第9話「この世界の聖女」
「はぁ……」
視察帰りの馬車の中、私は思わずため息を漏らした。
あの後、アレクシオスに連れられて、予定外に二つの町を回るハメになった。
どの町も他と似たり寄ったりで、土地は荒れ果て、道端には行き倒れる人々と、悪臭と汚物の惨状が続くばかりだった。
いずれの町でも、私は内側から湧き上がる不思議な衝動を感じ、それを心の赴くままに解き放った。
終わった後は、心身共にとても爽快な気分になるが、やはり身体に負担がかかるようで、ぐったりしてしまう。
今はだらしなくも窓の手すりに両腕をついて寄りかかり、頬杖をついて外を眺めていた。
正面からアレクシオスの視線を感じたが、今は気にする余裕はなかった。
窓から見える景色は荒廃した土地ばかり……
王都の周辺で、どうしてこのようなことが起こっているのだろうか……
この国は本当に大丈夫なのだろうか……?
胸の内をもやもやとした不安が渦巻いた。
「聖女とはなんなのだ……?」
不意にアレクシオスの言葉で我に返った。
「聖女とは……?」
私は頭を捻った。
この帝国に現在聖女はいない。
そして彼の今までの言動から察するに、過去の聖女に関する知識もほぼ皆無だと思われる。
少し考えてから、私は答えた。
「聖女は、元々この大陸が一つの古代帝国だった頃から存在していたと、古い文献に記されています」
「当時は聖女が3人おり、国が5つに別れた時に、3人はそれぞれの国へ散り、残りの2カ国は聖女をもたない国となりました」
「我がルーマ国は聖女を有する国で、代々2つの大公爵家の家から聖女が生まれました」
「それがパラメル大公爵家と我がマリヌス大公爵家です。当代の聖女様が30を過ぎる頃になると、決まっていずれかの家に一人の女性が生まれ、その者が次の聖女となりました。この国では、聖女が皇后として国王を支える習わしとなっていたので、生まれた瞬間からその女性は王子の婚約者となり、次期聖女、次期皇后として育てられます」
「そうして今回両家の間に生まれたのが私でした……」
そう言ってクリスティアは目を伏せた。
代々続いてきた伝統を私が台無しにしてしまった……
両親にもご先祖様にも顔向けができない……
私は自分の無能さに心が締め付けられた。
「なるほどな、それでお前は勝手に将来の聖女兼王妃候補として担ぎ上げられたわけだ」
「まあ、そういうことになります……」
私は自分が情けなくて、傷付く自分を誤魔化すように力なく笑った。
「………」
「それで、聖女の力はいつどのようにして受け継がれるのだ?」
「公には聖女の儀が行われる時とされていますが、本当は聖女が息を引き取った瞬間に、新しい聖女の元へ力が乗り移るそうです」
「お前にはその感覚があったのか……?」
アレクシオスは、赤い瞳を鋭くこちらに向けて尋ねた。
身じろぎせずに静かに私の答えを待っている。
「……似たようなものは、あった気がします……」
少し迷ったが、私はその時のことを正直に話すことにした。
「私は聖女様が亡くなる瞬間を目の前で見守っていましたが、息を引き取ってしばらくしたかと思うと、頭上から身体の中に不思議な力が入ってくるのを感じました」
「………っ!」
「……でもそれは、自分自身が次の聖女だと信じていた思い込みからきたものだったのかもしれません…。あるいは、聖女様が亡くなったショックをそのように誤解してしまったのかも……」
クリスティアは俯いた。
「次の聖女の決め手はその感覚だけなのか?それなら誰でも口から出まかせで聖女になれるではないか?」
アレクシオスの言葉に、クリスティアは胸がズキリと痛んだ……
彼もまた、聖女を騙った自分を非難しているのだと思ったのだ。
「新たな聖女を見極める方法は別にあります。教会が保管している特別な水晶には、聖女として力を有した者が分かるそうです」
「そして、その水晶であの女が選ばれたということか……?」
あの女というのは、イザベラのことだろうか。
最後にミハイル王子と寄り添うようにして、こちらを見ていた彼女を思い出し、苦い思いがよみがえる。
私はそんな気持ちを振り払うかのように頭を振って答えた。
「いいえ」
「実は、その儀式を行う数日前に、その水晶が何者かに盗まれてしまったのです」
「なんだと!?」
「急遽有識者を集めて、聖女を認定するための試験をいくつか行いました。そしてイザベラは、私よりも遥かに優秀な力があると判断されて、正式に聖女として選ばれたのでした」
「……なるほどな」
アレクシオスはなぜか考え込む表情をしていたが、私にはそれがどういう意味なのか分からなかった。
「そもそも、代々聖女はお前たちの家から出てきたのだろう?平民から出たことはあるのか?」
「いいえ、私は今まで聞いたことがありません。しかし、今回のことは今後の良い前例となることでしょう」
「………」
「ご存じだったかもしれませんが、陛下とお会いしたあのパーティーこそが、新しい聖女様のお披露目の場だったのです」
そして、私はそこでミハイル王子に婚約破棄をされた……
まだほんの数日前のことだ。
あの日のことを振り返ろうとすると、まだ胸が苦しくなり、改めてあの日の傷の深さを思い知らされる……
好きな相手ができると、ああも簡単に人は変わるのだということを、身をもって思い知らされた。
そして……
チラリとアレクシオスを盗み見た。
きっと彼も……
今は私を面白がってそばに置こうとするけど、今に私なんかよりも素敵な女性が現れたら、すぐに飽きて物のように捨ててしまうのだろう……
もうあんな思いなんてしたくない……
もう絶対に、誰にも心を開いたりなんてしない……
私は胸の前で拳を握りしめながら、そう誓った……