星の砕石　〜愛〜

　乳白色の平たい石がまっすぐに敷かれていた。両側には大きさも形も様々な同じ乳白色の石が無造作に転がり、道と共に霧の向こうへと続いている。

　その石の道を、ひとりの青年が歩いていた。

　霧に紛れるような銀髪に、銀の瞳。白一色の衣装を纏う。

　立襟の上衣は膝までを覆い、首元から臍の辺りまで四つの飾紐の釦がついている。動きに合わせて翻る裾にはよく見れば銀糸の刺繍が施されていた。だぼつきはないが緩やかに体型を隠す上衣と同生地の下衣、柔らかそうな布製の靴。

　靴底に至るまで全て白ずくめの青年が口ずさむのは、今はもう忘れられた唄。

　ここは〈さいせきじょう〉―――星を砕き、拾う場所。

　ゆっくりと歩を進める青年が立ち止まった。

「そんなに心配しなくても」

　くすくす笑い、全てを隠す霧を見上げる。

「大丈夫だって。上手くやるから」

　再び歩き出した青年だが、またすぐに足を止めた。

「信用ないなぁ。僕だってそれなりに長いんだから」

　呟いた直後、柔らかく笑む青年は照らす光を失ったかのように影を纏い、漆黒の姿へと変貌する。

　黒髪に黒い瞳、黒衣の青年の浮かべる笑みは変わらぬままではあるのだが、何処か冷えて見えた。

「お客様ですね」

　霧の奥からひとりの若い女が姿を見せた。慎重に辺りを見回しながら、ゆっくりと歩いてくる。

　足元は平らな白い石が円形に敷き詰められて広場のように整えられていた。広場は山頂を霧に隠す白い岩山の裾にあり、左右に道が伸びている。同じく霧に消される道の先には何も見えなかった。

　白い霧の中で黒く浮かぶ影に引き寄せられるように、女は広場中央へとやってくる。

「ようこそ、砕石場へ」

　黒い立襟の上衣に同素材の下衣を身に着けた黒髪の青年は、漆黒の瞳を少し細めて一礼した。

「私はここの管理人です」

　女は瞠目して青年を見つめてから、やがてほっと吐息を洩らす。

「…そう…採石場……」

　確認するように周囲の白を瞳に映し、胸に両手を当てて俯いた。

「ようやく着いたのね…」

　幸せな日々を送っていた。

　かけがえのない時を過ごしていた。

　しかし、それは突然消え失せて。

　それから随分と長い間、ここを探していたように思う。

　採石場―――古い詩(うた)によると、ここには幸せを与える星の石があるという。

　暫くして顔を上げた女は、じっと青年を見つめた。

「私は星の石を取りに来たの」

「ご説明いたしますね」

　にこりと笑い、青年が応えた。それから女の視線を誘導するように、ゆっくりと左右の道を見やる。

「ここから道沿いに歩いてください。どちら周りでも構いません」

「周りにあるのが星の石よね」

　道の両側に形も大きさも様々ながら、山や道に使われている物と同じ白い石が無数に転がっていた。

「ご自身の石以外はお持ちになれません」

「そうなの？　あんなにあるのに」

「ご了承ください」

　見上げた女は何か言いたげな顔をしていたが、口を噤んで見返す青年に、わかったわと頷く。

「道は山の周囲を回ってここへと戻ります。その途中に貴女の石がありましたら、それをお持ちください」

「私の、というのはわかるようになってるのよね」

「ご本人にはわかります。途中で引き返したり道を大きく外れたりなさると、戻れなくなりますのでお気をつけください」

「戻れないって、大袈裟ね」

「霧が深いので」

「それにしたって脅し過ぎだと思うけど」

　青年はそれ以上は応えなかった。

「まぁいいわ。道を戻ったり外れたりしなければいいのよね」

「はい。私はうしろからついていきますので」

　どちらからでもどうぞと言われ、女は右側の道へと進んだ。

　道の左右に数多にある星の石を見ながら女は歩いていく。

「本当にあるの？」

　振り向かず女が尋ねた。

「もう結構歩いたと思うんだけど」

「見落とされることはないと思いますよ」

　すぐに応えた青年に肩を竦め、女はそのまま進む。変わらず霧は立ち込めているが、何も見えない程ではなかった。

　左側の山肌はいつ見ても同じようにしか見えず、道は道でまっすぐにしか見えない。両側には夥しい数の星の石が転がっているのに、自分の物はたったひとつだけだという。

　どこまで行っても代わり映えのしない景色に、女の思考が過去へと沈む。

　―――あの人のことを愛していた。

　出逢ってすぐに恋に落ちた。自分にはこの人しかいないのだとすぐにわかった。

　それからはずっと一緒にいた。何をするのも一緒だった。

　とても優しいあの人はいつだって遠慮がちで、自分が何をしてあげても、そこまでしてくれなくて大丈夫だよと笑っていた。

『君の幸せは君だけのものだね』と、そう言って幸せである自分を認めてくれた。

　自分はあの人を愛していた。

　あの人も自分を愛してくれていた。

　いつまでもそんな日が続くのだと思っていた。

　いつまでも一緒だと思っていた。

　いつまでもいつまでもいつまでも。

　自分はあの人を愛しているのだから。

　視界の隅に小さな光が見えた。

　右手側、道からは少し遠い場所にあるそれの下へと向かう。上にある他の石をどかして見つけた光源は、握り込める程の大きさの雫型の小さな石。手にした瞬間ふっと輝きは失せ、手にはただ白い石が残った。

「これが？」

　零れた呟きに応えるものはおらず、女は立ち上がり青年の前へと戻ってきた。

「あったわ」

「そのようですね。では先へ進みましょう」

　青年に促され、女は再び足を踏み出した。

　次第に深くなる霧の中を歩きながら、手に持つ石を見る。

　自分とあの人の絆石がこんなに小さなものだなんて、と正直思った。涙型はあの人を喪ってしまった己の気持ちに添うものではあるが、あの人への愛はこんな程度のものではない。

　誰よりも何よりも愛していた。

　ずっとあの人の傍にいたかった。

　あの人さえいればよかった。

　ふたりでいることができれば十分だった。

　それなのに―――。

（あんなことをしなくても）

　あの人が取った行動。初めはその理由が解らなかった。

　あの人との絆を確かめたくて、あの人との幸せを形にしたくて、探し始めた星の石。

　採石場を探しながらずっと考え、ようやく気付いたあの人の気持ち。

　自分もそれに応えようと思った。

　今となってはそれが、自分がここにいる理由だった。

　伸ばした指先までしか見えないような深い霧の中、女は足元の石が道幅よりも広くなったことに気付いた。

「お疲れ様でした」

　うしろから来た青年がそう告げる。広場の中央へと進んだその足元には黒い何かがあった。

　次第に霧が晴れだした。完全にではないが、格段に見通しが良くなる。

　青年がいる広場の中央、そこに平らな黒い石が敷き込まれていた。

「それ、さっきまでなかったわよね？」

　女は近寄り見下ろした。四角い一枚板がまるで元からそこに存在していたかのように、白い石に囲まれている。

「これは砕石盤です」

「さいせきばん…って？」

　聞き慣れぬ言葉に視線を上げると、真正面に立つ青年はただそうだと頷いた。

「ここは砕石場ですので」

「採石場なのはわかってるんだけど」

　声音に少し苛立ちが混ざる。

「それで？　なんなの？」

　冷ややかな眼差しをじっと見返した青年が、再度口を開いた。

「相手がそれを望むなら、石を割って分け合うことができます」

　詩(うた)と重なる青年の言葉に、女ははっと息を呑む。

「絆石って、そういうことなの……」

「分け合いたい相手のことを考えながら、石を砕石盤に落としてください。相手はひとりでなくても構いません」

「ひとりに決まってるじゃない」

　青年の言葉にそう返し、女は砕石盤の前に立つ。

　そう。自分が思うのはあの人ひとり。

　本当に愛していた。あの人のことが大切だった。あの人が自分の全てだった。

　だから当然あの人も。自分のことが一番であるのだから。

　だからずっと傍にいた。

　だからなんでもしてあげた。

　他に誰も必要ない。自分たちだけでいいのだと訴えた。

　わかったよと、あの人は頷いてくれた。

　―――それなのに。

　あんなに愛していたのに。

　あんなに一緒にいたのに。

　あんなに大事にしてあげたのに。

　どうしてあの人は自ら命を断ってしまったのか―――。

　考えて考えて、ひとつの答えに行き着いた。

　雫型の小さな石を片手で握りしめ、砕石盤の上へと差し出す。

「ずっと、私といる為なのよね」

　微笑み、女は白い石を手放した。

　コン、と軽い音。

　黒い石の上に、白い涙が転がった。

　女は暫くそれを見下ろしていた。

　遅れてくるのだろう時を待っていた女も、やがては異変に気付く。

「…割れないわよ……？」

　ぼそりと女が呟いた。

　ゆらりと青年を見上げるが、青年は変わらず佇むだけで。

　急激に膨らんだ不安に、女は両手で青年の腕を掴んでいた。

「ねぇ？　いつになったら割れるの？」

「そう言われましても」

　狼狽がその顔を覆い始めるのを無表情に見返しながら、青年は落ち着き払った口調で返す。

「割れないということは、望まれていないということですから」

「そんなことないわ！」

　女からは悲鳴のような声が上がるが、青年は薄く微笑むだけだった。

　―――そんな筈はない。

　女はよろりと後退る。

　自分はあの人を愛しているのだから。

　これ程までに愛しているのだから。

　あの人も自分を愛している筈なのだ。

　望まれていないなど、ある筈がない。

「…嘘よ」

　あの人の死は自分と常に共にいる為で、決して自分から逃れるためではない。

「…何かの間違いよ…。そんなことない……」

　あの人は自分の全てだった。

　自分はあの人の全てだった。

　望まれていないなど、あり得ない。

　頭(かぶり)を振りながら嘘だと繰り返す。

　口を挟まぬ青年は、なんの色もない眼差しを向けるだけだった。

　女は暫く否定の言葉を繰り返していたが、やがてふっと動きを止める。

「…あれは私の石じゃないんだわ」

　ぽつりと呟いた女の顔が、次の瞬間晴れやかに輝いた。

「そうよ！　間違えたんだわ！！」

　そう叫んで駆け出した女はそのまま右の道を進んでいき、やがてその姿は霧に紛れた。

　砕石盤に残された白い石がさらりと崩れ、霧となって舞い上がった。

　変わらぬ姿の青年はただそこに立っていた。

　いつの間にか砕石盤は消え、どこまでも白い霧と石の中で漆黒の青年だけが浮かぶように存在する。

　青年はゆっくりと女の行った先に視線を向けてから、ふっと息をついて白い空を見上げた。

「お疲れ様でした」

　呟きと共に、青年から解けるように色が失せる。髪と瞳は銀に、衣服は白へと為り変わった。

　青年は顔を上げたまましばらくそこで立ち尽くしていたが、やがて小さく首を振る。

「…君のせいじゃないよ」

　そうして一度微笑み、歩き出した。

「え？　今からどうするかって？」

　数歩進んでから足を止め、考えるように首を傾げて。

「…そうだなぁ、先にお茶でも飲もうかな」

　再び歩を進めた青年は、己の歩く道の外側を一瞥し、くすりと笑う。

「どうせ後で片付けに行かないとだしね」

　どこまでも満ち渡る霧に白い青年の姿は消え、後にはただ静寂が残された。

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　お読みいただいてありがとうございます。

　また次の来訪者を迎える際にお会いできれば幸いです。