第5話「ミハイル王子との婚約時代」
『パーティーの夜には、婚約者が屋敷まで迎えに来てくれる』
そんな当たり前の毎日が、ある日突然終わりを告げた。
それは半年前の仮面舞踏会でのこと。
まだ寒さも堪える冬の時期だった。
私はいつものように、ミハイル王子のエスコートでパーティーに出席した。
今回は仮面舞踏会ということで、貴族以外にも平民達が多く参加していた。
そんな中、彼は彼女に出会ってしまった。
人々が仮面で顔を隠している中、唯一仮面を付けず、一際美しい顔を晒していたある女性が会場で注目を集めており、男性達は一様にその女性に釘付けとなった。
ミハイル王子もその一人だった。
彼女を見つめていたと思ったら、私の腕を離し、他の男性に混ざって彼女に話しかけに行ってしまったのだ。
その時の女性が、後に聖女となるイザベラだった。
彼女と出会ってから、彼はパーティーの日に私を迎えに来なくなった。
代わりにイザベラを迎えに行くようになり、会場では彼女のエスコートをしたがった。
私には、宰相の息子クレオと騎士団長の息子ザックを当てがったが、そのうち彼らも彼女に魅了され、私をエスコートしてくれる者は誰もいなくなってしまった。
王子の婚約者である大公爵家の令嬢が平民の女に負けたと、陰で他の貴族達に笑われているのを聞いた。
ミハイル王子が私に向けていた笑顔は、いつしかイザベラだけに向けられるようになり、私には次第に険しい顔をするようになっていった。
どうやら、私がイザベラに嫌がらせをしているという噂を信じているようだった。
本当に根も歯もない噂だった。
それにもかかわらず、長い時間をかけて培ってきた関係が、こうも簡単に壊れるなんて思いもよらなかった。
彼の突然の拒絶をすぐには受け入れられず、私はとても苦しんだ。
自分の何が悪かったのか、考えない夜はなかった。
夜会が行われる度に、憂鬱な気持ちが増していった。
それでも諦め切れない私は、いつもパーティーが始まるギリギリの時間まで屋敷で彼の迎えを待っていた。
今日こそ私を迎えに来てくれるのではないかと……
でもいくら待っても彼の迎えは来なかった……
思い余ってミハイル王子を問い詰めたこともあった。
でも返ってきたのは「イザベラが可哀想だから」という言葉だった。
可哀想……?
じゃあ私は可哀想ではないの……?
いつもパーティーに一人で出席させられる私は……?
しかも「可哀想」というイザベラに対して、必要以上に身体をくっつけて嬉しそうに寄り添っているのはどうしてなの……?
「可哀想」なのではなく、彼女のことが「好きだから」一緒にいるのだということは、誰の目からも明白だった。
私はそんな二人の姿を見るだけで、胸が引き裂かれそうなくらい苦しかった。
「お前は必要のない存在なんだ」と言われているような気がして辛かった。
苦しくて苦しくて、夜な夜なベッドの中で声を堪えて一人泣いた。
そして最後は諦めた。彼に愛されることを。
国のため、家のため。
王子に愛されなくとも、次期聖女、次期王妃として求められた人生を全うするのだと自分に言い聞かせた。
そう決心した数日後に、私は聖女ではなかったという審議が下った。
次期聖女はなんとあのイザベラだという。
この国では、余程年が離れていない限りは聖女が王子の婚約者となる習わしだ。
私は目の前が真っ白になるのを感じた。
聖女という立場も彼の婚約者という立場もすべて彼女に奪われてしまった。
いや、私は聖女ではなかったのだから、元々すべては彼女のものだったのだ……
私はもう何を目指して生きていけばいいのか分からなくなってしまった。
そんな状態で臨んだのが今回の夜会であった。
聖女として正式に認められたイザベラを、国内外の王族・貴族達にお披露目するためのパーティーだった。
まさか、国王陛下と王妃が席を外したタイミングでミハイル王子が私に婚約破棄を宣言し始め、あのような騒動になるとは、思いもよらなかったけど……
私はあの時の彼の言葉を思い出して、再びズキリと痛む胸を押さえた。
でもそんな私を様々な苦しみと呪縛から解放してくれたのは、あの赤い瞳をもつ彼だった。
艶やかな紺色の髪に美しく残虐な瞳の……
「おい」
突然脛に痛みが走り、急激に意識が引き戻された。
驚いて目を開けると、目の前のアレクシオスがこちらを睨み付けていた。
どうやら馬車に揺られながらいつの間にか寝てしまっていたようで、今のはアレクシオスが私の脛に蹴りを入れた痛みだったらしい。
「何を泣いている……」
アレクシオスが怪訝そうな顔で尋ねる。
「え……?」
それで初めて自分が泣いていたことに気付いた。
「あ、少し昔の夢を見ていました…」
どうやら彼は、うじうじ・メソメソしている人間が嫌いなようだ。
私は慌てて頬の涙を拭い、何事もなかったかのように顔を上げて窓の外を見た。
彼はまだ私を睨んでいるのが気配で伝わってきた。
どうやらこの状況に加えて、昨夜の私の発言にまだ腹を立てているようだった……
◇◇◇
昨夜のこと。
「私は……自由な人生のために、生きることを選びます!!」
「なんだと……?」
私の言葉に、アレクシオスがその端正な顔を顰めた。
「貴様、ふざけているのか……?」
凍えるような冷たい瞳で睨まれ、首筋に当てられた剣に力が込められる。
「わ、私は本気です…!!」
首の痛みに耐えながら、決死の覚悟で彼を見返した。
「陛下の仰られた帝国の政務は全てお引き受けするとお約束します。その代わり、私に自由をください」
「どういうことだ……?」
「仕事を行う代わりに、外出の許可、食べたい物を食べる許可、その他、私が幸せを感じて暮らせるための許可を頂きたいのです」
「なぜ貴様のために、そこまでしなけれはならない……?」
「そうすると、私の機嫌が良くなって、仕事がはかどるからです!」
「………」
ふざけるなと言わんばかりに、更に顔を顰めてクリスティアを睨みつけた。
「せっかく見つけた妃候補なのでしょう?どうぞ私の仕事効率のために許可を願えませんでしょうか?」
尚も食い下がる私。
これで殺されるなら、その時はその時だと開き直った。
一度死を覚悟したことで、肝が据わったようだ。
「……ふん!」
彼は苛立たしげに剣をしまうと、腕を組んで乱暴に壁に寄りかかった。
「………」
一応容認してくれたってことかな……?
恐る恐る彼を見遣るが、目を瞑ってしまい、その表情は読めなかった。
私は彼が目を瞑ったことに安心して、自分も座席に深く座り込み、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
なにせその日はいろんなことがありすぎて、とても疲れてしまっていたから。
◇◇◇
昨夜の記憶を思い返しながら、先程アレクシオスに蹴られて痛む脛をスカートの上からさする。
それにしても、いくらうるさかったとは言え、女性の脛を蹴って起こすなんて、なんて乱暴なのだろう……
普通の令嬢であれば卒倒しているところだ。
まだ眠い目を擦りながら窓の外に目をやると、気付けば空が白み始めていた。今は夏の初めなので明け方の4時頃だろうか……?
あれから4時間くらい寝ていたようだ。
まだ寝させてくれてもよかったのに。
そんなに私の寝言がうるさかったということだろうか……?
彼は相変わらず眉に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしながら腕を組んで壁に寄りかかっていた。
帝国までは馬車で三日かかるという。
今のところ、休憩もせず夜通し馬車を走らせている。
馬車での長距離移動は、父に連れられて公爵領へ視察に行く時や先代の聖女様の浄化の旅について行った時などに経験したことはあるが、馬車で眠るのは初めてだった。
既に身体のあちこちが痛い。
こんな状態で明日まで過ごさなければならないなんて……
考えただけで、どっと疲れが増した。
それから3時間ほど馬車に揺られると、辺りもすっかり明るくなっていた。
私はその後も眠れずに、なんとなく窓の外を眺めていたが、目の前には信じられない光景が広がっていた。
帝国領へ入るや否や、見る土地見る土地すべてが荒れ果て、荒廃していたのだ。
……これは一体……
大国ともなると、国の外れまでは管理が行き届かないのだろうか……?
こんな場所では作物も育たないだろう……
元より住んでいる者もいないようだ。
「帝国の外れの土地は、皆このような状況なのでしょうか……?」
同じく眠らずに起きていたアレクシオスに尋ねた。
アレクシオスはチラリと私に目をやると
「知らん」
とだけ告げた。
「!?」
……知らない……!?
この国の王が、この国の状況を把握していないですって……!?
昨日政治に興味はないと話はしていたが、まさかここまでとは……
私は驚きのあまりに、開いた口が塞がらなかった。
……これは早急になんとかしなくては……!!
私は外の景色を見ながら、考えつく限りの対策を頭の中で巡らせた。
その様子をアレクシオスが黙って眺めていた。
◇◇◇
しばらくしてようやく馬車が止まり、休憩となった。
馬車のドアを開けてくれたのは、パーティー会場でアレクシオスの従者として参加していた赤毛の男性だった。
優しい面影の彼は、慣れた手つきで私に手を差し伸べて馬車から下ろしてくれると、私に向かって右手を胸に当て、丁寧にお辞儀をした。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。マリヌス公爵令嬢、私は陛下の護衛を務めるローランと申します。この度は我が陛下とのご婚約、誠におめでとうございます。」
「え。あ、ありがとう……」
そうか。
昨日のあれで、口約束ではあるが、婚約が成立したことになったのか……
私はアレクシオスと結婚するのか……
あの暴君と……
冗談みたいな現実に、まだ気持ちがついていかない。
「お察しします」
「え、いまなんて…!?」
ローランは何事もなかったかのように、ニコリと穏やかな笑みを浮かべた。
「………」
「今後は私が出来る限り、あなた様のこともお守りすると誓います」
私の前に跪き、手の甲にキスをすると、誠実そうな顔のローランが柔らかく微笑んだ。
彼が私に対して好意的に接してくれていることに内心安堵した。
「ありがとう、ローラン。私のことはクリスティアと呼んでちょうだい」
私もローランに微笑み返した。
「はい、クリスティア様」
毛先の跳ねたやや長めの赤毛の髪の間から見える紺色の瞳が優しげに細められる。
紺色の髪と赤い瞳をもつアレクシオスとは真逆の色だ。
他の騎士達の顔を見ても、この国では赤毛に紺色の瞳をしている者が多いようだ。
ちなみに我がルーマ国では金髪碧眼の者が多いが、他国の血が入っている者や平民には、イザベラのような茶髪の者も多い。
ルーマ国の王族をはじめとする貴族達はみな一様に金髪碧眼であるが、その中でも私は特殊で、根本は金髪だが、毛先に向かってベビーピンクに変わる不思議な髪色だった。
それが尚のこと珍しいのか、先程からチラチラと騎士達の視線を感じた。
「お前、クリスティアというのか」
後ろから気怠げな様子で馬車から降りてきたアレクシオスが言った。
「……っ!」
名前も知らないような相手を連れてきたの、あなたは!?
思わず顔が引き攣りそうになったが、なんとか堪えた。
「アレクシオス陛下、初めまして。私はマリヌス公爵の娘のクリスティア・マリッシアと申します。以後お見知りおきを!!」
少し嫌味を織り交ぜながら、あえて至極丁寧にカーテシーをして見せた。
「…お前も少しは怒るのだな」
アレクシオスは小馬鹿にしたように、少し口の端を上げて笑った。
「ーー!」
怒りを抑えながら穏やかに笑みで返すと、脇から護衛騎士のローランが口を挟んだ。
「当たり前です陛下!そんなことでは、すぐクリスティア様に愛想を尽かされてしまいますよ!!せっかくこんな状態の国に来てもらったというのに…!!」
こんな状態の国……!?
「うるさい」
アレクシオスは煩わしそうに片耳を押さえながら歩いていくが、その隣をローランが小言を言いながらついていく。
少なくとも彼はアレクシオスよりはこの国の状況を知っているようだ。
そして彼に進言できる強い心臓も持っているようだ。
……私は彼を頼りにすることに決めた。
「お待ちください陛下!クリスティア様を置いていかないでください!婚約者はいかなる時もきちんとエスコートするのが礼儀です!せめて人前だけでも婚約者らしく振る舞ってください!」
「ああ、わかったわかった」
あの残虐な王にあんな小言を呈している……
本当にすごい……
絶対彼を頼りにしよう……
私は固く心に決めた。
そうこうするうちにアレクシオスがこちらへ戻ってきた。
「!」
「これはこれはお美しいフィアンセ殿、どうぞ私めの非礼をお許しください」
彼は大袈裟にボウ・アンド・スクレイプのお辞儀をしたかと思えば、目の前で跪き、私の手に口づけをした。
「なにせ女性には不慣れなもので。どうかご容赦ください」
そう言いながら私を見上げて、言葉とは裏腹に強気な笑みを見せた。
「……っ!!」
その挑戦的な顔がとても心臓に悪くて、思わず顔が真っ赤になってしまった。
ローランと同じことをされただけなのに、アレクシオスの色気がとんでもなかった……
あのイザベラがなりふり構わず求婚を迫るわけだ。
それを見たアレクシオスはニヤリと黒い笑みを浮かべていた。