第24話「コマリ村での出来事」〜初野宿〜
「どうするんですか〜?」
執務室のソファに座ったローランが、恨めしげに執務机で作業をしているアレクシオスを睨む。
「知るか」
「知るか、じゃないですよ!!」
ローランが勢いよく立ち上がる。
アレクシオスは知らん顔で机の上の書類に目を通している。
ルーマ国での婚約パーティーの日から半月が経とうとしていた。
まだ暑さの厳しい8月半ば、開け放たれた窓からは気休め程度の風が僅かに吹くばかりだった。
「クリスティア様が城を追放されてから10日ですよ!?」
「ふん、自業自得だろ……」
「はぁ……!!」
ローランは、偏屈な主人の前で盛大なため息を吐き、再びどさっとソファに座り込んだ。
婚約パーティーから数日後、クリスティアは掃除の合間に両親の監禁場所を探すようになったが、その日は運悪く裏で訓練をサボっていた騎士に見つかり、ミハイル王子の激情を買うこととなった。
そこからイザベラの口添えもあり、罰と称して城から追放され、特に浄化の要請が強い遠方の貧しい村々へ聖女代理として赴任させられることになったのだった。
「馬鹿なやつだ。だから俺を頼ればよかったものを……完全にあいつの選択ミスだ」
「あのですねぇ……」
ローランが呆れ顔で口を開く。
「クリスティア様は、母国や両親をとても大切にされている方なんですよ!そんな方に大事なものを切り捨てるような言い方をしたら逆効果だと、あれほどあれほど言ったではありませんか!!もう、どうしてあなたはいつもそう勝手に……!!」
「ふん、理解できん」
「理解できなかったら、理解しようとしてください!!でなければ、一生理解できないままですよ!!」
「………」
アレクシオスは眉を寄せて煩わしそうに顔を背けた。
ローランは再び大きなため息を吐いた後、少し間をおいて、今度は少し声を抑えながら尋ねた。
「……それで、ルーマ国へ送った間者はどうしますか?」
「………」
「もう間もなくクリスティア様のご両親の居場所が掴めると思いますが」
「……引き上げさせろ」
「え、ですが……!」
「もうあの女は帝国へは戻らない。親を人質にとる必要もなくなった」
「そんな……っ!」
「これは決定事項だ、用がなければもう下がれ」
そう言うと、アレクシオスは再び目の前の書類に視線を落とした。
「………っ」
ローランはまだ何か言いたかったが、こうなった主人はもう何も受け入れないことを知っていたため、すべての言葉を飲み込んで部屋を後にした。
◇◇◇
「ふぅ……」
ルーマ国の国境付近にある、とある村で、クリスティアは砂にまみれた顔の汗をぬぐった。
ここはルーマ国南部にあるメルダー領のコマリ村で、以前視察に赴いたリガード村より東側に位置する場所にあった。
ここもリガード村と同じくらい酷い状況だった。
このところの日照りで、乾いた土地には今にも枯れそうに葉を傾けた植物達が寂しげに植えられているだけだった。
クリスティアは、鉛のように重い足を引きずりながら、甕の水を一つ一つの植物に大事に手で水をかけて回った。
片道2時間かけて運んだ貴重な水だった。
ミハイル王子に聖女代理として赴任を仰せつかった最初の村がこのコマリ村であったが、ここでもクリスティアの扱いはぞんざいなものだった。
今回の護衛騎士は、クリスティアを村へ降ろすや否や、十日後に迎えにくると言って、馬車でどこかに消えてしまった。
村人達もクリスティアを歓迎するどころか、村が貧しいことを理由に、食事も寝床も用意しなかったため、クリスティアは遠く離れた森の中で野宿をする羽目になった。
更に、畑の荒廃状態を見て、もっと水をやってはどうかと進言したところ、自分達の井戸が枯渇するからという理由で、クリスティアに片道2時間もかかる森の麓にある湖で汲んでくるように言ったのだった。
協力を要請したけれど、動物や男の働き手は貴重な上に、みんな飢えていて、そんな遠い所まで行けないから一人でやってほしいと断られてしまった。
作物が枯れて困るのは自分達のはずなのだが……
だが、彼らには強みがあった。
隣国のタガルネ共和国が我がルーマ国へ入るには、このコマリ村を通らねばならず、国が設けた関税に税を無断で上乗せしたり、商品を横流しすることを条件に不法に入国させたりと、陰でいろいろと便宜を図っていたようだった。
その為か、村の貧しさとは不釣り合いに、身なりが良く恰幅のいい村人達が目についた。
彼らは関税で得た収益を村に還元することなく、ただ私腹を肥やすことだけに使っているようだった。
なので、建物はすべて古いままだし、農具も前時代の古びたものを使用しており、豪奢な格好をした村人達は働きもせずに、昼間から酒を飲んでは騒いでいた。
私はその様子を見ていて、とても不安になった。
今は一過性の豊かさを享受できているかもしれないが、ひとたび戦争が始まってしまえば、簡単に局面は変わってしまう。
今のような幸福がこれからも続く保証はどこにもないのだ。
不正なお金であれ、使うならばもっと生産性のあることに使った方が良いし、なるべくなら、自分達で生み出したお金を使うべきだとクリスティアは思った。
彼女がいくら村人達を説得したところで、彼らは耳を貸そうとはしなかった。
一日目は村中を回って村人を説得した。誰も手を貸してくれる者はいなかったが、村の中でも特に貧困で困っていた村人がヒビの入った欠けた甕を貸してくれた。
夜は森の中で見つけた洞窟の中で夜を過ごした。
土の上で寝る経験など、公爵令嬢であったクリスティアにあるわけもなかったが、城の使用人部屋からこっそり持ってきた薄手のタオルケットを下に敷いて、その日はそのまま寝た。
まだ残暑厳しい季節だったため、寒さに凍えることなく眠れたが、次の派遣先までには身体にかける布も調達しなくてはと思った。
私は空腹を誤魔化すようにすぐに目を閉じた。
何せ今日は朝から何も食べていなかったから……
二日目。
空腹のあまり、早朝に目が覚めたため、森の中を歩き回って食べ物を探した。
かろうじて、いくつか木の実を見つけて食べることができた。そのどれもが早熟で、酸っぱかったり渋かったりしたが、空腹の身には泣きたいほどありがたく、素材の味が身体中に染み渡っていくのを感じた。
飢えに勝る調味料はないと身をもって知った瞬間だった。
川の水で喉を潤し、少し元気を取り戻すと、早速甕に水を汲んで、村まで歩き出した。
水の入った甕を持って歩くので、歩くスピードも遅くなり、腕は時間と共に軋んで痛み出した。
途中で何度も休みながら甕を運び、村の畑へ着いた頃には朝の8時頃だった。
他国からの商人達が王都へ向かって、道とは言えないほどの悪路を連なって荷馬車を走らせていた。
(あの道も舗装すれば、更にルーマ国を訪れる商人達が増えて、貿易が活発化しそうだわ……)
そんなことを考えながら見ていると、不意にアレクシオスの言葉が頭に響いた。
“お前がやりたいことは、政権をもつ王族や貴族にならねば叶わない”
「………」
彼の言葉が痛いほど胸に刺さった。
彼の言うとおり、私一人にできることは少ない。
(それでも……)
国を捨て、両親を捨て、アレクシオスに着いていく未来も
城の中でミハイル王子の都合のいい道具として飼い殺される未来も
どちらも選びたくはなかった。
それならば、たとえ食べる物がなくとも、着る物がなくとも、僅かでも自国のために動けている今の方が幸せだった。
ようやく運んだ甕の水を大事に手で掬って、よれよれの農作物にかけてあげたが、すぐに甕は空になってしまった。
試しにまた村人達に村の井戸の水を使わせてもらえないかと尋ねたが、返ってきた答えは同じだった。
仕方がないので、私は再び甕を持って森へと歩き出した。
森と畑を三往復した頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。
私は誰もいない森の湖の中で身体を清めた。
夜の方が人に見られる心配はないかと思ったが、冷たい水で身体が冷え、夏だというのに震えが止まらなくなってしまった。
私は急いで火を起こすことにした。
昔聖女様に習ったやり方を試して小枝同士を擦り合わせたが、思うようになかなか火がつかず、ようやく火をつけられた時には汗だくで、手は皮がむけて血だらけになっていた。
公爵令嬢だった当時は、傷一つない白魚のようなすべやかな手をしていたが、今は見る影もないほど傷だらけで荒れていた。
そんな手を見ていたら、無性に泣きたい衝動に駆られたが、自分が行っていること、今起こっていること、すべてには意味があるのだと、何度も自分に言い聞かせた。
そんなことを五日ほど続けていたある日、村人がクリスティアに話しかけてきた。
甕を貸してくれた村で一番貧しい住人だった。
何かと思ったら、これ以上甕を持ち運ばれたら、負担がかかって割れてしまうかもしれないから返してほしいということだった。
とても残念だったが、仕方ないのでクリスティアは甕を返すことにした。
その村人は畑の世話をしたクリスティアにお礼を言うどころか、変人を見るような目でクリスティアを睨みつけ、舌打ちをして帰って行った。
クリスティアはなんとも言えない気持ちになり、空腹も相まって、その場に倒れ込んだ。
(……ああ…甕がなくなってしまったから、また水を汲むための道具を探さなくては……)
(でも村中頼んで回り尽くしたし……次はどうしたらいいかしら……)
考えても、うまく頭が回らなかった。
いつも浄化先で起こる不思議な衝動も、ここでは何ひとつ感じなかった。
段々思考することが苦しくなって、いっそこのまま死んでしまえば楽なのにと、逃避をし始めたところで、再びアレクシオスの顔が思い浮かんだ……
そして、頬を打たれたあの夜のことを思い出した。
(そうだった……)
また忘れるところだった……
私は自分の人生を自由に生きると決めたのだ……
そのためには……
私は拳を握りしめると、再び力強く立ち上がった。
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