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第3話「始まりの日」

パァン……


乾いた音が辺りに響いた。



「……っ!」



あまりの出来事に、クリスティアは頭が真っ白になった。


しかし、おかげで悲しみが吹き飛び、思考が明晰になった。

私は瞬時に目の前の相手に思考を巡らせた。


私の頬を打った彼は、全身から湧き出る怒りを一心に私に向けていた。

なぜ……

どうして……?


服装からして、彼はあのパーティーに参列していた者の一人に違いない。

先程あの会場で私達の一連のやり取りを見ていたのだろう。

その上で、私にこのような怒りを向けるということは、彼もあの聖女イザベラに魅了された者の一人だということだろうか……?


だが、彼女がこのような公の場に顔を出すようになってから、他国の要人と顔を合わせる機会はなかったはずだが……


まさか、今日会っただけで彼女に一目惚れしてしまったのだろうか?

それほどまでに彼女は男性にとって魅力的な存在ということなのか……


そう思うと、再び傷付いた胸が痛んだ。

自分が誰からも必要とされていない存在だと言われているような気がして、どうしようもなく悲しくなった。



気持ちが沈み、彼から視線を外して俯くと、先程のクレオと同じように彼が私の頬を掴み、強引に顔を引き上げた。

またビンタが飛んでくるのではないかと身体をビクつかせて思わず片目を閉じる。


だけど、飛んできたのはビンタではなく、思いがけない言葉だった。


「泣いている場合か!あそこまでされて泣き寝入りする馬鹿がどこにいる!?人に人生を踏み躙られて当然と思っているのか!?それとも悲劇の少女を気取って自分に酔っているのか!?」


そう私を怒鳴りつけた。

彼が怒っていたのは、王子を欺いたとか聖女を騙ったとかそういうことではなく、私が自分の尊厳を踏み躙られたのに黙って引き下がったことに対してだった。



初対面の私に対して、どうしてここまで強い怒りを感じているのかしら……


その怒りは、私を通り越して別のところへ向いているようだった。


間近で冷たい赤い瞳に睨まれ、心臓が凍りつく。

彼に打たれた頬がジンジンと痛む。

私は彼をこれ以上刺激しないよう、慎重に言葉を選びながら答えた。


「……私は公爵家の娘です。そして先程婚約破棄を宣言した彼はこの国の王子であり、次期国王です。彼に逆らったら私の両親や領民達がどんな目に遭わされるか分かりません。それに私は腐っても公爵令嬢です。これまでずっと王妃になるための教育を受けてきました。他国の要人が集まるあの場で感情のままに取り乱し、騒ぎ立てることなどできません」


「なるほど、それはご立派なお考えだな……」


目と鼻の先まで顔を近づけた彼が、私を小馬鹿にしたように吐き捨てる。


「お前は、自分だけが有能な人間だと自惚れているんだな!」


「え!?そんな……違います……!!」

「何が違うものか。試練は自分にしか乗り越えないからと決めつけ、勝手にいらぬものを背負い込み、自分だけが不幸などと悲劇ぶるつもりなのだろう?なんて傲慢な女なんだ」


私を間近で見下ろしながら冷たく言い放つ。

彼の周りにもミハイル王子のような嫌なオーラがまとわりついていた。


「そんな…こと……」


どうして、みんなそのような心無い言葉を投げつけてくるのだろうか……


胸が苦しくて、息が出来なくなる……

涙を堪えるが、目の前の視界がぼやけてくる。



「お前と親の人生は別物だ。それを混同するうちは一生不幸なままだ。家の奴隷として人生を棒に振り、死ぬまで泣いて暮らすんだな」


「……っ」

私は彼の言葉に何も反論出来なかった。


彼はまだイライラした様子でフンと鼻を鳴らすと、立ちあがってその場から去っていった。



私は緊張状態から解放された反動からか、涙が次から次へと溢れ出てきた。今まで抑え込んできた感情の蓋を開けたら最後、自分でもどうすることもできず、しまいにはその場にうずくまって人目を憚らず、大声を上げて泣いた。

周辺を警護していた者が様子を見に来たが、それでも気にせずに嗚咽にまみれて泣いた。

今まで我慢してきた感情をすべて爆発させ、解放した。




◇◇◇





「はぁ……はぁ……」


涙と声が枯れ果てるまで泣いたら思考が鮮明になり、先程の彼の言葉が蘇ってきた。



「私と両親の人生は別物……」


私はうわ言のようにそれを繰り返した。




「……私の…人生…は……」



「私だけの……もの……?」




そうだ……




私はもう次期王妃でも聖女でもない。

礼儀正しく生きなくてもいい。

ミハイル王子に気に入られるような女性を目指さなくていい…



私の生き方は私が決めていいんだ……



ううん、本当はこうなるずっと前からそう選ぶことができたんだ……


決めていたのは全部自分だった。



それに気付いた瞬間、自分の心の中に新しい風が吹き込んできた気がした。


とても清々しくて心地いい風だった。


今まで背負っていた全ての重荷から解放された気分だった。




もう誰にも縛られない……

私は自分の人生を自由に生きると決めよう……




「私は自由……私は自由……」


自分に言い聞かせるように何度も呟いた。



「私は自由だ……自由なんだ……あは…あはは…!!」



私は生まれて初めて、心の底から笑いが込み上げてきて、本能のままに笑った。





身体の中心から目に見えない力がどんどん溢れ出てくるのを感じた。



「愛人になんか、なってやるものか!私は…自分の人生を生きるのだ……!」



たとえ、王子に逆らって死ぬことになったとしても……



私は涙を拭くと、全身の痛みも忘れて、再びパーティー会場へと走っていった。




◇◇◇




バタンッ



私が会場に入るなり、再び音楽は鳴り止んだ。

会場の中央には、まだあの四人が固まっており、私の姿を見るや否や、こちらを睨みつけてきた。


周囲の人々は、誰となく彼らまでの道を開けた。



私は勢いのまま、彼らの前まで歩いて行った。


「またおめおめと戻ってきたのか……」

ミハイル王子が私を睨み付ける。


ミハイル王子……


物心ついた時から、あなたのそばに並び立つと言われて育ち、少なからずあなたのことを敬い、お慕いしておりました……



もうあなたの隣に、私の居場所はない……



今はそれがまだ、すごく悲しい……



イザベラが現れてからというもの、掌を返したかのように冷たい態度をとられたことも、パーティーの夜に迎えに来てくれなくなったことも、可愛げのない女だと罵られたことも、どれもこれも言葉にならないくらい辛かった……


でも……


私はもう自由だ……


彼にも誰にも、もう私は囚われない……




私は胸いっぱいに息を吸って宣言した。



「もう一度言います。私はあなたの愛人には絶対なりません!」




「……くっ!!」



額に青筋を浮かべたミハイル王子は、剣を抜いた。


「ならば、偽聖女として王族を欺いた罪で、今この場で処刑してやる……!」


私はザックとクレオに両腕を後ろに押さえられ、皆んなの前で首を差し出すような形で拘束されたが、先程のような惨めさはなく、むしろ清々しい気持ちだった。


身体をどれだけ痛めつけられようが、拘束されようが、心だけは誰にも縛れない。


私はその素晴らしさを知ることができた。

死ぬ前に私の心を解放してくれた先程の赤い瞳の彼には感謝しかない。

最期に彼にお礼を伝えられなかったことだけが残念だ。



二人に取り押さえられながらも、気付けば私は無意識に笑っていた。

それを見たミハイル王子が顔を青くした。

「遂に頭がおかしくなったか……だが、それもこれもすべてお前が悪いのだ、恨むなら自分を恨め……!」


ミハイル王子が剣を振り上げた。

それを見た周囲の令嬢達が次々に奇声をあげた。


ああ…なんと儚い人生だったか……


……次に生まれ変わることができたなら、今度こそ何ものにも縛られずに、自由に好きな人生を生きるのだ……


私はそう心に固く誓った。



微笑んで目を瞑り、死を覚悟した。


「死ねぇっ!!」


ミハイル王子が剣を振り下ろす音が頭の上で聞こえた。

しかし次の瞬間、キィンという鋭い金属音が耳元で鳴り響いた。


思わず目を開けると、目の前には剣を携えた先程の赤い瞳の美男子が立っていた。


今の音は、彼がミハイル王子の剣を弾き飛ばした音だったようだ。

一瞬のことで呆気にとられたミハイル王子は、ようやく自分の手元から剣が無くなっていることに気付き、その相手を睨みつけた。


「貴様……!無礼だぞ!!この俺が誰か分かっているのか!?名を名乗れっ!!」


それを見たクリスティアは顔を青くした。

「ミハイル殿下!無礼なのはあなたです!!今すぐ謝罪してください!その方は……!!」


先程は暗くてよく見えなかったが、彼の胸には見覚えのある紋章が縫い付けられてあった。


「その方は、コンタンディオス大帝国の新王であらせられるアレクシオス・ペルサキス陛下です!!」


私の声が会場内に響き渡った。


「ほぅ……」

アレクシオスは赤い瞳を細めて、私を見た。


「なんだと!?アイツが前帝王を殺してのし上がった噂の悪魔か!?」


「殿下!!言葉をお慎みください!!」


私は更に顔を青くして叫んだ。


アレクシオスは、自分が新王となる前に王宮内でクーデターを起こし、彼の両親である帝王と王妃、それから王位継承者であった兄も自らの手で殺してしまったという。

その残忍な手口から他国では悪魔と呼ばれ恐れられていた。


全員が青い顔をしている中、聖女のイザベラだけはその事実を知らないのか、美しいアレクシオスの横顔を見て、ポッと頬を赤らめていた。



私は自分が死ぬことは構わないが、ミハエル王子の軽はずみな一言で、国の民が今後酷い目に遭うことだけは見逃せなかった。

アレクシオスを前にして、完全に腰がひけているザックとクレオから掴まれていた腕を引き抜き、ミハイル王子に駆け寄ろうとすると、その途中でアレクシオスに腕を掴まれた。


「……っ!」

その手は見た目よりも大きく力強くて、強く握られた痛みに思わず顔を歪ませた。


「お前、今この女を殺そうとしていたな……?」

そう言って感情の読めない顔で、ミハイル王子を見た。


「だ、だからどうした!?」

隣にいるイザベラに捕まりながら、先程とは打って変わって必死に虚勢を張りながら言葉を返す。


「どうせ殺すくらいなら、この俺がもらってやる。ちょうど妃として飼い殺す女を探していたところだったんだ……」


「なっ…!!」

「えっ…!?」




アレクシオスはそう言って不気味に口の端を上げた。







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