第8話「視察」
ーーー翌朝。
小鳥の囀りと頬を撫でる明るい日差しで目が覚めた。
「………」
目を開けると、目の前には絶世の美男子の寝顔があった。
「………」
思考停止中………
……思い出しました、昨日のことを。
寝る前と同じように私の身体の上に乗せられていた彼の腕が時間の経過と共に重く感じられて、身体をよじって離れようとした。
「痛っ!!」
「………」
私の声に反応して、パチっと目を開けるアレクシオス。
「う〜っ!!」
私が顔を顰める。
「どうした?」
アレクシオスが目と鼻の先の距離で尋ねる。
「う……」
「?」
「腕が痛いです!一晩中上げすぎてて!早く手枷をとってください!!」
私は半泣きで懇願した。
「逃げないと誓うか……?」
「こんな状態で逃げられるわけないじゃないですか!!早く取ってください!!」
「………」
アレクシオスはため息を吐きつつも、渋々鍵を外してくれた。
「はぁ〜〜痛かったぁ〜〜!!」
私は固まった腕をゆっくりゆっくり下ろした。
「……もう寝る時の手枷はごめんです……」
私は数時間ぶりに下ろした腕をぎゅっと抱きしめながら、恨めしそうに彼を睨んだ。
「………」
「……今夜までには、鎖の長さを調整させておく」
やや上体を起こしたアレクシオスが鎖を見ながら表情も変えずに言った。
いや、そうじゃなくてーーっ!!
「私は手枷なんか付けなくても逃げませんよ……?」
たぶん……
彼がなんと反論してくるのか身構えていたら、アレクシオスは長いまつ毛をふせて俯き、
「そうしないと、俺が不安なんだ……」
と妙に塩らしい態度で言った。
「………」
不安だなんて……
横柄でプライドが高くて性格が悪い(と思われる)このお方が、自分の弱い部分を人に見せるなんて、一体どういう風の吹き回しだろうか……?
私は思わず呆気に取られてしまった。
身体を起こし、立てた膝に腕と身体をもたれかけて、流れる前髪の間からこちらを見る赤い瞳には、いつもの挑戦的な色味はなく、どこか寂しげで不安そうな顔をしてた。
「………」
これまで見てきた彼とはおおよそ別人のようで、思わずそんな彼を可愛らしいと思ってしまった……
それと共に、孤独な彼が不意に見せてくれた本音に嬉しくなり、出来ることならなんでもしてあげたいという気持ちにさせられた。
私は彼が晒してくれた本音を大切に扱うよう、穏やかに微笑みながら言葉を返した。
「私はあなたの婚約者なのでしょう?もしご心配であれば、誓約書をお書きします。逃げないことも一文に加えます。両親にも手紙を書いて証人になってもらえるよう頼みます。それでどうでしょうか?」
我ながら調子の良い口だと内心苦笑する。
しかし、今のアレクシオスであれば、もうそんな理不尽なことはしない気がした。
彼が安心を求めるなら、その期待に応えてあげたくなった。
「………」
アレクシオスは私の発言に不服だったのか、不貞腐れたように口を尖らせて、何も言わなかった。
まるで憑き物がとれたように大人しいわ……
本当にどうしたのかしら……?
不思議に思って彼を見返していると、彼が私を見て優しく笑いかけた。
思わずドキッと心臓が跳ねる。
「身体の痛みはもう大丈夫か?」
そばにいる私に手を伸ばし、優しく肩に触れた。
「は、はい…おかげさまで痛みも消えました……」
「そうか…」
「足の方は大丈夫か?」
「足、ですか……?」
「ああ、昨日俺の首を絞めるのに、随分と無理な体勢をとっていたようだからな……」
「!!!」
昨日のことを思い出してボッと赤くなった私を見て、アレクシオスはすぐさま意地の悪い笑みを見せた。
あ!いつもの顔だ!!
「だってあれは陛下が……っ!!」
反論しようとした私に構う様子もなく、アレクシオスはベルを鳴らして侍女達を呼んだ。
「お呼びでしょうか?」
すぐにやってきた侍女達は、まだ仲良くベッドの上にいる私達を意味深に見つめる。
「!!」
いや、違うからね!?
何もなかったからね!?
侍女達の手前、表では平静を装うが、心の中で必死に弁解する。
「聖女殿は昨日の長旅に加えて、昨夜あちこち身体を動かし過ぎて全身を痛めてしまったようなので、食事の前によくマッサージでもしてやれ」
「!!!?」
アレクシオスは、私に流し目を送り、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「特に足が疲れているようだから、重点的に頼む」
「〜〜っ!!!!」
それを聞いた侍女達が何を思ったのか、顔を赤らめる。
だーかーらー!違うからね〜〜〜!!!?
「さあ、聖女様、お手を」
この状況で聖女と呼ばれることがいつも以上に不似合いな気がして、余計に気恥ずかしい気持ちになる。
アレクシオスはそんな私を見てニヤリと笑うと、優雅な手付きで私をベッドから下ろして侍女達の元へ連れて行った。
「朝食の後は視察に行くから準備をしておけ」
そう侍女達に告げると、バタンとドアを閉めた。
……やられた……
前言撤回!
やっぱり彼はロクでもない男だわ!!
いつか逃げ出してやるんだからっ!!
◇◇◇
朝食の後、私達は視察の準備をして早々に馬車に乗り込んだ。
乗車を手伝ってくれた護衛騎士のローランが
「昨日はよく眠れましたか?」
と優しい笑顔で尋ねてきた。
「あ…ええ、まあ……」
と私が言葉を濁していると、後ろからやってきたアレクシオスが私の首筋に唇を近付けて意味深に笑った。
「そうなのか、俺はお前の取り乱した姿のおかげで、昨夜はよく寝付けなかったがな」
「!!」
また、この人は……!!
あなた昨夜、瞬殺で寝入ってたでしょうが!!
「え……?」
少し間をおいて、ボッ!!と真っ赤になるローラン。
30歳手前くらいの童顔な見た目の彼だが、中身はかなり初心らしく、これ以上ないくらいに顔を真っ赤にしていた。
「そ、それは、大変失礼しましたっ!!」
「い、いえ…!」
何かを盛大に勘違いしながら、謝りながら慌てて馬車を駆け降りていく。
私はじとりとアレクシオスを睨みつける。
「………」
さっきから一体何なのかしら。
あえて昨夜、私達の間に何かがあったかのように振る舞っているようにみえる……
まさかとは思うが……
私がそう簡単に逃げ出したり婚約破棄をしたりないために外堀を埋めている……!?
まさかね……
後から馬車に乗り込んできたアレクシオスは、不敵な笑みを浮かべながら私を見つめた。
風に吹かれて、艶やかな紺色の髪がなびき、形の良い白い額が姿をのぞかせた。その色っぽい表情に思わずドキッとしてしまう。
バタン……
馬車の扉が閉まり、二人きりで向き合う。
「ほう…そうしていると、まるで上品な淑女のように見えるな」
アレクシオスが意味ありげに笑う。
「一応公爵令嬢としての教育は、一通り受けてきましたから」
私は澄まして答える。
「そうか……」
「そのような高貴なご令嬢が、昨夜あのような行動をとられたわけだ。さすがルーマ国の公爵家の教育は素晴らしいな……くくっ……!」
アレクシオスは堪えきれないといった様子で肩を震わせて笑い出した。
私は、昨夜両足を振り上げてアレクシオスの首を絞めた場面が頭をよぎった。
「もうっ!!朝から何なんですか!!からかいすぎですっ!!!」
私は顔を真っ赤にして怒った。
◇◇◇
ガタンゴトン……
王都内の道を走らせて約1時間。
ようやく南側の門までたどり着いた。
門には頑丈な二重の門が設置されており、武装した門番が門の周りに複数いた。更に天井部分にも数人の監視役が配置されているといった厳重な警戒体制だった。
「………」
改めて、この国は戦争とは切っても切り離せない状態なのだと思い知らされ、緊張が走る。
私もこの国へ嫁ぐことになったら、戦争に巻き込まれることになるのだろうか……
門を無事に通過すると、王都の外へ出た。
家やお店が所狭しと並んでいた王都に対して、その壁の外側は平原が広がっていて見通しがよかった。
「……王都の周りが全て平原なのは、軍隊など敵が侵入した際に隠れる場所を作らないためですか?」
私が何の気無しに尋ねると、アレクシオスは「ほぅ…」と目を光らせた。
「その通りだ。半径3キロ以内に視界を遮る建築物を建てることを禁じている」
アレクシオスは私を見て、頬杖をつきながらニヤリと笑った。
「!」
全く……いちいち心臓に悪い顔だ……
王都から出た途端に揺れが酷くなった荒れた道を、馬車に揺られながら更に30分程進むと、民家がチラホラと見えて来た。
「はあ、やっと着いた……」
予定していた視察場所へ降り立つと、途端に酷い異臭が広がっていた。
「……!」
パラパラと建つ家の周囲は汚物に溢れ、道端には今にも死にそうに行き倒れている人の姿もあった。
……これは…酷いわ……
王都のすぐ近くの町がこんな状態だなんて……
昨日国境付近で見たような荒れ果てた土地が、きっと私の想像以上に広がっているのだろう……
私は胸の内が複雑にざわめいた。
出迎えてくれた領主代行の者が、町を案内してくれた。
道ゆく人々は皆栄養失調のように浅黒く痩せ細っていた。
唯一日に焼けず、腹を大きく肥えさせている領主代行の姿だけが異様に映った。
畑に案内してもらうと、広い土地の中で、半分にだけ野菜の苗が植えられていた。
そしてその野菜の苗達も、ひょろひょろと不健康で、病害虫の被害にあっていた。
水も十分に足りていないのだろう。
でもそれ以上に、この土地全体が黒いもやに覆われているように感じた。
すると、昨夜と同じように胸の奥から抑えきれない不思議な感覚が溢れてくるのを感じた。
何かしら……?
見たところ、私の身体には何の異常もないようだけど……
でも明らかに普段とは違う違和感をはっきりと感じた。
そのままにしておくと、それが爆発してしまいそうな気がしたので、私は必死にそれを抑え込んだ。
でも、それを解放したいという衝動が私の心を揺さぶった。
「くっ……!」
「大丈夫ですか!?クリスティア様!」
私の異変に気付いた護衛騎士のローランが心配そうに駆け寄る。
「どこかお加減が悪いのでしょうか?一度休まれますか……?」
外から見たら、突然私が苦しみ出したように見えたのかもしれない。
「……いや……だい…じょう…ぶ……っ!」
一体なんなの…これは……!?
昨夜のアレクシオスに感じた感覚の比にならなかった。
もう早く解放してしまいたい衝動に襲われる……
でも得体の知れない大きな力を解き放つと、身体の中身がすべてどこかへ行ってしまうような気がして恐ろしかった。
気を紛らわせるために辺りを見回すと、少し後ろに立つアレクシオスと目が合った。
「……っ!」
アレクシオスは、突然胸に手を当てて苦しみ出した私を訝しんでいるだろうか……?
彼は無言で私を見ていた。
「……くっ……はぁ…はぁ……!」
抑え込もうとすればするほど、その感覚が私の身体の中で大きくなってきて、今にも爆発しそうだった。
息も絶え絶えになってきて、そろそろこの感覚を抑え込むのにも限界が近づいて来たので、観念して解放することにした。
そう受け入れ、力を緩めた瞬間、天から雷のような大きな衝撃が頭の頂点から地面に突き抜けた気がした。
『………解き放て………』
胸の中で何者かの声が響き、何かに引き寄せられるように胸の前で強く手を握り締めると、口からは聞いたこともないような異国の言葉が次から次へと流れ出てきた。
「……っ!?」
私の豹変ぶりにローランは目を見開いて驚愕した表情を見せていた。
領主代行は突然おかしな行動をし始めた私を見て、あからさまに顔を顰めていた。
「…………」
ただ一人、アレクシオスだけが表情を変えることなく、黙って事の次第を見守っていた。
「はあ……はあ……!」
数分後、私は身体の中身を全て出し切ったような感覚に襲われ、その場に座り込んだ。
「終わったのか……?」
「はい……?」
私は訳がわからないままに返事をした。
「………」
アレクシオスが周囲の畑を見渡す。
「なぜ何も起こらないのだ……?」
「………?」
「先程のそれは、古代の帝国の言葉だ。お前は土地の浄化の祈りを行ったのだろう?」
「!?」
古代の帝国の言葉!?
土地の浄化!?
私が……?
聖女でもないのに……!?
何のことやら、さっぱり分からなかった。
現に見回した畑は、先程と何も変わってはいなかった。
アレクシオスもそれに気付いたようで、顔を顰めた。
「なぜ土地を浄化したのに変化がない……?」
「なぜも何も……私にはそのような力はありませんので……」
元より聖女の力を信じない彼が、どうしてそんなことを聞くのか、不思議に思いながら答えた。
「どういうことだ……?」
アレクシオスが小さな声で呟いた。
“どういうことだ”……?
彼は聖女の力を信じていなければ、私が聖女でないことも知っているはずなのに、昨日の今日で急にどうしたというのだろうか……
「もう一箇所行くぞ……」
そう言うと、アレクシオスは無言で馬車へと歩き始めた。
「へ……!?」
「本日の視察は、こちらで終わりのはずですが……!?」
小走りにアレクシオスの隣に駆け寄ると、ガッと腕を掴まれ、そのまま有無を言わさず馬車へと連行された。
「!?!?」
私は彼に引っ張られるままに馬車に乗り込んだ。