71話:敗北そして…
「……ハァ……!……ハァ……!……ハァ……!」
ヴァハから全力で逃げ出したソレナは走りながら必死に対抗手段を考えるが……
(相手はモルゲン級の魔導師、対してこちらは初級魔術がわずかしか使えない幼児……それに)
相手は恐らく高位次元神体である為に、こちらの攻撃は恐らく何一つ通用しない。
(結論は簡単ですわね)
夜営場所に戻ったソレナは火の消えた焚火を一瞥し、そこに置いていた背負い袋の自分の荷物をひっくり返す様にぶち撒ける。
その中に一本の懐剣を見つけ出し手に取った。
幼児の手には余る大きさであるが、この懐剣には魔力が帯びられており、何らかの役に立つはずだと思い立ち取りに来たのだ。
(薪割り用に持って来たものですが、こんなことになろうとは)
この体躯ではナタは扱えないので代わりに持って来たものだが、薪程度なら簡単に切ることが出来る。
ソレナは懐剣を手に、これからの行動を考るが
(ヴァハと戦うは……論外、ここから逃げてお祖父様の力をお借りするしかありませんわね)
しかし逃げるにあたりソレナには一つ懸念があった。
(アリィ……一体何処へ)
アリィをこのまま見捨てて逃げることは出来ないと脳裏に過るが、ソレナはその自身の考えに心中で苦笑する。
(そうでしたここは……)
ヴァハから得た記憶で、この空間はソレイナの精神世界……夢の様なものであり、ここで彼女を見捨てたところで現実の彼女には何の影響もない。
(今はヴァハに対抗することが優先だと言うのに)
理性では分かっていた。
しかしアリィを見捨てると言う選択肢を思い浮かべる度に、自身の胸が酷く締め付けられる様に苦しい。
――――これでいいのかと
以前のソレイナであれば冷静に切って捨てた問題であったが、ソレナである今の自分では……
――――胸に広がる不安と焦燥感、そして
「………だめですわ……」
その罪悪感に彼女は抗うことが出来なかった。
周囲の暗闇を月明かりを頼りに森林を駆けるソレナ
「ハァ!ハァ!……なんて動きにくい体なの」
途中何度も転び衣服は土や泥、落葉に塗れるが、覚悟を決めた眼差しで駆ける。
「……アリィ、何処に」
ソレナは呟くがその問いに返事はない。
だが変わりに前方から、先に見た光蟲だと思っていた、小さな灯がいくつか視線に入る。
(まずいですわ!!)
ソレナはすぐ横の茂みに隠れる。
(気付かれていないといいのだけど……)
最初あれは光蟲の一種だと思っていたが、ヴァハの記憶を刷り込まれたソレナには理解出来ていた。
あれはヴァハが首を狩った者達の魂を使い魔にしたものだと
(……魔文……私には扱えない術ですが、死の定めを免れ魂を縛るとは恐るべき力ですわ)
茂みを通り抜けたソレナは、進んでいた道を迂回する為に、険しい獣道を通り抜けることを選択することにした。
茂みと蔦で普通なら通り抜けることは困難であるだろうが、ソレナは懐剣を手に取り鞘から抜く。
魔力を流し込み、刃を一閃すると進行方向を塞いでいた茂みを切り裂き、残骸を取り除きながら前へと進む。
(この先に泉があるはず、この先にアリィが居る……必ず居るはず!!)
それは何の確証もない思い込みであるのはソレナにも分かっていたが、何の材料もなく行き詰まっていた彼女はその直感に頼らざるを得なかった。
単調作業のせいであろう、目の前の蔦や葦を取り除いて行く内にソレナの脳裏に様々な想いが去来する。
アリィと別れ、彼女とは何年も会おうとしようとすらしなかった自身を責め、本当に大切な友と言うのなら、遊学から帰って来た直後に探せばよかった。
今夜の様にしっかりと別れを告げ、再会を約束すれば……
ソレナの心に広がるのは不甲斐ない自身への後悔の念であった。
(いろいろなことがあったと言っても、それは言い訳でしかない)
考えながらも最低限目の前の蔦と葦を除いたソレナは小さな隙間に身体を押し込み通り抜ける。
衣類や肌に傷が入るが、そんなことを気にする余裕はない。
険しい獣道を通り抜けたソレナは先にある泉へ辿り着いた。
アリィと先日共に遊んだ時は明るかったので長閑な雰囲気であったが、夜である現在は不気味な空気が漂っていた。
薄暗いが僅かに月明かりが照らされ、湖のほとりに俯き泣いている一人の少女をソレナの視界に捉える。
(見つけましたわ)
「……アリィ……」
ソレナの言葉に泣き顔を浮かべながらアリィは振り向く。
随分泣いたのだろう、目を赤く腫れさせ、鼻水で酷く汚れていた。
「……ソレナちゃん……いやだよ……おわかれなんて……いやだよ……」
その泣き顔にソレナの胸中の良心が痛む。
本来なら自分は別れも告げずに聖地へと遊学に向かうことになったが、彼女はこんな風に悲しんだのだろうか……
(……わかっていますわ……)
これは自分の後悔が形になったものなのだろう
何も告げず、そしてアリィを探して会おうともしなかった自身の罪悪感そのものだ。
「アリィ……わたくしは……」
ソレナが言葉を告げようとした瞬間一条の光がアリィの胴を貫いた。
―――――ドサッ……
革袋を地面に投げ捨てる様な音を立てアリィは地に伏せる。
多量の赤い液体を撒きながら……
液体はソレナの頬にも衣類にも飛び散る。
その"血"は熱かった。
現実のごとき熱き血はソレナを絶望へと導いた。
「……アリィ……アリィ!!!!」
その絶望へと導いた者はソレナの視界にすぐに映った。
アリィを貫いたその者を
「貴様あああああああっ!!!!!!」
ソレナの心中は、怒りの朱に一瞬に染まり上がる。
それは心の支えを理不尽により失った人間の当たり前の反応だった……
ソレナは自らの残った魔力を《速度強化》に全てを込め、手にした懐剣の魔力を発現させ特攻を行う。
普段の冷静な彼女ならばそんな博打……否、無謀などは行わなかっただろうが
しかし彼女は囚われた。
両親の死救いを、そしてアリィに囚われた彼女にはそれは許されざる暴挙であった。
(殺してやる! 殺してやる!! 殺してやる!!!)
それは圧倒的な殺意……
彼女が魔王に堕ちようともするものであった。
「あっはははははははは!!! 素晴らしい憎しみよソレナ!! その憎しみこそ我が"憎悪"が融合するのに相応しい!!」
幼児からは想像出来ない様な動きと一撃はヴァハを捉え、心の臓の箇所に魔力の宿った刃が貫くかに思えたが…… だがその怒りの一撃は衣類すら貫くことは出来なかった。
《高位次元神体》
人は神に抗うことは出来ない。
それは世界の定めであった。
" "
音は無い。
ヴァハの周囲から発生したアリィを貫いた光と同じものが4つソレナを貫き、彼女は動きを止めた。
『ソレナ、今貴女の六感のうち五感を断ったわ』
地に伏したソレナに念話でヴァハから言葉が届く。
もうソレナにそれを返す手段はない。
最後の第六感しか残っていないソレナには返事をする機能というものは失われていた。
ソレイナという人間の最後の機能
それが失われるとヴァハがソレナを飲み込み、新たな魔王となるだろう。
『そのままお眠りなさいソレナ……貴女の怒りと憎しみは、新たな私が受け継ぎましょう』
最後の人としての機能が消えて行く。
喜びも、愛情も、怒りも、苦しみも、彼女が形造られた多くのモノが徐々に失われていく。
優しい父と母も、兄とも思っていた人も、最後の唯一の愛する肉親も消え様とする。
『わ、私と友達になってください!!』
『至らぬ我が身ではありますが、貴方の様な素敵な友を得られるのなら万感の思いです』
――――ちがう……
『わ、私※友達に※って※くだ※い!!』
『至らぬ我※身では※※※すが、貴方※※※素敵な友を得られる※※※万感の思い※す』
――――ちがう
『※、私※友達※※※て※く※※※!!』
『至※※我※身で※※※※すが、※※※※※素敵な友を得られる※※※※※※思い※※』
――――ちがう!
『※、※※友達※※※※※※※※※!!』
『※※※※※※※※※※※※、※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※思い※※』
――――ちがう!!
『※、※※※※※※※※※※※※※!!』
――――あの頃の様に
――――もし、取り返せるのなら
私は………
ヴァハは地に伏したソレナを静かに見つめる。
彼女の五感を絶ち、もはや第六感だけではこの精神世界に溶け込むのはそう長い時はかからない。
「最後の意識で貴女は何を望むのかしらソレナ」
その問いに応える者は居ない。
残りの第六感を断つことで彼女の全てを終わらせることが出来るが、それはしない。
絶望的な意識の中で増幅される憎悪は"新たな"ソレイナの糧となるだろう。
魔王となる自身へと
――――ズリッ
それは最初気のせいだとヴァハは思った。
動けるはずがない。
今の彼女は五感を全て断たれ、人としての機能は漠然とした六感のみだった。
――――ズリッ
這う様にまた彼女が動く。
僅かに少しづつ、そしてその姿は精神世界に溶けようと消えてしまうその姿で進む。
ソレナが進もうとするその先にはヴァハが仕留めたアリィと呼ばれる少女の骸があった。
「…………」
その意志の強さに感嘆し、何が彼女をここまで突き動かすのか……否……
(その執念……貴女も……)
ヴァハには理解出来た。
己の望みの為に地を這ってでも叶え様とするその意志、それはヴァハのかつての姿そのものだからだ。
―――――アリィ………
貴女は約束を守ってくれた……
『わたしもソレナちゃんを守れるすごい人になってみせる。だからふたりでせいじょになろう』
言葉通り彼女は私の家族を、愛する人を守ってくれた
今度は私が、私が…………
「……ア……リィ………」
ソレナの指先がアリィに届くと同時に
ソレナとアリィの二人はこの精神世界に溶け込む様に消滅した。
「残念ね。貴女とは分かり合えたのかも知れなかったのに」
ヴァハは消えた二人の冥福を祈った後に踵を返し歩き始めた。
(……後は転生の魔導式を完全に発動させれば、ソレイナは憎悪を秘めた魔王として甦る)
そして姉と力を合わせ、あの生首を滅ぼす。
姉……モルガンは何かしらの呪縛に囚われているのだろう。
相手もかなりの強者だが、ヴァハには勝算があった。
(あのアリィという少女……)
ソレイナの記憶を探って精査した内容だが、恐らく彼女は神降しとしての道具としては最高の素材だ。
(あの娘を妹の依代とし三相となればあの女も、ものの数ではない)
黄泉からパズゥの黄泉返りを果たすことは出来るが、完全な復活となるとその手しかなかった。
歩きながら先の計画を考えるヴァハ
だが、その足を止めることになる。
それは一条の光の矢
ヴァハの後ろから放たれた矢は頬を掠め、その余波の威力は天空へと上り、夜の雲に巨大な穴を開ける。
(まさかあの状態から甦るとは……)
油断していたつもりはない。
否、どこかで甘く見ていたところがあったのだろう。
今まで多くの転生で様々な者たちと相対してきたが、その中でもこの娘は最上と言っていい。
ヴァハは無言の気勢を上げる。
今こそ言える。 相手は……この女は自分に抗する敵だと!!
光により開いた天から月明かりが降り注ぐ。
それは先ほどまで、幼かった少女の姿ではない。
その姿は今の己と同じ姿……
一振りの神々しいまでの輝きを持つ弓を手にした
ソレイナの姿であった。




