74話:狂気との遭遇03
再び周囲の空間が変質し、そこは最初にクルラホーンと出会ったダンジョン地下50階層の風景だ。
最初ソレイナとクルラホーンの二人しか居ない空間であったが、今は別にもう一人の人物が佇んでいた。
「で、オマエの腹の中でヤツは今はどうしてる、バンシィ」
クルラホーンはまともに紹介などする気はないのだろう。
自身を放って話しを進めるクルラホーンから視線を外し、ソレイナはバンシィと呼ばれる女性に視線を向けた。
顔部分はケープを被っている人間の少女の姿であるが、その身に纏う神秘的な雰囲気を察知出来ないほど鈍感ではない。
(恐らくクルラホーンと同じ精霊なのでしょうね)
その神秘的な雰囲気はそう考えるとしっくり来る。
「……腹の中……人聞きの悪いことを言わないで欲しいわね。クルラホーン」
ケープで顔を隠している為、表情は分からず。クルラホーンの言にバンシィは心底嫌そうに抗議するが、クルラホーンはどこ吹く風だ。
「へっ! オレにお上品なのを期待しているのか、……ヘイ! さっきの肉塊さまは、いかがバカンスをお過ごしでしょうか……これでいいのか?」
全然上品でもなんでもないが、呆れたかの様に溜息を一つついたバンシィはクルラホーンの質問に応える。
「今《天獄》の闇の中で彷徨っているわ。 少しは時間は稼げるでしょうけど、早めに対処しないと《自己の世界》の強度が落ちるから、経てば経つほど不利になるでしょうね」
「あー……面倒だが働かなきゃならないか、おっとそうだった。そうだった」
クルラホーンはソレイナに視線を向ける。
ソレイナはようやく話しを聞いてもらえるかと思ったが……
バシャ
クルラホーンは何処から取り出したのか、小型の樽に入っていた液体をソレイナの頭からぶっかけたのだった。
(な!いきなり何を!!)
匂いからするとそれは酒だろう、いきなりのことでどう対処していいか分からないソレイナであったが、かけられた酒から自身の傷と火傷の箇所から煙が上り、酷い激痛が起こる。
「……グッゥ!!……」
あまりの痛さに叫び声を上げ涙を流すが、回復効果のある酒だったのだろう、ソレイナの傷や火傷を治して行っているようだった。
「これでまだヤれるだろ。オマエにも手伝ってもらうぞ、クラリオスの孫」
正直あんな化け物と関わりたくないのだが、その有無を言わさない言葉にソレイナは俯くことしか出来なかった。
そこは闇が支配する世界
動物的な本能では闇は恐れるものであるが、ソレイナにはその闇からは安らぎすら感じるほどであった。
(これがこの世界の死の定め……)
ヴァハからこの世界とは違う死の世界の記憶を受けたが、その記憶の世界と、この世界は全く異質なものであった。
あちらの死後の世界の記憶では渾沌としていて、苦しむ亡者が多くいたが、この世界はそういったものはなく、ただ闇の安らぎが支配するのみである。
闇の中ではあるが視界は開けており、どうやら視るという行為はこの世界では出来ず、感じるといった行為がこの世界の視界とも言える様だった。
ソレイナは先ほどバンシィから彼女自身のことと事情を聞いたが、最初は何の冗談かと思った。
この世界の死の定めは、創造神が世界の成り立ちで創り上げた《導式》の中では最も強力なものと《教団》には伝わっており、自分と歳があまり変わらない目の前の少女がそれを支配しているなんて最初信じられなかった。
しかし彼女の《自己の世界》に入った後は、その考えは改める。
この《自己の世界》の完成度は、モルゲンのものより高く、故にバンシィの力はクルラホーンに並ぶ存在だと理解できたからだ。
(そして二人が脅威とする、あのヒトガタ……)
あれの正体を最初聞いた時は、あまりの途方のない話しであった。
《異界の死の書》
それがアレを現す言葉だそうだ。
かつて渾沌の賢者が編み出した魔導式には元となった式が存在した。
それが異界の狂気の書《魔導書》と呼ばれるものである。
あらゆる狂気を魔導と言う型で現されたそれは力と知識を求める者達に、多くの写本が造られ狂気と災厄の象徴となった。
そして異界の魔導書がこの世界に現れたのは、必然であり偶然であった。
(私がヴァハから受けた記憶には異界の魔術の知識もあるが、それを私が使うことは出来ない)
それは火が起こせない世界に火を起こす様なものであり、この世界では異界の魔術を発現させることは出来ない。
モルゲンの様に《自己の世界》の中ならば発現は可能だが……
『人の《精神世界》で無理に引き起こされた魔術は、大きな《狂気》を呼び寄せた』
ヴァハは異界の魔術を、異界の記憶が収められた源泉から汲み出しソレイナの精神世界で使用していたのだ。
その異界の記憶の源泉は、《記憶》と言われるもので、この世界にも導式として似た様なものがある。
一つの偶然だ。
ヴァハが繋いだ源泉の一本の糸に異界の魔術と、共にそこにあった狂気……死の書も汲み上げられたのだった。
まさに大海に落とされた糸から、巨大な勇魚が掛かったと言った様な偶然と言っていいことだった。
そしてあの魔導書をバンシィの《自己の世界》から決して出してはいけない。
この世界から出た途端にアレはこちらの世界の新しい導式となり、もう一つの《死の定め》となるのだそうだ。
『それは不死……終わりない世界となります』
この言葉だけ聞けば素晴らしい世界の様に聞こえるが、バンシィの語った詳細はまさに地獄絵図の様な光景だ。
命は死の代わりに《魔》となり、《黒》へと堕ちる。
それは最早、命あるものではなく厄災たちの世界だ。
魔術を習う際に最初に聞かされる言葉をソレイナは思い出していた。
『《闇》は《魔》となりて《黒》と堕ちる』
魔術は原初の闇を利用し、それを魔と化し様々な現象を造り出す。
故にその名の魔術だ。
そして、今まで《黒》の意味は解らず仕舞いであったが、その結果がヒトのカタチをしたあの魔導書なのだろう。
――――――《魔》より堕ちし《黒きもの》
ソレイナの背に氷を入れたかの様な怖気が走る。
人よりも魔術が使え、その力を様々なことに活かして来たソレイナであったが、アレの存在を知ってしまった今となっては、自身が使って来た魔術は薄氷の上を歩く様なものであったのだろう。
(でも……それでも私は……)
それでも歩みを止めることは出来ない。
自らの望みの為に……
移動は終わりソレイナは前を見据える。
もう余計なことを考える時間はない。
闇の中に漂う風に漂う冷気
それは異形の巨体から発せられていた。
「あれは!」
四肢を持つヒトガタではあるが、まず目を引くのは深紅に輝く瞳、そしてその巨体を彩る紫色と緑色の大気の流れが、巨体の体毛の様に揺蕩う姿だ。
「……姿が違う。あれは一体」
ソレイナの疑問に返答するかの様に、異形の巨体は一行に敵意を込めた深紅の輝きを向けて来る。
「あれは《書》。書は節により無数の仮面を持つ、《渾沌》言う名の仮面を」
抽象的なバンシィの説明はよく解らないが、つまりはあれは……
「要は変身能力を持ったバケモンだろ!そいつで十分だ!!」
そう言って異形の巨体に突貫するクルラホーン
「……む、無茶苦茶ですわ!!!」
戦術も何もあったものじゃないその行為にソレイナは絶叫を上げる。
クルラホーンの体幹と異形の巨体の体格差はまさに巨人と小人だった。
「ゴワアアアアァァ!!!!」
異形の巨体は巨腕を振るい、向かって来るクルラホーンを叩き潰そうとする。
その攻撃は小人であるクルラホーンに防げるものではなく叩き潰されたかに見えたが……
「……ヌルいんだよ!!!」
叩き潰さんと振るわれた腕を凄まじい力で掴み……
何と巨人をズタ袋の様に地面に叩き付けたのだ。
体格差十倍ほどの相手を床に叩きつける様は、何だか滑稽な奇劇の様であり、ソレイナの内心から緊張感の様なものが僅かに解ける。
(そうですわ!飲まれていてはいけない)
相手は自分より強大な存在であっても、萎縮ばかりしていては勝機も失ってしまう。
(自分にも出来ることを……)
今は自分にも出来ることを小賢しい頭で考えることだと自覚する。
―――バギッ!!
投げた異形の巨体の腕をへし折りざま、地面に横たえた巨体の上からクルラホーンはマウントポジションで異形の巨体の顔面に、無数の拳の弾幕を繰り出す。
撃ち放たれる拳の一撃一撃からは、雷鳴の様な豪音が炸裂していた。
まさに山を割る様な乱撃だ。
(……死ぬわ、あれは…)
「これで止めだ!!!」
クルラホーンの必殺の一撃が振るわれようとした直後、異形の巨体の体毛が変化を起こし、その姿が消え去る……
「ぐわっ!!」
必殺の一撃を放とうとしていたクルラホーンから苦痛に満ちた声が上がる。
異形の巨体はそこに居た、ただその姿は先までのヒトを模した姿ではなく……
―――舞い散る雪華の結晶
それは命の灯を凍てつかせる
死神であった
異形の巨体はそのおぞましき姿から、美しき雪華の結晶の死神となりクルラホーン、バンシィ、ソレイナに吹雪となって襲い掛かった。
(……これは不味いですわ!!)
吹き荒れる雪華にソレイナは急ぎ耐冷魔術の《炎陣》を展開させる。
魔力をかなり込めた防御魔術ではあったが、雪華の猛威を半減することも出来ない。
(こ、この吹雪は《雪華滅陣》級の威力があると言うのですの!)
《雪華滅陣》
戦略級魔法陣形の一つで、かつて古の時代にアレス王国軍との北国ウインシニアの戦で使用された氷系最強の一角を担う魔法陣形であり、アレス王国軍の数千の兵士を氷の彫像に変えたと言われている。
(それを陣形ではなく単式で、それも自らを現象に変化させるとは!)
凍結点の急激な低下により、《炎陣》は既に気休め程度の効果しかない。
この吹雪の中では、たとえ全力の《火球》を放ったとしても、あっと言う間に消滅させられてしまうだろう。
クルラホーンやバンシィは精霊である為、凍結するまでにはソレイナより時間は長いだろうが、長く持つほどではない。
雪華の死神―――
だがその死神の鎌は《死の支配者》には遠く及ばぬものであった。
『――――!!!』
被ったケープからむき出しとなっていた、バンシィの口角から美しい旋律が呟かれる。
言葉すらも凍てつかせる吹雪の前には、全くの無意味かと思われる行為
だが……
周囲の闇に変化が起こる。
(そうでした……此処は)
ソレイナは思い出す。
この世界、自己の世界《天獄》の支配者は誰かと
雪華の嵐は初冬のそよ風の様に静まり、吹雪と転じていた異形は、再びその姿を異形の巨体へと戻した。
『――――――!!』
そしてバンシィから紡がれる歌
それを聞いたソレイナはその旋律に、アリアの聖歌を連想させる。
(これは聖歌呪法ですの!?)
アリアの聖歌呪法は恐るべき完成度であり、その力は帝国や聖域に存在する《歌姫》に並ぶほどの天才であると、彼女が気に入らないまでも認めていたことであったが、アリアのその才能すら霞むほどの聖歌がバンシィから紡がれることに驚愕する。
「グォォォォォォ!!!!!」
異形の巨体から苦悶の叫びが響く。
追撃のチャンスかと思いクルラホーンに視線を映したソレイナであったが、クルラホーンも酷い状態であった。
冷気を近距離でまともに受けたからだろう、身体の半分が凍結し、右腕が細雪の様に散り落ちていた。
「今、回復を!」
その姿を視認したソレイナは、クルラホーンの回復を行わなければと駆け寄ろうとするが
「ぬん!!!!」
気合一喝
腕は失ったままではあったが、凍結した身体箇所の氷が散る。
そしてクルラホーンが片腕がないことなど気にしないかの様に、姿を戻した異形の巨体に突っ込んで行く。
クルラホーンは失われた右腕をそこにあるが如く一気に振り下ろすように体を動かす。
―――ブウォッ!!
空気を切り裂くような音が薙がれると同時に、異形の巨体は頭部から足元まで縦に切り裂さかれる。
いつの間にかクルラホーンの右腕は、まさに鱗をたくわえた腕と鉤爪がそこに存在していた。
「潰れろ!!!」
クルラホーンの鱗の腕から大量の水が溢れる様に現れ、異形の巨体を飲み込むように包み込んだ。
(この匂いは海水!?)
ソレイナは水から漂う匂いから海水と判断する。
そして祖父から聞いたクルラホーンの能力について思い出していた。
(これが精霊クルラホーンの能力)
右腕の変化と共に、異形の巨体を包み込んだ多量の海水はその姿を水圧で押しつぶしていった。
「お、終わりましたの……」
だがクルラホーンもバンシィも未だに戦闘状態を崩していない。
どうやらそれは正しかった様だ。
海水の中に佇む、異形の巨体から元の姿に戻ったヒトのカタチをしたモノ……否、魔導書は静かにこちらを見つめている。
その眼差しからは何も感じない。
喜怒哀楽何もない……まさにニンギョウだった。
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繰り出される魔導書から紡がられる詩
だがこの周囲の闇を支配しているバンシィに詩で勝つことは出来ない。
バンシィから悪足掻きとも取られる詩を無力にせんと、聖歌が紡がられるが……
海水が消滅し、周囲の闇が変化を起こした。
バンシィの雰囲気が変わる気配をソレイナは感じる。
それは焦り……
その状況の変化を覚ったのだろう。
クルラホーンは魔導書に追撃を行う。
巨体を引き裂いたあの力なら少女の様な体幹の魔導書くらい訳もなく真っ二つにするだろう。
―――――― ※※※※※ !!!!
クルラホーンの攻撃に対する為か詩が止められる。
だが、周囲の闇の変化は止められない。
(なんですの……この怖気は)
ソレイナにとって、先程までのバンシィの支配していた空間の闇は安らぎを感じるほど穏やかなものであった。
だが今は違う。
あの魔導書の周囲の闇から感じるのは底知れぬ奈落への恐怖だ。
その変化にクルラホーンも動きを止める……否……
動けないのだった。
クルラホーンもバンシィも知らなかったのだ。
《異界の死の書》に記された内容は、《旧支配者》、《外なる神》に対する予言であった。
そして書は予言を読み上げる。
その狂気の最悪の予言を……
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何の楽器だかは分からないが、笛の音が流れる。
そしてソレは預言の詩と、バンシィの闇を糧に不完全だが復活を遂げた。
―――おぞましき名前を意味する神
『魔皇』と呼ばれし『万物の王』
『白痴の魔王』と呼ばれし『始まりと終わりの神』
これは予言
狂気が覆い隠せし予言であった。




