68話:ソレイナ修行編01
静寂の中、小石が一欠片、固い地面に落ちる音が響く。
光も差さない様な洞窟の様の様に見えるが、周辺には光苔が至る処に栽培され最低限の光量を保っている。
そこは王都に存在する、神の試練と呼ばれるダンジョン地下50階の人類最到達エリアであった。
だが地下50階とはいえ、そこが王都の地下ではない。
教団、冒険者ギルド双方から出た結論はダンジョンは、自らの住む世界とは隔絶された異空間であると言うことだ。
で、なければ少女の目の前の存在が人の世界に住むことは不可能だろう。
少女――――ソレイナの周囲に酒の匂いが漂う。
酒が呑めないソレイナには気分が悪い匂いであるが仕方がない。
それを持ち込んだのは自分なのだから……
ソレイナの胴くらいの身長しかない老人の小人が、顔を赤めらせ、自身の身長ほどある樽を持ち上げ中の酒を水の様に煽り飲む。
もう何杯目だろう周囲には小人の飲み散らかした樽が散乱していた。
樽の中の酒はいずれもかなり高価な酒であり、この様に水みたいに飲むものではない。
ソレイナとて自分の資産を殆どはたいて買ったものだが、この老人の機嫌を損ねなければ安いものだ。
機嫌を損ねればソレイナは数刻と持たず殺されるだろう。
小人の老人が最後の一樽の酒を呷り飲む。
これで足りなければ自身の魔力で生み出した酒を差し出すしかない。
だが、果たしてその酒がこの小人の老人の口に合うかどうか……
小人の老人が樽の酒を呑み干そうとしていた。
(聞きしに勝る酒豪ですわね)
祖父の回顧録に書いてある通りだった。
ソレイナが編纂している祖父クラリオスの回顧録、《大司教クラリオス伝記》に祖父から聞き出し、自らが記した内容だった。
王都に存在する《創造神の試練》のダンジョンにて、メリア、クラリオスのパーティが有史以来初めて人類初でもある50階層に辿り着いた話しだ。
王都のダンジョンは5の倍数階層に階層守護者が守り、10の倍数には特に強力な階層守護者が守っているのだった。
そして人類最到達エリア50階
そこを守るのが、目の前の《精霊クルラホーン》であった。
《精霊》
創造神から世界を支える13の魔導式を任された精霊達である。
どれだけの数が居るのか、どんな者達なのか、その魔導式とはなんなのか、詳細は不明となっている。
教団でもかろうじて存在だけ分かっている精霊は、精霊達の筆頭で教団の象徴でもある《精霊女王》、そしてメリア達パーティーがダンジョンで出会った《精霊クルラホーン》だけであった。
――――ドン!!
酒が無くなったのか、地面に樽を乱暴に置く音が洞窟に響く。
その音によりソレイナは思考の海から意識を戻し即座に魔術を使用した。
その魔術は《酒造》の魔術である。
その名の通り酒を創る魔術であるがソレイナはこの魔術を殆ど使ったことがない。
酒を嗜まない彼女には必要ないし、贈り物にする時も酒蔵から買うのが普通だからだ。
そして通説だが魔力で創った酒の最大の欠点が……不味いと言うことだ。
魔術で直接創った食べ物や水などは便利でいいのだが、最大の欠点はとにかく不味いことであった。
食べ物は『こんなの食うなら、ゴブリンを炙って食った方がましだ』とか、水は『俺のショ◯ベンのがまだ旨い』とか言うのは有名な話しである。
(酒もお察しでしょうね)
それでもクルラホーンは特に気にした様子もなく酒を呷る様に飲む。
(ひとまずは大丈夫そう……かな?)
祖父から回顧録の編纂から聞いた話しでは、クルラホーンの機嫌を損ねてはならない。
彼に用事があるならば彼が話し掛けて来るまで、ひたすら酒を差し出すことだ。
(……今回は飲む速度が早いですわね)
魔術で創った酒は先ほどまで差し入れていた酒に比べ、ペースが早い感じがする。
(これは機嫌を損ねてしまったかしら!?)
マズイと思ったソレイナは《念動》の魔術でクルラホーンが呑み切った別の空の樽を手繰り寄せ魔力を高め《神酒》の魔術の発動準備を始める。
(あまり魔力を無駄遣いしたくなかったのですが、仕方ありませんね)
先の例により魔術で食品や飲料を創った物は不味いのが欠点であるが、美味いものを創る魔術もあるにはあるのだ。
だがそれらの魔術の魔力消費は、かなりの量を消費するのが欠点であった。
《神酒》は使用者の魔力の質によって味・質が変わり、クラリオスが創りし《神酒》は至高の美酒とも評判であった。
(お祖父様、言いつけに背き申し訳ありません)
ソレイナは《神酒》をクラリオスの許可なく使用することを禁じられていた。
以前にこの魔術で酒を創りクラリオスに飲んで貰ったのだが、眉を顰め『これは……!!』と言ったあと、許可なくこの魔術の使用を禁じると言いつけられてしまったのだ。
その後、クラリオスは暫く『ヤバいのぉ……ヤバいのぉ……』と呟いていたが、そんなに不味かったのだろうかと考えるが
(でも、もうこれしか手がありませんわ)
クルラホーンは手にした樽の酒を呑み切る。
(次の酒はまだ底の間くらいしか……ええい!もうどうにでもなれ!!)
ソレイナは樽に僅かに醸造した《神酒》をクルラホーンに差し出す。
中身が少ない為、怒りを買うかもと覚悟した彼女であったが……
クルラホーンは《神酒》の入った樽に口を付けた途端固まったかの様に動きが止まる。
それは不思議な光景であった。
小人の老人は重い酒樽を自分の口に付け、樽を傾けながら固まってしまった。
・
・
・
先程からクルラホーンが酒樽を1斗呑み切っていた時間はとうに過ぎている。
だが静寂の中クルラホーンの喉が鳴る音はしているので、呑んでいるのは確実だった。
かなりの時間をかけて樽の《神酒》を呑み切ったクルラホーンは、更に手にした樽を真上に逆さに持ち上げ、中の一滴も呑み切ろうとする。
(ど、どうやらご満足いただけたようですわね……)
「ふ〜〜〜♪」
静かな洞窟にクルラホーンの満足した酒臭い吐息が流れる。
「さて……酔いが回っている間は話しを聞いてやる。何の用だクラリオスの孫」
ソレイナはその言葉に驚く、自己紹介もしていないのにどうして自分をクラリオスの孫だと分かったのだろうと
「あん? 何でだって顔してんなおめえさん。オイラがクラリオスにやった割符を使って地下50階層に来ただろう、あと魔力の質がクラリオスのソレを受け継いでいるが、濃さが娘とするなら薄い、かと言って曾孫では濃過ぎる。 だから孫だ違うか」
クルラホーンのズバリとした言に驚嘆するソレイナ。
確かにクルラホーンの言う通りだ。
ソレイナのダンジョン攻略階層はまだ20階層であり、本来であればダンジョンの転移装置を使った際には地下20階層から下には行けないのだった。
そこでクラリオスからソレイナが預かった割符であった。
この割符はクラリオスがクルラホーンの試練を打ち勝った証であり、この割符を転移装置で使用すると50階層に来ることが出来るのであった。
「おっしゃられる通りです。 クラリオスが孫、ソレイナと申します」
畏まるソレイナに鋭い視線を向けるクルラホーンであったが……
「本来ならズルして此処に来たオメエに容赦なんてするつもりはねえし、酒を出し惜しんだらヤろうかと思っていたが……気が変わった」
クルラホーンはニヤリと笑みを浮かべる。
その笑みは心底感心したと言った様な笑みであった。
「あんな不味い酒の後に最高の美酒を出して来るとは、クラリオスの孫だけあって小憎いヤツだなホント」
(あのお酒美味しかったんだ)
祖父からは禁止令が出ていたから不味いとばかり思い込んでいたソレイナは何故と考えるが、クルラホーンの次の言葉でそんな疑問は吹き飛ぶ。
「もう一杯あの不味い酒を出されたら、容赦しなかったのだけどな!ワッハッハッハ!!!」
クルラホーンは笑い飛ばしているが、当事者のソレイナにしたら冗談ではなかった。
(け、結果オーライでしたわ……)
なんせ目の前の精霊は祖父に言わせれば、自身の魔導の師匠であり肉体と言う枷がある者では決して勝てないと言っていたのだ。
(戦いになったら確実に殺されていましたわ……)
友好的になって、安堵のおかげか背中の冷たい汗を感じる余裕が出てきた。
「さて……オイラに用があるから、わざわざ此処にきたのだろ。それとも酒をご馳走する為だけに来たのか」
もちろんそんな訳ない。
ソレイナが危険を侵してここまで来たのには勿論理由があった。
ソレイナは膝を地面に着け、その姿勢はまるで師匠に教えを請おうとする弟子のように頭を下げる。
「お願いがあります! かつて祖父に魔導式を授けられた様に、私にも魔導式を授けてください!!」
ソレイナの目的は魔導式を得ることであった。
ソレイナの脳裏に降神に子供の様に扱われ敗れたことが蘇り、悔しくはあるがそれは負けたことではない。
(貴女を助ける為なら何だってやってやりますわ!)
最初ソレイナは教団の戦力と共に降神を討伐し、その過程で囚われた彼女を助ける算段を立てようとしていたがその計画は潰えた。
教団は……アリア侍祭を見捨てる決断を下したのだった。
冷徹な判断ではあるが、それは無理もなかった。
数十年前に降神の分身体と教団との戦いになった際は、数多くの神官戦士・聖騎士が死亡した。
その中にはメリアやクラリオスの冒険譚に謳われる最強のパーティが含まれていたが、そのメンバーも三人を残し全滅してしまっている。
故に前回と同じ轍を踏まぬ為に、今回の降神の分身体との戦いは王国と教団との協同戦線となったのだった。
その王国との協議については滞りなくスムーズに進んでいる。
気持ち悪いくらいに……
だが戦略の過程に当たって王国側から戦いの犠牲を最小限にする為のある提案がなされた。
その戦略を祖父は飲んでしまったのだった、それは囚われたアリア侍祭を見捨てることと同意義であった。
(私は諦めませんわ!!)
「何を言い出すかと思えば、嬢ちゃんが魔導式なんて会得してどうするってんだ。 あれは子供の玩具じゃねーぞ」
子供扱いするその言い方にソレイナはカチンと来るが、永き時を生きる目の前の精霊に言わせれば自分なんて赤子の様な年頃なのだろうと納得せざるを得なかった。
「遊びや酔狂で魔導式を教わろうなどとは思っておりません。どうかお願いいたします!」
ソレイナは必死の懇願を行うが、クルラホーンは呆れた様な表情は変わらない。
「はあ……オマエ、魔導式がどういうものか知っていてそう言っているのか……」
クルラホーンのその言葉にもちろんと頷き、首肯するソレイナ。
「もちろんです。魔導式はこの世界の摂理を支える柱に使われた式であり、術は《点》、陣形は《線》、導式は《則》に属するものであります」
ソレイナはクルラホーンにこの世界の魔術師が最初に学ぶべき基礎を述べる。
理解するまでは小難しい理論であるが、簡潔に述べれば《術》は個人で完結する術であり、その発現出来る力は個人の力量で左右され上限も定められた力である。
そして《陣形》は術師を《線》で繋ぎ《術》で頭打ちになる力の上限を引き上げる《陣》である。
《線》の魔術師から力を統括し《陣形》の中心の発現者にかなりの負担を強いる技であるが、ソレイナの能力からすればそこまでのものではない。 ちなみにソレイナは自滅覚悟をすれば、個で《線》を創り、幾人の魔術師が必要な《魔法陣形》を一人で発現させることも出来る。
あまりやりたくないことではあるが……
(頭に血が上っていたとは言え、無茶をしましたわ)
「一応基礎は学んでいるようだな。そして《導式》だがな……」
導式はこの世界に刻まれた《則》そのものだ。
極端に言えば、朝に太陽と呼ばれる陽光がこの世界に降り注ぐのも、夜には月と呼ばれる月光が降り注ぐのも、周期に雨や雪が降るのも、生命のサイクルがあり、様々な種族が存在するのも、述べればキリがないが生命を支える《世界》の法則が《導式》と呼ばれる神の御業である。
そして魔導式とは……
「魔導式は《導式》に触れた《渾沌の賢者》がオマエら人間の為に造り出した、世界の《痕》だ。 その結果がどうなったかは教団ならよく知っているだろう」
教団の創世神話の話しだ。
ソレイナの脳裏に教団の神体のレリーフの姿を思い出す。
《創造神》を筆頭にその下に控える《精霊女王》、そして壮年のフードを被った男性《渾沌の賢者》の姿だ。
教団の創世神話の一節だ。《渾沌の賢者》は世界の《柱》に《魔導式:聖人》を刻み、人より産まれ落ちし者《聖人》……創造神により創られた十二使徒は人と言う輪廻から産まれ落ちる導式であった。
(……聖人……)
ソレイナの脳裏に、まるで歯が立たなかった生首の女性への恐怖が蘇る。
聖人の危険性は重々承知していたつもりであったが、実際見たあの底知れぬ恐怖感はそう拭えそうにない。
「…はぁ……わかってて言っているみたいだな……」
ソレイナの雰囲気から何か察したのだろう、クルラホーンはソレイナを見据え
「何があった話してみろ、クラリオスの孫」
クルラホーンの思いがけない穏やかな感情が籠もった声に、ソレイナは今までのことを話さずにいられなかった。
彼女は今まで自分で多くのことを一人で背負って来たが、何かあれば祖父や兄とも言える人物が居たことで、彼らに相談すれば自ずと解決策を思い付き何とかなって来た。
だが、今回は違う。
祖父との意見は違え、兄とも言える彼も教団の意志として動くだろう。
恐らくそれが正しい組織者としての決断なのだろう。
世の為ならば、アリアを見捨て祖父の力になる様に尽くすのが正しいのだろう。
かつての彼女ならその様に動いただろう。だが、ソレイナは知ってしまった。
――――――あなたはわたくしが まもってさしあげますわ
(アリィ……今度こそは……)
――――――醜い嫉妬から彼女の手を振り解いた自分……
(今度こそは!!)
ソレイナはクルラホーンに話した。
施設であったことを、教団と王国の対策の方針、そして自分の目的を……
「なるほどな〜 外ではそんなことになってたのか…… で?オマエは魔導式を体得して、誰も助けにようともしない友人を助けに行きたいと」
ソレイナは頷き首肯する。
「はい。今の私ではあの生首の女性どころか、モルゲンにすら太刀打ち出来ません」
あの戦いではソレイナは奥の手までは切っていなかったが、モルゲンは本気どころか手加減すらしていたのは理解していた。
「ハッキリ言うぞ……賢そうに見えてアホだろオマエ」
クルラホーンのいきなりの呆れた言に、ソレイナは虚をつかれた様な表情になる。
そして苛立ちの表情を浮かべた彼女は……
「……わ、わたくしは真剣に……」
「要はオマエが言った例の嬢ちゃんを助けれればいいのだったら、オマエが直接行かなくても出来るヤツに相談すればいいだろう」
そんなことは最初に考えた。
だが、あの強大な相手にそんなことが出来る者が何処に居るのかと、ソレイナはクルラホーンに伝えるが
「そうだな~ 降神は《精霊女王》の管轄だからそっちに頼んだらどうだ」
それこそ無理な相談だった。
《精霊女王》は《聖域》の精王宮と呼ばれる神殿に座しており、伴たる《聖女》以外に会うことは王都大司教たる祖父や、帝都教皇であっても困難だ。 ましてや王都の司祭たる自分では会うどころか、ご尊顔を拝することすら不可能だ。
それにもし会えたとしても精霊女王が、一介の侍祭を助けることがあるはずない。
降神を倒す使命を教団に与えたのは精霊女王であり、精霊女王の勅令の前にはそれが優先されるのは仕方のないことだからだ
ソレイナは教団の体制についてクルラホーンに説明を行い無理だと言うことを伝える。
「へー暫く会ってなかったが、アイツの寄り合いがそんな組織になってたか。 しっかし、お転婆なあいつが引きこもりになってるなんてコイツはお笑いだ!!」
ソレイナの話に大笑いをするクルラホーン。
教団が難民達の寄り合い所帯だったのは、数百年前の話だ。
人間には何代にも渡る永い時であっても、精霊にしてみれば数年程度の感覚なのだろう。
「うーん。俺はここから動きたくねえし、アイツに頼めないとなると確かにオメエが頑張るしかねえな」
クルラホーンは「よっこらしょ……」と掛け声を掛けながら立ち上がり
「クラリオスの孫、望み通り魔導式を伝授してやる。ま……体得出来るかはオメエ次第だがな」
クルラホーンの重い腰がやっとあがりソレイナは安堵をするが、クルラホーンはそんなソレイナの安堵を嘲笑うかの様に
「では、第一の試練だ。耐えろ」
ソレイナとクルラホーンの周囲の空間が変質していく。
(これは…まさか!)
先日にモルゲンが発現したモノに共通点があった為に、ソレイナは悟る。
(自己の世界!!?)
クルラホーンが発現させた《自己の世界》は両者を飲み込み
この世界から隔絶された。
続きは編集途中でして近日には投稿いたします。
本当に申し訳ありません。
今しばらくお待ちください。