第19話「リガード村視察1日目」〜ロイとの出会い〜
ルーマ国南西部にあるラルド領の中で、最も貧しいリガード村の村長が村人達を集めて話をしていた。
「前に要請した浄化の件だが、新しく聖女様になられたイザベラ様は各地を飛び回っていて忙しく、しばらくうちの村には来られないそうだ」
「なんてこった!この村の畑はみんな酷い有様なのに、これ以上酷い村があるって言うのか!?俺達は明日食う物も困ってる身だっていうのに!!」
「その代わり、聖女様の代わりに別の人間を寄越すと言っていたぞ」
「聖女様の代わりだ!?一体誰にそんな役が務まるって言うんだよ!」
「それが、元聖女候補だったあのクリスティア様だとよ」
「!!」
「まあ、今は貴族様でも何でもねーから、様を付ける必要もねーんだけど」
「あの悪名高い悪女なんかが来てどうする気だ!?」
「あの悪女、最近聖女代行と称して村々を渡り歩いては、村のお宝を根こそぎ奪っていってるらしいぞ!」
「俺達の村には貢ぎ物をする余裕なんてねーのに、これ以上何を奪う気だ!?」
「かつて聖女エヴァ様に付いて来てた時は大人しくしてたくせに、聖女様が亡くなられて、本性を出し始めたんだな!!」
「恩を仇で返すとはこのことだ!!よくもまあ恥ずかしげもなくやって来れるもんだ!!」
「まさか、この村が田舎だから、まだ悪女の噂が出回ってねーと思ってんじゃねーの!?」
「馬鹿かよ!!もうとっくに村人全員知ってるっての!」
「浄化もできねーのに、役立たずが来てもしょーがねーだろうが!!」
「来たらすぐに追い返してやる!!」
「そうだ!!どうせ宮殿で贅沢の限りを尽くしてきた世間知らずの娘だ、すぐ逃げ出すだろうよ!!」
村長の話を聞いた村人達は怒って次々に悪態を吐いた。
村人達に混ざって、ある青年も同じ気持ちで皆の話に耳を傾けながら、熱心に頷いていた。
彼の名はロイ。
年は25で、切れ長の茶色い瞳をし、明るい茶髪の前髪は、伸ばして後ろの髪と一緒に束ねていた。
村一番のハンサムで、村で彼に恋をしない年頃の女性はいないと言われているほどだった。
その彼もまた、クリスティアの訪問を歓迎しない者の一人であった。
「見てろよ、すぐに化けの皮を剥がしてやる……!」
ロイは憎々しげに拳を握りしめた。
◇◇◇
「ふぅ……」
二日間の馬車の旅を経て、ようやくリガード村へと辿り着いた。
代理とはいえ、一人で村を回るのは今回が初めてだったので、緊張しつつもどこかワクワクしていた。
「………」
やや興奮気味に窓の外を見る私を、唯一付いてきた監視役のライアンが無言で見ていた。
私の監視役にはリオルが来たがっていたが、やはりイザベラの親衛隊という立場から難しく、結局リオルが以前所属していた第一近衛騎士団からライアンが呼ばれることとなったのだ。
このライアン、年は30代半ばほどであるが、強面で口数も少なかった。
監視の為に馬車で二日間を2人きりで過ごしたが、ほとんど会話らしい会話はなかった。
しかし、最初こそ理不尽な任務を押し付けられた不満を全面に押し出していたものの、やがて諦めたのか、徐々にわざとらしくため息を吐いたり、私を睨み付けることはなくなったので、後半は快適な時間を過ごすことができた。
村に到着して馬車の扉が開いても、御者もライアンも手を貸してはくれなかったので、一人でスカートの裾を引っ掛けないように注意しながら飛び降りた。
澄ました顔でハシゴを出し忘れたふりをしていた御者が、私の大胆な行動に目を見開いているのが見えた。
今日は使用人に借りたワンピースのお仕着せだったので、普段のドレスに比べてかなり動きやすかった。
コンタンディオスにいた時にもメイド服を着用していたことがあったが、今回また自国の使用人の服を着用することになるとは思わなかった。
アレクシオスが見たら、また呆れるに違いない……
しかし、イザベラのお下がりとはいえ、豪華なドレス姿で聖女の助けを必要とする貧しい村に訪れるわけにはいかないと思ったので、それ以外の服を持たない自分にはこの選択肢しか考えられなかった。
馬車から降りて顔を上げると、村長を始めとする大勢の村人に出迎えられたが、決して歓迎されているわけではないことは、彼らの表情ですぐに分かった。
「……私が村長だ。畑はこっちだ」
村長と名乗る者は、遠方から訪れた者への形式的な労いの言葉を述べることもなく自分の名を名乗ることもせず、私を上から下まで無遠慮に値踏みした後、すぐさま背中を向けて歩き出した。
村長に蔑ろにされた私を見て、村人達は「ははっ!」と聞こえる声で嘲笑った。
「………」
私は早々に心が折れそうになるのを堪えながら、背筋を伸ばして大きく息を吸い込んだ。
「ゼノ村長、お久しぶりでございます!」
「!!」
名前を呼ばれたゼノ村長は、一瞬驚いた顔でこちらを振り返った。
クリスティアは丁寧にカーテシーをした。
「元マリヌス公爵令嬢のクリスティアです。お会いするのは二度目ですね。かつて聖女であらせられたエヴァ様と一緒に…あ!」
クリスティアの挨拶を無視して、村長は再び前を向いて歩き出した。
村長に付き従う村人達は、慌てて後を追うクリスティアを振り返りながら、ははは!とまた意地の悪い笑い声を上げた。
クリスティアの心中を察する者など、一人もいなかった。
◇◇◇
黙って歩いていた村長が突然立ち止まったので、辺りを見回すと、そこには広大な畑が広がっていた。
「これは…酷い……」
思わず声が漏れ出てしまうほどの光景が目の前に広がっていた。
作物のほとんどが病害中に荒らされているか枯れているかで、まともに育っているものがほとんどなかった。
更に酷いのが、目の前を覆い尽くす程の黒いもやが村全体を覆っていることだった。
コンタンディオス帝国の視察で訪れた村の数倍は濃いもやだった。
私はこの状況に困惑した。
すると
「酷いだって…!?畑仕事なんかしたことない世間知らずが、偉そうな口聞くんじゃねーよ!!」
「そうだそうだ!!まともに土も触ったことないくせして!お前に何が分かるんだ!!」
自分達の仕事ぶりを批判されたと勘違いした村人達が、口々に私を非難し始めた。
「違うんです!決してあなた方のことを責めたわけではありません!どうか私の話を聞いてください!!」
「うるせぇっ!!」
誰かが砂をかけると、それを皮切りに皆んなが次々に砂や石を投げつけた。
「痛っ!や、やめてくださいっ!!」
「そんな使用人みたいな服なんかで来やがって!!俺達を馬鹿にしてるのか!!」
「そんなつもりは……!!」
「質素な服でも着てりゃ、贅沢三昧な自分を隠せると思ったんだろうが、甘いんだよ!!こっちは全部知ってんだ!!」
「!!」
「俺達の苦しみをお前も味わえ!!」
◇◇◇
「げほっ!げほっ!!」
村人達が去った後、クリスティアは全身砂まみれの状態で一人畑に取り残された。
護衛騎士のライアンは宮廷からの使者として、村長に手厚い接待を受けながら館へ連れていかれた。
畑にはクリスティア一人となった。
口に入った砂を吐き出しながら、畑の上でうずくまった。
「どうして……!」
「どうしてぇ……っ!!」
人々の憎悪が心の中に流れ込んできて胸が苦しくなり、目の前の視界がぼやけた。
私は悲しみを堪えきれなくなり、誰もいなくなった畑で一人、声を上げて泣いた。
◇◇◇
どれくらいの時間が経っただろうか……
泣くだけ泣いて心がどん底にまで落ちたら、あとは立ち上がるだけだった。
そろそろ視察の続きをしなければと身体を起こしたところで、何者かに後ろから声をかけられた。
「あの…大丈夫ですか……?」
「!?」
振り返ると、一人の青年が立っていた。
「俺、ロイって言います。みんな酷いことしますよね……よかったら、今から俺の家に来ませんか?」
「え……?」
私は急いで涙を拭くと、ロイと名乗る青年を見上げた。
「安心してください、家には俺しか住んでないんで」
彼はとびきり整った顔で妖艶に笑った。
「さあ、こちらへ……」
彼はクリスティアの返事を待たずに、彼女の手を取ろうとしたが、彼女はその手を引っ込めた。
「ありがとう……でもお気持ちだけ頂いておくわ」
「!?」
予想外に断りを入れてきたクリスティアにロイは酷く驚いた。
「え、なんで!?俺の顔が気に入らなかったってこと……!?」
思わず本音が口をついて出た。
「顔……?だって一人暮らしの男性の家に一人で訪れるのは良くないことだわ。それに、さっきのを見たでしょう?私をかくまったりしたら、あなたまで何をされるか分からないわ……」
「!!?」
ロイは困惑顔になった。
「それに、こんなに砂だらけでは、お家を汚してしまうし……」
そう言って悲しそうに笑った。
「……!!?」
ロイは益々困惑した。
(おかしい……)
(聞いてた話と違うぞ……!?)
確か噂では、若い男と聞けば、身分関係なく誰にでも手を出す好色家だという話だったのに……
(それともまだ猫をかぶっているのか……!?)
事の真偽を確かめるべく、ロイは尚のこと食い下がって、クリスティアの前で土下座をした。
「!!?」
「お願いします!!このところ、部屋に黒い禍々しいオーラが部屋中に充満していて、怖くて寝られないんです!!どうか俺の家を浄化してもらえませんか!?」
「黒いオーラ……!そうなのね、分かったわ!」
黒いオーラと聞いて、途端に態度を変えたクリスティアは、今度は打って変わって積極的に家に案内するように言ってきた。
(なんだ、それらしい建前が欲しかっただけか……)
ロイはそう思いながらも、内心がっかりしたようなホッとしたような気持ちで、家まで案内した。
◇◇◇
「こちらです」
ロイは扉を開けてクリスティアを家に招き入れた。
クリスティアは玄関の近くで家の中を注意深く見回した。
「ふふ、ようやく二人きりになれましたね……」
ロイが間髪入れずにクリスティアに近付いて距離を詰めるも、クリスティアはロイなど眼中にないかのようにある方向を見つめていた。
「あちらの方々は……?」
「?」
ロイが同じ方向を振り返った。
「ああ、両親の写真ですよ。去年亡くなってしまいましたがね……」
「そうだったの……まだお二人とも若いのに、さぞかし辛かったでしょうね……」
「辛かった!?はっ!よく言うぜ!!」
ロイがピクリと反応した。
「あんたら貴族が、俺らから徴収した税で贅沢三昧している間、俺の両親はまともな食事も食べられず、行ける病院も金もなくて、ただ目の前の死を待つしかなかったんだ!!そんな生活、温室育ちのあんたには想像もつかないだろう!!」
ロイは、自分ではどうにもできなかった不甲斐なさや怒りを全てクリスティアにぶつけた。
クリスティアは俯いたまま無言で青ざめていた。
「……はっ!これくらいで震え上がりやがって!これだからお花畑で生きてる貴族は嫌いなんだよ!!」
ロイは馬鹿馬鹿しくなって、クリスティアから離れて背を向けた。
予定とは違うが、こんな辛気臭い顔をした奴をずっと家の中に置いておくのは嫌だった。
この後何と言って追い出そうか考えていると、後ろから「ごめんなさい……」と言う、か細い声が聞こえてきた。
「……は?」
呆れ顔でロイが振り向くと、彼女は大粒の涙を流していた。
(なんだこの女……?)
「ごめんなさい……」
悪女と呼ばれた女は再び謝った。
「私にもできることがあったかもしれないのに……!たとえ本物の聖女じゃなくても、もっと早くこの村に来られていたら……!政務の補佐しかできなくても、政務に携わる者に口添えすることはできたかもしれなかったのに……!来るのが遅くなってしまって、本当に本当にごめんなさい……!」
先程畑で泣いていた時よりも悲痛な表情で、強い後悔の念が伝わってきて、ロイは言葉に詰まった。
(今まで誰かに共感されたことも、両親のことを謝られたこともなかった……)
(言葉に表せない感情が込み上げてきて、胸が熱くなった……)
もう何の怒りもわいてこなかった……
「せめて祈らせてください……」
そう言って、クリスティアは胸の前で両手を組んだ。
「で、でも、あんたは聖女じゃないんだろ!?浄化なんてできねーじゃねーか!」
「その通りです。私には何の力もありませんが、せめて祈らせてほしいんです。祈ることだけは、全ての人に許された行為ですから……」
そう言いった彼女は、涙を流しながら両手を胸の前で組み、目を瞑った。
彼女が何かを呟き始めると、次第にどこからか軽やかな風が吹き始め、その風が胸の中を吹き抜けていくような感覚を感じた。
その風が全ての悪いものを一緒にどこかへ吹き去っていくように、彼女が祈りを終える頃には身体も軽くなり、心は清々しい気分になっていた。
「………!?」
「ありがとうございます……」
驚いた顔でクリスティアを見ると、クリスティアは赤くなった目で弱々しく微笑んだ。
「!!」
思わずロイの心臓が跳ねた。
もう心のどこにも彼女を疑う気持ちはなくなっていた。
「先程のご無礼を、お許しください……!!」
ロイは勢いよく頭を下げた。
「……えっ?」
「私はあなた様のことを誤解していました!!偏見の目で見ていた自分をお許しください!!あなたこそが本物の聖女様です!!」
そう言って深く頭を下げた。
「え、いいえ!私は本物の聖女なんかではないわ!!そんなことを迂闊に言ってはダメよ……!!」
私は青くなって彼の言葉を止めた。
「す、すみません!!ですがたった今、私はあなた様が本物の聖女様であると確信しました!その気持ちを偽ることなどできません!!」
「そんな……っ!」
「あなたは間違いなく聖女様です!そんなあなたが、どうして偽聖女などと呼ばれているのでしょうか……!?」
クリスティアはその質問に、途端に暗い表情になって俯いた。
「偽物であることに、これ以上どんな証明が必要なのかしら……?」
「あ、いや!違うんです!!今のはあなたを責めたのではなくて!あなたこそがまさしく本物の聖女様なのにどうしてなのかと言う意味で……!!」
「え……?」
クリスティアは益々困惑した表情を見せた。
ロイも喋りながら、突然白々しいくらい調子の良いことを言っている自分を殴ってやりたい気持ちになった。
女性を口説く時だって、こんな情けない姿を見せたことはなかった。
……まあこの村では、自分から口説くようなこともほとんどなかったのだが。
それでも、自分がそんなみじめな思いをしてでも彼女に素直な気持ちを伝えたいと思った。
「どうか、あなたのことを聖女様と呼ばせて頂けませんか……?」
ロイは懇願するように跪き、クリスティアの顔を仰ぎ見た。
「ありがとうロイ。そう言ってくれてとても嬉しいわ……」
「じゃあ……!」
「でも、それは許可できないわ。あなたもこの国での私の評判は知っているでしょう?下手なことを言えば、あなたがどんな目に遭うか分からないし、私もそれを望んでいない。だから……」
澄んだ湖の底のようなサファイアブルーの瞳が悲しげに揺れていた。
彼女は人から伝え聞いた話とはまるで違う人物だった。
人から何を言われても怒って騒ぎ立てることもなく、無礼なことを言う俺のような者相手にも冷静に対応する忍耐力。そして分け隔てなく人を思いやる慈悲深さを持ち合わせいる。
彼女の顔は、今や涙と砂でぐちゃぐちゃに汚れていたが、そんな姿すら孤高で闘う高潔な女神のように見えた。
彼女は、これまでもこのような理不尽な扱いを受けてきたのだろうか……?
きっとそうなのだろう……
でなければ、あんなすべてを諦めたような悲しい表情はできない。
今流れている悪評はおそらく故意に流されているものなのだろう。
となると、彼女は王族の者達に疎まれているということだ。
(彼女に安らげる場所はあるのだろうか……?)
ロイは自分のことのように胸が締め付けられ、クリスティアを見た。
「どうして……あなた様にばかりこのような辛い試練が起こるのでしょうか……?」
「私だけが辛いばかりではないけれど……私も考えてしまうことがあるわ……」
クリスティアがまた困ったように微笑んだ。
「でもね、私最近、前聖女のエヴァ様が仰っていたことを思い出したの」
「?」
「人は自分自身を成長させるため、生まれてくる前に自分で人生の試練を計画してくるそうよ」
「つまり、この試練も自分で計画したものだから、生まれる前の私は、きっとこの試練を乗り越えられると思って用意したのだと思うの。だから私もできる限りもがいてみようと思って。死ぬのはその後でも遅くはないから」
「!!」
ロイはそれを聞いてドキリとした。
彼女は死と向き合うほど深い闇の底まで落ちたのだ。
一見なんて事のないように言っていたが、死を考えるほどの状況が辛くないはずはない。
先程、畑でうずくまって一人泣いていた彼女の姿を思い出し、今さらながらに胸が苦しくなった。
「この試練を無事に乗り越えた暁には、あなたは大きな幸せを手に入れることができるのでしょうね……」
ロイはなぜか自分が泣きそうになるのを堪えながら言った。
「ええ、きっとそうだと信じているわ……」
彼女はまた汚れた顔で美しく笑った。
◇◇◇
護衛騎士のライアンは落ち着かなかった。
「私はミハイル王子より、彼女の監視を命じられているので、彼女の元に行かねばなりません!」
「いや、まあそう言わずに!!」
先程から何度もこの問答を繰り返して、村人達に四方から拘束され、護衛騎士には見合わない待遇を受けていた。
どうやら彼らはライアンを通じて、村に融通をきかせてもらおうと考えているようだった。
ライアンはため息を吐いた。
もう19時になる。
村長が夕食を届けがてら、村人に彼女の様子を見に行かせたところ、クリスティアは今夜は馬車で寝ると話していたという。
それを聞いた村人達は喜んでいたが、ライアンの気持ちは晴れなかった。
(ーー彼女は本当に噂通りの悪女なのだろうか?)
そんな疑問が浮かんだのは、移動する一日目の馬車の中でだった。
護衛は自分一人。
質素な服を身にまとい、使用人が使う古びた馬車で、ロクな準備もないまま馬車に乗せられた。
それにもかかわらず、彼女は一言も文句を言わず、終始無言で馬車に揺られていた。最初は不遇な状況に腹を立て、ヘソを曲げているのかと思ったが、特に機嫌が悪い様子もなく、時々窓から見える町や村の様子を感慨深げに見たりしていた。
夜も宿をとらないことに文句を言うこともなく馬車の中でおとなしく野宿し、しまいにはタオルケットを手渡す自分に「ありがとう」とお礼を言ってくる始末だった。
目の前の彼女は、毎日のように新聞で取り沙汰されている悪女クリスティアとはかけ離れている存在だった。
だとしたら目の前の彼女は一体何者なのか……?
そんな疑問が彼の頭の中をずっと駆け巡っていた。
◇◇◇
ーー夜20時。
クリスティアは馬車の階段に座り、星を眺めていた。
「綺麗……」
王都よりも明かりが少ないので、ここからは星がよく見えた。
あの後、馬車で寝ると知ったロイが様子を見に来てくれ、村人が夕食に固くなったパンを1切れしか持ってこなかったのを怒ると、家からありったけの食べ物を持ってきてくれた。
更には自分が馬車で寝るから、どうか自分の家のベッドで休んでほしいと懇願してきたが、それは丁重にお断りした。
しかし全身砂だらけだったこともあり、好意に甘えて水浴びだけはさせてもらった。
長旅で3日ぶりに身体を清めることができ、心も身体も清々しい気持ちになった。
なにより、ロイというよき理解者を得られたことが心の救いとなった。
「今日も身体が元気に動いてくれてありがとう……素敵な人と出会わせてくれてありがとう……優しくしてくれてありがとう……今日もたくさんの幸せをありがとうございます……」
クリスティアは幸せなことだけを思い返し、今日という日に感謝しながら馬車の中で眠りについた。




