41話︰学園編 絶望への歩み
「ハハッ! その様子だと死にましたか! 生意気な下郎ごときが俺を脅そうとは、傲慢なクズにはお似合いの最後だ。 アハハハハハ……!」
静まり返った周囲にスネイルの心底楽しいと言う様な声が響き渡る。
(さて、これでアレの詳細を知っていそうなゴミは片付いたか、しかしあの下郎は何故あの符号を知っていたのだ)
厳重に管理されていた情報が漏れていたことにスネイルは疑問を覚える。
以前にも王都の近衛騎士団の内偵が潜り込んだことがあったが、そちらは問題なくカタはついていた。
そちらから漏れた情報なのか、それとも内部に裏切り者が居るのか。
出来れば、あのゴミから情報を聞き出したかったが、始末するのが一番安心だろうとスネイルは考えたのだ。
(まあいい、後は……)
旧聖王家の血を引くこの女を巧く誑し込みモノに出来れば、俺は名実ともに公爵を名乗ることが出来る。
否、完全に独立を果たし聖王を名乗り王国に対して報復戦争を仕掛けるのも良い。 残りの勢力のグローバス家もこの女が居ればこちらに手を貸さざるをえないだろう。
その例の小娘は静かな足取りでこちらに歩んで来る。
普段のスネイルなら違和感に気付いただろう、自分の能力で久しぶりに人を殺したスネイルは興奮していた為だ。
アリアのその歩みには足音が一切無かった。
アリアは歩みながら一つの話しを思い出していた。
それは幼き日1人の老人から聞いた話しだ。
老人の名はコーウェン
コーウェンの罪の独白は壮絶なもので、その内容は正に人は100人殺せばと言う内容だった。
ある時アリアはコーウェンに問いた。
――コーウェンは何故そんなにも強くなったのかと
人を殺したことのないアリアには理解出来なかったのだ。
多くの人間を殺すその感性が……
『……私の場合は最初に殺した人間が良かったと言った所だ』
コーウェンの独白が続く。
『暗殺者を育てる際、1つの部屋に男女で生活させる。そして素養のある方に訓練を施し、成績が良ければ食事などのグレードが上がりマシな生活が送れる。孤独だった私は相棒の為に必死で頑張ったよ』
コーウェンの表情は変わらない。それは淡々と日記を読む様な感じだった。
『ある時の話しだ、最終の試験で目と口を封じ闘うと言うものがあった。試験と言ってもそれは殺し合いだ、そこで私は全力でその獲物を解体したよ』
コーウェンは嘆息し、静かに瞳を閉じる。
『部屋に戻ったが相棒の姿は何処にもなかった。そして聞いた相棒は何処へ行ったのかと』
その答えは……
『あれだけ見事に解体しておいて何処も何もないだろう。と言われたよ』
『私の中の何かが壊れた。それは何かは分からない。だが、その壊れたもののおかげで、この年齢まで生きてこれた気がする』
コーウェンのその瞳の感情は分からない。
それは怒りか哀しみか……
『それが強さと言えばそうなのかも知れない。私を貴女に出会わせてくれたのならそうかもしれない……』
コーウェンの瞳から涙が一滴流れ落ちた。
(あの時はコーウェンの言っていることが理解出来なかった。 でも……)
今なら理解出来る気がした。
アリアは壊したかった。
自分の弱さを……トーヤを失った原因の自分の弱さを……
目の前のこの男は自分の弱さの象徴だ。
迷い、何の意味もない過去に縋ろうとした愚かな自分の姿そのものだった。
聖歌が紡がれる。
だがその聖歌はこの世界に歌われることはない。
歌は己の心そのものに響き渡る。
(コーウェン…力を借ります)
―――間合いに入る
そこでスネイルの視界からアリアの姿が消えた。
そしてアリアの姿が再び現れた時……
スネイルの地獄が始まった。
スネイルは油断などしているつもりはなかった。
自身も次期子爵としての教育を受けており、武においてもそれなりの自負があり、歩み来る小娘が逆上して向かってくることも想定に入れていた。
そして逆上した小娘程度なら簡単に取り押さえることも出来る。
貴族に歯向かったことを咎に、強引にモノにするのも悪くないと考えた所で……
―――アリアの姿が視界から消えた
スネイルに考える時間は無かった。
自らの顎に強い衝撃が伝わり、その衝撃はかなりの威力でスネイルを人一人分の距離を吹き飛ばした。
その強い衝撃はスネイルの癇に触る笑い声をこの世から消すかの様に……
――顎を砕いたのだ
「ふぐおおっおおっおおおおっ!!ふぐおっおおおおおおおっ!!」
スネイルが痛みに苦痛を訴え悲鳴を上げ地面を転げ回る。
激痛に転げ回るスネイルをアリアは静かに見下ろしていた。
自身の心に罪悪感が生まれるが、アリアの怒りがその弱い意志を焼きつくす。
アリアは自身の一撃が巧く行ったことに驚く。
先ほどの聖歌は《英霊の歌》と呼ばれるものである。
アリアが何故か物心ついた時から知っている歌ではあるが、今までどうやっても歌えなかった歌だ。
《英霊の歌》
カーネット・オブ・メモリアルにおいて、アリアに実装されなかった特殊能力系の聖歌である。
ボスキャラの一部スキルをラーニングしアリアがそのスキルを使用出来る聖歌であるのだが、実装には膨大な工程が必要になった為にゲームではボツにされた聖歌だ。
だがこの世界においてはアリアに備わっており、自身の心に深く刻まれた人物の技能を使用出来る能力となっていた。
(あ、足が……)
アリアの両足に激痛が走る。
アリアが先に使った技能は《音速踏破》と言う戦闘系のスキルでは奥義とも呼ばれるものであり、コーウェンが生前「俺は音よりも早く動ける」と言わしめたスキルであった。
アリアはコーウェンの《音速踏破》を使用し、その速度の勢いでスネイルの顎に掌底を撃ったのだ。
才能がない自身が教団の護身術の訓練を齧った程度で、武芸を体得しているであろうスネイルの虚を付きダメージを与えるとなると、この方法しか思いつかなった。
スネイルに一撃を与えたアリアであったが、その代償は大きかった。
(足が……動かない)
気力を振り絞り何とか立ってはいるが、アリアの足では武の奥義とも言われる技能を発現させたことにより、両足から悲鳴を上げる様な激痛が走る。
「……ぐうっ……」
アリアは目の前の転げ回るスネイルの様に悲鳴を上げたいほどの痛みに耐える。
この場で絶対、膝を屈したくない為に……
(次はどうすれば)
何とか痛みに耐え、呻くスネイルを見下ろすアリアだったが、両足が動かない為に追い討ちを行うことが出来なかった。
そう考えていたその時、自身の内側に1つの歌の歌詞が降りて来る。
唐突に降りて来たその歌詞はまさに捩じ込む様にアリアの脳内に入って来る。
(誰がこんなことを……)
恐らく魔術か何かで送りつけて来たのであろうと理解したアリアは周囲を見渡す。
周りに居た多くの者達は、アリアの突然の凶行に驚き固まっていた。
私を勝手に聖女だと思い込んでいた人達を見渡しアリアはその滑稽さに可笑しくなる。
誰も私の中身を知ろうともせず、容姿、噂、行いだけで判断してきた結果こうなるのは自明の理だ。
だけど、その中に私を見てくれ、私が欲しい言葉と歩むべき道を照らしてくれた人がいた。
―――アリアは静かに眠るトーヤを見つめる
(トーヤくん……)
聖歌呪法で多くの治療に携わって来たアリアだからこそ分かっていた。
聖歌で意識を取り戻さなかった者はそのまま意識を取り戻すことはなく、7日から10日ほどで息を引き取る。
(貴方が居なくなると言うのなら……)
少し冷静になったアリアは自分に驚いていた。
自覚していなかった自分の想い……
出会った時間はほんの僅かなのに……
でも、思い出される彼の笑顔は……言葉は……
そうこれが
(私はトーヤくんを……これが……)
彼に対する好意はあった。
尊敬に対する敬意もあった。
親に値する親愛もあった。
兄とも言える想いもあった。
そしてアリアは初めて自覚した感情があった。
通常であればこの想いは自身をこれでもかと喜びで満たしてくれたであろう。
だが今となってはその想いは……
絶望しか生まなかった。
アリアはトーヤから視線を外し、スネイルを観る。
激痛でのたうち回るその姿を……
自分の大切な想いを絶望に染め上げたこの男を……
アリアは覚悟を決める。
この聖歌が誰がどんな意図があって私に送って来たものかは分からない。
しかしこの聖歌の特性はなんとなくだが理解出来た、この聖歌なら確実に止めを刺すことが出来る。
(トーヤくん、貴方ならこんな私を嫌うでしょうか……いえ、貴方なら止めるでしょうね)
『俺のことよりも、メリアや子供達、皆のことを考えて生きろ。それが俺に対する供養だよ』
もちろんトーヤが言ったことではない、アリアの中に生きているトーヤが言うであろうと考えただけだ。
(ならトーヤくん……私を止めて!!)
歌われる聖歌。
その聖歌は美しく、そして……
命を奪う白刃のごとき冷たさを秘めていた。
―― 少女は求める
心に在るあの時を
暗き自分を照らしてくれたあの光を ――
だが失われた希望は彼女の元には現れなかった。
聖歌の力によって発現された無数の《葬送の華》がアリアとスネイルを飲み込む。
(先にいくね…… また会いましょうトーヤくん)
二人の姿は、まるでこの世界から隔絶された様に華の中へと消えて行った。




