第15話「聖女イザベルとミハイル王子の主張」
「サインは、しません!」
契約書を前に、私はミハイル王子に断言した。
「なんだと……!?」
ミハイル王子は額に青筋を浮かべ、今にも私に殴りかからん勢いで睨み付けてきた。
「私は人に恥じるような生き方はしておりません。それは両親も同じです。もうやめてください!」
「やめろだと……!?」
「あなたは、イザベラ嬢と出会い、恋に落ちたことで、婚約者だった私の存在が邪魔になったのですよね?それでどうにか排除する方法を考えたけれど、王族としての行うべき執務はやりたくないから、私を愛人という形で手元に置き、王族の責務を押し付けようとした……違いますか?」
私は彼を真っ直ぐに見据えて言った。
「な……っ!!」
ミハイル王子は明らかに動揺した様子で、しばらく言葉を失っていた。
「だ、だから、どうした!?」
(……“だから、どうした”……!?)
私はその言葉の意味がすぐに理解できずに頭の中で反芻した。
「本当の聖女はイザベラだったのだ。お前が今まで皆を騙していたことに変わりはない!!」
「!!」
その言葉が胸に刺さり、今度は私が何も言い返せなくなってしまった。
そうだ……
私は選ばれなかった女なのだ……
ミハイル王子にも……
聖女としても……
聖女として、人々に期待されながら生きてきておいて、実際蓋を開けてみれば、何の役にも立たない存在だったのだ……
私はその場に立ち尽くし、俯いた。
それを見たミハイル王子は、口の端を上げて嘲笑った。
「はっ!平民どもは今頃さそがし呆れているだろうな!前聖女について回ってでかい顔をしていた女が、実はただの勘違い女だったのだからな!!」
「………っ!」
私は今日ここに来るまでに見た村や町の人々が一様に冷たい視線を向けてきていたのを思い出し、返す言葉がなかった。
「この国の人間達を欺いた罪はそんなに軽いのか?両親が爵位を奪われても仕方がないだろう?出来の悪い娘をちゃんと教育できなかった罰だ!そうだろ、イザベラ?」
そう言ってミハイル王子が甘い表情でイザベラの肩を抱いた。
「ええ、すべてミハイルの言う通りよ!」
「……しかし……っ!」
私は振り乱れる心を必死に落ち着かせながら、それでも両親を助けるための解決策がないか必死に頭を搾った。
「ところで、クリスティアさんの着ている赤いドレス、宝石がいっぱい付いていて高そうで、デザインも生地もこの国では見たことがないのだけれど、もしかしてあちらの帝国で作ったのかしら?」
突然、イザベラがドレスの話題を振ってきて、グルグルと働かせていた思考がストップする。
(なぜ今ここでドレスの話題を……!?)
頭が混乱しつつも平静を装って答える。
「ええ、コンタンディオス大帝国の陛下に作っていただきました」
「ええ!?あのアレクシオス様に!?」
ぽっと顔を赤らめて、途端に華やいだ声を発するイザベラ。
親しい関係ならまだしも、他国の王を人前で名前で呼ぶなど、絶対にあってはならない行為だ。
私は、イザベラのあまりの教養のなさに愕然とした……
しかし、ミハイル王子もそれを咎める様子はなかった。
「ねぇ、クリスティアさん、よかったらそのドレス、私にくださらない?」
突然イザベラが思いもよらないことを言い出した。
「なんですって……!?」
「だってぇ、今は私がマリヌス公爵令嬢で、あなたはただの平民なんでしょ?平民がそんな宝石をたくさん付けたドレスを身に付けてるなんて相応しくないわよね?勿体無いから私が着てあげるわ!」
そう言って、可愛げのある表情でニコッと笑った。
私は全身から血の気が引いていくような感覚を覚えた。
「……このドレスは、他国の王様から直々に賜ったものです。そのような物を易々と人に渡すことなどできません……」
私は目眩を堪えながら、それでも極力分かりやすくイザベラへ伝えた。
しかし、イザベラにはそれが上手く伝わらなかったようだ。
「ミハイルぅ〜!!クリスティアさんがあのドレスを独り占めしようとしてるわ!!本当は公爵令嬢である私がもらうべきドレスなのに!!」
などと、よく分からない理屈でミハイルに訴えた。
「クリスティア、貴様……っ!!」
ミハイル王子はイザベラを咎めるどころか、私を睨み付けてきた。
「身の程知らずとはこのことだな!今すぐそのドレスをイザベラに寄越せ!!」
「そんな!!どうしてそうなるのですか……!?」
外交の面からも相手への礼儀の面からも、その要求はおかしかった。
私は首を横に振った。
「殿下のお願いであっても、他国の王に無礼を働くような真似はできません!それに、私はこのドレス以外のドレスは持っておりません!」
来る時に着ていたメイドの服は、帝国へ戻る馬車の中へ置いてきてしまった。
「そんなに俺の言うことを聞くのが嫌なのか!?お前はいつもそうやって私を馬鹿にするのだな!!俺の命令に従えないのなら、牢獄にいるお前の両親の首を今すぐ刎ねてやってもいいんだぞ!?」
「っ!!」
「クリスティアさん、ドレスが欲しいのなら、私の持っているドレスを分けてあげるわ。だからどうかそんなわがままを言わないでちょうだい。ご両親を助けたいんでしょう……?」
まるで私が駄々をこねてドレスを渡したくないと言っているような言い方だった。
そうなのだろうか……?
部屋中に広がるむせかえるようなアルコールのにおいと、支離滅裂な相手の言動に、必死に働かせる思考がかき乱される。
「とにかく、お前はこの契約書にサインさえすればいいのだ!!両親と生きて再び会いたいのであればな!!」
「待ってください……ですからそれは……」
「まだ言うか!!」
「酷いわ!クリスティアさん!!聖女と呼ばれていたからどんなに優しい人なのかと思ったら、まさかそんなケチな人だとは思わなかったわ!!」
「ですから、それは……っ!」
「………っ!」
「……!!」
「……」
ーー4時間後。
私は騎士に連れられ、よろよろと長い廊下を歩いていた。
あれから約4時間、ミハイル王子とイザベラの説得は続き、なんとか打開策を提案するも、要求が受け入れられることはなく、遂には両親の命を人質に、契約書にサインをさせられることになってしまった……
おまけにアレクシオスからプレゼントされたドレスも奪われてしまい、代わりにイザベラがどこかの男爵にプレゼントされて気に入らなかった地味なドレスに、強引に着替えさせられた。
「………」
監禁される部屋までの足取りは、コンタンディオス大帝国で足枷をはめられていた時とは比べものにならないほど重く、まるで体に鉛が詰まっているかのようだった……
案内された先は、使用人が使う屋根裏部屋の狭い一室だった。
中へ入ると、夏の熱気が部屋中にむわっと広がっていた。狭い部屋の中には、使用人用の簡素なベッドと簡易テーブルと椅子が一組置かれているだけだった。
「………」
私は長旅の疲れと、先程のミハイル王子達とのやり取りによる絶望感で、朦朧とした状態で椅子に座った。
「………」
しかし、案内してくれた騎士がなかなか部屋を出て行かず、遂には周囲を気にしながらドアを閉めたので、警戒してすぐに立ち上がった。
「違うんです!あなたに危害を加えるつもりはございません!どうかご無礼をお許しください!」
その騎士は慌ててそう言うと、突然私の前に跪いた。
「!!」
「先程は、あなたをお守りすることができず、誠に申し訳ありませんでした……!!」
彼は絞り出すような声で言った。
「どういうこと……?」
私はまだ彼の言っている意図が分からずに聞き返した。
「あの二人の理不尽な暴挙を前に、ただ自分は傍観することしかできませんでした……!」
ミハイル王子と聖女イザベラを、騎士である彼が“あの二人”と呼ぶことから、彼らをどう思っているかが伝わってきた。
「あまつさえ、最後はあのような酷い契約書まで書かされる姿を私はただ見ていることしか出来ず……!本当に…本当に申し訳ございません……っ!!」
彼の苦しげな様子から、それが本心であることが伝わってきた。しおれかけていた私の胸の中に温かいものが流れ込んできて、じんわりと穏やかな気持ちになった。
「いいえ。あなたはあなたの仕事を忠実に全うしただけですから、どうかご自分を責めないでください。それより、どうして私にそのような優しい言葉をかけてくださるのですか……?」
私は率直に尋ねた。
「私はあなたが本物の聖女様だと思うからです……!」
「!?」
「イザベラ嬢は……聖女などではありません!!」
「まあ、なんてことを……!!」
ドアが閉まっていたとはいえ、万が一誰かに聞かれでもしたら、あの二人のことだ、ただでは済まないだろう……
私は顔を青くした。
私は彼の前にしゃがみ込み、声をひそめて話した。
「そのようなこと、思っていても口にしてはいけませんよ……!!」
「ですが!!」
彼が尚も声を荒げて話すので、私は咄嗟に彼の口を手で塞いだ。
「!!」
彼の目が見開かれ、顔がみるみる真っ赤になるのが見えた。
「はしたない真似をしてしまってごめんなさい……でも、これはあなたの命に関わることだから……」
彼がハッとした後、次第に表情が落ち着いてきたのを確認して、ゆっくりと手を外す。
「こちらこそ……あなた様を危険に巻き込むような発言をしてしまい、申し訳ありませんでした……!」
今度は声を顰めながら静かに頭を下げた。
「いいえ、私のことはいいのよ。あなたは優しいのね……」
私は再び胸の内が温かくなり、感謝の気持ちを込めて微笑んだ。
「そんな!!とんでもないです!!」
彼はまた顔を赤くして頭を下げた。
金髪のやわらかな髪が優しくふわっと揺れる。
そうかと思えば、今度は急に何かを決意したかのように顔を上げ、真顔でこちらを見つめた。
青い瞳は澄み切った空のようで、まるで彼の心根を映し出しているかのように綺麗だった。
「今後は、あなた様の護衛を私に行わせていただくことを、お許し願えないでしょうか……?」
「ええ、それはもちろん構わないけど……あなたは恐らくイザベラの護衛騎士なのでしょう?きっと彼女が許すわけないわ……」
私は、見慣れない騎士服に身を包む彼を見た。
白を基調として、水色の差し色と金色のボタンや装飾が付いた華美な衣装は、恐らく彼女が自分の近衛兵のためにわざわざ用意した物だろうと推測した。
「おっしゃる通りです!!さすが本物の聖女様は聡明でいらっしゃる!!」
「だから、その呼び名はやめてちょうだいって……!!」
「は、はい!」
小声で勢い任せに喋ったので、思わず顔が近付き、彼も勢いに押されたように返事をした。
「はしたない真似をしてごめんなさい……私のことは、これからクリスティアと呼んでちょうだい」
「はい、クリスティア様!私は元第一近衛騎士団所属で、現在はイザベラ嬢の親衛隊を務めているリオルと申します。以後お見知りおきください!」
そう言って彼は跪いたまま、胸に手を当てて、丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうリオル。あなたの存在が今の私にはとても心強いわ」
「いえ!勿体ないお言葉でございます!!」
そう言って、やや日に焼けたきれいな肌を少し赤らめ、まだ少年のあどけなさを残す20代前半位の美青年は、勢いよく一礼した。
私は思いがけずできた味方に安堵し、彼を部屋から帰した後は一気に気が抜けて、すぐにベッドに倒れ込んだ。
眠りながら、ぼんやりとアレクシオスのことを思い出した。
いろいろあったけど、最後は私の気持ちを尊重して、わざと逃してくれた優しいアレクシオス……
落ち着いたら帝国に戻ろうと思っていたが、契約書にサインをした私はもうこの国から出られなくなってしまった……
貴族令嬢としての身分を失い、罪人として監禁される立場となった私は、もう彼へ迂闊に手紙を出すことも出来なくなってしまった……
もう会うことも叶わないかもしれない……
「最後に……彼に直接お礼を言いたかったな……」
そう呟きながら、私は深い眠りへと落ちていった……
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