73話:狂気との遭遇02
ソレはいつからそこに居たのかは分からない。
ヒトの狂気がカタチ取ったソレは、チカラを求める多くのヒトに求められ、多くのヒトの生を狂わせ、狂気は清なる《闇》を汚し、《魔》となり、《黒》と成り果てた。
狂気と成り果てた《黒》は一つの《式》となり、異界の忌まわしき書として眠る。
だが、ある時その異界の記憶に細い蜘蛛の様な糸が垂らされた。
《黒》き狂気はその糸を辿り、ヒカリを求め、素直に出口を進んだ。
産まれようとする胎児の様に……
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広がる狂気……それは詩、物語、預言、※※の存在、魔の理がソレイナを狂人にしようと脳に灼けつけようとする。
ソレイナは理解してしまった。
これは魔術の真理の一つであり、魔導と呼ばれるものの完成された頂の一つであることを
もし彼女が力のみを、魔導の真理を探求するのなら喜んでその狂気を狂喜ととして受け入れただろが……
だが………
(私にとって力は目的ではなく、手段でしかない! こんな力は必要ありませんわ!)
ソレイナのその意志を感じたのだろう、精霊の弓の弦が独りでに鳴り、ソレイナを狂わすべく浸食しようとした狂気を祓った。
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自らを受け容れようとしないソレイナを理解出来ない、ヒトのカタチをしたモノは、一歩、一歩ゆっくりと外見から醸し出される狂気を撒きながら、ソレイナに近付いて来る。
悍ましく、狂気を体現したかの様なヒトのカタチを冒涜した姿に、原初とも言える恐怖が呼び起こされたソレイナは精霊の弓に《魔弾》を番え……
放った!
矢はヒトのカタチをしたモノを貫くかと思われたが、直前に矢の魔力は一瞬で分解され消失してしまった。
(何らかの魔術で防いだ!?……いえ、恐らくあれは……)
ソレイナの瞬時の考えが正しければ、アレに下位の魔術は通用しない。
ダンジョンに魔精霊と呼ばれるエネミーが現れることがあり、一部の個体には魔術を無効化する者が居るのだ。
魔に属する高位の存在には《高位次元神体》の様に、人の魔では及ばない存在が居る。
精霊の弓から繰り出される力は、高位次元に対する力を備えているが、それが無効化されたということは、魔の攻撃に特化した強い耐性を兼ね備えているからだろう。
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※※※ ※※※ ※※※※※!
ソレイナの敵意に反応したのだろう。
ヒトのカタチをしたモノの詩の様なものが響くと周囲に、無数のコブシ大ほどの大きさの目玉を模したかの様な火球が現れた。
「……くっ……!!」
その炎の目玉一つ一つの密度がソレイナの全力の《火球》を超える熱量と魔力を秘めていたことに戦慄を覚える。
ーーーーー ク※※ァ!!
ヒトのカタチをしたモノの奇声の元、炎の目玉は一斉にソレイナに迫る。
(身体能力で躱すのは不可能、《瞬間回避》で躱せる物量じゃない……なら!!!)
ソレイナは手にした弓を地面に突き立て、指で印を切り、自分の力で魔術を発動する。
《絶対冷円陣》
ソレイナの属性たる《水》の最高位の防御魔法であり、炎に対するダメージを無効化・軽減する冷気の層を作り出す魔術で、ソレイナの魔力ならかなりの威力の《火球》を防ぐことも出来るが、瞬時のことと、あの炎の目玉に対する魔術では、今出来る精一杯の防御であった。
(そしてもう一つ!!)
ソレイナはもう一つある魔術を使い、地面に突き立てた弓を手にし、落下するようにその姿を隠す。
直後、無数の炎の目玉がソレイナに襲い掛かり《絶対冷円陣》は、大火力と同時の熱量を周囲の空気と共に巻き込み炎の渦へと変化する。
その熱量は凄まじく地表を灼き、一部が硝子と化すほどの威力であった。
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(な、なんとか凌ぎましたわ……)
ソレイナは生きていた。
《絶対冷円陣》を張ると同時に、自分の足場に《削岩》の魔術を使用
瞬時の塹壕とし、高熱の余波から捲かれるのを防いだのだった。
しかし……
(不味いですわ。熱で喉が)
今は呼吸も満足に出来ず、息も絶え絶えで、余波による熱量で声帯が火傷をしたのだろう。
そして声帯だけではなく体の至る処々が煤焦げている。
それでも幸運な方だった。
あの熱量では塹壕の中でも生き残れる確率は五分五分と言ったところで、地表に居れば骨も残らなかっただろう。
(魔力の"桁"が……いえその"質"そのものが違い過ぎますわ)
まともに戦って勝てる存在ではない……
今の状態では満足に戦えないと考えたソレイナが選択したのは、息を殺し、属に言う死んだふりを行うことだった。
自分を害しようとしたモノを排したと思い込んだヒトのカタチをしたモノは周囲をフラフラと彷徨う。
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再び詩か何か良くわからない声を響かせながら、ソレイナの潜む塹壕にゆっくりと近づいて足音が聞こえる。
(……お願いですから、どうかこのまま立ち去って)
正直今見つかると、抵抗すらできずに殺されかねなかった。
現在、呼吸がまったく出来ない訳ではないが声帯が焼けてしまっている為、声を発する魔術は使えず、身振り手振りや、念を発するだけのものなら魔術は使えるだろうが、それらの魔術は高位のものは殆どないのでアレが相手だと厳しい。
そもそも、アレには精霊の弓の《魔弾》が無効化された以上、自身の魔術では対抗出来ない。
《魔法陣形》なら通じるかもしれないが、それは完全な無いものねだりであった。
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塹壕内に響く愉しむかの様な音、だがソレイナには絶望へと落とす音であった。
(見つかった!!)
塹壕の上から見下ろすヒトのカタチをしたものの手がソレイナへと伸び、その手には先ほどの炎の目玉が一つ生み出されていた。
それをソレイナの居る塹壕に投げれば炭も残らず灼き尽くされるだろう。
(……こんな所で、こんな訳の分からない奴に殺されると言うの!)
自身の敗北を悟ると同時に、投げ入れられる劫火
(……アリィ……ごめんなさい)
自らの死を悟ったソレイナだったが、彼女にはまだ天運があった。
熱を感じたのはほんの僅かで、痛覚を通り越し一瞬で焼け死ぬのかと思ったが、衣類の首ネッコ部分を掴まれ息が完全に詰まる。
「グゲッ!!」
劫火に燃え尽くされる塹壕から凄まじい速度で引っ張り出されたソレイナは蛙が潰れた様な声を上げ、激しく咳込んだ。
「ゲぼッ!ゲぼッ!ゲホッ……」
塹壕から吹き荒れる劫火の柱を背にソレイナの腰ほどの小人の老人が言葉をかける。
「まだ生きていたみたいだな、クラリオスの孫」
ソレイナを助けたのは精霊クルラホーンだった。
敵を灼き尽つくそうとしたら、それを助けたモノが居たと判断したヒトのカタチをしたモノは、奇声を再び上げ、塹壕から吹き上がる焔を背に、新たに現れた者達に向かい歩いて来る。
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※※※※※※ ※※※※※※ア ※※※
※※※! ※※※ ク※※※※!
その言葉か唄か分からないものが再び響くと、先ほどソレイナを灼き尽くそうとした、無数の炎の目玉が現れた。
「……ワリイがしばらく別の所で遊んでてくれねぇか」
クルラホーンの呟きと同時に、ヒトのカタチをしたモノの周囲を闇が包み、その姿をこの世から隔絶させるように消滅させた。