75話:狂気との遭遇04
「……マジかよ……オヤジ殿に並ぶ神性のバケモノだと」
それはまだ僅かな気配だけだ。
だがその気配だけでも発せられる圧倒的な神圧が、《天獄》の闇を侵しはじめる。
「やはりこれは神圧!!」
かつて神託の儀式で感じた神圧と同等とも言って良いくらいの圧を感じる。
「……異界の邪神の神性……」
喰らわれたバンシィの闇の一部がおぞましいナニカに変化していく。
それは《魔》より堕ちし《黒》
堕ちし《黒》は、ソレイナ達三人に牙を剝いたケモノの様に向かって来る。
『――――――――!!』
バンシィの聖歌が響くと、《闇》が《黒》の侵攻を止めるが
……
ソレイナには理解出来てしまった。
《闇》が僅かではあるが、《黒》へと染まる瞬間を
「させませんわ!!」
ソレイナは精霊の弓に《魔弾》を番え《黒》へと染まった闇の一部を射る。
光の軌跡は《黒》と化した《闇》の一部を元に戻した。
「援護しますわ!」
精霊の弓の《魔弾》が有効だと確信したソレイナは次々と《闇》を侵食しょうとする《黒》射るが、一本の矢では、広範囲に変化する《黒》を全て射ることが出来ない。
(これでは焼け石に水ですわ。どうすれば……)
《魔弾》を射た箇所の《黒》化は、再び直ぐには浸食されないが、手が回らなくなった箇所は再度の浸食が起こる。
(くっ! これではキリが……せめて再度の浸食を止めれれば)
「……浸食!?」
《浸食》の単語で一瞬の閃きを得るソレイナだったが
(悩んでいる暇はありませんわ!)
ソレイナは自分の考えを実行する為、精霊の弓からでなく自身の背後に魔術を展開する。
「……魔弾よ……嵐となれ!!」
使用した魔術は《鏡術複写》を施した数十発の《魔弾》だ。
モルゲンの時は牽制の役にくらいはたったが、あの《黒》相手には魔力を呑まれてかえって相手に利することになるだろう。
このまま撃てばの話だが
「全弾発射!」
ソレイナはチラリとヒトガタの魔導書を見るが、バンシィの《闇》を奪うことに普請し、ソレイナの攻撃を何の問題にもしていないのだろう。
(その余裕……ぶっ壊してやりますわ!!)
ソレイナはすかさず精霊の弓に《魔弾》を番え、先に放った《鏡術複写》を施した《魔弾》の中心の位置に放つ。
「炸裂!」
追従した矢となっていた《魔弾》は、《黒》に届く前に《鏡術福写》を行っていた《魔弾》の中で自壊する様に破裂する。
精霊の弓から使用する魔術は制御は難しいが、自身が放つ魔術ならこの程度のアレンジくらいなら可能だった。
(思った通りですわ)
ソレイナは先に放った《魔弾》の性質が変化することを感じる。
彼女が考えたのは、自身の魔力同士の干渉を利用したものだった。
術者が生み出した魔力は個性があり一人、一人違う性質のもので、他者の魔力と融合するなどということはない。
例外は《魔法陣形》で、他者の魔力を中心たる術者が《法則》で変換を行い、術者の魔力として発動するものではあるがそこまで大げさなものでもない。
ソレイナの狙いは精霊の弓で放った魔術が、自身の同種の魔術と干渉出来るかと言うことだった。
《鏡術複写》を施した《魔弾》に、《精霊の弓》の《矢》と化した《魔弾》の力を分散ではあるが、力を付与出来ると確信したソレイナは、魔導書が生み出し《黒》を次々と《闇》へと戻して行く。
支援の効果もあり《闇》と《黒》の空間の拮抗は完全にバンシィが優勢となった。
――――――――――***** ****** ***** !!!!
魔導書から声にならない怒りを込めた叫びが上がる。
その視線の先はソレイナだ。
(何を言っているかは解りませんが……いい顔ですわ。 ざまぁ!)
どうやら相手は感情の様なものがあると解ったソレイナは、相手の悔しそうな感情に溜飲が少し下った。
《黒》の力が弱まったことを好機と捉えたのか、クルラホーンが魔導書に対し突撃を駆ける。
だが、その攻撃は届かなかった。
それを阻止すべく二体の異形がクルラホーンの足を止めたからだ。
目玉の集合体から無数の火弾が放たれ魔導書に接敵しようとしたクルラホーンを引き離し、更にもう一体の異形の巨体は再び己を吹雪と変え、背後からクルラホーンに襲いかかろうとする。
「やらせませんわ!!」
その奇襲を防ぐべく、ソレイナは《火球》の魔術を吹雪と化した巨体に撃ち込む。
ダメージを受けている様には見えないが、ぬるま湯を叩き付けたくらいの効果はあったと信じたいソレイナであった。
「時間がねぇ!! そっちの雪野郎はお前が倒せ! 」
クルラホーンはそう言って自身は炎の目玉の集合体に向かって行くが、ソレイナにとっては無茶振りもいいところであった。
「ちょ!! これはいくら何でも!!」
しかし時間がないのはソレイナにも分かっていた。
《闇》と《黒》のせめぎ合いはソレイナの支援もあって今は一進一退の小康状態だが、魔導書の背後に現れた《異界の邪神の気配》がどう状況をひっくり返すか分からない。
更にバンシィの《闇》の支配が弱まれば、自分達は《神圧》に潰されるだろう。
雪華の死神と姿を変えた異形の巨体は、ソレイナを塵に変えんと向かって来る。
「……ええい!! 出たとこ勝負ですわ!!!!」
ソレイナは自身にいくつかの防御魔術を展開し、また精霊の弓の弦を鳴らし、十数発の《火球》を自身の周囲に展開させる。
だが《火球》を放つ前に、雪華の死神が振るう死がソレイナを飲み込むが……
(ビンゴ!!!)
「喰らいなさい!!!」
周囲に展開した《火球》がソレイナの一斉の合図で炸裂する。
《火球》は爆炎と化し、その威力は周囲を炎に包み込んだ。しかしそれはソレイナにとって自爆以外なにものでもない。
だが結果は……
雪華の死神は虚を突かれた攻撃に存在を歪ませ、ソレイナには火傷どころか凍傷の一つもなかった。
(効いている!)
「これならどう!!!」
自らの魔術が効いていると確信を得たソレイナは《精霊の弓》に《火球》の魔術を番え放つ。
狙いなどつける必要はない。
今の彼女には《火球》を矢に制御する実力が無いために、それは暴発というカタチで繰り出された。
《高位次元神体》に対する爆炎は、先の炎の目玉の火球に匹敵するかの威力で、これには雪華の死神もその存在を薄れさせた。
(ま、魔力が!!)
ソレイナは傷を魔力のダメージに転換させる《魔化転身》の魔術を使用して焼け死ぬのを耐えていたが、想定以上のダメージで、魔力の枯渇により薄れる意識と崩れようとする膝だが
「………人間を………私を………」
再び、精霊の弓から《火球》を暴発させる。
「なめんなぁぁぁ!!!!」
ソレイナは自らの残された魔力を《火球》に転換させ、周囲に纏わりつく雪華の死神を己ごと灼き尽くした。
「ぐぎょぅぅっっっっ!!!」
苦しいのだろう、苦悶に満ちた叫びが周囲に響く。
異形の巨体の姿が塵となるように薄れゆき消えていく。
(勝った!!!)
魔力をほとんど使い果たした為《魔化転身》から溢れたダメージがソレイナの体に無数の火傷が刻まれていた。
だがその火傷をものともせず、敵の消滅を確認したと同時に駆けるソレイナ
目標は異界の魔導書だった。
(戦える魔力はもうない! でも!!)
ソレイナは予め《収納》の魔術のストレージから取り出していた、一振りの短剣を抜き放つ。
かつて愛用していた《精銀》の細剣《デモンスレイヤー》は生首に消滅させられたので、威力はアレほどではないが、《魔銀》で出来た予備武器を使用する。
ソレイナは短剣に蓄えられていた魔力を解放すると、刃に蒼い輝きが灯る。
「直接叩き込めば!!」
予備とは言えソレイナが蓄えていた強い魔力剣はまさに《魔剣》に匹敵するもので、これなら通じると考えるが……
振るわれた魔力の刃が魔導書を斬り裂く瞬間、空間そのものに強い抵抗を感じソレイナは直感的に短剣を手放す。
空間そのものが、破砕器の様に短剣を粉々にすり潰したのだ。
もし手放す判断を誤ったら、握ってた手ごと潰されていただろう。
(まさかこれは神圧の防御能力とでも言うのですの!)
天に仇なす刃は己へと返る。
《高位次元神体》は無効化だけだけではないことを身を持って実感する。
―――――――――――ゴッ!!!!
巨竜の突撃を思わせる、直線的な不可視の衝撃波がソレイナを跳ね飛ばした。
「…………がっ!!!」
精霊の弓の《火球》の自爆攻撃を防ぐ為に、《絶対冷円陣》を保険の為に纏わせていなければ、間違いなく全身が肉塊になっていただろう一撃だった。
「……ぐっ……くはっ……」
しかし《絶対冷円陣》は衝撃に対しては防御効果は低い為、ソレイナはあまりの衝撃に息が詰まる。
満足に呼吸が出来ず周囲の状況も分からず、本人に分かるのは強い衝撃で吹き飛ばされたことぐらいだ。
苦しむソレイナに温かく包み込む様な感覚が広がる。
苦しみから逃れたい本能がその力に委ねると、先のダメージが癒やされてゆくのが分かった。
「気が付きましたか」
意識が定まったソレイナに声を掛けたのはバンシィであった。
「……どうなりましたの……」
ソレイナのその言葉にバンシィは一点を指差す。
そこには離脱したソレイナに代わり、炎の目玉の異形を倒し突破したクルラホーンが魔導書に向かい拳を振るっていたが、先のソレイナと同じく降臨した異界の邪神の神性の《高位次元神体》を貫けないのだろう。
「思っていたよりも邪神の神圧の影響が強まっている様です。 このままではクルラホーンは本気で相手をしなければいけないでしょうね」
クルラホーンの本気と言う言葉に、ソレイナはかつて祖父に言われたクルラホーンに本気を出させてはいけない理由を思い出した。
(じょ……冗談ではありませんわ)
ソレイナの脳裏に蘇るのは、かの《神託の儀式》の光景だ。
あれと同じかそれくらいの惨状が、備えも何もない状態で繰り広げられる……まさに悪夢の光景である。
「ソレイナ」
バンシィから初めて口に出された自分の名前に、妙な感覚を覚えるソレイナ
「アレを倒せるのは貴女だけです」
(無茶を言いますわね)
バンシィから治してもらったものの身体にはまだダメージは残っている、そして魔導書に斬りかかろうとしたあの短剣に込められた魔力がソレイナの最後の力であった。
「ははっ……魔力切れで魔術は使えない、オマケにその副反応で身体感覚が鈍い。これでまだ戦えと」
ソレイナには珍しい弱音の言葉であったが、バンシィにはそれでソレイナには興味を失った様だった。
「やはり才だけの小娘か……その体たらくでよくあの様な大口を叩けたものだな」
クルラホーンの様な口調だが、彼にはまだ親しみの様なものがあった。
だがバンシィのその言葉は弱音を吐くソレイナを一刀に切り棄てるものだった。
「そこで蹲って観ていろ……お前に」
―――――――――あの子は相応しくない
ソレイナにはバンシィの言わんとすることが理解ない。
大口とはなんのことなのか、そして誰に相応しいかもだ。
「貴女が何を指して言っているのか理解できません……でも、聞き捨てなりませんわね……」
彼女は誰のことを言っているのか分からない。
しかしソレイナの脳裏に蘇ったのは、アリアに言った己の誓いだ。
『必ず……必ず、迎えに行きますわ!』
確かに大口だ。
その結果はどうだった
『……アリィ……アリィ!!!!』
自らの精神世界のこととは言え、ヴァハにアリィを殺された。
(確かに口だけのとんだホラ女ですわね)
そう……自分はまだ何も成し得ていない。
ただ暴れ回り疲れ、この場に蹲っているだけだ。
「私にも目指すものがある。その為にもこんなところでおネンネしているつもりはありません!!」
気力を振り絞り立ち上がろうとするソレイナだが、矢尽き刀折れ、既に戦う手段はほぼない。
(いえ……そんなことは問題じゃない!!!)
今のソレイナの頭に巡るのは自身が戦う手段ではない。
勝つ手段だ。
『気迫で負けるな』
絶体絶命になっても気迫で負けなければどうにかなる。と言っていたレグルスの言葉が蘇るがまさにその通りだった。
(確かに気持ちで負けていてはどうにもなりませんわ!)
ソレイナは側に落ちていた精霊の弓を拾い上げ、視線を向ける。
「……貴女には助けられてばかりですわね」
ヴァハの時もそうだ、そして先の攻撃もこの弓の力が無ければ即死していた。
(頼ってばかりで申し訳ないですが)
ソレイナは弓を構え弓が本来放つ、光の矢を番えようとしたが……
光が矢となろうとした直後に拡散し消滅する。
「もう私には放てる矢はないの……」
心中に自身の無力感が占めようとするが、その時ソレイナに黒い靄の様なものが纏わりつく。
「な、なんなのですの!これは!」
突然のことに驚くが、この闇の靄の様なものに敵意は感じない。
「それはさっき貴女が助けた子よ。貴女に力を貸すと言ってるわ」
ソレイナの脳裏に先ほど精霊の弓で《黒》から開放した《闇》が思いうかぶ。
そして闇の靄は望んでいた一本の矢となり、その手に収まった闇の矢を弓に番え構える。
「《闇》は《魔》となりて《黒》へと堕ちる」
「でも、それだけではない。《闇》は《光》を輝かせ《黒》を討つ…… 覚えておきなさいソレイナ。それは今、貴女にしか出来ないことよ」
ソレイナに精霊の弓の化身《水鏡》が語った言葉が蘇る。
『貴女には一筋の光が見えます。深い闇の中に僅かに光る美しい光が……』
(光……どうすれば……)
バンシィの言葉を受け止めるのならば、番えた矢を光に変えなければならない。
先の《闇》が《黒》に浸食されていたことを考えるとそのまま射ては取り込まれるだけだろう。
(魔術を放つ魔力はもうない。武器も道具も満足なものはない)
だがそれでも己はまだ戦える。
二本の足で立っている。
(でも、それは私一人の力じゃない……)
水鏡、クルラホーン、バンシィがいなければ早々と死んでいた。
そして今、手にしている《闇》
禍々しい見た目とは裏腹に手から伝わる温かな感覚
―――ごめんなさい、ごめんなさい……
それはアリアが私に添えた温かさに似ていた。
(ははっ……私もチョロくなったものですね。あんな女の涙で……あんな女の……)
『……ソレナちゃん……いやだよ……おわかれなんて……いやだよ……』
そして過るは串刺しとなったアリア
(そうだ……もう二度と……)
「あんな醜態を二度と晒せるか!!!!」
ソレイナのその怒りに呼応するかの様に輝く精霊の弓、そしてその輝く光は矢にも伝わったのか共に眩い光を宿す。
――――――――――――※※※※※※ ※※※※※※!!!
その光を最大の脅威と感じたであろう《魔導書》は異界の邪神の神圧をソレイナに集中して放った。
「おお!!!いいぞソレイナ!そいつをぶっ放せ!!!!」
神圧が突如弱まったことで、周囲を確認したクルラホーンはソレイナの矢の射線から逃れられながら叫ぶ。
異界の邪神の神圧……それをまともに喰らえばソレイナは影も形も残らずにこの世から消え失せたであろうが……
「消えろ……異界の侵略者!!!!!」
放たれた光の矢は、精霊女王の砲を真似たソレイナの最強の攻撃である魔法陣形《神滅》を超える威力で異界の邪神の神圧を薙ぎながら魔導書を………
貫いた
――――――――※※※※※※※※※※※※!!!!!!
響く断末魔の様な叫び声を上げる魔導書を巻き込みながら、光の矢は更に背後に存在した《異界の邪神の気配》をも貫ぬいた。
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光が消えた後そこには《魔導書》も《異界の邪神の気配》を示していた笛の音も消えていた。
「や、やったの……」
フラグの様なことを言うソレイナであったが、《闇》を浸食していた《黒》の気配はもうないようだった。
「終わったわ」
「俺たちの勝ちだ」
二人の精霊のその言葉に警戒が解けたソレイナは膝を崩した。