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ここはどこで私は誰?
知っているよう知らない、いや本当は知っているのかも知れない。
なんとか自分の中の記憶を辿ろうとうまく働かない頭を必死に働かせようとすると激しい頭痛が襲いそれと共に忘れかけていた記憶が流れてきた。
そう、日本で過ごしていた時の記憶が。
しかし、今ここにいるのは日本で過ごしていた私ではなくオリヴィア・ベイカー。
この国の3大公爵家のうちの1つベイカー家の令嬢だ。
そして前世で読んでいた小説の悪役令嬢、それが私の知っているオリヴィアだ。
私が読んでいた小説 ‘運命の君と’ は中世貴族の学園をテーマとしたファンタジー恋愛小説。
希少価値の高い聖属性の魔法が扱える子爵家の令嬢、サラ・バトラーとこの国の王子ライズ・ランベルトの身分差を乗り越えて結ばれるという内容は至ってベタなもの。
こう言った小説には必ずと言っていいほど悪役令嬢が登場する。それが今の私オリヴィアだ。
オリヴィアは小説のスタート時からすでにライズの婚約者として登場する。ライズがサラに惚れたことによってオリヴィアはサラに嫉妬をし嫌がらせをする。それも中々酷いものばかり。
そんなオリヴィアの結末は
――――死。
オリヴィアと婚約破棄をし、サラと婚約を結んだライズが未来の王妃への不敬罪としてオリヴィアを処刑する。ライズのやり方は王子としていかがなものかとは思うけれどオリヴィアの末路としては当然なのかも知れない。
しかし、今その結末を知っていながらこのままなにもしない訳にもいかない。
婚約破棄や追放ならまだしも処刑はどうしても避けたい。私だって自分の命は惜しい。
鏡に映る自分の姿をみるにオリヴィアは10歳前後。
小説の中でも婚約は、10歳前後で決まっていたと小説で明かされているので、婚約がまだかどうかで私の未来も少しずつ変わって来る。
もしまだ婚約をしていないのであれば婚約もせずライズと関わらず過ごすことができる。そうすればサラとも関わることなく平穏な学園生活を送ることも出来る。それに今の私は特別ライズに好意を寄せている訳でもない。それに婚約をしたところでライズはオリヴィアに好意を寄せることはないだろう。
そうとわかれば私がやることはただ一つ、主要人物との接触を避け何事もなく学園を卒業する。
その後のことはゆっくり考えていけば良いだろう。
命さえあればその後の選択肢は自らの手で作り出すことができる。
死は避けられても次に起こりうる悪いケースとして可能性として高いのは追放のはず。ならば追放されてもいいようになにか手探りでも準備をしていこう。正直どうなるか私にもわからないけれど。
そんなことを考えていたら誰かがノックをする音がした。応えていいものかわからず無視をしようとも思ったけれど、無視をしたことで相手が困ってしまうのは申し訳ないと思い控えめにはい、とだけ応えることにした。
そうすると勢いよくドアが開かれた。
あまりの勢いに気圧されそうになった。
開かれたドアの向こうにはメイドが1人立ち尽くしていた。
彼女はメイ、オリヴィアのたった1人のメイドだ。メイ以外のメイドは入ってきてもオリヴィアの嫌がらせに耐えられず皆逃げるようにしてやめていったと小説で語られていた。
そこまでしてメイドに嫌がらせをしたオリヴィアもなかなかだとは思うけれどもそれでも残っているメイもまたなかなかの精神力だと思う。オリヴィア付きのメイドはメイしかいないためお給金は他の公爵家よりもだいぶ高いはずだ、おそらくそこがメイを繋ぎ止めている理由なのではないかと思う。でなければこんな勤め先に勤めようと思わないだろう。少なくとも私だったらその理由がなければすぐさま辞めている。
「オリヴィア様………?」
メイは驚きを隠せないといった表情をしている。起きただけでこんなリアクションを取られるということは相当嫌われているんだろう。我ながら大したものだと思う。
「おはよう、メイ」
嫌われているのかもしれないが挨拶をしないわけにもいかない。前世の記憶を思い出しあの傲慢なオリヴィアの末路のを知ってしまった以上少しでも関係を改善していきたい。
「オ、オリヴィア様、体調はよろしいのですか…?」
「えぇ、よく寝たからとても気分がいいわ」
「よく寝たって…3日も目を覚まされなかったのですよ?」
そんなに寝てたの?私。
「もうお目覚めにならないのかと…わ、私は……」
そういうとメイは下を向いて震えてしまった。
まぁ、やっと嫌いな主人を見ずに済むと思ったら普通に起きて気分がいいなんていったら絶望するわよね。
しかしだからといってこのままにしておくことは出来ない。このまま放置をしてしまえばゆくゆく身を滅ぼすことになる。そのためにも少しでもこの関係を改善しなければと思いメイの方へ歩み寄る。
「ご、ごめんなさい……私に何かできることはあるかしら……」
「本当にオリヴィア様ですか?」
「えぇ、そうよ」
「ならどうして私なんかに膝をつくのですか…!」
少しでも視線を合わせようと膝をついてメイの顔を伺ったがそれも良くなかったらしい。先程とは雰囲気が違うが、いい感情を抱かれてるわけではないということはわかる。正直、前世の記憶を思い出し前世の私が強く出ている今の状態でメイドへの正しい接し方なんてわからない。
今までのオリヴィアの記憶は前世の記憶を思い出したショックからかほとんど消えてしまっている。かろうじて自分がオリヴィア・ベイカーだということくらいしかわからないレベルなので、前世の私が成り代わってるというのが正解かもしれない。そんな私がメイドに対する正しい、貴族らしい接しなんてわかる訳がない。
何もわからないのならいっそのこと私がやりたいように思うようにやればいい。もしそれで傷つけてしまったのなら誠意を持って巻き合い信頼を取り戻したいけばいい。そう開き直ることにした。
「だってこうしなければメイの顔がよく見えないでしょう?」
そう告げるとメイは驚いたように顔を上げた。きちんとメイの顔を見たのは初めてかもしれない。メイは私とは正反対の可愛らしい顔つきをしていた。
「本当にオリヴィア様なんですよね」
「えぇ、勿論よ」
「オリヴィア様では無いように感じますが…」
そう言ってメイはハッとした顔をした。
恐らく以前の私なら癇癪を起こすなり何かしていたのであろう。
今の私はなにも気になら無いけれど。むしろ小説のオリヴィアと比べたらこう反応してしまうのも当然だと思う。
「そうね、この3日間不思議な夢を見たからかしらね」
強ち嘘ではない。3日間目を覚まさなかったということはこの3日間ずっと前世の記憶を思い出していたのだろう。3日で全て振り返れてしまうほどの人生だったと思うとなんとも言えない気持ちにはなるけど。
「そうですか…それはよかったです」
「私、メイに対して謝らなければならないわね。こんな私に今まで辞めずにいてくれてありがとう、そしてごめんなさい」
「メイは1番迷惑をかけたと思ってるわ。もしメイが望むのであれば今と同じお給金で私がいないところで、もっといい環境で働けるよう手配するわ」
メイが居なくなってしまえば本当の一人ぼっちになってしまうので本音を言えばここにいて欲しい。けれども権力で繋ぎ止める方が私は嫌だ。この世界には慣れきっていないけれど支度などの本質的な部分は多少は身体が覚えているはず。
「私が必要ないということでしょうか…」
「そ、そんなことないわ‼︎寧ろメイにはいて欲しいわ。けど無理矢理ここで働いて貰うのもメイに申し訳ないわ」
「なら、私をここで働かせてください」
「ど、どうして…」
いくら考えてもメイがここで働くメリットがない。唯一のメリットであろうお給金も同額払うと伝えたはずだ。
「オリヴィア様は覚えていらっしゃら無いようですが、私はここで働かせていただくようになってからずっとここで働き続けると決めておりました」
「なんで…こんな虐める最悪な主人なのに?」
「なんだか別の方がオリヴィア様になったみたいですね」
そう微笑みながら言った。
うっかりしていた。私の中には昨日までのオリヴィアの記憶はない。なのでメイが言っていることは正解だけどもこうも簡単にボロが出てしまっては今後が不安しかない。本当にやっていけるのだろうか。
「冗談ですよ」
「オリヴィア様は覚えていらっしゃらないようですが私はオリヴィア様が本当はとても優しい方だと知っています、なので私からオリヴィア様の元を離れるということは一生ございませんのでご安心ください」
オリヴィアが優しい…か。私は小説の中のオリヴィアしか知らない。もしかしたら私よりメイの方がオリヴィアのことを知っているのかも知れない。
しかしメイしかメイドがいないという部分を見てもヒロインのような慈悲に溢れた令嬢ではないのは確かである。