第6話「ようこそコンタンディオス大帝国へ!」
あの悪夢のパーティーから1日半後、ようやくコンタンディオス大帝国の王城へと辿り着いた。
先日馬車から見た国境付近とは違い、やはり王都は賑やかで栄えていた。街は周囲を高い壁で囲まれ、敵の侵入を阻むように造られた城郭都市だった。
国王の居城も簡素ながらも堅固で大きく、周囲は街同様に高い壁で守られており、防衛機能の高い造りになっていた。
城に到着し、アレクシオスの白々しいエスコートで馬車を降りると、昼間の強い陽射しが寝不足の目に沁みた。
ほぼ休憩らしい休憩もない弾丸移動で、なんと予定していた半分の時間で着いてしまった。
悪路に揺られ、もう身体はボロボロだった。
兎にも角にも今は寝たい……
部屋で少しだけ仮眠をとらせてもらったら、両親へ手紙を書こう……
誰かから噂は聞いているかもしれないが、突然連絡もなしに失踪してしまったから、さぞかし心配しているに違いない……
「さあ、フィアンセ殿、こちらです」
アレクシオスか嘘くさい笑みを浮かべて城の中へと誘導してくれた。
大きな扉から入ったグランドエントランスは閑散としていて、絵画や甲冑などの骨董品や植物は一切なく、床に上等な赤いカーペットが敷かれているだけだった。豪華絢爛なルーマ国の城とは大違いだ。
出迎えの使用人達も最低限の人数しかおらず、下手したら我が公爵家の方が多いくらいだった。
もしかして彼が起こしたというクーデターで使用人達も殺されてしまったのだろうか……?
仮にそうでなくとも、命の危険を感じて逃げ出してしまった者もいたのかもしれない。
そんなことを考えながら、彼に手を引かれるまま二階へと上がり、連れて来られた部屋へ入ると、そこは執務室だった。
「………」
「これは一体……?」
てっきり客間か応接室にでも案内されるのかと思っていた私は呆気に取られてしまった。
「貴様には今日からここで執務に取り組んでもらう」
「えぇ!?今からですか!?」
「そうだ」
そう言ったアレクシオスは、私の前にしゃがみ込むと、突然私の足首に優しく触れた。
「!!」
ビクリと身体が震え、何をする気かと困惑気味に彼を見ていると、不意に足元でカチャリという音がした。
見ると両足には足枷が嵌められていた。
「!!!?」
「へ、陛下!これは一体……!?」
「足枷だ」
「いや、知ってます!」
「何をなさるんですか!?」
信じられない事態に、頭が混乱する。
「俺は心配性でな、自分がいない間に逃げられでもしたら困るので足枷を付けさせてもらった」
「ご自分の婚約者にですか!?」
「婚約者と言っても名ばかりのものだろ。俺はお前を信用していないし、これからもすることはないだろう」
そう言って、何の感情もない目で私を見た。
「あ……」
冷たい視線を受けて思わず射すくむ。
分かっていたつもりだったが、あえて言葉にされると、刃のように胸に突き刺さった。
私はここでも婚約者として受け入れてもらえることはないのだと、痛感させられた。
「安心しろ。足枷とは言え、この部屋を移動することはできる、ここで仕事をする分には問題ないだろう」
確かにこれは両足を一枚の板に固定する一般的なタイプの物ではなく、片方ずつに丸い大きな重りがついているタイプの物なので、走ることは出来なくても、重りを引きずりながらゆっくり歩くことはできる。
だからと言って、仮にも自分で攫ってきた婚約者に対して、この仕打ちは少々酷い気がする……
私の不満気な顔は気にもとめず、彼は部屋の奥にある執務机を手で示した。
「とりあえずあの机の上の書類を今日中にどうにかしろ」
「えっ!?」
見ると机の上には溢れんばかりの書類が重ねてあった。
「あの量を今日中に!?無理で…」
「やるのだ」
最後まで言い終わらぬうちに言葉を遮られてしまった。
「私が幸せを感じて暮らすための許可を頂けると約束してくださいましたよね……?」
「それは仕事に対する対価だろ?まだお前は何もしてないじゃないか」
「〜〜っ!」
言葉を失った私を見て満足気に笑うと、アレクシオスはそのまま執務室を出て行った。
「……っ!」
信じられない……!!
来て早々、休ませてくれないどころか、足枷まではめて無理難題を押し付けてくるなんて……!!
本当に私を執務代理人として飼い殺すつもりなんだわ!!
この分だと、私との約束を守ってくれるかも怪しいところだ。
こんなところに閉じ込められていたら、自由を味わえることなく死んでしまうかもしれない……
(ここから逃げようかしら……)
アレクシオスの態度次第では、隙を見てここから逃げることを決意した。
「でも、とりあえずは……」
執務机の上の書類に目をやった。
大半の大臣がいなくなり、肝心の国王も政治には無関心で、おまけに国王が不在時に代わりに仕事を請け負う者もいないときた……
このままでは、あっという間に帝国が傾いてしまいそうだ。
ルーマ国の未来も暗いと思ったが、こちらはそれ以上に切羽詰まっている状況のようだった。
「なんて所に来てしまったのかしら……」
私は肩を落とし、項垂れた。
しかしすぐに窓を開けてこもった部屋の空気を入れ替え、覚悟を決めて書類の山と向き合った。
◇◇◇
気付けば日が傾き、空が赤く染まっていた。
その頃になり、ようやくアレクシオスが戻ってきた。
「どうだ、仕事は終わったか?」
部屋に入るなり、入ってきた時と変わらず机に書類が積み重なっているのを見て、途端に険しい表情になる。
「貴様……今日一日何をしていた?時間はたっぷりあったはずだぞ」
私は依然として椅子に座ったまま答える。
「お言葉ですが、今日来たばかりの私に何ができるとお思いなのでしょうか?この国のことも知らずに政務など務まるはずがありません」
「だから何もしなかったというのか?」
「………」
「はあ、貴様にはがっかりした。俺の見込み違いだったようだ」
心底呆れた様子で壁際のソファに寄りかかる。
私はそれを見てゆっくりと立ち上がると、重しをゴロゴロと引きながら、アレクシオスの前まで歩いて行った。
ソファに寄りかかったアレクシオスが片目を開けて私を見上げた。
私は両手に拳を握り、すぅっとゆっくり息を吸い込んだ。
「そもそも……」
「飲まず食わずで仕事をさせるなんてあんまりじゃないですか!!私、朝馬車で食べた軽食以外は何も口にしてないんですよ!慣れない長旅で睡眠も十分にとれてないですし、ただでさえ婚約破棄されたばかりで心がズタズタなのに、これでは十分な力を発揮できません!!」
「………」
「やらなきゃ殺すだけだ」
「……っ!」
この人は、本当に私のことを道具としか思ってないんだ……!
これじゃ、話の通じないミハイル王子と変わらないじゃない……!!
「はぁ…せっかく小国のくだらないパーティーに参加してまで連れてきたというのに、骨折り損だったな」
アレクシオスは心底失望したように深いため息を吐いた。
「私もあなたにはがっかりです……」
私は肩を震わせた。
「なんだと……?」
アレクシオスが私の方を見て睨んだ。
「今までどうしてこんな状態になるまで放っておいたんですか!!?」
「何の話だ?」
「この国の状況ですよ!!今にも崩壊寸前じゃありませんか!!」
「……?」
「農村部では食料不足と不作で毎年多数の死者が出ているそうじゃありませんか!そして何の策も講じないまま、不作になる度に増税を繰り返している!これでは、国が民を殺しているも同然です!!」
「……は、何を言うかと思えば」
「死ぬ奴には生きる力がないのだろう。誰が何人死のうと俺には関係ない。死んだらまた別の人間を連れてきて使えばいい。何せこの帝国に人は腐るほどいるのだからな」
「……農民達がいなくなれば、食べ物や物を作る原料が手に入らなくなります。あと10年としないうちに、あなたも食べ物や着る物に困ることになるでしょう……」
「……」
「民は国の何よりの宝です!大切にしなければ、すぐにでも国は傾きます。だから…っ!」
次の言葉を続けようとしたところで、アレクシオスの手で口元を塞がれた。
「……っ!」
「貴様の言い分は分かった。偽聖女様らしい立派なご高説だな。だが、口だけじゃ何も変わらない。だろう?」
「分かっています!」
彼の手を乱暴に振り解きながら言った。
「だから明日は、王都周辺の視察の許可をお願いします。その上で、この国を立て直すための計画書を作成します。その内容にご不満があれば、私を殺すなり、婚約破棄するなりなさってください!」
「なんだ?あんなに文句を言っていたのに、急にやる気だな。聖女様らしい慈悲の心でも働いたのか?」
「そうですよ!」
私は不貞腐れたようにアレクシオスを睨み返した。
正直、彼の策に乗るのはとても不本意ではあったが、このまま救える命を放っておけるほど非情にもなれなかった。
「………」
彼は私の心を推し量るように静かに見据えた。
ジリジリとした殺気のような視線に、思わず汗が滲んだ。
「いいだろう。その代わり、その視察には俺も同行する」
「え、陛下もですか!?」
適当な護衛を連れて一人で行くつもりだったので、彼の予想外な提案に驚いた。
「視察には足枷をつけて行くわけにはいかないからな、この俺が直々に監視してやる」
「そう…ですか……」
それは…全然嬉しくない……
というか、私は逃げる前提なんですね……
まあ、隙あらばそのつもりですけど……
私はダメ元で彼に提案してみた。
「……あの、もし私が完璧な計画書を作成できたら、国へ返してくれたりとかしてくれたりとか……」
私がそういうと、彼は何も言わずにニッコリと素敵な深い笑みを向けてきた。
「………」
ですよねーーー!?
「……いえ、なんでもありません」
「そうか」
「では、君を晩餐にご招待しよう」
そう言って彼は、艶やかな紺色の髪をなびかせて、まるで素敵な紳士のように美しい笑みを浮かべながら優雅に私に手を差し伸べた。
「……っ!」
中身は人を人とも思わない極悪非道な悪魔なのに、その美しい見た目とのギャップが心臓にとても悪かった……
◇◇◇
「はぁ〜!最高の晩餐でした〜!!」
朝ぶりの美味しい食事と飲み物で、心身共に満たされた私は少し上機嫌になりながらアレクシオスに手を引かれて晩餐室を出た。
今日は寝不足の中、半日執務室の資料を読み漁っていたので、さすがに眠気の限界で頭がくらくらする。
無意識にアレクシオスの腕に寄りかかりながら頭をカクンカクンと揺らして必死に睡魔と戦う。
「………」
その様子をアレクシオスが横目で見ていた。
私は通された部屋で待っていた侍女達に身体を清めてもらい、半分眠りながら寝室へと案内された。
そしてそこで我に返った。
なにこの部屋……
一人寝にしては広すぎる、大きなベッドしかない部屋。
ここはまさか……
「遅かったな、待ちくたびれたぞ」
背後からアレクシオスに声をかけられて飛び上がる。
「あの…ここはまさか……!」
「ああ、夫婦の寝室だが?」
「え、あなたと一緒に寝ると言うことですか!?」
「そうだが?」
アレクシオスの返答に顔面蒼白になる。
「……あの、どうして初日から一緒の部屋なのでしょうか……?他の部屋にもベッドはありますよね?それに私達は婚約者といえど、形だけの関係ですよね?結婚をしたわけでもないのに、どうしてこのような……」
「まあ、そう固いことを言うな、一人寝など寂しいではないか。それに……」
そう言うなり、彼は私をあっという間に担ぎ上げてベッドへ運び、手首を押さえつけた。
「寝ている間に逃げられたら困るからな……」
そう言ってニヤリと笑ったかと思えば、カチャリと、私に手枷を嵌めたのだった。