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第43話「決別と融和」〜暗雲垂れ込める祖国〜

その日、私はアレクシオスと視察に出かけていた。


これまで通ってきた村々もそうだが、今回の視察先であるこの村も上下水道が整えられ、街道や共同トイレも整備されて悪臭もなく、とても衛生面的な環境だった。


これまで不正で私腹を肥やしてきた領主や領主代行者達は厳しい処罰を受け、新たに厳正な調査によって選ばれた者を着任させたと報告書にあった。

ここの領主代行も例に漏れず、比較的若い壮年のダレンと言う者に代わったようで、不慣れながらも丁寧に対応してくれている。

(まあ噂の残虐な帝王様が来たら誰でもそういう態度になるのかもしれないけれど……)



「畑はこちらになります」


「まあ、これは……!」


畑に案内してもらった私は言葉を失った。

広い畑に植えられている作物はどれも元気がなく、育ちが悪かった。

土壌改良をしているらしく、土の状態はとてもよく、水も十分足りていた。


しかしいつぞやの町のように、黒い大きなもやが畑全体を覆っているのを五感で感じた。


「我々もできる限りの情報を集め、手は尽くしているのですが、いかんせん上手くいかず、困っておりまして……」

ダレンが肩をすくめた。


「どうにかなりますでしょうか、聖女様」


「聖女様!?」

耳を疑うような言葉に、思わずアレクシオスを振り返る。


「半年前にお前が浄化の真似事をした町があっただろう?あれからあの町では作物が育つようになったのだ。それからお前のことを“聖女”だと呼ぶ者達が出てきたようだ」


「そう、なのですか……」


祖国では偽聖女と人々にうとまれてきた私が、隣国で聖女と呼ばれるとは、なんという皮肉だろうか……


「……残念ながら私は聖女ではありません。ご期待には添えませんが、せめて祈らせていただきます」

そう言って畑の前に立った。


以前のような衝動が胸の中から湧き起こるが、無理に抑えつけなければ苦しくなるものではなく、むしろ力強いエネルギーが湧き起こる感覚だった。


今回は以前のような声は聞こえなかった。

無意識につむぎ出される古代語を気の赴くままに、唄うように声に出した。

身体の中が神聖な力で満たされたような感覚があり、その力が目に見えない清らかな風を巻き起こしているように感じた。


透き通った身体からその力が放出される感覚があったが、これは心の状態を表していて、心が曇っていると、その効果が十分に発揮されないのだと直感的に理解した。


私の内側から放出される風がゆっくりと大気を動かし、黒いもやを払っていった。


ーー数分後、すべてのもやが払い終わり、私はふぅ…と息を吐いた。


(すべてのものに神の力が宿るという考えもあるけど、祈りという行為自体にも神の奇跡がおこるのかしら……?)

祈るだけで不治の病を治した例はこれまでにもたくさんあったという。

私はこの不思議な感覚もそう理由付けることにした。



「……空気が清浄になったな」

アレクシオスの言葉に驚く。


「あの黒いもやが見えたのですか?」


「黒いもや?そんなものは見えないが、お前の祈りの前後で明らかに何かが変わったと感じた」


以前は“何も変わらない”とぼやいていたアレクシオスが今度は空気の変化を感じたという。

私は目をまばたいた。


「あ、あの、終わったのでしょうか……?」

状況が飲み込めないダレンがおずおずと尋ねる。


「ああ、浄化は無事成功した。だが、聖女の力は万能ではない。我々が努力を怠れば、またすぐ同じ状況に戻るだろう。今後も更なる努力と維持に努めよ」


「はい!ありがとうございます!陛下!!そして聖女様!!」

ダレンは深々と頭を下げた。

「だから私は聖女などではなく、浄化はして…」「次の場所へ行くぞ」

「は、はい……!」


私の言葉を遮るように、目の前に手を差し出すアレクシオス。

当然のように私をエスコートしてくれる彼の横顔をそっと見る。


ーーいま彼は、ダレンに対して、“お前達が”ではなく、“我々が”という言い方をした。


それは、これからも彼自身がこの村の問題に共に取り組んでいくという姿勢の表れだった。


これまで、人を人とも思わない発言をしていた彼が、こんな小さな村をも自分の帝国の領土として認識し、大切に扱おうとしている。


そして、聖女の力を万能なものと慢心せず、自分達の努力を忘れないよう、諭してもくれた。


彼の言う通り、聖女の力は万能ではない。


聖女はその場の邪気を払うだけ。


その後の整備や努力を怠れば、再び作物は育たなくなる。

私はそれを各国の史実を読んで知っていた。

それを、アレクシオスは当然のように言ってのけた。


以前と打って変わった彼の態度に戸惑いつつも、こちらに寄り添ってくれる姿勢に心が温かくなり、彼の腕を掴む手に少しだけ力がこもった。





◇◇◇




「おかえりなさいませ」


城へ戻ると、すぐに執事のカーティスが出迎えてくれた。

しかし、その表情は硬かった。


「……すぐに執務室へ行く」

「はい」

何かを察したアレクシオスが、私を連れて執務室へと向かった。



侍女達を下がらせ、部屋にはカーティスとアレクシオス、私とローランの四人だけとなった。


カーティスがどこからかフタの付いた小ぶりの壺を持ち出してきて、おもむろに机の上に置いた。


「こちら、今朝ゾルド領から戻った兵士達が持ち帰ってきたものです」


私はおもわず息を呑んだ。


「下人の証言を元に近くの川の下流を捜索したところ、砕かれた骨が多数見つかりました。それがこちらです」


カーティスが壺を私へ差し出した。

フタを開けると、それと分かる骨のかけらが入っていた。

「残念ながら、それらの人物を特定することはできませんが……」

「ええ、十分よ。ありがとう……」

私はどうすべきかと考えてアレクシオスの方を見る。


「アレクシオスさ…アレクシオス、この骨を帝国のどこかへ埋葬させて頂けないでしょうか?」

両親のものかもしれないし、違うかもしれない。

でもどのみち、これをそのままにしておくわけにはいかなかった。


「ああ、一時的に王族の墓地で保管させよう」


(一時的に……?)

王族の墓地など恐れ多いが、アレクシオスに何か考えがあるのだろうと思い、それ以上は深く追求しなかった。

何より、今は突然のことに動揺していて思考を巡らせる気力がなかった。

「ありがとうございます……」



それぞれが埋葬に関する手続きで慌ただしく部屋を出て行った後、クリスティアは一人、骨の入った壺を呆然と見つめた。




これは本当に両親のものなのだろうか……



こんな疑惑をもったままでは縋り付いて許しを乞うこともできない。


いや、そんなことは重要ではない。

もうその当人達はいないのだ。

許しを乞いたいと願うのは、こちら側の勝手な都合だ。


私は窓の外を眺めた。


私の感情とは関係なく、今日も外には美しい青空が広がっていた。



ーー人の死とは、なんてあっけないものなのだろう。

空を見ながら、ふとそう思った。


虫や動物達と同じように、人も命の灯が消えたら死ぬのだ。

それを悲しいと感じるのは、人間が感情を持ち合わせているが故なのだろう。


“人間はいつか必ず死ぬ”


日々を忙しなく生きているとつい忘れがちだが、その日はいつか誰しも必ずやってくる。


だからこそ、いつ来るか分からないその日まで、私達は悔いのないように、そして自分に恥じることのないように生きるのだ。

私はそう思う。


そして両親達は“その日”を迎えた。

不甲斐ない娘をもったばかりに、恐らく予定よりかなり早くに……



私の手元に残ったのは、両親の遺品と本人達のものか分からない骨、そして彼らとの苦い思い出だけだった。



私はおもむろに昔のことを思い出した。


ーーまだ幼い頃、両親同席で婚約者となったミハイル王子とお茶会をしていた時、私の優秀さを国王陛下が褒めたことにヘソを曲げたミハイル王子が怒り出し、その後何を聞いても「ふん!」とそっぽを向いて答えてくれなくなってしまった。


そのようなことがしばらく続き、私は王宮へ行くのがとても嫌になり、騎士ならもっと自由に生きられるのではないかと安直に考え、父親に「騎士になりたい!」と伝えたことがあった。

私は父に思い切り頬を叩かれ、「ふざけるな!お前は余計なことを考えず、ただ家のために王子と結婚すればいいのだ!お前の価値はそこにしかないのだから!」と激怒されたのを思い出した。


その日は、あまりの痛みと自分の気持ちを拒絶されたショックで、明け方までベッドで一人泣いていた。


(ずっと忘れていたのに、なぜ急に……)


母には、朝から晩までの王妃教育が辛いと泣き言を訴えに行ったら扇子で頭を叩かれ、すぐに戻るよう叱責された。

「お前は出来が悪いのだから、一日でも勉強をサボれば取り返しがつかなくなる。やらなければ家から追い出して、もっと優秀な子を連れてくるわ!」と言われ、泣きながら部屋へ戻り、涙でインクを滲ませながら夜更けまで外国語の書き取りの練習を行った。


私は両親から言葉を投げかけられる度に、“自分は無能で無価値な存在なのだ”と胸に刻み込みながら勉学に励んだ。

十代に入り、徐々に未来の王妃らしく、聖女らしく振る舞えるようになってくると、次第に両親の機嫌もよくなっていった。


でもどれだけ努力を重ねても「まだ足りない」と責められた。

「頑張り続けなければいけない」と自分に言い聞かせるうちに、いつしか手を休めることが恐ろしくなり、熱が出ようが、体調が悪かろうが、決められた時間は決められた日課をこなし続けた。


そんな私の心はずっと満たされず、いつもぽっかりと胸に大きな穴が空いているようだった。


王妃にならなければ、聖女にならなければが口癖だった両親はついぞ、私を認めてくれることはなかった。

認めてくれる前にいなくなってしまった。

あの両親はもういない。

そう思ったら、不意に涙が溢れてきた。


もういないのだ……


両親を失った悲しみと共に、最後まで認めてもらえなかった私の中の小さな子どもの悲しい気持ちが溢れてきた。

辛い時に辛い気持ちを受け入れてもらいたかった……

それさえしてくれれば、もっと頑張ろうと思えたのに……


幼い頃の私はとても孤独だった。

もっと抱きしめてほしかった。

私のことを愛してほしかった。

そんな気持ちももう伝える術はない……

私は子どものように、その場にうずくまって泣いた。






ーーしばらくして、書類を持って戻ってきたアレクシオスが、机の脇でうずくまる私を見つける。

私は慌てて立ち上がり、涙を拭いた。

「ありがとうございます。そちらの書類ですか……」

彼は人の弱い姿を見るのを厭う節があったので、私は泣いていたのを誤魔化すように会話を始めた。


アレクシオスは少し顔を顰めると、机の後ろの壁際まで来て床にどかっと座った。

そして顎をしゃくって隣に座るよう促した。


「………」

私はアレクシオスの隣に行って床に腰を下ろした。


こんな姿は誰にも見せられないが、叱られた子どものように膝を抱えて座ると、なんだか気持ちが落ち着いた。

二人の姿は大きな執務机に隠れて、入り口から姿が見えないのも安心できた。


すると隣からアレクシオスの手が伸びてきて、力強く肩を引き寄せられた。

私の顔が彼の胸に押し当てられ、鼓動が速まる。


「泣きたいのを我慢する必要はない」


彼の思いがけない優しい言葉を聞いたら、再び涙が溢れてきて、私は肩を震わせて涙をこぼした。


「私は……両親を見殺しにしてしまったことを後悔しているのではなく……最後まで両親に認めて愛してもらえなかったことを悔やんで泣いている最低な人間なんです……」


「……そうか。お前はこんな時でも優しいのだな」

そう言って私の頭をなでた。


「何を言って……全然優しくなんてないじゃないですか……っ!」


「そんなことはない。俺ならそんな親は憎み、見殺しにして当然だと思う。だがお前は、自分を否定してきた両親を責めることなく、その死を悲しもうとしている。お前の親が死んだのはお前のせいではなく、欲深いあいつら(ミハイル達)の策略にはまったせいだ。それは自業自得でもあり、自らが引き寄せた運命だ」


「………っ!」

そんな風に考えたことはなかった。

両親に愛してもらえないのも、両親を殺してしてしまったのも、すべて自分が悪いのだと責めていた。


「そんな親など愛せなくて当然だ。これ以上自分を責めるな。それはお前自身に失礼だろう」

アレクシオスが諭すように、私の肩に触れた手に力を込める。

その手はとても温かく、私の心の鎧を溶かしていくようだった。





「……知っているかもしれないが、ベルタ国の王妃は俺の姉だった」

「!」

おもむろにアレクシオスが話し始めた。


昨年、帝国の姫がベルタ国へ嫁いだことは知っていたが、アレクシオスの姉という認識はなかった。


「あの女は、昔から自分のことしか考えていない奴だった。自分の身を守るために、ありもしない罪を着せて幼い俺を愚王に突き出し、自分の評価を上げるような奴だった。それで俺がどんな目に遭うか分かっていながら、それすら楽しんでいた。あいつのせいで何度あの馬鹿な男に殺されかけたか分からない。そういう狡猾さは母親譲りだったのだろうな。気付けば俺はあいつら(かぞく)から殴って遊ぶための玩具のように扱われていた。十代になり、徐々に力をつけてきた俺のことを恐れたあいつは、毒殺、夜襲……あらゆる手を使って俺を殺そうとしてきた。その度に死の淵を経験し、そこから這い上がってきた」


「……そう、なのですね……」

想像以上に過酷な子ども時代に、私は返す言葉が見つからなかった。



「王位を簒奪する俺の計画が整う前に他国に嫁いで行ったから、あいつだけは殺し損ねたが、他所で大人しくしていればよかったものを、よっぽど俺が憎かったのか、何度もたくさんの刺客を送り込んでは俺の命を狙ってきた。しまいにはローランの毒殺未遂にまで手が及んだ。だからその報復に奴らの王宮まで乗り込んで全滅させてやったのだ」



「……まさか、先日“三日間で国を滅ぼしてきた”とおっしゃっていたのは、ベルタ国のことだったのですか……?」


「ああ、そうだ」

「!!!!」


まさか事実だったなんて……!!


(三日で国を往復するだけでも大変なのに、まさか国を揺るがす大クーデターを起こしていたなんて、なんて人なの!?)


いつも冷静なミゲルがあれだけ驚いていた理由がようやく理解できた。



「まあ、ゆくゆくはルーマ国や我が帝国をも討ち滅ぼすことを見越して大帝国を名乗り出したようだから、先に戦の芽を摘むことができてよかったがな。あの女は最期まで俺は呪われた死ぬべき存在だと罵るのをやめなかった」

アレクシオスは自虐にも見える暗い笑みを浮かべて笑った。

「………」

「そんなクソみたいな俺の人生に比べれば、お前は心が清らかで手も汚れていない。人にも愛されていて、俺なんかよりずっとマシな人生を送れるはずだ」


アレクシオスは穏やかな目でこちらを見た。

「そんな、私なん……」

思わず否定しそうになって、言葉を止めた。

(……いや、彼は自分の辛い過去の話までして私を慰めようとしてくれたのよ、否定するのは失礼だわ……)



「そうですね……両親には公爵令嬢として必要な衣食住は過不足なく与えて頂きましたし、余計なことさえ言わなければ、安全も保証していただけました。そしてありがたいことに、いま私の周りには私を大切に思ってくれている方々が多少なりともいます」


「そうだろう。お前は人に愛され、幸せを掴む権利がある」


「はい。でも、それはあなたも同じです」


「なに?」


「あなたも人に愛され、幸せになる権利があります」

「……俺を愛するものなど、これまでもこれからもいない」

彼からは、はっきりと拒絶の色が見えた。


私は彼の腕に手を重ねて、彼の瞳を見つめた。


「そんなことはありません。現にローランはあなたのことをとても大事に思っていますよ、見ていれば分かります」


「……はっ、そんなの……」


「私もローランと同じ気持ちです」


「………」


「いつの日か、傷付いたあなたの心の傷が癒えることを願っていますし、辛いことが多かった分、これからはたくさん幸せを感じて生きてほしいと願っています」


「はっ、おめでたい奴だ……」

アレクシオスは泣いてるのか笑ってるのか分からない表情で吐き捨てた。




私にとっては認められたくても最後まで認めてもらえなかった家族。

しかし、彼にとっては自分の命を脅かす存在が家族だった。

お互いに傷付いた子ども時代の心を抱えながら大人になっている。

でもその傷は癒やされない限りはずっと消えず、いつまでも心の奥底に残るのだ。


私は、アレクシオスの背中に手を回し、彼の心の傷をいたわるようになでた。


「誰も手を汚したくて家族を手にかける者などいません。幼かったあなたは自分の家族に心身共に傷付けられて、とても辛かったのですよね……でも、それは彼らの心の弱さが原因であって、あなたのせいでは決してありません」

「………」

私は幼かったアレクシオスを想像して胸を痛めた。

彼の身体に付けられたたくさんの傷。

心の傷はそれよりも深く計り知れないだろう……


「ならば、それはお前にも言えることだな。お前が傷付けられたのは、あいつら()の弱さが問題であって、お前のせいではない」


「そう…ですね……」

思わず否定しそうになり、言葉を詰まらせた。


アレクシオスにはいくらでも心を労う言葉が出てくるのに、自分にその言葉を向けるのには抵抗を感じた。

私は無意識に自分を責めてばかりいたことに気付かされた。



育ててくれた両親に感謝もしているし、自分のせいで両親を死に追いやってしまったことは一生許されるべきではないことだと思っている。

でも、今は少しだけ彼らを恨んでもいいだろうか……

私は初めてそんな自分を認め、目をつぶった。






ーーー程なくして、帝国にもベルタ国崩壊の知らせが回った。

国のトップと上層部が何者かに暗殺されたが、詳細はいまだ不明だという。


それにも関わらず、事情を察知したフェリシアはアレクシオスに謁見を願い出て、彼の前に跪いて感謝の意を述べた。


「あの者達は憎き家族の仇でした。ありがとうございます……!!」

拳を握りしめ、歯を食いしばるように泣くフェリシアは、いつか報復をする予定だったのかもしれない。

そんなことにならなくて本当によかったと心から思った。


ベルタ国は実質崩壊したが、現在は国の混乱に乗じて新たに上に立とうとする者達で争いが起こっているそうだ。

しばらくベルタ国は混沌を極めるだろう。

私はルーマ国に難民が押し寄せる未来が見えて不安になった。




◇◇◇




ーーーその頃ルーマ国では。


「どうなってるんだ!!」


謁見の間にミハイル王子の罵声が響き渡る。


「ど、どうと言われましても……っ!」


「まだバイロンは見つからないのか!?」

「以前として行方不明のようです……っ!」


財務官のバイロンが突然長期休暇をとる旨の手紙を残して消えた。

おかげで今まで以上に書類が滞り、執務室はてんやわんやとなっている。

イザベラは気にするなと言っていたが、毎日大量に届くようになった陳情と大臣達の悲鳴を聞くのが日課となり、日々に嫌気がさしていた。

(それもこれもあの女が王城を見捨てて出て行ったせいだ……!)

ミハイル王子の脳裏には、黙々と仕事をしていたクリスティアの記憶が蘇る。


仕方なくバイロンの代わりに文官を一人連れてきたが、その男はなんでもかんでも分からないことはこちらに聞いてくるし、覚えが悪く、まったく使えない。


「こちらの領地関連の陳情書と法廷関係のものと画家のパトロン要請の書類なのですが……」


「こんな時にパトロンなんかやってられるか!!そもそもこれは元々国王陛下である父上の仕事だろう!?分からないことはすべて父上か宰相のゲオルクに聞け!!」


「しかし、こちらは王子に割り振られた仕事ですので、途中で放棄されたとなれば、周りの評価が……」

ミハイル王子はギロリとその男を睨み付ける。

「だったらお前がやれ!できなきゃお前の首が飛ぶだけだ!分かったらさっさと仕事に戻れ!!」

「ひいっ!し、失礼しますっ!!」

バタンと扉が閉まる。

「ふん!まったく使えない奴だ!」

ミハイル王子は苦々しい表情で吐き捨てた。


「あんな男、首にしちゃえば〜?」

後ろからイザベラが抱きついてきた。

「あんな奴でもいないよりはマシだからな!」

「へ〜そうなんだ〜」

イザベラはさして興味がなさそうにミハイル王子の首筋にキスをするが、ミハイル王子はそれを避けるように離れた。


(あの女はいまどこで何をしているんだ!!なぜどれだけ探しても見つからない!?)

いつもはイザベラの言動に夢中になるミハイル王子だったが、今は行方不明になったクリスティアのことで頭がいっぱいだった。




◇◇◇




一方、コンタンディオス大帝国、執務室では。


「失礼します」

クリスティアが席を外している間にローランが現れ、アレクシオスに耳打ちした。



「例の者がかかりました」


「やはりか」


「それから闇のオークション関係者もすべて捉え、例の物を見つけました」


「そうか」


「しかし、そこに思わぬ人物達が関わっていました」

ローランがアレクシオスに耳打ちする。


「……それは何よりだ。よくやった」


アレクシオスは口の端を上げると顔を上げた。


「では、そろそろ出かける準備をするか」


「クリスティアは何色のドレスを好むだろうか?」


「本人に聞かれてはどうでしょうか?」


「それじゃあ、つまらないだろう?」

アレクシオスは遊戯を楽しむように笑った。


「まあ、最初から決まっているが」


「……本当に良い性格をされていますね」


「ふさわしい舞台にはふさわしい演出が必要だからな」


「クリスティア様の嫌がるお顔が目に浮かびます」


「そうかもな」

クククと楽しげに笑う主を見て、ローランは笑いながらも、思わず目頭が熱くなるのを感じた。

[プチ情報]

この世界では通信技術が発達していないので、世界の情勢が各国に知れ渡るのには時間がかかります。

国内の情報も同様です。なので、クリスティアについての悪い噂が素早く国内の隅々にまで伝わっているのが、いかに不自然かが分かります。

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