コロナですべてを失った愚かな男
コロナに感染するのは仕方がない部分もあると思いますが、なるべく自粛すべきところはしていかないといけません。感染したら不幸では済まないかもしれません。
❇ このお話はフィクションです。
「大丈夫だって──俺、若いから」
彼はそう携帯に向かって明るく話す。
コロナウィルスが広がる中、彼は以前と変わらず仲間と出かけたり、食事に行ったりをつづけていた。
「はぁ? なんでコロナに怯えて自粛しなきゃならんの?」
彼はそう言って、外出自粛を要請などをまったく無視しつづけてきた。そのツケが回ってきたのだ。
「じっさいさ、ぜんぜん異常ないから。コロナにかかったなんていっても無症状だし、ヘーキヘーキ」
保健所の職員が来て、いつどこで感染したかなどをこと細かに知りたがっていたが、彼にはどこで感染したかなどわかるはずがない。
「いや──わかんないっすね。だってコロナって見えないっしょ」
こう言った彼を保健所の職員は、まるで生ゴミを見るような目で見たが、彼は気づかなかった。
彼は大学を休学した。
もともと授業もろくに出ず、サークル仲間と飲みに行ったり、女の尻を追いかけ回すだけの目的で大学に通っているようなものだったので、学校に行けなくなっても彼にとっては、たいした問題ではなかったが、友達と会えなくなったり、気軽に遊びに行けなくなったのが苦痛になった。
「なんでコンビニにも行けないんだよ。マスクするし、かまわねーだろ」
彼はそう考えて近くのコンビニまで足を運んだ。
そこを近所の人に写真を撮られ「コロナに感染し、自宅待機を命じられた人がコンビニに出かけています」とツイッ○ーでさらされた。
うかつな彼はツイッ○ーに「コロナに感染して自宅待機中」と書き込んでいた。それを見た近所の人が警戒していたのだ。
「あの大学生がコロナに感染して、おとなしく自宅待機に応じるわけがない」
そんなふうに近所に住む人々から思われていた。
彼の普段の生活態度──ゴミ出しや、生活音、挨拶のいい加減な感じ──などから、多くの人に嫌われていたらしい。
さらされた彼は自身のツイッ○ーに多くの抗議が殺到し、炎上してツイッ○ーを停止するはめになる。
「ふざっけんな! どこのバカだ! 写真をさらしやがって!」
怒り狂った彼に、今度は別の悲劇が。
そのツイッ○ーを見た仲間からも「いい加減にしろ」とか「付き合いきれない」などと言われて、関係を断ち切られてしまった。
彼の怒りが最高潮に達したときに彼は倒れた。意識を失って床に仰向けの状態で倒れ込んだまま動けなくなってしまう。
幸運だったのは、ちょうどそのときに保健所の職員が彼の元に電話をかけ、電話に出ないのを不審に思った職員が様子を見に来たことだ。
彼は即、重篤患者としてコロナ専門病棟に入院の手はずとなった。
* * *
どうしたことか彼は一命を取り留めた。
仲間たちからも見放され、家族からも「情けない」と言われていた彼だが、命だけは手放さずにすんだ。
だが、彼の苦難はそこからだった。
病院で目覚めた彼は、毎日のように頭痛や吐き気、倦怠感に襲われ、匂いも感じなくなり、退院したあともその後遺症がつづいていた。
後遺症専門外来に通うことになった彼、すっかり憔悴していたが、医者に向かって勢いよく吠えている。
「なんで原因がわからねぇんだよ! あんた医者だろ!」
嗅覚障害のせいで食べ物の匂いがわからないのは、彼が感染する前に考えていたよりも──ずっと苦痛なものだった。匂いがわからないせいで、なにを食べても「おいしい」と感じないのだ。
そうしたイライラが彼を以前よりも攻撃的にさせていた。
「あのね君」
医者はかなりいらついた感じで言う。
「コロナは未知のウィルスで、その後遺症についても不明なことが多いなんて、ニュースを見ていれば知ってることだよね? 大学生にもなって、そんなことも知らないで生活していたの?」
医者ははっきりと侮蔑を含んだ言い方をする。
「だいたい、コロナに感染して自宅待機を言い渡されているのに、ほいほいコンビニに出かけるなんて自覚がなさすぎる」
医者は彼がさらされたツイッ○ーを見ていたのだ。
もう帰れ、と言わんばかりに病院からも追い出される。
彼のイライラはとっくに頂点を迎えていた。
「くそっ! なんなんだよ、あの医者の態度! むかつくぜ!」
道ばたに落ちていた紙くずを蹴って、横の道から出て来た大柄な男のズボンにそれを当てた。
「おい」
黒いマスクをつけた大柄な男は、剃りあげた頭に青筋を立てて彼に近づいて来る。
彼は棒立ちになったまま、謝罪を口にする間もなく顔面を殴打され、そのまま意識を失った。
* * *
気づけば総合病院に運ばれていた。
大きな病院の中は大忙しで、看護師たちはみなピリピリした空気を出して動き回っている。
彼が目覚めたのを知ると看護師は医者を呼び彼の診察を求めた。
「──軽い脳震盪だろう。見てのとおりコロナ禍で病室のベッドは空きがない状態だ。すぐに出て行ってくれるとありがたい」
医者はにべもなく言い、看護師が無情な宣告をする。
「料金は○万円になります」
彼は思わず「はぁ⁉」と声をあげた。殴られて気を失わされた挙げ句、ベッドの利用料で金まで取られるのか、と大声で文句を言う。
「あのねぇ……ここは病院。使用した物にはいろいろと経費がかかるの。殴られたことは私たちのせいじゃないし、そんなことを言われても困る」
彼はあまりに頭にきすぎて、看護師を殴ってやろうかと思ったが、なんとか踏みとどまった。頭がひどく痛み出したせいかもしれない。
「財布……あれ? 財布がないぞ!」
病院に運ばれてきたときには財布は持っていませんでしたよ、と看護師が言う。殴った奴が財布を抜いていったのだ。
彼はがっくりと肩を落とし、病院から出て行く。──あとで金を払う約束をさせられて。
* * *
金もなく、友人もいなくなった彼。
家に帰ると痛む頭をかかえながら、倒れ込んだときにできた傷を見る。
「シャワー浴びるか」
傷口がしみるかと思ったが、痛みは感じなかった。それよりも頭痛がひどくなっていた。
髪を洗っていると、指先に違和感を覚えて手のひらを見る。
「な、なんじゃこりゃぁ!」
髪がごっそりと抜けていたのだ。
指の間から手のひらに茶色く染めた髪が、べっとりと付いている。
異常な髪の抜け方におどろいた彼は、風呂から出るとスマホで検索をはじめる。「抜け毛」「コロナ」などで検索をかけると、後遺症で髪が抜けることがあると書かれた記事がいくつも出てきた。
「まじかよ! うそだろ!」
彼はいままで「ハゲるくらいなら死んだ方がマシだ」とのたまうほど、ハゲをバカにしながら生きてきた。
むしろハゲてる奴に人権はない、くらいに吹聴してきたのだ。
その彼が髪を失おうとしている……
彼にはあざ笑う友人たちの声が聞こえた気がした。
「あいつ、コロナに感染したのにほっつき歩いて、コロナを蔓延させやがって」
「しかもあいつ後遺症でハゲてきてね? いままでハゲをバカにしてきたくせに、よく大学に顔を出せるな」
そんな言葉が確かに聞こえた。
「ち、ちがう……俺のせいじゃねぇ! 蔓延させたのは俺じゃないんだ!」
頭痛がひどくなる。
頭を強く押さえると少しだけ痛みが引いた。
その代わり、髪がごっそりと抜け落ちた。
「いやだ……いやだぁ!」
彼は泣き叫ぶ。
暗い部屋の中で孤独に。
あざ笑う声がしだいに大きくなる。
彼は頭痛に耐えかねて、キッチンで暴れ回った。包丁を投げつけて壁を壊し、まな板でそこら中にある物を殴りつける。幻聴に悩まされながら。
「うるせぇ、……うるせぇっ!」
痛い、痛い、痛い……
彼は泣きながらその場にうずくまる。
彼はそのまましばらく動かなかったが、疲れて少し眠っていたらしい。
床に顔をこすりつけ目を覚ましたのは、テーブルからライターが落ちた音がしたからだ。
「あぁ……タバコ吸おう」
匂いも感じないからうまくもなんともないが、彼はいつものようにライターを握りしめて火をつけた。
アパートから爆発が起こった。
一人暮しをしていた大学生の部屋からだ。
どうやらガスの元栓が壊れていたらしい。
消防士がそんな話をしていた。
周囲に住んでいた主婦や老人たちが遠巻きに、吹き飛び、焦げたアパートの2階を見上げている。
コロナに感染してもなおうろついていた大学生の死は、おどろくほど周囲の人間を安堵させていた。
「ああ、これで感染源が1つなくなった」
感想や評価をもらえると嬉しいです。
決してコロナ罹患者を差別したりしてはいけませんよ。
個人的には最後の「感染源が1つなくなった」という言葉がもっとも理不尽だと思ってます。
そもそも感染して二週間以上を過ぎれば、他人に感染することはなくなるはずですから。