50話:大鷹とスズメ
頬を叩く音が響いた。
俺はアリアの頬を叩いたのだ。
赤く頬を腫らした、アリアは呆然とした表情で俺を見つめている。
俺の心に痛みが走るが、それで後悔するほど俺の意志……決意は揺らがない。
「お前は何をやった。そして何を考えているんだ」
俺は苛ついた、妬ましかった。
多くの人間が欲しがり、俺も欲しかった他者からの信頼・期待を得、そしてそれをあっさりと捨て様としたアリアが許せなかった。
……いや、分かっている。
全ては俺が悪いんだ。
俺が彼女をそこまで追い詰めてしまったから、今回の様なことが起こってしまったんだ。
彼女を責める、俺は最低だ。
だが俺は演じなければならない。
アリアに、もう二度と愛する者の為に全てを棄てさせる道を選択させない為に……
「お前が他者にどんな想いを寄せようが、それは自由だ。だけどな……怒りに身を任せ、あの愚か者と同じことをしてどうする」
”同じこと” その言葉にアリアの瞳に怒りが籠り、表情が歪む。
「同じ何かじゃない……」
「同じ何かじゃない!! あの男は、貴方を……私の大切な人を……愛する人を傷付けた!! あの男に怒りをぶつけるのが何が悪いの!!」
彼女の怒声に対し、俺は冷えきった心と目でアリアを見る。
「大切な人の危害の為に、攻撃的になるのは分かる。だけどな……」
「俺はお前の何なんだ」
俺は吐き捨てるように言う。
その吐き捨てる様な言葉にアリアは、先程の怒りを忘れたかの様にショックを受けた様だった。
「わ……私は貴方を……分かってくれると思っていたのに……」
俺は精一杯のゲス顔を浮かべ
「滑稽だな。全てを捨てて仇まで取ろうとした俺は”何も想ってない ”」
「バカの勘違いで、棄てられる婆さんと子供たち、そしてお前を信じ夢を託した人達が哀れだ」
(俺を含めてな……)
アリアの表情に再び怒りが浮かぶ。
「私は棄ててなんて!! 私は大切な人達を……」
「結果は棄てることになるだろうが!!!」
俺の怒号がアリアの苦しい言い訳を掻き消すように響く。
俺の一喝にアリアの瞳にある感情が浮かぶ。
それは俺の怒り対する恐怖だった。
「結果と言うものを考えなかったのか!! 一時優しくされた相手何かに、お前を愛する、信じる人達を棄てるなんて、お前は一体何様だ!!」
アリアは知らないんだ。
彼女にとっての世界は”自分が相手を信じる ”ことに固執しすぎており、気付いていないのだ。
他者からの信頼、希望、そして……
託された夢を
気付いていないから無自覚に棄てられる。
だから彼女は俺への愛などと言う妄信で、こんなことになったのだ。
今回は何とかなったから良かった。
しかし、また同じ様なことが起こった時に、また解決何て出来るのか……
”解決出来る”何て言う奴は自意識過剰の無責任か、思考が神様な奴だ。
「……私は……私は……ただ……貴方と……一緒に」
泣き崩れるアリアを見つめて、俺は彼女の言葉に心で首肯する。
俺もそう想っていた。
短くはあったが、暖かい時間、それは両親と過ごした時と同じくらい素晴らしい時だった。
だけど……それも終わりだ。
母から聞いた昔話を思い出す。
それは一羽の大鷲と雀の話しだ。
大鷹と雀は親友同士であり、大鷹は雀といつも一緒に居た。
だがある日、雀はこう言った。
『自分は君と一緒に大空を飛ぶことはできない。だからここでお別れだ』と
大鷹は別れを嫌がるが、雀は別れを告げ、大鷹は空へと帰っていった。
結末は忘れた。
「あの愚か者が言ってた通りさ、キミと俺では住む世界も目線も違う」
―――― サヨナラだ
そう言って俺は静に歩み出す。
アリアの姿は見ない。
見れる訳がない。
見ると後悔で俺自身が潰れそうだ。
背後からはアリアの泣き崩れる声が響く。
俺はその声から逃れる様に、その場から離れた。
葬送の華の囲いから出たが、行くあてなんかない。
「トーヤ待ってよ」
いつの間にか妖精状態に戻っていたティコは、俺に付いて来る様に飛んで来る。
俺は先ほどのアリアの対応でティコに怒られるか、愛想を付かされるのかと思ったが……
彼女の表情はどれでもなかった。
「アリアについてていなくて良いのか」
俺は心で、己を自嘲する。
あんなに傷つけといて、アリアの心配か……
バカだな俺は……シロの言う通り適当に相手していれば良かっただろうに、そうすれば
何時までも楽しい夢を観れただろうに
「アリアのことも心配だよ……でも」
「ボクは君のことがもっと心配だよ」
俺は静かに笑う。
「俺は大丈夫だ。俺は……」
「トーヤ!!……強がらないで…… 顔では平気そうだけど、キミは辛い時ほど感情を一つしか出さないのはボクはよく知っている」
ティコは俺を責めることなく、その瞳は俺を心底案じる様に優しく俺に問いかけて来る。
「お願い、話して、キミはどうしてアリアにあんなに冷たいことを言ったの……」
悩みは話せば楽になる。
だけどティコのことだ、俺の苦しみを彼女も背負うことになるだろう。
しかし、俺は楽になりたかった。
(やっぱり最低だな俺……)
無責任にも重みを少しでも軽くする為に、俺はティコに自分の行為の重みを背負わせる。
俺はポツポツと、ティコに質問の答えを返した。
「やりとりの通りさ、このままアリアが俺に固執すればアイツは大切な人達を……家族を棄てることになる。 今回のことで身に染みたよ。 死の聖歌を歌おうが歌わなかろうが、俺がどうにかなったぐらいで全てを忘れ、貴族に手を掛けようとして無事に済む訳はない」
それに関しては恐らく教団が何かしらの手を打つだろう。
だが、ギリギリだった。
もし殺害ということになっていたら、取り返しがつかなくなる所だったと俺はティコに告げる。
「命は平等なんてことはない。社会は残すべき命を決めている。その中ではあの愚か者上位者だ」
それが権力者だと俺は呟いた。
「アリアは、俺の為にあってはいけない。 アイツが今まで生きて来た道には彼女が救い、彼女を愛する人、夢を託した人達の為に生きなきゃいけないんだ」
「それが人を救い、希望となった人の責務なんだよ」
神輿は穢れてはいけない。
病の妹を治してくれて感謝と敬愛を捧げるクロスティル、メリアの癒えぬ哀しみと共にあろうとし、孤児院の子供達の哀しみとも寄り添い、彼女に降り掛かった理不尽に怒ろうとした多くの人達……
俺の存在は、アリアにそれを棄てさせることになりかねない。
整理のつかない状態ではあったが、以上のことをティコに自分の胸の内を吐露する。
「ふーん。随分お偉いと言うかご立派なことで」
俺とティコ以外の第三者の声が入る。
それはバンシィだった。
だが、雰囲気が先ほどと随分違っていた。
な、何か……随分自由な感じと言うか……
「アテルア、猫かぶりはもう止めるの」
ティコはバンシィこと、アテルアに懐かしそうな感じで声を掛ける。
「まあ時と場合によってね。今回は久し振りに大バカ野郎を見たから、少し演技を止めたんだよ」
大バカ野郎か……ま、俺にピッタリだよな。
「まず第一にアンタ何様のつもり? さっきの見苦しい言い訳を聞いていたらタチの悪いことこの上ない! 更に酷いのは自分に酔ったナルシストなところ、ああキモッ!」
散々な評価である。
「何とでも言ってくれ、俺は……」
俺の頬に衝撃が走る。
バンシィに殴られた。
「さっきは随分、偉そうに能書きを垂れてくれたわね! アンタの言葉に真剣に考えてしまった自分が恥ずかしいんだけど!! お前は最低の人間だ! いや、人間じゃない!! 神にでもなった気分か…な!!」
余程、腹に据えかねたのか再びバンシィの一撃が来る。
次はボディブローだった。
息が詰まり、一瞬意識が飛びそうになった。
「人の気持ちも好意も分からない精神神様の癖に、何が彼女は皆の為に生きなきゃならないだ。ふざけるな!!! あの子は……ローランが繋いだ命は……そんな道具なんかじゃない!!!!」
バンシィは怒りの形相で俺の襟首を掴み、押し倒して来る。
そしてマウントポジションを確保した彼女は、俺の顔面を殴り始める。
「アンタの言ったことで一つ正しいことはあるわ。”命は平等じゃない ”それは間違っていない、でもね……」
一際強い一撃が俺の頬に加えられる。
「ローランは、スレインは……」
「アンタみたいに諦めたりなんてしていない!!」
ぐったりした俺の襟首を掴み、無理やり立たせたバンシィは俺に怒りが少し晴れた様子で
「あの娘に謝りなさい」
結局はそれかよ、と俺はカチンと来る。
「そっちこそまだ分かっていないみたいだな。アリアはローランじゃない。過保護は過ぎると本人の為にはならないぞ」
バンシィの締め上げる力が強くなる。
「あれが……あんなのがあの娘の為になるだって……」
バンシィの目付きが異様に冷たくなり
「ふざけんな!!!!」
俺には認識出来ない一撃
だがその一撃はティコに止められる。
「アテルアそれ以上は駄目!トーヤが死んじゃうよ!」
バンシィは俺から手を放す。
だが先程の疲労と殴られたことにより、大の字で伸びるのことになった。
「……そうよ。僕はローランの繋いだ命の成果であるあの娘が大切よ。僕とローランには子供は居ない、だから娘の様な……いえ、それは言い過ぎね……叔母くらいかな感覚かな」
俺にその言葉はほとんど聞こえていない。
俺の意識は遠くに行こうとしていた。
それにより、俺はうわ言の様に呟く。
「お前ら有能人間に無能な俺達の何が分かるんだ。希望になったらと思ったら平気で切棄てられる……気持ちを……」
言葉の途中で俺は意識を落とした。