヤニヤとした、からかい交じりの笑みが張り付いていた。気に食わない、愉悦の笑みだ。


「御託はいい、さっさと答えろ。お前は何を知っている?」


「僕としては、君の理解が遅すぎるように感じるけどね……いや、理解を拒絶している、が正しいか」


 話が噛み合わない。彼はまともに取り合う気がならしい。抽象的で婉曲な言葉を使い、わざと会話を長引かせている。浮かべる笑みは、優越感故のものだろうか。


「っいい加減に……おい!」


 彼は突然歩き始めた。何もない空間を、目的地もないであろうに。呆気にとられる私を置いて、ぐんぐんと歩みを進める。私は速足で彼を追いかけた。


「いきなりどうしたんだ、こんな場所で散歩でもするつもりか?」


 少し歩いた先で、彼はスピードを落とした。そのまま並ぶのもなんだか憚られたので、私は彼の左後ろで歩みを緩めた。


「結構じゃないか、散歩。君も好きだろう?」


 私の少し前を歩く彼は、そうやってこともなさげに応える。散歩なんて好きでも何でもない、ましてや景色や雲すらない空間を歩くことなど、輪をかけて退屈で無駄な行動に思えた。


「ありゃ、その感じはあてが外れたかな」

 不満がよほど分かりやすかったのか、彼は振り返りもせずに私の心境を言い当てた。やけに察しが良い。

「散歩ならせめて景色の変わるところで」


「うわー正論。たしかにお散歩コースって風情じゃないけどさ、歩くだけでも健康にいいんだよ」

 語尾が上がっている。幼子に道理を説くような、いや、好きなことを語れて興奮しているのかもしれない。


「そんなにいいものかね」


 吐き捨てるように言う。


「散歩……というより旅が好きなんだ。旅は良いよ。知らない土地、知らない人々、知らない空気、すべてが新鮮で、まるで幼少の頃に戻ったようなすがすがしさを味わえる。それだけじゃない、計画を立てる時はワクワクするし、電車の窓から風景に思いを馳せている時間なんて最高さ。とても言葉じゃ語り切れない魅力がある。君も行ってみるべきだ、知らない世界を見つけられるよ」


 その声は弾んでいるというよりも、息を深く吐くようにしみじみと響いた、こちらからは顔が見えないが、きっと今、彼の眼は淡い光を湛えているのだろう。


「興味ない」


 しかし彼がどれほど旅に入れ込んでいようと、私には関係のないことだ。興味もなければ、意味もない。知らない世界なんて知りたくもなかった。


「取り付く島もないなぁ。親睦を深める雑談のつもりだったんだけど」


「雑談なんてする気はない、私は、ただ知りたいだけだ。この場所と、そして私とお前のことを」


 そう答えれば、彼は立ち止まり、振り返って肩をすくめる。


「じゃあ、哲学の話をしよう。それも君の好きそうな、とびきり陰気な話を」


 一拍、息を吸って、彼は続ける。


「絶望って、なんだと思う?」

恐怖と不安は足元からやってくる。そんな言葉を私は思い出した。





「僕は、自己の喪失こそが絶望だと思っている。君の言う通り理想との乖離は辛いものだ、苦しくて、惨めで、死にたくなる時もあるだろう。けど、それは諦めることが出来る。諦めて、目を逸らして、自分とは関係のない世界なのだと、自分では分不相応だったのだと、そう納得させて生きていく。あるいは、諦観こそが絶望なのだという人もいるかもしれない。諦観が、絶望が、人を命の終わりへと追いやるのだと。僕はそうは思わない。諦観は安全装置だ、自分を守るための防衛機能なんだ。人はそう簡単には絶望しない、いくら深刻なものだろうと、何かを諦めた程度で絶望するほど弱くない……じゃあ、自己の喪失とは何か。人は、何か心の支えを持って生きている。親、恋人、友人、趣味、夢、もしくは自分。一つだけじゃない、大きいもの、小さいもの、いくつもいくつも混ざり合って、人を支えている。僕はこれを希望と呼んでいる。当然、その希望が折れることがある。友を亡くせば悲しいし、夢を諦めることは辛いだろう、だがそれだけだ。一つや二つ折れたところで、まだ希望はたくさん残っている、増えることだってある。しかし、希望がすべて折れる、または、自分の根幹にある大きなものが折れた時はどうなるだろう。地球が滅亡して自分だけが生き残ったら。腕を、足を、目を、耳を、そして言葉を、すべて失って、ただ己と向き合うことしか出来なくなったら。もしくは……自分を自分だと思えなくなってしまったら。そういう時に、人は絶望するんだ。自殺なんて生易しいものじゃない。生きることも、死ぬことも否定され、自分が壊れていく。後に残るのは呼吸をするだけの肉塊。自壊するんだ、絶望の先にあるのは自死じゃないよ」


 ゆっくりと、しかし一息で。まるで聖者の説法か、はたまた狂人の妄言か。彼は私に向けて、特大の呪詛を謳いあげた。


彼の言葉に答えたのは、明確な失敗だった。

 

くだらない討論でもしたいのかと応じた私の言葉は、いつのまにか、彼の長い長い演説の前奏へと成り果ててしまった。                            


「圧巻だな、まさかこんなご高説を賜れるとは」


 私はせせら笑う。突然の凶行に対して、精いっぱいの嘲笑を浮かべた。


「そんな大層なものでもない、七割はその場の思い付きさ。三日後には忘れているようなね」


 そうやって、彼は私を見下ろしてる。真正面から向き合っている二人が、されど対等では無いと言っているようだった。


「なんだよ……その場限りの言葉で私を救おうってか? ふざっけんなよクソ野郎!」


「君の為じゃないし、救う気もない。これは自戒だ。僕は君には成らない」

 彼の表情は挑戦的で、芝居がかった台詞は役者じみている。

馬鹿にしやがって。ふざけるな、ふざけるな。クソッ! クソッ!          「俺はお前じゃない! お前に見下される筋合いはない!」


私は彼に詰め寄って、服の襟をつかみ下ろした。


「一人称、もどってるよ」彼が言った。


 私は噴出しそうになった感情を咄嗟に抑え込んだ。怒りか、不安か、それとも恐怖か。ミンチみたいにぐちゃぐちゃに混ざり合ったその激情が、劇薬となって俺の胃の中で反応している。


「下種野郎が、人を見下して気分ルンルンってか?」


 私の挑発は、しかしその強い言葉と裏腹に弱々しくかすれた声だった。


「見下してなんかいないよ、ただ申し訳ないと思っているだけ。君のこれからの人生に、大きな傷を残してしまった」運命って残酷だね。そう彼は言った。


 彼の哀れむような物言いに、私はグッと拳に力を入れる。彼はまっすぐ私の目を見つめていた。私もまた彼を睨み返す、今目を逸らしたら、全てが崩れてしまう気がした。

冷静に、冷静に。喉元まできた吐き気を腹の中に押しやって。目の前の人間を殴りそうになる腕を抑える。


「一人だけ悟ったようなこと言いやがって、神にでもなったつもりかよ」


 直後、私は場の空気が変わったことを感じた。彼の顔に目を向ければ、いつしかその表情は真剣なものに変わっていた。


「そうだ、僕がお前の神だ」


 フッと意識が緩んで、ダムが決壊した。勢いのまま彼を殴り倒し、馬乗りになって顔に拳を打ち付ける。何度も何度も、息が切れるまで。


「フゥ……ハァ……ハァ……」


 数分間無我夢中で殴り続ければ、段々と腕が重くなってくる。視界は白く光が飛び、めまいで頭がクラクラする。


 しかし身体とは打って変わって、頭の中はとても冴えていた。自分を縛る枷が一つ、音を立てて壊れたような気がした。


「気は済んだか?」


 やはりここは夢のようなものなのだろう、何度も殴られたはずの彼の顔には傷一つなく、血も流れていない。


「済むわけ……ないだろう。十九年分の鬱憤だぞ」


 長い間、本当に苦しめられてきた。自分は世界に排斥された存在なのかと悩んだ日も、生まれたことを呪った日もあった。今だってそうだ。自分の誕生日を祝えない人間は、いったいどれほどの罪を背負っているのだろう。


「じゃあ、殺してみるか?」


「は?」


「聞いたことがある。自分の嫌いな部分を詰め込んだ主人公を作って、創作の中で殺すんだ。意外と気持ちが晴れるらしいぞ」


 彼の口調は変化していた。これが彼の素なのだろう、先程までの気取った口調よりも、幾分か不快感がなかった。自慢げに笑う彼は、今まで見たどの表情よりも人間らしかったから。


「出来るかよ、自殺なんて」

今、私と彼の間には心地よい空気が流れている、まるで十年来の親友のような、通じ合ったもの同士の絆のような何かが。一時だけの、錯覚に近いものではあるが、それは不思議と暖かい。


「もしかして絆されてる? ダメだろそれは」


 彼はぽかんと呆けた後、眉を八の字にして、怒っているのか困っているのか、どっちつかずの表情を浮かべる。


「険悪よりよほど良いだろ」


 彼への嫌悪感は、実のところなくなってはいない。左手の甲にある痣のように、たとえ薄れていったとしても、消えることはない。しかし、歩み寄ることができるのではないかとも思う。それほどに、私と彼はおんなじだった。


「分かってない。君のそれは勘違いだ」


「勘違いじゃない、やっと分かったんだ。私とお前はおんなじで、だから私も……」


「同じじゃない、同じじゃないんだ。僕たちは似ていても、やっぱり違う人間で……


 それ以上は聞きたくなかった。彼が言葉を切ったのは、多分、それを察したからだ。


「なんで、私の前に現れた」


 ぽつりと、言葉が零れる。


「すまない」


彼は目を伏せて言った。


「どうして、私を突き放すんだ」みっともないけれど。


「すまない」それでも縋っていたかった。


 変わらず、彼は私から目を逸らしたまま。


「私は…俺は…ずっと、ずっと」


「お前が現れたから。そんな綺麗な顔で現れたから! お前さえいなければ! ずっと世界を呪えたのに! 恨んだままでいられたのに!」


 言葉は尻すぼみに萎れていき、やがて余韻となって消えた。


 私は身体を倒し、彼の胸に頭を預ける。うっという彼のうめき声が聞こえたが、気には留めなかった。 



「なあ」


 幾ばくかの空白の後、私は身体を起こし、彼に声をかけた。彼は返事こそしなかったが、その顔は続きを促しているようだった。


「お前は、今幸せなのか」


 倦怠期の彼氏かよ。第三者が聞けばツッコミを入れられそうな、我ながら場違いな質問。


「うん。幸せだ」


 私が倦怠期の彼氏なら、彼はその彼女だった。私はおかしくなって、ふんっと鼻で笑い天を仰ぐ。どこまでも仄暗くて、何もない空が、延々と広がっていた。


「羨ましいな」


 私の本音。私の言葉だった。単純で軽い声色の裏に、暗い感情が、ポコポコと鳴いていることを自覚する。


 世界に溶けた声は、その余韻と共に沈黙を連れてきた。


「どれだけ世界を呪っていても、希望の光は存在する」


 突然、彼が口を開く。私には読み取れない、何か大きなものを抱えた瞳が、こちらに向けられている。


「さっき、君が笑ったのだってそうだ。希望なんて大業な言葉だけど、要は小さな笑顔の積み重ねなんだ」


「おい」


「絶望した後に、希望を見つけることもある。君も人を好きになった経験があるはずだ」


「やめろ」


足元から、ガラガラと何かが崩れる音が聞こえた。


「希望は、案外そこかしこに転がっている。周りをよく見渡して、耳を澄ませてみろ。なに、散歩をすればすぐ見つかるさ。ちなみに僕はッグゥ」「やめろって言ってるだろうが!」

私は、彼の首に手をやって。思い切り締め付けた。彼は抵抗をしなかったが、苦悶の表情を浮かべパクパクと口を大きく動かしていた。

何も考えられない。想いが浮かんでは消えを繰り返し、煩雑としたそれらが思考の邪魔をしている。手で耳を覆ってうずくまる子供の姿だけが、頭の中に居座っていた。


「ハァ……ハァ……ハァ……フゥー」


 我に返って手を離したとき、彼はもう動かなくなっていた。彼の頬に手を添えれば、手の平に冷たさが伝わってくる。ゾッとする冷たさだった。それはやがて腕を這い、心臓へと流れ、そして全身を廻った。


 私は立ち上がって彼を見下ろした。十秒、二十秒と時間が過ぎていく。何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。

彼は私を救おうとしていた。大した理由もなかっただろう。出来そうだったから、その場にいたから。幸福な日常の片手間に、私へ手を差し伸べた。知っていたはずなのに、それがどれだけ私を傷つけるのかを。

いや、それもわざとだったのだろうか。疑似自殺による自己矛盾の解消、それを提案したのは彼だった。もっとも、今更考えたところで意味はないのだけれど。


「はは、ざまあみろ」


多分、彼は死んでいない。この空間で殺されたところで、夢から醒めるだけだ。けど、事切れる直前、彼は一瞬怯えたような顔を見せた。神様ぶって私を救おうとした 彼に、一矢報いることが出来た。そのことに、たまらなく気分が高揚するのだ。

夢とはいえ人殺し、しかし、罪悪感は湧かなかった。手の中で消えていく彼の生命の感覚が、不気味に冷たい心臓だけが、私に残された殺人の余韻だった。


「ところで」


 立ち上がり辺りを見渡す。周囲は依然モノクロ世界だ。何らかの変化が訪れるかとも考えたが、そのような兆候は見受けられない。


「ん?」

靴下に液体が染みる感覚がした。糞尿の類だろうか、汚いなあと思いつつ視線を落とすと。一面の赤が見えた。彼の顔を殴打した時にも流れなかった、世界の異物。

ちょうど彼の腰のあたりから、真っ赤な血が広がっている。白と黒しかない世界、赤は一層鮮烈で、印象的に思える。


これは私の血だ。私の痛み、私の苦しみ、私の……


「最悪だ」


電源が落ちるように、突然視界が黒く染まり、意識が途絶えた。




 

目が覚める。


カーテンの隙間からのぞく日の光を遮るべく、顔に手を翳す。時計を見れば午前八時二十四分。二度寝を試みるが、部屋に差し込む鬱陶しい光と、汗でベタつくパンツの不快感がそれを阻んだ。のそのそと布団の中でうごめき、数十秒かけて上体を起こす。目覚めの気分は過去最悪を大幅に更新した。


「夢か」


 否、そんなわけがない。だってこんなにも、気分が沈んでいるから。


 見せつけられた気分だった。最初から分かり切っていることを、実物を使って懇切丁寧に教え込まれた。


 もう、世界は呪えない。私は私でしかないから、間違って生まれたのではないから。


 最初から知っていたこと。けどずっと目を逸らしていたこと。他ならぬ自分自身の手で暴いてしまったことだ。


 親ガチャだ、才能ガチャだと宣う同級生たちを見下していた。正しく生まれた人間達に、真の不幸は分からないって。でも違った、私も彼らと同じだった。私を作った意地悪な神様なんていなかったんだ。


 だから、もう逃げることは出来ない。自分と向き合って。真正面からぶつからなくてはいけない。


 そんな現実を前にして、これからどう生きていこうか。私は考える。考えて考えて、自分が前を向いていることに気付く。今まで生き方を考えたことなんてなかったのに。


 自己矛盾の中で、形の見えない何かと戦っていた。瞬間的に幸福を感じても、少し歩けばまた暗闇が広がっていた。死んでるように生きてきた。私の地獄は、いつも鮮明な赤色だった。

夢で逢った彼を思い浮かべる、白黒の顔の彼。いつかまた会ったら、今度は私から話をしようと思う。結局口で勝つことは出来なかったから。フッと、笑みが溢れ出る。今は鼻で笑うようなそれも、いつかは微笑みになるかもしれない。


私はまだ死んだままだ。しかし、光明は見えた。わずかながらも、確かに希望の光だった。理由は分からない。癪な話だが、彼がした何かが故なのかもしれない。

そうだ、旅に出よう。彼が言う知らない世界を、知ってみるのも悪くないと思った。幸か不幸か、時間はいくらでもある。奮発してイギリスなんてどうだろうか。


 考え込むのをやめ、グッと背筋を伸ばせば、口内の不快感が主張を挙げる。ベッドを出て、洗面台へと向かう。カラスの鳴き声が、窓を通して部屋に入り込んだ。分厚い布団にかまけて薄着だった私は、冬の寒さにぶるると震えながら足を進める。

洗面台の鏡には、私が映っている。


 髪は傷んでボサボサ、頬はこけ、目元に濃い隈を拵えて。真っ黒な、ブラックホールのように光を飲み込む瞳からは、微かな意志が顔を覗かせている。そんな陰気な表情をした、少女の姿が。


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