56話:王都襲撃
俺の目の前に一つの光景が見える。
歴史と伝統を感じさせるが、何処か温かい家庭の様な雰囲気を感じさせる部屋であった。
そこに二人の男女が小さな揺りかごを前に、楽しげに談笑している光景である。
そして揺りかごの中に注がれる二人の視線
それは愛しさを込められた、親の愛に溢れた眼差しであった。
「トーヤ! 起きて!起きてったら!!」
夜の帳が下ろされた夜半頃、睡眠中だった俺はティコの声に起こされることになった。
「……何だよティコ……まだ夜中じゃないか、何かあったのか……」
俺は眠たい眼を擦りながら、安眠妨害されたことに文句を言うが、ティコの真剣な瞳から良くない事態だと直ぐに察する。
そう言えば昔、犬のチロが庭に不審者が入った時、酷く吠えていたことを思い出した。
「この近辺全域に結界が張られている」
現世でこの言葉を聞いたら『あ、こいつ酔ってるか厨二か?』と思うが、ティコが言うなら本気と書いてマジなんだろうな。
「結界って、人払いとか、封じ込めとか、悪いものを寄せ付けないとかそんなのか」
俺の結界の知識なんて大体そんなものなので、ティコに詳細を聞いてみるが
「そんな生易しいものじゃないよ、この結界は三重奏系の虐殺結界というものなんだ」
な、名前からして酷く物騒なものだと言うことは分かった。
「まず第一に《昏睡》の魔術を広範囲に展開、第二に《減血》の魔術で身体の抵抗力を低下して、最後に《停止》の魔術で心臓と脳の機能を完全停止させて死亡させる。 高い魔力抵抗が無いと確実に死ぬ、戦略級魔法陣形の結界さ」
要は広範囲の致死魔法と言うことか
「今は第一の《昏睡》が動いた所だけど、トーヤに掛かろうとしていた魔術は無効化しておいたから」
その言葉に俺は冷や汗が背中に流れる。
ティコが居なかったら、何も知らないうちにまた死んでいた訳だ。
もう、死に芸が持ちネタになりそうだよ。
「そうか、ありがとうティコ助かったよ。広範囲と言うことは他の人達は大丈夫なのか」
さすがに、ご近所様全員が犠牲になるのは気の毒過ぎる。
ティコはその言葉に首を振り
「こっちは後手に回っている状態だからね。 でも、まだ第一段階だから魔法陣形を形成している中心を潰せば結界は解除され大した影響はないだろうから、ボクは今からそれを潰しに行くよ」
頼もしいティコのその言葉に俺は安堵する。
でも、念のために
「相手はいきなりこんなマネをする異常者だ、それに目的も分からないし油断はしないようになティコ」
ティコは頷き、そして俺とこれからの対応について打ち合わせを行った。
俺は路地を駆け抜け、メリアが居るであろう礼拝堂兼孤児院に向かっていた。
ティコとの打ち合わせの結果、俺が結界に掛かっていないのは相手にバレている可能性が高い為にメリアの所に自主避難をして欲しいとのことだった。
幸いにも孤児院は結界の対象にはなっていないので、それも含めてのことだ。
そして第二の結界が張られるまで時間との勝負でもあるので、足手まといの俺がティコに付いて行くのは論外であった。
見渡すと、結界が張られているとのことだが、周囲の風景は特に変化した所はない。
しかし、夜中ではあるが王都の治安を守る治安兵が道々に倒れ伏していた姿を確認し、異常事態であることを理解する。
それにしても夜中に結界が発動されたのは、不幸中の幸いだった。
もし日中や食事時に第一の結界が発動するだけでも大惨事確定であろう。
それは乗り物の暴走や、食事時の火の不始末などいくらでも考えられる。
そう思った時だ、案の定俺は周囲に何か焦げ臭い匂いを感じる。
それは道に落ちていたランタンから匂っていた。
ランタンは横になっており、漏れた油に引火し焚き火の様な様相を呈していた。
それだけならば油が燃え尽きれば自然に消えるだろうが、問題はその火が一軒の住居の外壁を焦がしていたことだ。
「つか……火事になる!!」
俺の嫌な予感は的中した。
的中しなくてよかったのだけどな……
俺は消火を行おうと、周囲を見渡すが防火水槽は近くにない。
仕方ないので俺は木窓が開いていた他の家に入り込み、その家にあったシーツを拝借し、水瓶の水をシーツにタップリと含ませ、そのシーツをランタンに被せて消火を試みる。
昔、会社の防火訓練の講習で油の消火の際は水単体ではなく空気を遮断することが大切だと教わったので、水を含ませた布を被せ空気を遮断するのが効果的なのを思い出した。
だが一枚では足りなかった様で、俺はもう一枚水を含ませたシーツを民家から心中で謝りながら拝借し、何とか消火に成功する。
(ぼ、小火でよかった……本格的に火事になったらシャレにならなかったぞ)
何かどっと疲れたが、俺は先を急がなければと思い進行方向に視線を向けるが
――――パチ、パチ、パチ
暗がりから拍手をする美しい女性がゆっくりと歩んで来る。
「消火活動ご苦労様です~ お疲れの所悪いですが……」
俺の脳内警報は最大警報が一瞬で鳴り響き、話を最後まで聞くことをなく背を向け脱兎の如く女性と反対方向に駆け抜け出す。
(あれはヤバい、あれはヤバい、あれはヤバい、あれはヤバい!!!)
命の危機を感じた俺は相手の姿を美人のお姉さんとしか確認せずに全力で逃走する。
俺の本能は、命の危機に対する恐怖に支配された。
まさに、ある日森の中で餓えたグリズリーに出会ったくらいの恐怖である。
俺は全力で逃走するが、気配の様なものはピッタリと俺の背後で感じる。
風呂場で頭を洗っている時の後ろが気になる感じだ。
「はぁ!……はぁ!……はぁ!……」
もう1kmくらい駆けただろうが、息も絶え絶えになり倒れそうな状態になるが、それでも死の恐怖が火事場の馬鹿力の様に俺の身体を突き動かす。
だが、やはり体は正直だった。
俺は足を縺れさせ、走っていた勢いもあって盛大に転がる様にこける。
だがそれはこの上ない幸運だった、否、悪運か……
先ほどまで俺が立っていた、首の箇所に鋭利な刃物の様な何かが通り過ぎた。
ここで転ばなかったら、俺の頭は胴体とオサラバしていただろう。
「躱した…… いえ、ただの悪運ですね~、往生際の悪い虫です~」
ああ俺もそう思うよ、もちろん虫と言う方はなく、悪運のことだが
立ち上がった俺は夢中で走っていたので、確認して居なかった周囲の光景と相手を確認する。
相手は凄い美人さんの女性だ。
だがその美は作り物めいたものであり、何か精巧なマネキンを連想させ、マネキンらしくお洒落な衣類を着ていた。
ちなみに両手には何も持っていないが、先ほどの攻撃から察すると何か武器を隠し持っているのか、もしくは魔術の使い手か……
そして周りの状況だ。
なりふり構わず廻り曲った裏通りの路地を全力で逃走したので、今の居場所がさっぱり分からなかった。
(ここは何処なんだ)
オマケに月明かりしか光源がないので、例え知っている場所でも暗がかりで全く分からなかった。
俺はマネキン女の動きを観察しながら、ゆっくりと次の逃げ道を確認するが
「追いかけっこは終わりです~、次に逃げ出そうとすれば即座に首を跳ねますよ~」
その言葉に俺はピタリと動きを止め、両手を頭の後ろに組み無抵抗の格好を取る。
「聞き分けが良くて助かりました~ では、こちらの質問に答えてください~」
マネキン女の喋り方からは、命を刈り取る様な迫力は皆無だ。
だからこの女は何の躊躇いなく、それこそ虫を踏み潰すように俺を殺すだろう。
「貴方は何で動けているんですか~ 測定したところ戦闘能力5のゴミなのに結界の影響を受けないなんて可笑しいじゃないですか~」
(やっぱり今回の騒動の黒幕……いや、雰囲気からするとその下っ派かな)
俺がそう考えていると、俺の直ぐ横にの地面が銃弾が弾けた様な音がし、切り裂かれる。
(な、何をしたんだこのマネキン女!?)
「待たされるのは嫌いです~ 忙しいのですから手早く答えてくださ~い」
のんびり対応の自分のことは棚に上げて酷い女である。
「ひっ!! わ、分かりました。だから命ばかりはお助けを!」
俺は酷く怯えた様に演技をし、まずは相手の油断を誘うことにした。
その俺の態度に気分を良くしたのだろう、マネキンの様な固い表情から嗜虐心が現れたような感情が浮かぶ。
(うわ!!ドSだよ!この女ドSだ!!)
これからこの女はドS女と命名だ。
「な、何でと言われましても……その……精霊女王の御加護としか……」
俺は嘘は言ってないのだが、どうやらドS女はその回答にはご不満の様だった。
また俺のすぐ横の地面が切り裂かれる。
(一体何で切っているんだ!? 全然見えないぞ!)
見えない攻撃はさすがに厄介過ぎる。
「そんな冗談を言う許可は与えてはいないのですよ~ 次にふざけたことを言ったら四肢を一本づつ切り落とします♪」
楽しいそうにとんでもないことを言うドS女、つかサイコパスも発症しているのかよ! 救い様がなくて医者も匙投げるわ!!
その時俺の耳に微かに蛙の鳴き声が聞こえる。
その鳴き声に俺はこの前、孤児院の子供達と蛙を捕まえに行ったことを思い出す。
(もしかしてここがそうなのか)
暗がかりで雰囲気が違っていたが、冷静に見れば確かにそこはこの前蛙を捕まえに行った場所であった。
(なら、あれがあるか……よし!!)
俺に天啓が閃く。
「ひいいいいい!! どうか! どうか!命ばかりは! 命ばかりは!!」
俺は思いっきり三下風の命乞いをする。
「心当たりとしましては、以前大司教さまから護符をいただきまして、それで私は無事だったのかなと思っております」
勿論、口から出任せなのだが本当のこと言ったって信じないのだから仕方ない。
「なるほど~ 大方、魔力抵抗を上げる物なのでしょうね~。 では、その護符を出しなさい、素直に出さないと……分かっていますね~」
「はい!勿論です!!」
俺は即座に返事をし、懐に手を入れあるものを取り出す。
(えっと、確か……)
俺は懐で手にしたものに《魔力》を僅に注ぎ、マジックアイテムの起動準備を行う。
このマジックアイテムは孤児院の子供から貰ったものだ。
この前に初めて知ったのだが、基本マジックアイテムを起動する際は使用者の魔力を極少量に入れることが起動キーとなっており、一種の安全装置になっているのだ。
王都に来てから、火起こしの際に、《発火》の魔石を使用した際はライターみたいでとても便利だった。
ちなみにトーヤの田舎にはそんなものは無く火打ち石である。
(いち)
「すみません引っ掛かったみたいで」
(にい)
ドSサイコパス女が手際の悪い俺に指を向ける。
恐らく手際の悪い俺に仕置きを行うつもりなのだろう。
俺は懐から包みを取り出し、ドSサイコパス女に投げつける。
(さん!)
包みは内部に仕込んでいた《小発破》の魔石がかんしゃく玉の様な破裂音を発生させ弾け、中に仕込んでいた小麦粉が女に振りかかる様に舞う。
突然のことで、白い粉末に驚いた女は振りかかる小麦粉を避ける様に後退した。
(その隙を待ってたぜ!)
俺は飛び出す様に蛙が鳴いていた箇所に飛び込む様に身を躍らせた。
「うお!」
飛び込んだ先での落下感
深さは1mくらいだったと思うが、この暗がりだともっと深い様に感じる。
そして底に着いた俺の足に水の感触が纏わり付いた。
俺が飛び込んだ所は排水路である。
生活排水ではないのだが、上水の余った水や雨水を逃がす為の地下水路に繋がっている水路だ。
俺は頭を下げ四つん這いになりながら水路を進み、水路上の建築物の下の排水路に入り込む。
「ま、まちなさ~い!」
けっ!待てと言われて待つ馬鹿がいるかよ!
「じゃあな、ドSサイコパス女!!」
ちなみに追って来る様なことはないだろう、それはあの女が着ていた衣類にあった。
(あんな綺麗なおべべを汚したくはないだろうからな)
実際服には汚れ一つとしてなく、お洒落のセンスも良かったのでそう考えたのだ。
実際、小麦粉爆弾で汚れるのも嫌がったし、排水路の中に追ってくる様子もない。
(よし最後にダメ押しで)
「やーい!さいこぱす~、悔しかったらここまでおいで~あっかんべー」
悔しがるドSサイコパス女を想像し溜飲を下げながら、俺は地下水路に降りる排水路を逃走することにした。
(とりあえず、地下水路から安全な所に出て孤児院に急がないと)
「虫風情がよく吠えたものですね~」
のんびりと言っている様だが、その言葉には怒りが込められていた。
女性は、あの虫が入り込んだ排水路の上に建っている建物を見据えたところ。
建物下の排水路の中から反響した声で
「やーい!さいこぱす~、悔しかったらここまでおいで~あっかんべー」
言っている意味はよく分からない単語が多いが、要はバカにされているのは女は理解した。
女は怒りに満ちた瞳をし腕を建物に向け
「今この建物を潰せば、下に居る虫は潰れるでしょうね~」
地下水路に入られればそれまでだろうが、排水路にまだ居るなら上に建っているこの建造物を潰せば下にまだ居る不快な虫を潰せるだろう。
女は建物を解体しようと自分の武器を使おうとするが、その直前に区画に展開されていた魔法陣形が消失した感覚が届く。
「あら~ もう対処されましたか、まあ最低限のお仕事はしましたし、今日は帰るとしますか~」
そしてあの虫が逃げて行った排水路に視線を向け
「次見掛けたら、バラバラに解体してあげますからね~」
そう言って女性はその姿を王都から消した。