第33話「出発前夜」〜ルイスの誓い〜
「大丈夫ですか、クリスティア様……」
フェリシアが心配そうに私の顔をのぞき込んだ。
「ああ、ごめんなさい……」
フェリシアと昼食をとっている間に考え込んでいたようで、私は慌てて手にしていたパンを口に運んだ。
ルイスは、騎士見習いとしてリオル達と行動を共にしているため、このところ昼はフェリシアと二人で食べることが多かった。
「昨日からずっと浮かない表情ですが、ミハイル王子にまた何か無茶なことを言われたのですか……?」
「いえ、その……」
私は何と返して良いか分からず口ごもった。
クリスティアが悩んでいたのは、明日からのフェリシアとルイスの処遇についてだった。
ミハイル王子は、二人も旅に連れて行くようにと言っていたが、明日から向かうのはシェラ国と交戦中のベルタ国国境付近だ。
二人が奴隷商人に捕まってからまだ一ヶ月半しか経っていない。そんな中、自分達を捕虜にしようとした戦争中の国になど近付きたくはないだろう。
何より、ベルタ国の兵士がいつこの国に攻め込んでくるかも分からない。今までに増して危険な旅になる。
今日の朝一で、ミハイル王子に二人を城に残してもらえないか懇願したが、案の定頑として聞き入れてもらえなかった。
ベルタ国との国境付近については、王宮に戻ってからザックの父親であるソルタ領領主に他国への警戒を強める旨の指令を出し、奴隷商人を捕まえた際には捕虜達を保護するようにも伝えてあるから、前回のようなことは防げるはずだ。
無論王国騎士もソルタ領に配置済みであるし、やれることは出来る限りやったつもりだ。
しかし……
(二人に万が一のことがあっては大変だものね……)
「……何でもないわ、心配してくれてありがとう」
私を気遣う心優しいフェリシアの顔を見て、ようやく決心がついた。
やはりミハイル王子がなんと言おうと、二人を一緒に旅へ連れていくべきではない。
私は今日中に二人の保護先を探すことに決めた。
「………」
にこりと微笑んだ後、何かを決心したような表情をして食事を再開したクリスティアをフェリシアは思案げに見つめた。
◇◇◇
昼食後も自分がいない間の仕事を執事に任せるため、膨大な引き継ぎ資料を次々と作成していった。
その合間に、昨日のうちに手紙で依頼していた王都の公証人に来てもらい、両親の生存確認の依頼をした。
私の名前を聞くと、あからさまに表情を変えたが、詳細はミハイル王子に尋ねると言って、契約書を作成したのち、すぐに席を立った。
(これで、両親の件は大丈夫ね……)
そう思って再び執務に取り掛かりつつも、頭では絶えずフェリシアとルイスの保護先について考えを巡らせていた。
(一体どうすればいいのかしら……)
かつて公爵令嬢だった時にはいくらでもあったツテが、今はひとつもない。
契約した公証人にもその件を依頼できないか尋ねてみたが、さすがに畑違いだと言って断られてしまった。
その上、道中はミハイル王子の息のかかった護衛騎士が同行する。その者の目を誤魔化すために、途中までは連れて行くふりをしなければならない。
万が一こちらの思惑に気付かれてしまったら、ミハイル王子が激昂するのは必至だ。
私は慎重に計画を立てなければならなかった。
しかし、昨日も夜更けまで引き継ぎ資料をまとめていてあまり寝ておらず、うまく頭が働かなかった。
「う〜ん……」
私が頭をひねっていると、ノックの音がした。
「はい」
ドアから見慣れた侍女が顔を出した。
「イザベラ様がお待ちです」
「………」
◇◇◇
「お呼びでしょうか?」
「来たわね」
私はイザベラに呼び出されて謁見の間を訪れた。
今ここにはイザベラしかいないようだった。
ベッドに腰掛け、ワイングラスを片手に含みのある笑みを浮かべながら私を見下ろしていた。
(一体何の要件なのだろう……)
私は嫌な予感しかしなかった。
すると彼女はおもむろに広い大広間を見渡して、退屈そうに言った。
「なぁんか、いまひとつじゃない?」
「何がでしょうか?」
「この部屋よ……」
「先程お掃除したばかりですが、何か気になることがおありですか?」
既に午後一番に、この部屋の掃除は済ませていた。そこかしこに脱ぎ捨てられた衣服を拾い集め、床に転がったワインボトルなどを回収し、汚れた床を磨き、ベッドを整えた。
もちろんすべて一人で。
いつも以上に慌てて掃除をしたから、どこかに磨き残しでもあったのだろうか?
私が尋ねると、イザベラは意地の悪そうな笑みを浮かべて、わざとワイングラスを私の方に投げて落とした。
パリンッ!
繊細な音と共にワインが飛び散って私の靴にかかり、グラスの破片は方方に飛び散った。
「ああ、間違えて落としちゃったわ、すぐにここを掃除してくださる?」
イザベラが私を見てニタリと笑った。
私は信じられない気持ちで彼女を見返した。
「……あなたは人々に尊敬される本物の聖女様なのでしょう?なのに、どうしてこのようなことをなさるのですか……!?」
今まで私に無理難題を押し付けてきたのはミハイル王子で、聖女であるイザベラと関わることはあまりなかった。
アレクシオスからプレゼントされたドレスを欲しがった時には、少々違和感を覚えたが、頻繁に浄化の旅にも行っているようだったので、聖女たる仕事はしている敬うべき女性なのだと思っていた。
だから、いま目の前で起こっていることをすぐさま理解することができなかった。
「“どうしてこのようなことを!?”きゃはは!!あなたって本当マジメなのね〜!!」
彼女の高笑いが部屋中に響いた。
そうかと思えば、突然人が変わったように、鋭い目つきでこちらを睨みつけてきた。
「はぁ、あんたのそういうところ……本当に嫌いなのよ!!」
「普段はマジメぶって、なんでもできるって優秀なフリしてる癖して、いい男にはなりふり構わず媚び売って気に入られようとして!恥ずかしいと思わないの!?元聖女のくせに生意気なのよ!!」
「!?」
思いもよらない言葉に、私は返す言葉が出てこなかった。
(“媚を売る”?)
(一体何の話……!?)
「あなたがどれだけアレクシオス様に気に入られようと、この国の人達はみんなあんたのことなんて大っ嫌いなんだからね!」
「………」
「知ってる?いま街では聖女様と悪い偽聖女のお話が流行ってるの。これ、私が考えたのよ、いい案でしょ!?」
「!!」
「今では街の皆んなが、あなたの悪事に腹を立ててるわ!ああ、最近贅沢禁止令の反発もすごいから、あなたが立てたって記事を書かせたの。皆んなカンカンみたいよ!きゃはは!」
イザベラが再び上機嫌になり、高笑いを始めた。
(これが聖女イザベラの本性だったなんて……)
私はどんどん血の気が引いていくのを感じた。
「私に関するデタラメな噂は、あなたが流していたのね……」
「ふふ!本当国民って単純でバカよね〜!新聞に書いてあることや吟遊詩人が歌ってることを本当だってすぐ信じちゃうのよ〜!確かめもしないで!!本当愚かでバカな生き物よ、きゃはは!!」
「そんなこと…は……!」
咄嗟に否定しようとしたが、これまでの人々の仕打ちを思い出すと、返す言葉がなかった。
「今度の旅の後、ミハイル王子はまたあなたを城に呼び戻すつもりみたいだけど、いつまでも偽聖女が城の中をウロつくのも鬱陶しいのよね。そうしなくていいようにあちらの相手にも伝えてあるから、あなたもそのつもりでいてね♪」
“あちらの相手にも伝えてある”……!?
「それは一体どういう……?」
「あなたは知らなくていいことよ!行けばすぐ分かるわ」
「だから今日は私が納得するまで、この部屋を徹底的に磨き上げてもらわなくっちゃね!ここにはもう帰って来れないんだから……!」
イザベラは意地の悪い笑みを浮かべた。
◇◇◇
「ごめんなさい!戻るのが遅くなって。二人とも夕飯は食べたかしら?」
イザベラが納得いくまでひたすら床を拭き続けて、ようやく解放されたのが夜の二十二時だった。
フラフラの身体で部屋に戻ると、既にフェリシアとルイスは戻っていて、湯浴みも終えた様子だった。
「すみません、しばらく待っていたのですが、食堂が閉まりそうだったので、お先に頂いてしまいました」
フェリシアが申し訳なさそうに答える。
「ええ、もちろんよ。待たれていたらどうしようかと心配していたからよかったわ!」
「すみません……クリスティア様のご夕食は食堂から持ってきましたので、そちらでごゆっくりお召し上がりください」
そう言って部屋の小さなテーブルへと促された。
「ありがとう、フェリシア」
スープはとっくに冷めてしまっていたが、一口飲むと、疲れ切った身体を癒すように、身体全体に沁み渡っていった。
結局今日中に行う予定だった資料作りは終わらず、二人の保護先を見つけることも叶わなかった……
昨日からの寝不足もたたり、全身に重い疲労がのしかかっている。
私は夕食を食べながらも、繰り返しやってくる睡魔と闘わなくてはならなかった。
(ダメだ…寝てはいけない……!この後また引き継ぎ資料の続きと二人の保護先を見つけるまでは……!)
「あの、クリスティア様……」
フェリシアが遠慮がちに口を開いた。
「どうしたの、フェリシア?」
「その……大変お疲れとは思いますが、今夜は月がきれいですし、よかったら、この後少し中庭を散歩しませんか?この時間はミハイル王子達も酒盛りで広間にこもっているようですし」
珍しいフェリシアからの誘いだった。
申し訳なさそうにこちらの反応を待つ様子から、何か意図があってのことだと悟った。
「ええ、もちろんよ。ちょうど気分転換したかったところだし」
「ああ、よかったです……!」
フェリシアがホッとしたように両手を合わせる。
「俺もいく!」
ベッドで横になっていたルイスも飛び起きた。
◇◇◇
夜の中庭は、冬の訪れを告げるように、時折冷えた風が頬を撫でた。
徐々に肌寒い季節となってきているが、アレクシオスが送ってくれた布のおかげで冬服を仕立てることができたし、今年の冬は暖かく過ごせそうだ。
ランタンを持ったフェリシアが私の前を歩く。
「オレここ初めてきた!!」
ルイスは興味深そうにキョロキョロと辺りを見回している。
来た頃に比べて、随分と話すのが上手になった。
警戒心が強く、暗かった表情も次第にやわらいできて、今では随分と少年らしい明るさと元気さを取り戻しつつある。
癖毛の前髪を短く切ったおかげで、灰色のクリッとした目が見えて、より豊かな表情が分かりやすくなった。
リオル達の影響で、腰にはライアンに作ってもらった木剣を常日頃身に付けているようで、その様子がなんとも可愛らしい。
フェリシアは人気のない生垣の隅にあるベンチまで来ると、黙ってそこに座るよう目で促した。
私が座るとフェリシアもその右隣に座った。
ルイスも私の左隣に座ると、足をブラブラさせながら交互にこちらの顔を見た。
「クリスティア様のおかけで、両腕の骨折が無事治りました。今日まで素性も分からない私をお城に保護して頂き、その上お仕事までさせてもらえました。今日はわずかですがお給金も頂けましたし、クリスティア様には感謝の言葉もございません。本当にありがとうございます」
フェリシアが深々と頭を下げた。
「そんなことないわ。侍女の仕事を始められたのはフェリシアの交渉のたまものだったし、出会ったのが私でなければ、あんな狭い部屋に閉じ込められることもなかったのよ」
「そんなことありません!!あの日クリスティア様に出会えていなければ、今頃どうなっていたか分かりません!!私はクリスティア様に出会えてよかったと、心の底から思っているんです……!」
「オレも、あの部屋好きだ。クリスも好きだ!」
隣からルイスも口を出す。
「ありがとう、二人とも……」
そんな風に自分を好いてくれる大切な二人の保護先をいまだに見つけられず、己の不甲斐なさに力無く微笑んだ。
「なので、明日からの旅に、私も連れて行ってもらえませんか?」
「!?」
フェリシアの思いもよらない言葉に、私は目を丸くした。
「侍女仲間から聞いたんです、明日発つと。そして今日の朝一でミハイル王子に私とルイスを城に置いておいてもらえないか頼みに行って断られたということも……」
「………っ!」
「クリスティア様はきっと、今度の行き先が我がシェラ国と交戦中のベルタ国国境付近と知って、私達を危険から遠ざけようとしてくださったんですよね?でも私はそんな危険な場所に、クリスティア様だけを行かせたくはありません!どうか私も連れて行ってください……!」
「オレも行く!!」
フェリシアが私の前に膝をついて、懇願するように両手を胸の前で組んだ。
ルイスは勢いよく立ち上がって私をじっと見た。
(ああ……こうなることを避けたかったのに……)
こうなってはしょうがない……
ため息を飲み込んで、しばらく目を閉じた後、私も覚悟を決めた。
「……分かったわ。でも絶対に無理はしないと約束してちょうだい」
「ありがとうございます……っ!!」
普段感情の起伏があまりないフェリシアが、今回ばかりはとても嬉しそうに微笑んだ。
それを見届けたルイスは、何やら脇に付けていた木刀を抜くと、それを私に差し出した。
「……ルイス?」
「リオルにならった。騎士のちゅうせいのやり方」
そう言って、騎士然とした態度で、恭しく私の前で跪いた。
「わたくし、騎士ルイスは、主の剣となり、命をかけてあなたを守ることをちかいます……」
これは王宮騎士団が国王陛下の前で忠誠を誓う時の文言の一部だ。
まだ二語文を喋るのが精一杯な彼だが、一生懸命覚えたのだろう。とても流暢な発声だった。
「ルイス、あなた……!」
小さな彼の精一杯の誠意がとても嬉しくて、私は思わず涙ぐみ、そして微笑みながら言った。
「……認めます」
私は恐れ多くも国王陛下の真似事をして、ルイスの肩を木剣の平らな部分で軽く三度叩いた。
木剣を鞘に戻すと、ルイスは喜びがこみ上げるように、飛び上がって喜んだ。
それにつられて私もフェリシアも顔を見合わせて笑った。
(この二人だけは、絶対に失いたくない……)
私は全身全霊をかけて二人を守り抜くことを強く誓った。
◇◇◇
二人を部屋に送った後、私は引き続き資料作成のためき執務室へ向かった。
すると、途中で意外な人物に出会った。
宰相のゲオルク・ラリス……イザベラの取り巻きであるクレオ・ラリスの父親だった。
(どうしてこんな時間に……!?)
日中ですら、顔を合わせることの少ない彼が、こんな時間に城にいるということは、やはりフェリシアの言う通り、ミハイル王子らと酒盛りでもしていたのだろうか……
ゲオルク自身、心なしか足元もややふらついて、顔も赤ら顔だ。
「これはこれは、元聖女様ではないか……」
私は内心うんざりした。
表情が表に出なかったのは、王妃教育の賜物と言えよう。
ゲオルクは伯爵家当主で、クレオ・ラリスと同じ金髪碧眼であるが、痩せ身で頬はこけ、額には深いシワが幾重にも刻まれている。
そんな彼は、いつもわざとらしい笑みを浮かべながら、事あるごとに私に嫌味や非難がましい言葉を執拗にかけてくるのだった。
「こんな時間にどこへ行かれるのですか?まさかミハイル王子の所へ?それはやめた方がいい、今お部屋には殿下が溺愛されるイザベラ様がおりまして、二人だけで大切な時を過ごしていますから。もはや公爵令嬢でもないあなたが入る隙はどこにもありませんよ……?」
彼は意地の悪い笑みを浮かべた。
「私もそんなつもりはありません。執務室へ行くだけです」
「執務室へ!?ただの平民であるあなたが、こんな時間に執務室に!?」
ゲオルクはわざと大袈裟に驚いて見せた。
「殿下からご命令を賜っておりますので……」
「聞いていますよ。明日からはまた遠方に体よく追い払われるのだとか。かつてはこの国の聖女として、次期王妃の公爵令嬢として、この国で最上の身分を手にしていたあなたがここまで落ちぶれるとは……ご両親もさぞみじめでしょうねぇ!ははははっ!」
「………っ!」
彼は蛇のようにしつこく絡んでくるが、相手にするだけ無駄だと言い聞かせて、黙って彼の隣を通り過ぎようとした。
しかしそれに腹を立てたのか、彼は私の腕を力一杯掴んだ。
「痛っ…!」
「平民風情が……私を無視するのか?ちょっと仕事ができるくらいで調子に乗るなよ!?」
「……っ」
「お前なんかいなくても仕事など回る。さっさと荷物をまとめて明日の準備でもすることだな。もうお前はこの国に必要ないのだ!」
そう言って私を乱暴に突き飛ばした。
転びはしなかったが、彼が目の前に立ちはだかっている以上、執務室へ行くことはできなくなってしまった。
「………」
しょうがないから諦めて、自分の部屋へと踵を返そうとした。
「おい、平民の分際で貴族様の前で挨拶もなしに去るつもりか?」
「……失礼しました」
彼は更にしつこく言いがかりを付けてきたので、私はこれ以上ないほど丁寧におじぎをすると、足早に部屋へと戻った。
背中からゲオルクの勝ち誇ったような笑い声が廊下に響いていた。
◇◇◇
翌朝、まだ外も暗い中、私達三人は人知れず城を後にした。
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