70話:憎しみたる真実
(あれは私……なんですの)
その姿は姿見で映したかのような精巧な自分の姿であった。
「貴女は一体……」
ソレナは目の前の存在を自分とは違う幻影と即し、対応することを決める。
ソレイナは自分だと言う確固とした意識の現れであるが故だ。
ソレイナの幻影は話し掛けて来たソレナに視線が合わせると、その視線にソレナの背筋が凍る様な感覚が走る。
(やはりアレは違う、私ではない!? それにこの感じは……)
目の前の人物はソレイナと寸分違わずの姿だが、その身に纏う雰囲気はソレナの記憶にある人物に良く似ていた。
ソレナの脳裏に浮かぶその人物は
―――――モルゲンの姿であった。
「初めまして今代の私」
(今代の私?)
その意味不明な言葉に困惑するが、相手の幻影は構わず話し続ける。
「私には今までの生の分、無数の名がありますが……ここ場は原名の名を名乗りましょう」
「私の名はヴァハ、ダーナの名に連なる……」
「転生者よ」
(………!?)
転生者という言に、最初に浮かんだ言葉はあり得ないという結論だ。
「あり得ませんわ!! この世界の導式は《転生》を認めていない!」
永遠の生命――――
それはどの時代の人間も求める人の業であった。
今日まで様々な魔術、魔導式、そして多くの犠牲を強いてきた呪われた題材だ。
その中に理論のみ存在した一つの導式がある。
それは《転生》の魔導式と呼ばれるものだった。
「魂の強度は《転生》には耐えられない。これは絶対です!」
ソレイナは両親の墓に参った後、生命についての導式などを徹底的に調べる時期があった。
だが多くの先達が諦めた様に《転生》の導式は“不可能”と言う結論となった。
生命は産まれる過程、生きる過程において様々な情報がその身に蓄積され、それは《格》となる。
その情報《格》の重しは、次代へと引き継ぐことはできない。
《生命は死の定めにより浄められ、新たな生命となる》
これはこの世界に創造神によって刻まれた導式である。
ソレイナの結論は、《格》を保ったままの転生は情報と言う名の重石を背負い大海を泳ぎ切る行為だと位置付け、故に他者の生の情報が刻まれたままで、新たな生命となることは不可能のはずだ。
「フフッ……貴女の言う通りでしょうね。ソレナ…」
ソレナの理論を一笑するヴァハ、癇に障るその笑い方はモルゲンに本当に良く似ていた。
「何が可笑しいの……」
ソレナはカチンと来て声のトーンを低くする。
「何事も例外はある。まだ若いわね……」
その言葉の直後ソレナの目前からヴァハが消える。
(……消え)
だが、彼女はすぐにその姿を現し、ソレナの後ろからその体を抱きかかえ始めた。
「は、離しなさい!!」
ソレナは逃げようと暴れるが、ヴァハの力はかなりのものでびくともしない。
「綺麗ねソレナ、私は幾度と転生を行って来たけど貴女ほど美しい娘は居なかったわ」
ヴァハの瞳がソレナを見つめ、その指が体を優しく撫でる。
それは愛しいものを愛でるかのように、妖艶さを感じるものでソレナの嫌悪感が上がっていく。
「ひやぁ!? は、離しなさい! この犯罪者!!」
まさか四歳の体の自分にこんなことを言うとは、あまりの変態加減に気持ち悪くなる。
(この……!!)
ソレナの必死の抵抗の成果か、ヴァハはソレナを解放した。
解放されたソレナは再び愛でられては堪らないので距離を取る。
もっとも先ほどの結果からすると、幼児である今の自分には抗う術すらないが……
「幾度となく転生を行ったと言いましたわね。貴女は《転生の魔導式》を完成させたと言うのですか……」
ソレナの言葉に微笑みを深めるヴァハ
「ソレナ、《転生の魔導式》は既に貴女の中にあるわ」
ソレナの脳内は虚を突かれた様に一瞬真っ白になるが、すぐに怒りの感情が沸き起こる。
「ば、馬鹿にしないで!あの式で転生は不可能よ!! 確実に負荷に耐えられず存在そのものが消滅するわ!!」
両親のお墓参りの後にソレイナが創り上げた式に、クラリオスは大層驚いたが、クラリオスはこの式では転生は不可能だと結論付けたのだ。
「簡単なことよ……あなた達、生きている人間が式を完成させられないのは、冥界がどう言ったものかは知らないが故にでしょうね」
ヴァハはソレナを指差すと、ソレナの頭が急激に痛みを発した。
「ぐっあああああああああ!!!」
想像を絶する頭痛がソレナに走り、目を閉じるが網膜……否、脳内に様々な情報が一気に書き込まれるかの様に記憶がなだれ込む。
(これは……なに……なんなの!!)
多くの敵と呼ばれる者の首を採って喜ぶ私、自らの半身ともいうべき愛する姉と妹、フィル・ヴォルグへのダナンの勝利、そして幾度と行われる転生………
ソレナの脳裏に映された光景は川であった。
川の名は《レーテ》
飲んだ者はあらゆる前世の記憶を洗い流し、如何なる功罪も清める水であった。
ヴァハも死した後に幾度も冥界に赴き、この水を飲み転生を繰り返した。
だがヴァハの記憶が完全に消えることはなかった。
彼女の記憶を繋ぎ止めたもの、それは………
営み……
愛する男女との愛の結果、妻の胎内に二つの生命が宿る。
だがその幸せは長くは続かなかった。
妻は愛する夫を助ける為に、自らの生命と胎内の子の生命を犠牲にし
彼女は間際に怒りと憎しみを宿し呪った。
人を、世界を、運命を……
「………貴女の転生を繋ぎ止めているのは……《怒り》なのですね……」
頭痛が治まったソレナはゆっくりと顔を上げる。
頭痛の原因はヴァハが己の記憶をソレナに強制的に移したことによる反作用であった。
「……そうよ……理解できるでしょう。 貴女の両親を殺したのは誰であるか考えれば」
「私と同じ怒りを抱える貴女なら」
ヴァハの言葉に高慢な感情はない。
そこにあるのは理不尽により奪われた者同士の同情であった。
――――ギリッ
ソレナは奥歯を力の限り噛み締める。
自らの奥底に封印された溶岩の様な怒りを抑える為に……
『……そうか知ってしまったのか』
聖域での遊学から帰って来たソレナは両親のお墓を参った後、祖父に事の真相を問いただした時のことだ。
両親の死は病だと祖父から聞かされていたソレナではあったが、遊学先で知ってしまった。
両親の死の真相を……
ちなみに両親のことを貶した、その貴族の淑女とやらは思いっきり精神的苦痛を植え付けたのは余談である。
『お願いします。私はお爺様の言葉でなければ信じません』
そう真相はとても残酷な内容であった。
だがソレナは信じたくなかった。
祖父が嘘だと言ってくれればそれを信じていくつもりだ。
子供だったのだろう。
信じる人の言葉を盲信すれば傷付かずに済む。
現実の哀しみから逃れ様とする弱さであろう。
だが逃げて何が悪い。
逃げる心が弱いというのなら強さなんていらなかった。
だがクラリオスはそんなソレナの弱さを切って捨てた。
『そなたが聞いた通りだ。シノンとスレイアは殺された』
残酷な真実を持って
「……可哀想なソレナ……帰って来ると信じていた両親は人間達の犠牲になり、哀しみで縋った人には切り捨てられる」
ヴァハは心底同情する様にソレナを見据える。
「私を受け入れなさいソレナ、貴女のその怒り…憎しみの苦痛は私が背負いましょう」
「世界に復讐を」
ソレナの中に甦る怒り……そして哀しみを含んだそれは憎悪だった。
両親……父シノンと母スレイアを殺したのは盗賊の集団であった。
盗賊の集団に両親を殺される。
あの当時、王国の治安は国王の大粛清により荒れに荒れていた。
盗賊に両親を殺された者など珍しくない時期だ。
しかし………
ソレイナは問いただした。
聞いてはいけない、知ってしまった残酷な真実を……
シノンは教団に所属する優秀な医者であった。
クラリオスの子ではあったが、魔術の才能はなく、後継者とは全く見なされない人物ではあったが、その穏和な人柄と医術の腕は多くの人々の為にあった。
ソレナは覚えていた。
父の穏やかで優しい人柄を、そして母も……
『ふふっ……甘えん坊さんね、ソレイナは』
母に最後に撫でて貰った記憶だ。
幼少の記憶の多くは忘れたが、これだけははっきりと覚えている。
傍らで穏やかに笑う父、優しく暖かな母との最後の別れを……
かつて国王の粛清の嵐は多くの犠牲者を、そして……
人々の悪意を鮮明とした
その中に一人の諸侯が居た。
王国に表立って反旗を翻した貴族が……
端から聞けば暴政に立ち向かった英雄だろうが、真実は王妃暗殺の片棒を担いた愚かな人物でしかない。
両親は教団の医療旅団として王国軍に同行し、国王の粛清という名の後始末に奔走していた。
戦争というものは例え終わろうとも、それで全てが終わりなるのではない。
復興という名の戦いが始まり、両親はその犠牲者となった。
ヴァハの魔術だろう、周囲の光景が変化する。
それはソレナにとって残酷な光景であった。
周囲に倒れた多くの遺体
その中に男性の斬り落とされた頭部を抱え泣き叫ぶ女性が居た。
ソレナが知りたくもあり、知りたくなかった真実の光景がそこにあった。
完全武装した傭兵団崩れらしき者達が、物資を奪う為に戦闘員があまり居なかった復興部隊の不可侵たる《教団》の者たちの多くが殺された。
人々の力になろうとした者も、映えある神官戦士達も、戦争が終わった後の人生を歩み出そうとした者達も……
愛する良人の斬り落とされた頭を抱え哀しむ女性を、鎧を纏った獣達が下卑た笑いをしながら取り囲んだ。
・
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・
雪が降っていた……
地面に薄く積もった雪は周囲を白銀の世界へと染上げる。
白いその世界ではあるが僅かに違う色があった。
白い世界に赤黒い色が僅かに広がっている。
それは白銀の積雪に横たわる一人の女性から発している色だ。
頭部が大きく損傷し、その瞳は生気はなく虚ろで何も映していない。
側にある塔から身投げした女性の遺体だった。
「………やめ……て……、やめて、やめて!!!!」
ソレナは血を吐く様に叫び出した。
当然のことだろう先ほどからの光景は彼女の……
「これが貴女が知りたがっていた真実よ」
ヴァハの記憶を流し込まれたソレナにはそれが真実だと理解してしまう。
魔導式《世界の記憶》
世界に刻まれたありとあらゆる《記憶》を観る魔導式である。
分かっていた……いや、分かっていたつもりだった
父は盗賊に殺され、母は汚され、祖父に救出されたが後に心を病み……
自ら、塔から身を投げ生命を断った。
ソレナの両眼から熱いものが溢れる。
心の奥底に眠っていた憎悪が蘇る。
それは祖父から事の真相を聞いた後……その心に芽生えた憎悪と怒りであった。
「想像以上の素晴らしい憎悪よソレナ。貴女の憎悪と私の憎悪が一つになれば源流をこえることが出来るわ!!」
ヴァハは恍惚の表情でソレナに手を差し伸べ
「さあ!!憎しみを!怒りを!解き放ちなさいソレナ!! そして全てに報復を!!!」
「貴女こそ私が待ち望んだ、完全なる《転生者》よ!!!」
――――憎かった……煉獄の炎が心を焦がすその怒りで全てを灼き尽くしたかった……
――――だけど私はその怒りを憎悪を認め、そして奥底に……心に沈めた……
――――私は復讐を否定しない、でもその怒りを、憎悪を抑えられたんだ
私の憎悪に歪んだ瞳を映す瞳がすぐに目の前にあった。
私の何より大切な家族……愛する最後の家族……その瞳が……
祖父の瞳が憎悪に歪んだ私の瞳を映す
私以上の憎悪をその身に宿し……
『……憎くないわけないだろう……シノンはかけがいのない妻との証だった……スレイアは幼い頃から娘の様に愛しかった……』
『……ならば……なぜ…………何故!!!!』
私は血を吐く様に祖父に言葉をぶつける。
自らの行き場のない怒りを……
『終わったことだと!! ……怒りを抱き生きろと!! なぜ!!なんで!!!』
ソレイナ言葉はまさに血を吐く様な慟哭であった。
両親の仇達は大粛清によってもう居ない。
彼らは裁きを受けた。
だから怒りを秘め、決して表に出さずに生きろと言うのだ。
だがそんなことで渦巻くような憎しみを宿したソレイナは納得出来ることではなかった。
行き場のない怒りと憎しみは、ソレイナの中で多くの人々に向けられた。
(国王も貴族も教団も民衆も神も精霊女王も、そして………)
この醜い世界を!!
だがそのソレイナを止めようとする両の手が彼女の肩を力強く抑え込む。
クラリオスの瞳からは憎しみの焰は残ったままだ、でも彼は止めた。
『……どうして……お祖父様も憎いのでしょう!!私と同じですのに!どうして止めるのですか!!』
『……怒りと憎しみを忘れたことはない。しかしソレイナ儂はお前を止める!』
ソレイナを止める確固たる意識、彼は見透かしていた。
彼女が魔王へと堕ちようとする意思を……
『正しい怒りを持てソレイナ!!』
クラリオスから発せられたのは憎しみを抑え込む強き意思
『憎め! だが、それは悪意を恨め!! 二度と起こさせない意思を刻むんだ!!』
――――正しい怒りを持て
・
・
・
「……ちがう……」
気持ち悪かった。
怒りが、憎しみが渦巻く自分の心が……
(吐き気がしますわね………)
「何が違うと言うのソレナ」
女は自分と同じ姿だが、何もかも違う。
「私が貴女の転生体だと言いたいのでしょうけど、私は私です。 貴女とは違う!!」
ソレナは手で自らの胸を抑え
「私のこの怒りも憎悪も私のものです!! そして!!!」
「私が望むのは復讐の未来じゃない! 私が望むのは」
――――そう私は彼女を助けそしてやり直す。あのような上辺だけの言葉じゃない、今の意思をあの娘に……
「私を愛してくれた人達の為に未来を生きます!!」
ソレナのその強き意思の言葉はヴァハに届くが、その表情が憎々しげに歪む。
「そう……残念ねソレナ……」
「ならば貴女の憎悪を私が飲み込みましょう」
それは瞬時の出来事であった。
ヴァハから発せられた一筋の魔力の矢がソレナを撃ち抜く
(……え……)
衝撃より盛大に吹き飛ばされるが
(い、痛みはない……でも、なんなの……)
ソレナを襲ったのは痛みではなく、表現が難しい喪失感の様なものであった。
「この空間は私が作り上げた《自己の世界》を、貴女の精神に反映させたもの、私も貴女もこの世界の一部……」
ヴァハはゆっくりと歩み始める。
「私も貴女も精神と言う名の《線》に存在する《点》でしかない……」
更に一歩
「そして《点》は一つしか存在出来ない。次に目覚めるのは私か貴女か残った者が”ソレイナ”となる」
ソレナはヴァハから受け取った記憶からその意味を理解する。
《格》を保ったままの転生において、最後の仕上げは元の《格》と新しい《格》との融合か、どちらかの《格》の消滅だ。
ソレナはヴァハとの融合を拒否したために自分が新しいソレイナになることを決めたのだろう。
(……くっ!!不味いですわ!)
ソレナとヴァハの実力差は大人と子供ではない。
文字通りに、神と子供の戦いであった。
異界の戦いの女神の一柱、完全なる三相女神にして先日戦ったモルゲンの妹
、ヴァハの記憶から引き出した情報は自身の絶望以外ありえなかった。
ヴァハは最初の一撃から追撃は行わない。
答えは明白でソレナのことを甘く見ているのだろうが
(その油断を命取りにしてさしあげますわ!!)
ソレナは数少ない使用できる魔術《速度強化》を使用しヴァハから全力で逃げ出した。
先ほどの攻撃で自分の中が削られたが、運動機能に損傷はない。
だが圧倒的な戦力差を覆す手段はすぐには思いつかなった。
「……今でも悪くはないけど、まだ少し足りないわね……」
ヴァハは口元を歪ませ呟く。
それは……
「もっと怒りを、憎しみを、絶望を知りなさいソレナ。貴女の希望……」
「私が砕き、飲み込ませてもらうわ」
向けられた者を絶望に突き落とす呪いであった。
二か月ぶりのうpになります。
私事が色々重なり遅くなって申し訳ありません。
隙間時間に何話か書くことは出来ていたのですが、修正や調整のまとまった時間が取れずにこんなに長くなってしまいました。
あと明日に、もう一話分何とかうpしますので読んで下さる方がいらっしゃいましたら、どうかよろしくお願いいたします。
(待たせ過ぎて誰にも読んでもらえなかったらどうしようと、頭を抱えています)
遅くなって本当に申し訳ありませんでした。