27話︰《回想:神託の儀式編01》
神託の儀式が始まり、幾ばくかの時が流れた。
この場において、かつての神託の儀式に立ち会った人物は、50年前に当時神官だったクラリオスただ1人である。
クラリオスは神託の儀式の過酷さをしっかりと伝え、今回精鋭を揃えたつもりではあったのだが……
自分の考えは甘かったようだった。
儀式も、ようやく半ばを越えた辺りである。
儀式の間は神聖な力に支配されている。
そう聞くと問題ない様に聞こえるが、神の神圧は人間に到底耐えられるものでなく、その力は人の命を容赦なく蝕み、抵抗力の無い常人ならば即死するほどである。
故に、神は直接人を助けられない。
だが、神は希望を授けることによって人々を助けようとするのだ。
その希望を受け取ることこそ、神託の儀式である。
現在、儀式の間に立っているのは、大司教クラリオスただ1人――
他の者達は儀式より発生した神圧に耐えきれず、大半が意識を失い倒れ伏している。
無理もなかった、以前にクラリオスが経験した儀式より発生している神圧が遥かに強力なのだ。
前回を突風とするならば、今回はまさに天変地異と言い換えても間違いではないほど強力なものであった。
中には意識を失っている者もおり、無意識状態でまともに神圧を受けると即死の危険性が高かった。
儀式はまだ道半ばなのに、この惨状では失敗かとクラリオスの脳裏に諦めの感情が沸き起こる。
(だが…!儂はまだ生きておる! こうなればここ場の皆の命を救う為に神圧を一手に引き受けよう!)
儀式は失敗するだろう。
だがクラリオスは己の死と引き換えに、この場に集う若き命を救う為に燃え尽きることを選択する。
(ソレイナよ……我が愛する孫よ……さらばだ)
クラリオスは自らが維持していた神託の導式を組み換え、その圧を分散させるのではなく自らに集中させる。
明らかな自殺行為とも言える一手であるが、その方法であるならば最小限の犠牲で儀式を強制終了させることが出来るであろう。
クラリオス1人を犠牲にして……
「ソレイナ、さらばだ……強く生きよ!」
クラリオスに先ほどまでの儀式ではあり得ないほどの神圧が襲いかかる。
その圧にクラリオスは意識を失いそうになる。
クラリオスはその中で自分の過去が脳裏に過った。
――若かりし時は大切な仲間達と冒険者として、死にそうな目に何度も合ったが輝かしい日々であった。
――冒険者として生きて行く覚悟であったが、跡継ぎの兄の死で、親の意志を継ぎ教団にその身を捧げることになった。
――腐れ縁の幼馴染と一緒になる気だったが、教団を立て直す為、政略結婚をすることになった。
――政略結婚であったが、妻を愛し、子を愛した。だが二人共に儂より先に逝ってしまった。
――皆に請われ大司教となり、教団の立て直しに尽力した日々が甦る。
(最早、老兵は去るのみよ……皆……あとは頼んだ)
(………よき生であった………)
ソレイナは絶望の縁にあった。
神託の儀式の危険性については理解していたつもりであった。
急な儀式となり十分な時間はなかったが、以前に過去の文献を精査していたので儀式の内容には自信があった、何なら内容を一字一句暗唱できるくらいにだ。
祖父の過去の経験とも内容を照らし合わせ、儀式の人員も位階に関係なく最高の人材を揃えたはずだった。
だが儀式の神圧は人間の知恵や力など、無意味な努力と言うがごとくこの儀式の間を支配した。
最初に崩れたのは護衛隊であった。
儀式の始まりの直後は神圧を複数人の防壁術で完全に押さえ込むことに成功し、問題なく儀式は完了するだろうと彼女は思っていた。
(……取り越し苦労ね。まったく、あの女を焚き付けたのは無駄な苦労でしたわ)
ソレイナは儀式の準備の苦労よりも、先ほどのアリアとの会話が一番疲れたと心中で愚痴り始めた。
そんな余裕は儀式の中程で呆気なく崩れることとなった。
儀式の間に圧倒的な存在感が現れる。
神官達の防壁術は、大津波の前の砂の城のごとく一瞬で消滅した。
術の反動を”いなす ”ことに失敗した護衛隊数名が意識を失う。
(ミスりやがりましたわね。想定外のこととは言え素人のような失敗を!!)
防壁術は魔術においてもっとも基礎的なものだが、応用がとても効くものであり様々な用途に使用される術である。
だが一番使用されるのは、攻撃や衝撃に対する防御であるが、防壁の強度以上の衝撃を受けるとその衝撃が術者にフィードバックされるのだ。
なので防壁術を学んだものは、まず強度以上の衝撃を受けた際のダメージを”いなす”ことを、その身に叩き込むのである。
「護衛隊第二陣前へ!!」
ソレイナの声を合図に初期から押さえ込みを行っていた、護衛隊一陣は無事な者が意識を失った者を担ぎ上げ後方に下がる。
(第二陣は第一陣とは練度が違いましてよ)
第二陣のメンバーは教団の中でも練達者を中心に組織させた。
多くは辺境の地において魔物を相手に戦い、高位冒険者達のお株を奪ってきた教団の実行部隊の猛者達だ。
第二陣の防壁術は、見事に膨れ上がった神圧を押さえ込むことに成功する。
(このくらいは想定の範囲内ですわ)
だがその余裕もすぐに崩れることになった。
神圧は更に膨れ上がりその力は、嵐の如くとなり第二陣に襲いかかったのだ。
第二陣は悲鳴すら上げる間もなく全員がその意識を刈り取られた。
(え!そ、そんな……)
第二陣の者の中には過呼吸をする者、息を止めてしまった者もおり、早急な治療が必要な惨状であった。
(くっ!こうなれば)
「第一陣!動ける者は第二陣の治療を! 聖歌隊からも3人ほど救援をお願いします!」
ソレイナは業腹だが、第二陣救援の為に聖歌隊からも人員を割くことにする。
聖歌隊は、聖歌により儀式全体の支援を行っていたが現状の惨状は悪化の一方のため、聖歌隊指揮官は本来の護衛隊支援の人員を、護衛隊治療に分ける決断をする。
第二陣は第一陣の残りの人員と聖歌隊の一部人員で治療を施され何とかなるだろう。
「皆様、少し早い出番ですが、よろしくお願いいたします」
ソレイナの声に応えるように3人の人物が揃う。
2人はソレイナと同じ教団の司祭達である。
教団の位階はいわゆる実力主義的な所はあるが、高位の位階であっても魔術を使えない人物も居る。その者達は別の能力で教団を支える者達なのだ。
だが、このメンバーは違う。
二人は魔術において教団の最高の使い手であり、魔術系統の部門統括者だ。
そして最後の1人は王国教団が誇る7人の聖騎士の1人である。
他のメンバーは使命がある為にこの場には呼べなかったが、このメンバーならば地上最強の魔獣である降竜のブレスすら、問題なく封じることが出来るだろう。
ソレイナは愛用の聖杖を掲げ魔力を高める。
他の三人も魔力を高めソレイナに続く。
四人から発揮される魔力は第一陣、二陣共の力を足したものより質、量共に遥かに上回るものであった。
特にソレイナの力は他の3人を合わせた力とほぼ同程度であり、周囲はソレイナの圧倒的な力に一様に驚く。
ソレイナの実力は話しには伝わっていたことであるが、間近に見ると衝撃が違ったのだ。
神官達は希望を見出だしたかの様な表情になった。
(確かに凄まじい神圧ですわ……ですが!!)
ソレイナ達は防壁術で防ぐなどと、まどろっこしいことはせずにキューブ型の結界術で神圧を圧縮封印した。
――おお!!
周囲から沸き起こる驚きの声。
(儀式の最中に大声を上げるとは、はしたないですわね)
ソレイナはそう思ったが、気分そのものは悪くなかった。
鍛練の成果を大切なお祖父様の為に発揮できる。
更に自身の名声はお祖父様の名声として、更にお祖父様は讃えられるであろう。
そう考えると彼女は嬉しさで悶えそうになる。
儀式は進み中頃ほどを越えた辺りで異変が起こる。
封じ込めた神圧とは別の神圧が儀式の間に現れたのだ。
(何度来ようとも!)
それは影であった。
影はトグロを巻いた巨大な蛇の影であった。
(え!?)
その姿は珍妙で子供が見たのならば「う○こ?」と言いたくなるシルエットであった。
だが、この場にトグロを巻いた蛇を見てそんな罰当たりなことを言う者は居ない。
何故なら…それは…自分達が祈りを捧げている……
皆が一瞬固まり時間が停止したかのような空気になったが、そんな安息とも言える時間は一瞬の出来事であった。
――蛇の影は僅に身動ぎをする
儀式の間にまさに天変地異とも言うが如く、神圧が吹き荒れ支配する。
恐るべき神圧の影響か、儀式の間の大結界が破壊されそうなほど軋み始めたのだ。
(まさか大結界が破られるというの!!)
ソレイナは悲鳴を上げそうになった。
古の魔導法、精霊女王の祝福、長年の信徒の信仰を力とし、現存する中でもこの儀式の間の結界は世界最強の耐久性があるだろう。
それが影の身動ぎ、一つで崩壊寸前までなったのだ。
神託の儀式はあくまで創造神の意志を受け取る儀式であり、まさか影ではあるが、神そのものが降臨されるとは前代未聞のことであった。
世界崩壊の危機と言われた降神戦争においても降臨されることはなかったのに、ソレイナは錯乱しそうになる。
(考えるのは後ですわ!!)
錯乱を理性で強制的に抑え込み、ソレイナはまず大結界の補強を最優先で考える。
先ほどの様な封印は不可能、防壁術で防げる規模のものではない、もし大結界が崩壊すればこの神圧が王都いや、大陸に波及することになる。
一瞬でそう判断したソレイナは魔力を高め大結界に全ての魔力を注ぎ込む。
「全員!我が身は二の次に、大結界の補強に力を注ぎ込みなさい!! 大結界が壊れれば世界が……」
「世界が消えてしまいますわ!!」
ソレイナの激により、突然の影に狼狽えていた者達はことの重大さに気付き、その表情には覚悟の意志が刻まれた。
残った護衛隊と天声組は死力を尽くし大結界に魔力を注ぎ込む。
聖歌隊も護衛隊と天声組を支援すべく、聖歌による強化を必死で行った。
ソレイナも死力を尽くす。
自身の秘術によって蓄えた十数年分の魔力を全て大結界に注ぎ込んだ。
(こんの……こんちくしょうがああああああああああああああああああああああ!!!!!)
全員死力を尽くした成果か、大結界の崩壊は一先ず避けられ、神圧も一先ず牙を向くことは無くなった。
その代償は大きく、クラリオスを除きソレイナ他、全員地に伏することになった。
(い、一体どうなりましたの……)
ソレイナは立ち上がろうとしたが体がまったく言うことを聞かなかった。
眼も何かおかしく、言葉を喋ろうにも呂律が回らず、うめき声の様な声しか出ない。
体は動かず、視力は片目、耳も聞こえない、口も満足に効かなかった。
(ま、魔力を一度に使い過ぎましたわ)
先ほど防壁術に対して”いなす ”ことを指摘したが、それと同じ結果が今のソレイナの状態であった。
大結界の補強に集中するあまり調整を誤ったのだ。
だが、その必死の結果で大結界崩壊の危機は一先ず免れたのだが。
片目でかろうじて周囲の状況を確認する。
目に映る光景で二本の足で立っているのはただ1人……
クラリオスだけであった。
クラリオスの目の前には降臨したであろう創造神の影が、降臨した時と同じくトグロを巻き静かに佇んでいる。
ソレイナは息苦しさを感じめた。
(ま、不味いですわ!)
神圧は落ち着いているが、無くなった訳ではない。
周辺の神圧は神官達の命を容赦なく蝕み始めてきたのだ。
(何とかしなくては、何とかしなくては、何とかしなくては、何とかしなくては……)
ソレイナは自らの小賢しい頭脳で考えるが、何も妙案は出ない。
ソレイナの瞳に映るクラリオスに動きがあった。
恐らく導式を組み換える動作だが、ソレイナはその動きに血の気が一気に引く。
その導式は儀式を中断を行う動作だとソレイナは理解出来るが、神圧の流れを調整する式も組み込まれたのを、ソレイナは見逃さなかった。
クラリオスは振り返りソレイナに何か言った様だった。
耳は聞こえない、だが祖父が何を言ったかは理解出来てしまったのだ。
――ソレイナ、さらばだ……強く生きよ!
「……うヴぁ…ヴぁ…」
ソレイナは必死で止める様に叫ぶ。
だが一向にに声が出ない。
(いや!いやぁぁぁ!!! お願いいたします。神様!! お祖父様を連れて行かないで、私が代わりに行きます。お祖父様止めて、私……私は……)
ソレイナの脳裏に祖父クラリオスとの大切な想い出が甦る。
それはソレイナの大切な、大切な宝物の数々だった。
両親を理不尽により失い、優しくも厳しい祖父に己の信じる道と多くの愛を貰った。
なのに……
『私はお祖父様にまだ何も返せてない!!!』
それはソレイナの魂からの叫びであった。
ソレイナは必死に体を動かそうとする、声を出そうとする。
だが、どうにもならなかった。
腕も足も言葉もまったく動かなかった。
(動きなさい!!動け!動け!うごいてよ!!!!)
導式は組み上がり、周辺の神圧はクラリオスに集まっていく。
あれだけの神圧にさらされれば、クラリオスの肉体は塵一つ残らないだろう。
ソレイナの優秀な頭脳はそれが解ってしまったのだ。
(誰か……誰か……お祖父様を助けて… 助けて!!!)
「助けて!!!!!」
それは強き意志が成した奇跡なのだろう、その強き意思が起こした奇跡は少女の願いを叶えることになった。