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第26話「アントル村②」〜釣りと狩りと弓と〜

「しっかし、そんな釣竿もどきで本当に魚を釣る気でいるのか?」



「え!これでは釣れませんか!?」


先程の会話の後、黙って姿を消したはずのアルガスが、2時間後、いつの間にか背後に立って私を上から見下ろしていた。


「当たり前だろ。まず釣り(ばり)がない。それに餌も。おまけにロッドは、ただの木を削ったものときた。それでは魚を釣り上げる時にしならないし、すぐに折れてしまうぞ。木の蔓を垂らしただけで飛びつく魚がいると、本気で思っているのか!?」


彼は小馬鹿にするように片眉を上げて首を傾げた。


「はり…?ロッド……?」


知らない単語を聞いて、思わずきょとんとしてしまった。

どうやら、自分が知らなかっただけで、このような魚の獲り方は、既に漁師や狩人達の間で確立していたようだった。



「生憎、不勉強で……今まで魚を釣ったこともなければ見たこともないので、私なりに考えてみたつもりでした……」

私は自分の無知さに顔が赤くなった。


次期王妃としての教育を抜かりなく受けてきたつもりだったが、まだまだこの国や民の暮らしについて知らないことがたくさんあるのだと痛感した。


前聖女エヴァ様の浄化の旅に同行させてもらった時も、その土地の領主や村長にはお客様として丁重にもてなされ、森の中で野宿をするような機会はなかったし、食料を自分達で調達するようなこともなかった。



「お前、自分でこの方法を自分で考えたのか……?」


私が落ち込む一方で、アルガスは形のいい目を丸くして私を見た。



「2時間も無意味な棒を吊してるのを見た時は、頭のイかれた奴なのかと思ったが、ちっとは考える頭があるんだな。すごく無意味だったが」


「え!ずっと見てたんですか!?」

無意味なことをしている自分を長時間冷静に観察されていたのかと思うと、今度は顔が青くなった。


「ははっ!ようやく人間らしい顔になったじゃねえか。さっきまでずっと暗い顔して、土塊(つちくれ)かなんかかと思ったぞ!」


「土塊って……!!」 


「おっと、雄グマの間違いだったな!」


「なっ……!!」


「はははっ!」


私がムキになればなるほど、彼は余計楽しそうに笑うのだった。

そんな嗜虐的なところが、某帝国の誰かを思い出させた……



「もう、邪魔するならあっちへ行ってください!」


「へぇ、いいのか?せっかく俺の使える釣竿を貸してやろうと思ったのに……」


「え、いいんですか!?是非お願いします!!」


「態度がころころと……ったく現金な女だな」



乱暴な物言いの彼だったが、結局私のために、わざわざ釣竿を取りに行ってくれた。

彼の態度も2時間前とは打って変わって柔らかいものとなっていた。



ーー1時間後。



バシャッ!!


「わっ!釣れた!本当にすぐ釣れたわ!!ねぇ見てアルガス!!」



振り返ると、岩の上であぐらをかきながら頬杖をついて、呆れたように笑うアルガスの姿があった。


「あ……」


気付けば日も傾きかけていた。

私の監視の為とはいえ、気付けば何時間もこの場に拘束させてしまっていた。



「ごめんなさい、こんな時間まで付き合わせてしまって……!」

私は申し訳なくなって謝る。


「釣竿もお返しします。とても助かりました!!」

コマリ村で商人から学んだ低姿勢なお辞儀をしながら、釣竿を頭の上に掲げた。


「お前、そんなんで今までよく魔性の女としてやってこれたな……」


「へ?ましょう……?」


「お前は本当に間抜けな貴族だなって言ったんだよ」


「な…!だから、もう貴族じゃないんですってば!!」


「間抜けは否定しないんだな」


「むっ…!それはまあ、事実ですから……」

眉を寄せて口を尖らせるクリスティアに笑いながら、アルガスは背を向けた。



「獣に食われたくなければ、これから夜は火を絶やさないことだな。害虫も煙を嫌がる。日が沈んだら食い物の匂いは絶対にさせるな、いいな?」


「!!」


「はい……!」


顔を青くして息を呑むクリスティアの気配を背後に感じながら、本当に何の知識もなく野宿をしていたことに驚き呆れるアルガスだった。






◇◇◇





「ケイエイ、このままあの女の監視を続けろ。気取られるなよ」


「はっ!」

ケイエイと呼ばれた男は、どこからともなく木の上に姿を現した。


「若頭、彼女ですが……」


「ああ、差し当たっての脅威はなさそうだ。我儘放題の悪女という話だったが、どうやら噂とは少し違うようだ。もしくは、余程頭の回る女かどっちかだな……」


「それは前者であることを願うばかりですね……」


「まあ、俺は俺達に害がないのならどちらでもいい。今夜もしあの女が少しでも変な動きをしたらすぐに報告しろ」


「はっ!」


そう言って彼は軽快に木から木へと飛び移り、あっという間に姿を消した。




◇◇◇




ーー翌朝。



「昨日一晩中、誰かが私のことを見張ってましたよね…?」


「!!」


クリスティアの開口一番の発言に、さすがのアルガスも息を呑んだ。



「監視のためなのでしょうけど、助かったわ。獣の声が響くこの森で、一人で寝るのは正直心細かったし」


「はぁ……?」


(一晩中監視されてたことに気付いていながら、「助かったわ」だと…!?)

予想外の彼女の言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまった。


(何なんだ、この女は…!?)

アルガスは、改めて彼女を観察した。



貴族のお嬢さんらしいか細い腕に白い肌。

そこに最近ついたらしい日焼けの跡と無数の傷や青あざ。


よく見たら、服のあちこちには血の滲んだ跡があった。

手に至っては、まめは潰れ、複数の擦り傷からは血が滲み出て赤く腫れ、一部は化膿すらしていた。

相当な痛みが伴うと思われるが、そのような様子は微塵も見せずに間の抜けた顔をしている。


自分の知る貴族は、生まれた時からぬくぬくとした温室で育ち、全員が根性なしの腑抜け野郎だと思っていたので、こんなにも忍耐力のある貴族のしかも女がいることに驚いた。

もしくは本当にただ鈍いだけかもしれないが……



「………」


「何ですか……?」

無言でこちらを凝視するアルガスを不思議そうに見返すクリスティア。

その瞳には一切の悪意が感じられなかった。


「はぁ……ったく!こっちに来い!」

「え!何を……!?」

突然アルガスに腕を掴まれたクリスティアは、抵抗する間もなく森の奥へと連行された。





◇◇◇




「いぃっったぁあぁーーーーーっ!!!!」




「うるさい!おとなしくしてろ!!」



有無を言わさず連れてこられた森小屋の中で、アルガスが謎の小瓶を持ち出してきたと思ったら、その中身の液体を傷だらけの私の手に容赦なく振りかけてきた。


身体をつんざくような激痛が走り、反射的に在らん限りの声で叫んでいた。



「何するの!!やめてっ!!離して!!」


「お前こそやめろ!暴れるな!!」


アルガスが片手で私の両手首を壁に押さえつける。

細身に見えるが、やはり森で暮らす者の力は侮れなかった。

私の抵抗も虚しく、彼は次々と私の傷口にその液体を塗り込んだ。それが声にならないほど痛かった。


「いやああぁあぁーー!!やめてぇーー!!ああっ!!」



「大声を出すな!仲間に何だと思われるだろ!!」


アルガスがやや焦り気味に言うのが妙に可笑しく、激痛さえなければ笑っていたところだった。




◇◇◇





「はあ……疲れた……」


私の治療を終えたアルガスは、椅子に座り込んで項垂れた。



今や私の両手は、包帯でぐるぐる巻きにされていた。

傷口には薬草が当てられ、心なしかひんやりとする。

小屋に充満する心安らぐ香りで心が落ち着いてくると、先程の大騒動が急に気恥ずかしくなってきた。


「お手数をおかけしました………」


「いや、本当にな……」


「はい……すみません………」


何も返す言葉がなく、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいだった。





◇◇◇




「ほら、これでも食え」


目の前のテーブルに置かれた陶器のカップには、野菜がくたくたに煮込まれたスープが入っていた。




「え…こ、これはまさか……」



「スープっ!!?」


このところよく見ていた幻覚や妄想の類いではないかと、目を疑い、何度も目を擦って見た。



「本物だ……!!うわぁあっ!!」



しばらくまともな食事に出会えていなかった私は、衝動的にスープに手を伸ばした。

だが、両手には包帯がしっかりと巻かれており、カップを持つことさえままならなかった。


「あれ!?手が!!あぁっ!!どうしよう!?」


「落ち着け!どんだけ腹減ってるんだよ!!」


アルガスが片手で私を制しながら向かいの椅子に座ると、素早くスプーンでスープをすくって、私の口に入れた。


「……っ!!」


一瞬固まった私を見て、アルガスが眉根を寄せた。


「今は恥ずかしいとか言ってる場合か!先ずは栄養をとってその手の怪我を治すことを…!」

「んーー!!おいひい〜っ!!」



「………」

今度はアルガスが口を開けたまま呆気にとられた。


そんな彼を横目に、私は興奮気味に言葉を続けた。


「このスープすごく美味しいです!こんな美味しい食べ物、生まれて初めて食べました!!」


「なに大袈裟なこと言ってるんだよ、白々しい……って、何泣いてんだ!?」


「だって…本当に美味しくて……っ!最近ほとんど食べ物らしい食べ物を食べてなかったから……っ!」


涙がぽろぽろとこぼれてきたかと思ったら、堰を切ったように涙が溢れ出てきて、最後は堪えきれずに声を上げながら泣いてしまった。


極度の飢餓状態を経験したことで、当たり前の日常がいかに有り難く、毎日食事を食べられることがどれだけ恵まれていたかを身に染みて実感した……



「………」

アルガスは大声で泣きながらもスープを食べ続ける私に何も言わず、ただ黙ってスープを口に運び続けてくれた。







◇◇◇





「先程は、本っーー当に!申ーーし訳ありませんでしたーーっ!!」


私は椅子から降り、おでこが膝に付くくらいに身体を曲げて頭を下げた。


お腹が満たされ、身体に活力がみなぎると同時に正常な思考も戻ってきて、現在は見事に後悔のどん底にいた。



「お前は情緒が不安定なのか……?」


「返す言葉もございません!!」


私は今すぐにでも消えたくなった。


「気にするな、俺の飯が美味すぎたせいだ」


「いや、味の問題というよりは……」


「あ〜〜この後、メインディッシュに肉料理を振る舞ってやろうと思っていたんだが……そうか、いらないのか、そうかそうか!」


「え、肉!?いります!いります!お肉!!食べたいです!!」


私は再度平伏して懇願した。

アルガスは、そんな私を見て楽しげにくつくつと笑うのだった。


そんなところがまた某帝国の誰かを連想させた……






◇◇◇




「ごちそうさまでした!!」


「どうだった、俺の腕前は?」


「最高でした!!アルガス様は天才でございます!!」


「はは!だろう、だろう?」


「ええ、できることなら毎日食べたいです!!」


「なんだ、プロポーズか?」


「違います!」


「なんだ、しょうがねえなぁ。じゃあ、お前を俺の弟子にしてやる。明日から弓の使い方を教えてやるよ」


「!!!」


「アルガス様……!!」



「ははっ!俺のことは今日から師匠と呼べ!」


「はい!お師匠様っ!!」





そういうわけで、翌日から早速アルガスの弓指導が始まることとなった。





彼の指導は少し変わっていた。


まず彼は、二日間ずっと私に自分の弓の扱いを観察させたのだった。


私の手の傷を労う意味もあったのかもしれないが、これが存外に効果的だった。


一日中飽きるほど観察し続けることで、自分の中に確固たる弓のイメージと、小さな所作に至るまでの擬似的な感覚を養うことができた。

二日目は実際に狩りの様子を観察した。

そこでは、状況に応じた弓の扱い方や狩りの方法を見せてくれた。


弓矢に触れたくて仕方がなくなった翌々日、手の包帯を薄く巻いてもらい、遂に弓を持たせてくれた。

最初はイメージと自分の感覚が違いすぎて、その隙間を埋めるのに時間がかかったが、丸二日観察したこともあって、コツを得るのは早かった。

私の飲み込みの速さには、さすがのアルガスも舌を巻いていた。




◇◇◇



ーーそれから二日後。



「はっ!!」


私が射った矢が、獲物の急所を貫いた。

周囲の安全を確認しながら獲物に近付いていき、素早くとどめを刺すと、胸の前で両手を組み、心の中で呟いた。


(ありがとう…あなたの命、大切にいただくわね……)




「たった二日で大したものだ」


「師匠!!」


数メートル奥の木の上から姿を現したアルガスを視認して駆け寄る。

アルガスも慣れた手付きで、枝から枝を伝って地面に飛び降りる。



「大人のワイルドボアを仕留められるようになれば、もうどこへ行っても食うものには困らないだろう。後は教えたように、毒蛇や大型の猛獣には気をつけること」


「はい!それから、“自分の能力を過信せず、逃げるタイミングを見誤らないこと”ですよね!?」


「そうだ」

アルガスが満足げに私を見下ろしたかと思えば、突然神妙な顔つきになって言った。


「……明後日だったか、お前がここを経つのは」



「はい……」

クリスティアも途端に肩を落として答えた。

明日で十日目になり、明後日の明朝には護衛騎士の迎えがくることになっていた。


その前に何か一つでも職務を全うしようと、訓練の合間に何度か村を訪れたが、入村を許可されることはなかった。

何も対処できずに去ることになってしまうのが残念でならないが、村人達の拒絶は強固なものだった。


(今はアントル村のそういった現状を知ることができただけでも良しとしよう……)


私は目の前のアルガスを見上げた。

彼は命の恩人であり、私に狩りの仕方を教えてくれた師匠だ。

彼には感謝してもしきれない。




「もしいたけりゃ、ずっとここにいてもいいんだぞ……?」


アルガスの思いがけない優しい言葉に、思わず涙が出そうになった。

自分の居場所を用意してくれる彼の優しさが嬉しかった。


「ありがとうございます……でも私は行かなくてはならないので……」


たとえこれから先、誰にも歓迎されなくとも、この国のために生きると決めたのは私だ。



夜会の日にアレクシオスと口論したことを思い出す。


自分で選んだ道は、想像以上に険しい茨の道だったが、城の外に出て平民として暮らすことで、自分が知らない多くのことを学ぶことができた。

これらはすべて必然で必要なことだったのだと、自分に言い聞かせた。


「ったく、頑固な女だな!」

そう言ってアルガスは、乱暴に私の頭を撫でた。


「女が身一つで旅なんざ、自殺行為だぞ、よく今まで無事だったもんだ。まあ、お前みたいチンチクリン、誰も手を出す気にならなかったんだろうがな!」


「なっ!射ますよ!?」

私は弓矢を構える真似をした。


「ははは、図星だからってそうムキになるなよ!その様子だと、男とキスの一つもしたことないんだろ?」


「失礼な!!私だってキスの一つや二つ…くらい……!!」

そう言って、夜会でのアレクシオスとのキスを思い出して、顔を赤くした。



「……へぇ〜〜」

私の反応を見たアルガスがおもむろに顔を近づけてきた。


「なんだよ、お相手は婚約破棄されたミハイル王子か……?」


「ち、違いますっ!!」


「じゃあ、噂の新しい帝王様か……?」


「……っ!!」


「……ったく、分かりやすいやつ……」

私の顔が真っ赤になるのを見ると、アルガスは呆れ顔で返した。



「だったらさっさと帝国へ行って保護してもらえればいいだろ?」


「いや、お断りしたので……」



「はあ!?お断り!?あの残虐王と呼ばれるアレクシオスの要求を!?お前バッカじゃねぇの!!?」


「う、うるさい!!ですよ!!」


「はぁ〜!まさか、そんな馬鹿者が目の前にいるとはな。しかもまだ国が滅んでないときた。こりゃ奇跡の産物だな」


「うぅ……」

今更ながら、自分は大変な相手と危険なやりとりをしていたのだと痛感した。



「はあ、なんか疲れたわ……」

突然アルガスがこちらに倒れかかってきたので慌てて両手で彼の両肩を支えると、そのまま私の肩にこてんと頭を乗せた。


「なあ、偽聖女様の力で俺のことも癒してくれよ。見てくれよこの傷…」


彼が袖をまくると、右腕に包帯が巻かれており、それを取ると、深い爪痕が付いていた。


「え!?これは一体……!?」



「さっき、雄の子熊が罠にかかってたから助けてやったんだが、まだ親離れしてないヤツだったみてーで、後ろから母熊が襲ってきてな。罠を外す時にちょっと掠っちまったんだよ」


一般的に子熊は、一歳半から二歳半の夏頃に親離れをする。雌の子熊は母熊と生活するが、この時期の雄熊は母熊から離れて暮らしているはずだった。


傷の様子から、恐らく先程付けられたばかりのようだった。



「なあ、いいだろう?フリでいいから、聖女様の力でこの傷を癒してくれよ〜」


彼はいつもの調子でわざとらしく甘えたような声を出したが、私は反射的にすぐ彼の右腕を両手で掴み、意識を彼の怪我に集中させた。

コマリ村やアントル村で感じられなくなっていた不思議な衝動が、今ははっきりと胸の内側から湧き上がるのを感じた。



ここでの食事のおかげなのか、身体に生気が戻り、温かいエネルギーが身体を循環しているのを感じた。


今までは有ることが当たり前で、その事実に気付けていなかった。

それに気付けたおかげで、今は以前よりも身体の中に力強いエネルギーを感じられる。


私はアルガスの腕を掴んだ手に力を入れた。



「なんだよ、乱暴だな!聖女様ってのは、もっとこう……おしとやか……で……」


不満をこぼそうとしたアルガスが不意に言葉を失い、ゆっくりと目を見開いていくのが見えた。


私はいつものように胸の奥から無尽蔵に溢れ出てくる感覚を自分の手を通してアルガスへと伝えた。

自然と口をついで出てくる異国の言葉は極力声を顰めるようにして唱えた。




◇◇◇




「何なんだよ、お前……!?」

アルガスがいつもの整った顔を近付けて私の両肩を掴んだ。


「何なんだよと言われても……」


「お前まさか……!?ああ、なるほど…そういうことか……」


「え、何ですか……?」


驚いた顔をしたかと思えば、すぐさま何らかの結論に達したようだった。



「念のため聞くが、今のは何なんだ?」


「ですから、師匠の言う偽聖女の偽お祈りですけど……」


「ふーん……」


自分でやれと言っといて尋ねてくるとは、一体どういう了見なのだろうか……



「……なるほどな」


彼はしばらく考え込んだ後、何かに納得したようだった。



(……だから、何なのよ!!?)






◇◇◇




その夜、私はいつものようにアルガスの小屋に内側から鍵をかけて一人でベッドに横になった。

私は手当てをしてもらった日からずっとアルガスの好意に甘えて、ここに泊めさせてもらっている。


この小屋は、低木の上に作られたツリーハウスで、簡易ベッドにテーブルセット、そして薬草を入れる小棚が置ける最低限のスペースがある。

窓際には乾燥した薬草が吊り下げられ、部屋全体が心地よい匂いに包まれている。

朝は小鳥のさえずりと共に、窓からの明るい光が優しく目を覚まさせてくれ、とても居心地の良い空間だった。

何より土ではない清潔なベッドがこの上なく心地よかった。


食事も毎日アルガスが持ってきてくれたり、傷の手当てをしてくれたりしたおかげで、傷の治りも早く、身体もみるみるうちに回復していった。


あの時アルガスに出会っていなかったら、今頃どうなっていたか分からない。

彼は私の命の恩人だ……




◇◇◇



その翌日。



今日は地面を掘って設置するくくり罠の作り方と張り方を教えてもらった。


「なぁ……」


ワイルドボア用の罠を見よう見まねで作っていたところ、アルガスに声をかけられた。


「何ですか……?」


「お前はいま幸せか?」


「!」



「お前はいま辛くないのか……?」



「それは……っ」



突然思わぬ言葉を投げかけられ、困惑の表情でアルガスを見返した。

いつになく真面目な顔で私を見る彼からは、私を気遣う優しいオーラが感じられた。


その顔を見ていたら不意に胸が温かくなり、何についてかと口を開けば、いろんな感情が溢れ出てしまいそうで、無意識にぐっと口を結んだ。


「………」


アルガスは、何も答えない私をじっと見て返事を待っていた。




「し、師匠こそどうなんですか……?」



「俺か?」


「受けているんでしょう?村の人達から不当な扱いを……」


「ん……?あ〜そうだな。ほんと、お前は何でもお見通しだな……」

彼は不自然に話題を変えた私に少し残念そうに笑いながら答えた。



アルガスと初めて出会った日、彼は「お前達、今度は何を考えている?」と尋ね、私のことを“アルガスを誘惑するための領主の隠し子“だと疑った。


その言葉からも、アルガスと村人達との関係が良くないことは明白だった。


おそらく、若頭であるアルガスを始めとしたウドゥフの民を取り込むため、村人達が良からぬ策を打っていたのだろう。


「“民族の血を守るウドゥフは、先祖代々暮らしてきた自分達の森を捨てることは出来ないため、村人達との共存の道を選んだ。しかし、森という限定的な場所で暮らすウドゥフの民は技術面を村に依存する必要があり、対等な関係ではない”ということでしょうか……?」


「ああ、そうだ……」

アルガスは頷いた。


「かつては平和に共生していた時代もあったそうだ。だが、村が急速に発展し出した50年ほど前から、奴らは俺ら部族を見下し、自分達の支配下に置こうと企み始めた。次第に交渉もこちらに不利な条件を提示するようになったが、他の取引先もない俺らはその条件を呑むしかなかった……」


「………」


閉鎖的に見えるアントル村であるが、恐らく50年前に偶然入ってきた新しい技術により、村が劇的に発展したのだろう。


50年前となると、ちょうど前聖女のエヴァ様が浄化の旅を始めた頃だ。


恐らくアントル村への一部の技術的な支援だけは甘んじて受け入れたが、それ以外の提案は全て拒絶したのかもしれない。


50年前の家の造りや農具が今もそのまま継承されていることや、現在はほとんど廃止されているはずの呪い師が今も強い力をもっていることなどがそれを物語っていた。


しかし、村の発展を願って行ったエヴァ様の取り組みを更なる技術革新に利用するのではなく、今まで共生していた相手を見下し、不当な取り引きに利用するなんて……


古き良き伝統を重んじるばかりに、発展を拒絶し、結果的に村は困窮した。アルガス達からの不当搾取でも生活を賄えなくなったため、再び新しい聖女を要請する羽目になったのだろう……


(エヴァ様が知ったらきっと残念に思ったでしょうね……)


アルガスは遠くを見つめながら言葉を続けた。


「次第に動物の肉の取引額もどんどん引き下げられて、最後はタダ同然の値段で譲るよう迫られたんだ。それはさすがにウドゥフの民全員で抗議をしたんだが、その日の夜、呪い師の命令で奴らに森を焼かれた……」


「そんな……!!」


「幸い大事には至らなかったが、一部の森は焼かれ、今も回復していない状態だ……」


アルガスは怒りではなく、悲痛な表情を浮かべていた。


感情のまま村人達と戦うこともできたであろうが、安易に共依存の関係にある村を滅ぼすことが得策ではないのは明らかだった。この村の領主が軍事介入してウドゥフが滅ぼされる可能性だってある。

そんなことは人一倍頭の切れる彼が一番よく分かっていたのだろう。

結果として、彼は破滅の道ではなく、森や民の生活を守ることを最優先に考えたのだ。



それにしても……森はウドゥフの民だけでなく、アントル村の住人達にとっても貴重な水源であり、治水の要でもある。

安易に森を焼けば、少しの大雨でも村はたちまち大洪水に陥るだろう。

彼らはそんなことも分からないのだろうか……


私は肩を落とすアルガスを見やった。

生きるためとは言え、そんな相手と手を取り暮らしていかなければならないとは、彼にとってどれほどの屈辱であることだろう……



「森を焼くだなんて、なんて愚かなことを……そんな相手とこれからも関わっていかなければならないなんて、辛いですね……」



「なあに、お前ほどじゃねえさ……」

アルガスはクリスティアを見た。


「俺自身、くだらねぇ噂を信じ込んで、何の罪もねぇお前を傷付けるようなことをたくさん言っちまった。本当に悪かった……」



「それはもう散々謝ってもらいましたから気にしないでください。むしろ師匠には感謝しかないです」


「はは、お前には敵わねえや。お前は今までで一番優秀な自慢の教え子だ。本当、今までよく頑張った……」

そう言うと、アルガスは優しく私の頭を撫でた。


私は彼を見上げた。

自分の方が辛い目に遭ってきたはずなのに、自分の不幸に溺れることなく、他人への気遣いができるなんて、なんて心の優しい人なのだろう……



アルガスは、クリスティアが顔を上げて濃いサファイアブルーの瞳を大きく揺らしているのを見て、その瞳がこの世の中で一番美しいと言わんばかりに目を細めて微笑んだ。





◇◇◇




「はあ〜〜!」



昼食後、クリスティアが弓の練習に戻ると、少し離れた木の上で、アルガスは大きなため息を吐いた。


「なんですか、白々しい」

そばに控えていたケイエイが呆れ顔で返した。



「彼女のこと、何か分かったのですか……?」



「ああ。ありゃ、かなりの大物だわ……」


「と、言いますと?」



「たぶん、あいつがホンモノの聖女だな」



「え!?彼女が本物の……!?」

「では、現聖女のイザベラという女は……!?」



「恐らく偽物だろう。詳しくは分からんが、何者かの計略に巻き込まれたんだろうな」


「そんなまさか……」



「おかしいと思ったんだ。だって、実際のあいつは噂の悪女とは全く違うだろう?」


「そうですね……俺が知ってる悪女クリスティアは、“聖女イザベラに嫉妬して彼女を迫害しただけでなく、国の金を湯水のごとく使って贅沢三昧、使用人には高圧的な態度での罵倒や暴力は当たり前。更に次期聖女・王妃としての責任も放棄して男性との噂も絶えない今世最大の悪女!“という話でしたからね……」


「ああ。こんな国の端まで不自然なくらいに浸透している、今や常識ともいえる話だ」


「彼女が各地を放浪しているのは確か……“一度は帝国に逃亡したけど、やっぱり王宮での贅沢な生活が諦めきれずにおめおめと戻ってミハイル王子の怒りを買ったけど、聖女イザベラの温情で王宮での暮らしを許された。それなのに、以前と変わらず王宮での横暴があまりに酷いので、一時的に聖女代行として浄化の旅に出されることになった“という話ですよね?」


「そうだ。でもあいつはそんなことをするような奴じゃないだろ?」


「そうですね……」

ケイエイもここ数日の彼女の様子を思い浮かべながら答えた。


アルガスは向こうでコツコツと弓の練習をしているクリスティアを見やった。



なぜ護衛もつけずに一人で森を彷徨っていたのか……?

なぜ豪奢なドレスではなく粗末な異国の服を着ていたのか……?

なぜ貴族であった彼女が、当然のように一人で食料を調達しようとしていたのか……?


それは彼女が長い期間、食事も満足に与えられない状況下でぞんざいな扱いを受けていたことに他ならない。


つまり、迫害を受けていたのは、イザベラではなくクリスティア自身だったということだ。


「………」

アルガスは、拳を握りしめた。


こんな辺鄙(へんぴ)な村にまで広められた噂は、世論を操作するために、何者かによって意図的に広められたものに違いない……



実際の彼女は、原住民である自分達への差別意識もなく、こちらがどんなに横柄な態度をとっても腹を立てることなく、むしろ自分から教えを乞いてくるほどの謙虚さと誠実さを持ち合わせていた。


男に近寄られても“魔性の女”としての片鱗も見られないどころか、男慣れしていない様子が見てとれた。



「彼女は、男をたぶらかすような高等技術は持ち合わせていないでしょうね……」

ケイエイが可笑しそうに笑う。


「そうだな……」



アルガスは、クリスティアの弓の上達が異様に早すぎることも気になっていた。


今思えば、それは彼女の困窮からくる必死さが要因だったと理解できる。

極限の飢餓状態を体験した彼女にとって、食料調達は何より深刻な問題だったのだろう。


貪欲で執拗なまでの知識欲。時間が有限であることを知り、一球一球に込める集中力に尋常ではないものを感じていた。

少しでも早く技術を習得するために、夜な夜な弓の練習をしていたことも知っていたし、絶えずこちらの動きをつぶさに観察をしていたことも知っていた。



「そして何よりあの力だ……」


怪我をしたアルガスの腕に、彼女が触れた時の何とも言えない不思議な感覚。


彼女が触れた瞬間に、今まで感じたことのない何かが身体中を満たしていった。それは身体だけでなく心までもを安らかにし、悪意に飲まれかけていた自分を暗闇から解放してくれた。

依然として腕の傷には何の変化もないが、あれは間違いなく人智を超えた聖女の力だろう……



「それは、どんな力なんです?」


「それが上手く形容できない……」


「えー!?そこ一番大事なとこなのにーー!!」

ケイエイは10代のあどけなさが残る顔で至極残念そうに声を上げた。


「あ!俺も怪我したら治してもらえるかな〜?」


「おい!このことは、他の奴らには他言無用だからな……!」


「分かってますよ〜!若頭の大事な大事なお嬢さんですからね〜!」

ケイエイは意味ありげに笑って見せた。



「……俺のじゃねぇよ……」

アルガスは声にならない声で呟いた。











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