26話︰大司教と腹黒聖女の夜 その2
―――大聖堂の神託の儀式の間は張り詰めた空気に支配されていた。
神託の儀式の準備は既に終えており、あとは神託を受ける大司教の禊が終われば儀式は始まる。
儀式が始まる時が進むにつれて、ソレイナの心中は不安で押し潰されようとされていた。
高齢の祖父に神託の儀式は、本来なら自殺行為とも言えることである。
敬愛する祖父が死地に向かおうとするのを、ソレイナは止めた。
神託は自分が受けると、祖父に対し我が儘を言って困らせてしまったのだ。
そんな感情的になってしまった自分を、祖父は優しく撫で宥めてくれた。
まるで昔を思い出したかのように
『神託を受けるのは代々教皇と大司教の役目だ。大司教である儂がその役目から逃げる訳にはいかんのだ。分かるな……』
覚悟を決めた表情から、一変しクラリオスはイタズラっぽい笑顔で
『それに可愛い孫の花嫁姿を見るまでは死んだりせんよ』
ソレイナはそんな祖父だから、戦いの犠牲となった両親を失った哀しみや憎しみと縁遠い生き方が出来たのだ。
祖父との一時を思い返し、ソレイナの不安は少し和らぎ冷静さが甦る。
(そうですわ、柄にもなく冷静さを欠いて…… 私には悲しんでいる暇などありませんわ)
考えなくては……
どうすれば祖父が無事、神託の儀式を完遂出来るか
自らの小賢しい頭で何としても答えを導き出そうと、ソレイナは必死で考える。
(儀式は神託を受けるお祖父様を中心として、声を導き届かせる"天声組"…こちらは声の精度を上げるのが役目ですから、差し迫っての祖父の危険性はなしですわ、 神託の神圧を緩和する"護衛隊"こちらはわたくしや適性者が豊富にいるので質量共に問題なし、問題は……)
ソレイナの答えは"聖歌隊"であった。
神託を受ける祖父の命を繋ぎ止める要の聖歌隊が、今回の儀式においての鍵であるとソレイナは答えを導き出す。
聖歌隊の今回の参加数は10名……
これを多いか、少ないかで判断するならば多いと判断出来るであろう。
聖歌呪法の使い手そのものの絶対数がとても少なく、その素養はとても貴重であるからだ。
10名と言う人数は帝国教団が所属している数と同等であり、王国教団の聖歌隊は、質量共に帝国を並ぶほどであるからだ。
だが現実は、1人だけ平均を押し上げているからこそである評価であるのだが。
ソレイナも聖歌呪法を体得したく一時期努力を重ねたが、結果は散々なものであった。
聖歌呪法は歌そのものの実力だけではなく、聞かせる相手への精神の感応力が必要とされるものであり、多くはその素養に頼る力だとのことだ。
故にソレイナは聖歌隊には、あまり良い印象は抱いていない。
素養があれば、それだけで侍祭の位階を授けられエリート扱いになる。
血の滲むような努力で、現在の地位を勝ち得てきたソレイナには不愉快な話だからだ。
ソレイナは聖歌呪法の基礎を思い返す。
聖歌呪法は術者の心の在り方で、その能力が左右される力である。
ならば聖歌隊の中心人物たる彼女に言い方が悪いが、何か目的達成への報酬などをチラつかせれば、力を発揮してくれるのではないかと思いつく。
他に方策も無いのでソレイナはその考えを実行すべく、聖歌隊の控えに向かうことにした。
聖歌隊の控えに向かったソレイナではあったが、そこに件の彼女の姿は無く、彼女は教団の庭園に居るとのことだ。
こんな時に庭園に居るとは、余裕のつもりなのかとソレイナは少し腹立たしく感じた。
庭園に移動し彼女を見つけるのは容易いことであった。
広く立派な庭園であるのだが、彼女はとても目立つ存在なので、何人かに聞いて直ぐに見つける。
彼女……アリアは庭園のベンチに腰掛け何か本を読んでいる様だ。
その読書をする様が周りの風景と合わさり、とても絵になる光景であった。
画家が居れば喜んでこの光景を絵にしただろう。
一瞬、一枚の絵画の様な光景に見とれたソレイナは”ハッ!”と意識を戻し、本来の目的を行うべくアリアに近付く。
ソレイナはアリアとは挨拶程度の話ししかしたことがない。
教団の信徒の中では、ソレイナとアリアが二大聖女と認識されているので下手に会話をすると、周囲からはソレイナとアリアの対比で見比べられるのが好ましくなかったからだ。
(アリアが聖女と、そう言われるのも分かる気がしますわ。あの容姿、才能、噂に聞く優しい性格と申し分なく、だが何よりイラつくのは……)
遠目からでもアリアの豊かな山がくっきりと分かる。
神官服では体型が分かりにくくなっているのに関わらずだ。
対比に自分の胸元を見返すが……
まさに平原、整地された土地であった。
一向に成長しない自分の胸元から眼を反らしたソレイナは(いや、重要なのはそこじゃないですわ)と考え首を横に振る。
ここでトーヤが居れば「ステータスで希少価値だから」と慰めたことだろう。
とにかく、ソレイナは才能とその容姿だけで上り詰めたであろうアリアが気に入らなかった。
いや、アリアも努力はしたのであろうが、血のにじむ努力で現在の立場を勝ち取ったソレイナには才能の塊のアリアに、妬ましい感情が渦巻いていた。
「アリア侍祭。ごきげんよう」
ソレイナはアリアへと近付き友好的な笑顔で挨拶を行う。
読書をしていたアリアは一瞬驚いた様な感じがしたが、笑顔でソレイナに挨拶を返してくる。
「ソレイナ司祭さま、ご機嫌麗しゅう…」
そしてアリアは一礼し
「この度の司祭就任おめでとうございます」
ソレイナはその祝辞を素直に受け取ることにする。
「いえ未だに未熟な我が身ですが、教団の為ひいては弱き救いの手を求める者の為に、推挙頂いた方々の期待に応える為に精進するのみですわ」
ソレイナは気付きにくいほどの遠回しだが、『素質だけで侍祭になった貴方とは違うのよ』とニュアンスを入れ言葉を選んだ。
「素晴らしいご決意です。 同じ年齢ですのに意識の違いにただ恐縮いたします」
アリアは遠回しの嫌みには気付くこともなく、ただ素直な気持ちでソレイナの高潔な考えを称賛したのだが、ソレイナはアリアの返答を勝手に解釈しその内容に内心青筋を立てる。
(つまりは同い年のクセにデカイ顔するなと、意識の違いとは……才能のある自分と一緒にするなと言いたいわけですわね)
ソレイナの脳内会議の結果は、アリアはやっぱり気に入らないと議会一致で導き出された。
ソレイナはそんな心中をおくびにも出さない友好的な笑顔で、アリアに当初の目的を果たすべく話しをすることにする。
(確かに気に入らない人ですが、儀式でお祖父様を守る為にはこの女の力は必要ですわ)
ソレイナは強く自分に言い聞かせる。
今だけはアリアを一時的に親しい友人だと思い込むことにする。
「儀式の前に何か読んでいらっしゃったのでしょうか? 精神集中を行っていたのでしたら、お邪魔したことをお詫びいたしますわ」
ソレイナはもしかして本を読むことで精神集中をしていたのかと思い(シクリましたわ)と内心歯噛みする。
アリアが儀式に挑むのに集中を切らすのは、ソレイナの目的から外れることであるので失敗したかと内心焦る。
「いえ、精神集中なんてそんな大層なことでは…… あの……内緒ですよ」
アリアは少し恥ずかしいがりながら、本を開いてソレイナに中身を見せる。
中を見たソレイナの目には楽譜が映る。
「これは楽譜ですわね?」
ただ以前ソレイナが見たことある、教本の楽譜とはまったく違う様に見える。
凄く手作り感満載であった。
「まさかこれは貴方が書いたのですか」
アリアは少し恥ずかしそうに首を縦に振る。
「素敵な曲に仕上がったので色々考えながら、歌詞を考えておりました」
恥ずかしそうに、作曲をしていたことを告白するアリア
その愛らしい仕草は異性どころか同性すらイチコロな姿であったが……
(大切な儀式の前に作詞! しかもカマトト振りやがって! じんましんが出そうですわ!!)
ソレイナには全く効果はなかった。
「まあ! この様な時にでも作詞とは、アリア侍祭は本当に歌がお好きなのですね♪」
(なんて呑気な女なのでしょうか!! これだからほんわか育ちのお嬢さんは!! お祖父様が生死を掛けた儀式に挑もうとしている時に作詞って…… フザケンナこのアマ!!)
ソレイナはとても朗らかな表情で応じていたが、アリアに対する嫌悪で内心ではゲロ吐きそうなゲロイン状態になりかけていた。
「ありがとうございます。でも曲に合う歌詞が中々思いつかなくて苦慮しておりま…… も、申し訳ありません!大切な儀式の前にこの様な話を」
アリアは、ソレイナの祖父の大司教が命をを掛けた儀式に挑むのに、呑気に歌詞を考えていた自分の失態を恥じた。
大切な祖父の命がかかっている、ソレイナの不安はいかばかりであろう。
アリアはもし自分がソレイナの立場であったら、必死で何とかしようとしたはずだ。
(1人になる悲しさは誰よりも分かっているはなのに…… 私は何てことを……)
アリアの落ち込んだ顔を見て(チャンスですわ)とソレイナはアリアを慰めることにした。
「お気を病む必要はありませんよアリア侍祭、儀式は大司教であるお祖父様の使命……である…のでううっ…」
そう言ってソレイナは片手で口を抑え嗚咽する。
その瞳からは涙が一滴流れる。
「ご、ごめんなさい、私は皆様のことを信じております。ですが私の心にまだ一抹の不安が残っていたようで……」
ソレイナの涙を見たアリアは、己の呑気な行いを更に恥じた。
そしてアリアは決意する。
儀式において決して手を抜く気は無かったが、大司教さまを救う為に己の命を掛け死力を尽くすとその心中に決意を新たにした。
彼女を決して自分の様に1人にしない為に……
「ソレイナ司祭、私は儀式に全力を傾け、日頃お世話になっている大司教さまにご恩返しが出来れば良いと考えておりました。 ですが、私の考えは甘くございました」
アリアは決意を秘めた瞳を、ソレイナの瞳に合わせ誓う。
「私の命に代えても、必ず司祭の大切な大司教さまをお守りいたします。ですからどうかご安心ください!」
アリアの目つきが変わり、どうやら死力を尽くしてくれそうな雰囲気を察知したソレイナはアリアのその言葉により感極まってか、両手で顔を覆い泣いている素振りを行うが……
(計 画 通 り)
その両手の下の顔はトーヤも真っ青なゲス顔になっていたのは、誰にも分からないことであった。
(上手く誘導出来たようですし、儀式ではせいぜい役に立ってもらってボロ雑巾になってもらいましょうか…)
(クックック……フハハハハ……ハァーハッハッハッハ!!)
それは2人の少女が会合した、ある春の出来事であった。
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ひとまず何とか落ち着いてきたので、次はもう少しペースが早くなるかと思いますのでよろしくお願いいたします。
(まあ、何事もなければですが……ね)