25話︰大司教と腹黒聖女の夜 その1
暖炉から明々とした火、いや魔術の暖房と照明の光が漏れている。
そこはとても質素な部屋だった。
周辺の調度品は最低限のものしか無く、家具類も中古家具市場で買って来た様な粗末な家具しかない。
だが、その部屋から貧しさと言った雰囲気はまったく感じさせなかった。
それは部屋の主の存在感が無意識にそうさせていると、その主の側に佇んでいる少女は考えている。
(この方が居れば、そここそが大聖堂となるのですわ)
この部屋の主は、手作り感満載の少し歪んだロッキングチェアに腰掛け、静かに気を落ち着け日課の考え事をしている。
ちなみにこのチェアは部屋の主のお手製だ。
部屋の主はゆっくりと特徴的な白い顎髭を撫でる。
部屋の主は齢を重ねた老人だった。
その顔には多くの苦労を重ねて来たのだろう、無数の深いシワが刻まれている。
瞳を閉じ、まるで居眠りをしているかのような感じだがそんなことはなかった。
時折開かれる眼光は強い意識の輝きに満ちており、老人が只者ではないと感じさせる。
老人の名は 《クラリオス》
教団の枢機卿の筆頭であり、王国教団の王都大司教でこの国の教団のトップである。
「おじいさま、本日は神託を受けお身体は相当お疲れのはずです、お身体に障りますので、本日はもうお休みになられては」
大司教クラリオスの側に控えていた少女が声をかける。
少女の名は 《ソレイナ》
大司教クラリオスの孫であり、教団の若き司祭である。
15歳の若さで司祭の位階を授かった彼女であるが、祖父の七光りで司祭になったとは、ほとんど言われることはない。
そう言う陰口を叩くのは彼女をよく知らない者が多い。
才人の多い王国教団の中でも、彼女の才覚は他者の追随を許さぬほどであり、彼女をよく知る者ならば、高司祭の位階でも良いのではと言われることが多い。
だが祖父クラリオスの意向により、他の推挙を断り、経験不足を理由に彼女を司祭に留めることにしたのだ。
クラリオスは下位の神官から順序を踏まえ経験を積ませ、位階を上げて行くのが好ましいと思っていた。
現場での奉仕などは教団の仕事の理解を深め、ソレイナの糧になると考えてのことだ。
クラリオスは彼女の成長を楽しみにしており、その為には性急な成長より、しっかりと地ならしを行わせた成長を期待してのことである。
だが周囲の推挙の声を疎かにも出来なかったので、何とか司祭の位階に留めることにしたのだ。
なおソレイナは、トーヤから 《腹黒聖女》などと呼ばれているのは、二人共預かり知らぬことである。
愛する孫の声によりクラリオスは瞑想状態から静かに眼を開く。
「うむ……、今日の神託のことについて考えておった……」
クラリオスの表情は曇っていた。
いっそのこと秀才の孫に話してみようかとも思うが
「すまぬが、もう少し考えをまとめさせておくれ……」
神託の内容を他者に話すのは好ましくない。
例えそれが肉親であってもだ。
だが1人で考えるにも限界あるのも事実だった。
本来は神託の内容を帝国、王国両教団から賢人を集め、賢人会議を行い議論を行うのが慣例である。
だが、現状の帝国教団の内情では賢人会議を行うのは無理があった。
帝国教団は存亡の危機の中にある。
教皇アリオストを初め、教団の要職にあるもののほとんどは、神職の努めも忘れ教団の利益ばかりに目が行っていた。
クラリオスはその気持ちが分からないことはない。
帝国教団は先代の浪費が祟り、経済的に酷く困窮していた時期が長かった。
そこに破綻する帝国教団を立て直そうと、アリオストが教皇の地位に就いた。
そこから帝国教団は変わった。
徹底的な歳出縮小を行い、あろうことか教団の位階を寄進の量での選定としたのだ。
本来は法則と推挙によって決まるのが慣例であったが、そこに一石を投じるものであった。
その甲斐あってか、帝国教団はかつての全盛期の趨勢を取り戻しつつあるが、クラリオスから言わせれば草原の砦である(張り子の虎と同義)。
本来教団の意義は国が救えぬ、こぼれ落ちた弱者を救済することだ。
だが、帝国教団はその意義を御題目として、組織の隆盛ばかりに凝り固まった。
国と同じことしか出来ない、帝国教団はその存在意義を失いつつあった。
事実、帝国では教団の威信は地に落ち、教団不要論が日増しに高まっている。
(恐らく皇帝の狙いはそこであろうな……)
皇帝……
帝国の絶対君主であり、その政治手腕は恐るべきものであった。
皇帝の狙いは、教団を飲み込むことであろうと推測する。
教団を飲み込むのは、通常不利な要素が多いが、利もあるのだ。
その最大の利は、神託の捏造であろう。
神託は創造神が人間に告げる言葉である。
その内容は様々で、大災害の予言や世界の転換期についての告知、また聖人の出現や強力な魔物の襲来の予言など多岐に渡る。
その中には帝国建国帝による神託が過去にあったのだ。
かつてのこの大陸は無数の小国家郡が多数あった、そして3つの国々に神託が告げられた。
――大陸を3つの国として納めよ。
――そして、国々が力を合わせ、やがて来る異界の敵対者を精霊女王と共に戦うのだ。
それにより世界は未曾有の混乱が起き、暗黒期と呼ばれる時代となった。
帝国は神託に従い、それを御旗とし周辺の国々を統一して行った。
王国は従う国あらば、貴族の地位を与え国家に組み込み。
両方の支配を良しとしない国々は、共和国を樹立した。
そして、異界の侵略者との戦いとなったのだ。
後の降神戦争と呼ばれる戦いであった。
後の歴史書では魔物の大移動となっているが、実際は異界より現れた邪神との戦いとなったのだ。
多くの犠牲者が出たが、戦いはこの世界の勝利に終わった。
そして神託の重要性を重視した人々は、戦時において精霊女王と共に救済機関として活動していた組織を神託を受ける者達として 《教団》と命名して新たな組織となった。
その背景から、神託を捏造し帝国の念願の大陸制覇の名目に教団の権威が使われるのがクラリオスの危惧するところであったのだ。
そして今回自身に下った神託である。
内容は精査が必要なので、一概に言えないが恐らく世界の転換期の予言と思われる。
だがクラリオスには府の落ちない所があった。
今回の神託は王国……それも自分のみに下った可能性が高い。
帝国にも神託が下ったのなら、帝国教団の協力者から何かしらの連絡があろうものだが、一切反応がないのだ。
神託の受領は一種の神降ろしを意味する。
故に人間の身で神託を受けると身体に酷い損傷を受けることになる。
いや、普通に死ぬのだ。
歴代の神託を受けた神官は多くがその命を落としている。
故に神託が下る場合、寄代となる神像から予兆があり、それにより神託の儀式が行われるのだ。
神託の予兆が急なことであったのと、50年ぶりの神託であった為、急な儀式であったが多くの者が死力を尽くしてくれた為、クラリオスが死ぬことも身体、精神に異常もなく無事何事もなく終わった。
多くの者達が力を尽くしてくれた成果でもある。
だが誰が一番とか決めるのは良くないことだが、かの者の聖歌呪法が無ければ恐らく高齢の自分は良くても、何かしらの障害が残っただろう。
それほど、かの者の力は圧倒的だった。
クラリオスは何と惜しいことだと考える。
かの者 ――アリアと孫のソレイナ
若く才能も豊かな二人が教団を……いや……
混迷が始まろうとする世界を支える、若き希望の芽とも言えるアリア嬢に、まさか聖人の兆候があろうとは……
クラリオスは運命の残酷さに憤りを感じられずにいられなかった。
聖人はその危険性故、聖人の持つ ”自己の世界 ”が発現してしまえばその力によって多くの犠牲者が出てしまう。
教団のない共和国では軍事転用が行われているが、それは愚かなことであった。
神がもて余すほどの力を人間が扱おうとは、高慢を通り越して呆れることであった。
現に聖人の戦果より、自国の被害の方が広がっているとのことだ。
共和国の現状は破滅の一歩手前だ、だが国が滅びても彼らは聖人の力を手放しはしないだろう。
いくら犠牲が出ようが、最早聖人の力に頼らねば全て終わってしまう所まで事態は悪くなっているのだから……
王国の現状も悪い。
王太姫が政権を国王から奪い取ったとは言え、国王と貴族達の粛清と言う名の専横の傷が癒えるまでには、長き時が掛かるであろう。
そして国王と侯爵はまだ健在なのも不安要素になっている。
――コン、コン
部屋に唐突にノックの音が響き渡る。
それによりクラリオスは、思考の海から意識を戻す。
そのノックにソレイナは眉を潜める。
大司教は神託の儀式を終え、安静にしなければいけないのに、無粋な行為に怒りを覚える。
だが大司教の神託は教団の誰しも知るはずなのに、そこで報告があるとはかなり差し迫った要件とも言える。
ソレイナは大司教に一礼し、扉を開き来訪者に対応する。
扉の向こうの相手は王都大神殿の当直の神官であった。
「この様な夜更けに何かございましたか」
ソレイナは先ほどの機嫌の悪さなどまったくおくびにも出さず、優しく優雅に神官に問いかける。
その姿は正に聖女然としており、精霊女王の肖像と並ぶほどの姿だ。
その姿を見た男性の神官はソレイナに見とれ一瞬ポーっとなったが、己の役目を思い出し姿勢を正した。
(60点と言った所ですわね)
ソレイナは神官の対応に心の中でそう評価する。
己の役目を全うする意志は高評価のポイントだ。
「聖騎士メリア様が大司教様に至急面会を求めております」
――ピクッ
聖女然とした表情に僅に歪みが見られた。
(メリア……確かアリア侍祭のお母様でしたわね)
メリアの名でアリアの名前を連想したソレイナの中に、今日アリアと会話した内容が思い起こされる。
続きます。




