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5 宿命の鉄底海峡

 二月八日。

 東の水平線から朝日が差し込む時刻、伊一九潜は潜望鏡深度に浮上していた。

 発令所で、潜水艦長の木梨鷹一中佐は潜望鏡にて海上を確認する。その口元が、にやりと笑みを作った。


「いたぞ、敵空母群だ。右舷三十度。距離五〇〇〇。速力十四ノット。敵編成、特設空母二、巡洋艦二、駆逐艦二」


 木梨は潜望鏡を覗き続けながら言った。一時間前、聴音が発見した目標である。


「魚雷戦用意! 発射管、一番から六番、魚雷装填!」


 アメリカの空母を喰うのはこれで二度目だな、と彼は思う。

 一度目は昨年九月、米ヨークタウン級空母を襲撃した時(実際にはワスプを雷撃、撃沈)。そして、今回が二度目である。

 彼の指揮する伊一九は先月中頃まで内地にて修理と整備を受けていた。ソロモンの海へと舞い戻ってきたのは、一月末であった。

 第三次ソロモン海戦の勝利により、多くの艦艇が内地やトラックに回航されて、修理と整備を受けている。伊一九もその一隻であった。

 彼女がソロモン方面に到着してすぐ、潜水艦隊である第六艦隊より出撃命令が下った。ヌーメアに集結した米艦隊を迎撃するためであった。

 い号作戦による通商破壊のため南太平洋の各海域に散っている日本海軍の潜水艦であるが、主にヌーメア、エスピリットゥサント近海にいる潜水艦が集められ、ガ島を封鎖する態勢をとった。そこに、伊一九も加わったのである。

 インド洋での通商破壊作戦の戦訓から、日本海軍の潜水艦は初歩的な群狼戦術を覚えていた。とはいえ、艦隊司令部などでは未だ散開線戦術が主流であり、群狼戦術はあくまで現場の潜水艦長同士の個人的連携の域を出ていない。

 今回の場合は、四時間ほど前に北方の伊一七五潜からエスピリットゥサント方面に向けて進む小規模な艦隊を発見したという通信を伊一九が傍受し、夜間の間に浮上航行して敵艦隊の予測針路上に回り込んだ結果であった。

 一時間ほど前に聴音にて捕捉に成功、そして今に至る。


「襲撃が上手くいったらば、伊一七五潜の連中には酒でも奢ってやらんとな」


 軽口を叩きつつ、木梨は潜望鏡で敵艦隊の姿を追う。まだ、こちらに気付いた様子はない。そのためか、敵艦隊はこちらの目の前を横切るような針路をとっている。


「微速前進、速力五ノットとなせ」


「微速前進、速力五ノット。宜候」


 海中で伊一九は速度をわずかに上げる。とはいえ、蓄電池を消耗してしまう関係で長くはこの速度を維持出来ない。

 全乗員が息を詰めながら、伊一九は発見した敵艦隊へとゆっくりと接近していく。

 ただ、あまり接近し過ぎては発見される恐れがある。こちらは安全を考え、敵艦隊の発見が難しくなることを承知で朝日を背にする位置を取っている。

 敵艦隊が朝日を背にする位置取りの方が発見はしやすいのだが、潜望鏡のガラスに朝日が反射して早期に発見されてしまう恐れがあるのだ。

 しかも、米軍には優れた電探がある。潜望鏡ですら、探知されてしまうかもしれない。

 木梨は自身と周囲を鼓舞するように、歯を見せて不敵な笑みを作った。


「方位角左五〇度、距離三〇〇〇、的速十四ノット、斜進角八度」緊張感に包まれた発令所に、木梨の声が響く。「雷速中速、調定深度五メートル」


「一番から六番まで、発射管準備よし」


「方位盤よし」


「魚雷、一番から六番、てっ!」


 圧搾空気の軽い振動と共に、六本の魚雷が艦首から放たれる。


「潜望鏡降ろせ! ダウントリム一杯! 急速潜行!」


 戦果の確認は二の次。

 まずは艦を生き残らせることが最優先である。

 伊一九は敵艦隊に背を向け、南太平洋の奥深くへと消えていった。






 軽巡ナッシュビルに将旗を掲げるアメリカ合衆国海軍第五十一任務部隊は、エスピリットゥサントへ向けて南下を続けていた。

 昨日、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・F・ハルゼー中将から命ぜられた、エスピリットゥサントの海軍航空隊の収容命令。母艦を撃沈されたために地上の基地に配備されている元艦載機搭乗員たちを、戦闘機隊の消耗した第五十一任務部隊へと配置換えを行うというものだ。

 とはいえ、ハルゼーを含めて自分たちがかなりの無茶をやっていることは、任務部隊司令官であるキンケード少将は自覚している。

 大型空母への発着艦経験しかない搭乗員たちを、甲板が狭く速力も低い護衛空母に載せようというのだ。エスピリットゥサントからやって来る元母艦航空隊は、果たして無事に着艦出来るのだろうかという懸念に、任務部隊司令部は悩まされている。

 そして、それ以外にも彼らの神経を削る要素はある。

 ガダルカナルで孤立した海兵隊将兵を撤収させるために突入した第七十七任務部隊は壊滅的打撃を受け、ガ島ヘンダーソン飛行場へ与えた打撃も判然としない。

 つまり、ヌーメアへ向けて南下中の第七十七任務部隊は、往路に続き復路も空襲を受ける可能性があるのである。

 そして、キンケードの第五十一任務部隊自身も、問題を抱えていた。

 第七十七任務部隊から脱落した三隻の戦艦を救出するために、昨夜、駆逐艦二隻を派遣してしまったのだ。

 元々護衛艦艇の少なかった第五十一任務部隊は、今や軽巡二、駆逐艦二で二隻の護衛空母を守らなければならないのである。


「不審な電波を傍受してはいないな?」


 徐々に南洋の強烈な太陽が水平線の向こうから顔をのぞかせてくる時刻。キンケードは自らの参謀に尋ねた。


「現状では、確認されておりません」


「うむ、判った」


 艦隊は昨夜、ジャップの潜水艦のものと思われる電波を複数、受信していた。

 南太平洋で連合軍輸送船団が何度か餌食となった、ジャップの群狼戦術。その前触れともいえる通信だったのだ。

 商船改造の護衛空母は高速を発揮出来ず、敵潜水艦に捕捉されてしまう可能性が大きかった。

 護衛艦艇の不足もあり、キンケードとしては神経質にならざるをえない。


「ナッソー、シェナンゴから、対潜哨戒機の発艦準備が完了した旨、報告があります」


 艦隊は、昨日の空戦に巻き込まれなかった艦爆、艦攻を夜明けと共に発進させ、対潜哨戒に充てようとしていた。


「よかろう、全機、発艦始め(ランチ・エアクラフト)


「アイ・サー。全機、発艦始め(ランチ・エアクラフト)!」


 旗艦ナッシュビルからの通信を受け、二隻の護衛空母が艦首を風上に向けるべく転舵を開始する。四隻の護衛艦艇がそれに追随しようとした瞬間、見張り員の叫びが響き渡った。


「ト、トーピード!」


 魚雷を意味するその言葉を脳が理解した直後、艦橋は騒然となった。


「ナッソーとシェナンゴに警告を出せ!」


「取り舵一杯、急げ!」


 慌ただしく発光信号が送られ、ナッシュビルの舵輪が回される。


「我々は、またしてもジャップの潜水艦にしてやられたのか……」


 手をきつく握りしめたキンケードが、悔しげに呟く。

 合衆国海軍にとって、ジャップの潜水艦は連中の航空機並みに災厄の塊であった。これまでに合衆国が保有していた空母の内、ヨークタウンとワスプの二隻はジャップの潜水艦によって撃沈され、サラトガも損傷させられている。

 ジャップの魚雷が航跡を残さないことも、被雷する直前までこちらが気付かない要因となっていた。

 ナッシュビルの艦首が左舷に振られ始めた直後、大気を揺るがす轟音と共に、シェナンゴの舷側に二本の水柱がそそり立った。

 発艦のために甲板上に並べられていた航空機が衝撃で跳ね上がり、機体同士がぶつかり合って激しく損傷、さらには漏れ出した燃料に機体激突時の火花が引火、搭載燃料や弾薬が次々と誘爆し、濛々たる黒煙を吐き上げながらシェナンゴは大傾斜しつつ洋上に停止した。


「フェニックスに消火を協力させろ! ナッソーは対潜哨戒機の発進を継続、ラムソン、モーリーは敵潜水艦の探知に努めよ!」


 矢継ぎ早に命令を下すキンケードであったが、シェナンゴの帰還が絶望的であることは誰の目にも明らかであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「ガ島第一次撤収作戦の損害は、沈没が戦艦コロラド、メリーランド、ミシシッピー、護衛空母シェナンゴ、軽巡ボイシ、駆逐艦ストロング、オバノン、ラドフォード、高速輸送艦ストリンガム、デントの計十隻、戦死・行方不明者については集計中ですが、二五〇〇名前後になる見込みです。これ以外にも、ガ島の海兵隊将兵の損害が別に加わります」


 戦場となっている南太平洋から遙か離れたアメリカ本土、その首都ワシントン.D.Cにあるホワイトハウスは重苦しい雰囲気に包まれていた。

 その中に、海軍作戦部長であるアーネスト・キング大将の淡々とした報告が響く。


「メリーランド、ミシシッピーは数時間前の報告では、エスピリットゥサントへ退避中とのことだったが?」


「ジャップの潜水艦です」ルーズベルト大統領の問いに、キングは答える。「ジャップはガダルカナル-エスピリットゥサント-ニューカレドニアの三角海域に潜水艦を集中させていた模様です。シェナンゴが沈没した原因も、同じです」


「……ジャップは、我々の暗号を解読していたのかね?」


 ルーズベルトは懸念を述べる。


「いえ、ジャップの暗号を解読している限りでは、その兆候はありません」


 海軍の機密保持に疑問が呈されたことが気に喰わないといった声音で、キングは返した。


「第二次以降の作戦実行は、どうすべきかね?」


 マーシャル陸軍参謀総長が言う。

 この場には、ノックス海軍長官を始めとする海軍首脳部と、統合作戦本部の四人がいた。統合作戦本部会議が開かれるのは毎週水曜日であったが、今は緊急ということで全員がホワイトハウスに招集されていたのである。


「ですから、私はガ島撤収作戦に反対していたのです」


 強い口調と共に、キングはマーシャルを睨み付ける。太平洋戦線を重視するキングと、欧州戦線を重視するマーシャルは対立関係にある。今回のガ島撤収作戦は、欧州戦線を重視するマーシャルの意見をルーズベルトが受け入れ、決定されたものであった。

 だからこそ、キングは損害の責任をマーシャルに押し付けようとするのである。


「トーチ作戦に投入すべき兵力を太平洋に回していただければ、ガ島から撤収する必要などなかったのです」


「キング提督、今次大戦は我が国だけで戦っているわけではない」


 苛立つキングを宥めるように、統合作戦本部議長のウィリアム・リーヒ大将が言う。


「対英・対ソ連携を考えて枢軸軍に対する戦略を考えねばならんのだ」


「現状、太平洋方面でまとまった戦力を保持しているのは我が合衆国のみです。その我が国が太平洋方面で後退を強いられたとなれば、政治的損失は計り知れません」キングは強い口調で反論する。「現に、我が国はガ島撤収に際し、オーストラリア政府の了解を取り付けなければならない事態となっています。これによって我が国の政治的威信は低下し、さらにはオーストラリア本土防衛のためにソロモン戦線だけでなくニューギニア戦線からの後退も余儀なくされているのです。合衆国の政治的損失は、そのまま軍事的損失に直結しているといっても過言ではないでしょう」


「今ここで、それを議論しても詮無いことだ」


 ルーズベルトが片手を上げ、キングの言葉を遮るように注意した。


「すでに私は決断を下した。ルビコンは渡ってしまったのだ。今の損失は、将来取り戻せばそれでよい。我々が今議論すべきは、ガ島撤収作戦だ」


 その言葉に、キングは不承不承といった形で口を閉ざした。


「ガ島からの撤収は、継続していただかねば困ります」マーシャル参謀総長がきっぱりと言う。「中途半端にガ島に兵力を残しておいても、いずれ飢餓や病気、ジャップの攻勢で消滅することは目に見えております。そのような場所を維持するために、合衆国の人的・物的資源が消費されることは避けなければなりません」


「だが、撤収作戦を継続すれば我が海軍艦艇にさらなる損害が発生する恐れがあるぞ」


 ギロリとキングはマーシャルを睨み付ける。撤収作戦の当事者でないマーシャルは気楽なものだ、と内心で憤慨している。


「しかし、大規模な増援が不可能な今、多少の物資をガ島に送り届けることが出来たとしても、それは破滅の先延ばしに過ぎない」リーヒ議長が言う。「それどころか、継続的な輸送作戦のために海軍艦艇のさらなる損失が考えられる。昨年のタサファロング沖海戦がその良い例だろう。ここは、撤収作戦を継続すべきだ。それによって、今損害を負ったとしても、将来的・長期的な損失を防ぐことが出来る」


「私も、リーヒ議長の発言に賛成だ」


 ルーズベルトは一同を見回すようにして宣言した。


「ガダルカナルからの撤退作戦は、引き続き実施させたまえ。一人でも多くの合衆国将兵を、ガ島から救い出すのだ。これは、合衆国大統領たる私の決断である」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 一九四三年二月十日深夜。

 アメリカ海軍による二度目の撤収作業もまた、空襲の中で敢行された。

 上空には、連続して吊光弾を投下するジャップの機体。

 低空に降りてきた(オスカー)が海岸に近づこうとする上陸用舟艇に機銃掃射を繰り返す。必死の形相で部下に指示を下す艇長の上半身が機銃弾によって吹き飛ばされ、舟艇の指揮を引き継いだ部下もまた機銃弾に仆れる。

 海岸では九九軽爆(リリー)が六〇キログラム爆弾を投下し、集結した合衆国将兵をなぎ倒している。

 艇内が血と臓物に塗れた上陸用舟艇が海岸に着岸し、前扉を開放する。そこへ将兵たちが我先にと群がり、あっという間に舟艇は満員となった。閉じられた前扉にはなおも収容しきれなかった兵士たちがしがみつき、やがて振り落とされて海中に没していく。

 そして、高速輸送艦に戻ろうとする将兵を満載した上陸用舟艇にも、容赦なく機銃掃射が加えられていく。

 沖合では第二次撤収部隊である第三十六任務部隊が、狭いシーラーク水道の中でぐるぐると円を描きつつ対空戦闘を行っていた。


「上陸用舟艇二隻が、敵機の機銃掃射によって沈没しました!」


「軽巡リアンダーと駆逐艦ウッドワースが回避行動中に衝突、リアンダーの損害は軽微なるもウッドワースは艦首が破断、航行不能です!」


 旗艦インディアナポリスにもたらされるのは、悲報ばかりであった。


「ジャップの航空部隊を、何とかして撃退出来ないものか……」


 任務部隊司令官ウォルドン・L・エインズワース少将は、インディアナポリス艦橋で渋面を作っていた。

 第三十六任務部隊の上げる対空砲火は輪形陣を組めていないため、濃密とは決していえないものだった。各艦が個別に撃ち上げているため、効果的ともいえない。機銃の曳光弾が虚しく夜空に消え、高角砲は花火のようにただ夜空に爆炎を残して炸裂していくだけだった。

 このままでは、第一次撤収作戦に引き続き、今回の撤収作戦も不完全な結果に終わってしまうだろう。

 艦隊がシーラーク水道に侵入した時点で、インディアナポリスの対空レーダーはルンガ上空に敵機の反応を捉えていた。つまり、ジャップはこちらを待ち構えていたのだ。

 それでもエインズワースが撤収作業を強行したのは、ここで引き上げてしまえばガ島の海兵隊は消滅してしまうだろうという危機感からだった。

 すでに第一次撤収作戦が不完全に終わってしまった以上、秘密裏に撤退することは不可能である。それならば、ある程度の損害は覚悟しなければならない。

 その判断の下に、エインズワースはガ島突入を強行した。


「敵機の一部が引き上げていきます!」


 レーダー室からの報告が上がる。恐らく、爆弾を投下し終えた機体がヘンダーソン飛行場に戻ろうとしているのだろう。

 そこでふと、エインズワース少将の頭にひらめくものがあった。


「レーダー室、敵機の降りる位置を正確に測定しろ。ジャップの航空機を地上撃破する好機だ」


 ヘンダーソン飛行場の位置を合衆国側が把握している。とはいえ、誤差はなるべく避けたい。

 前回の作戦では、コロラドは飛行場の位置を把握していたのにも関わらず、その無力化に失敗しているのだ。

 敵機が空を舞う状況で弾着観測機を発進させるわけにもいかなかったので、ジャップが自らこちらを誘導してくれるのはありがたい。


「艦長、左砲戦用意。レーダーの捉えた位置に向け、砲撃するのだ」


「アイ・サー」


 インディアナポリス艦長は、固い声で応じた。

 敵機に頭を抑えられている状況で、飛行場砲撃のために直進しなければならないのだ。いくら夜間とはいえ、吊光弾や星弾といった照明弾の明かりが周辺海域を照らす中での直進は危険であった。それが、飛行場砲撃を意図したものであれば、ジャップは狙いをインディアナポリスに変更してくるだろう。


「ホノルルに、本艦に追随するよう命じろ」


「アイ・サー」


 タイボ岬沖で回避行動を続ける艦艇の中から重巡インディアナポリスと軽巡ホノルルが離れていく。

 レーダー室からもたらされる報告を元に、砲術長が射撃諸元を入力する。

 インディアナポリスの八インチ主砲塔が、ガダルカナルの陸地に向けて旋回を始めた。

 この時、合衆国は日本陸軍航空隊の戦術思想に救われたといえる。

 陸軍の爆撃戦術には、「反復攻撃」という戦術思想がとられていた。これは、飛行場と目標地点を何度も往復して爆撃を繰り返すという思想で、大量の機体を用意出来ない日本の工業力故に編み出された戦術であった。

 そのため、機銃掃射を続けている隼や屠龍はともかく、九九軽爆は爆弾の再装備のために飛行場に帰還しようとしていたのである。

 そしてこの陸軍航空隊の戦術思想が、アメリカ軍の第二次ガ島撤収作戦を迎撃する日本側の最大の失策となった。


撃ち方始めオープンファイアリング!」


「アイ・サー。撃ち方始めオープンファイアリング!」


 インディアナポリスからは九発の八インチ砲弾が、ホノルルからは十五発の六インチ砲弾が発射される。


「敵機の一部、本艦に向かってきます!」


「気付かれたか!」


 見張り員の報告に、エインズワースは舌打ちを返す。


「構わん! このまま射撃を継続させろ!」


 とはいえ、ここで射撃を中止するわけにもいかない。インディアナポリスとホノルルは二度目の斉射を放つ。

 それとほぼ同時に、敵機の機銃弾が船体を襲った。直進しかしていない艦は、敵機の良い的だろう。だが、機銃掃射ごときで巡洋艦は沈まない。


「対空射撃方位盤損傷!」


「後部檣楼のSCレーダー、反応ありません!」


 その報告を、エインズワース少将は無視する。


「ガ島陸地にて、大規模な爆発を確認!」


 見張り員の興奮した報告に、艦橋が歓声に包まれる。


「見たか、ジャップ!」


 拳を上げてそう叫ぶ者もいた。

 ガダルカナルの一角が、海上からでも判るほど赤々と燃えている。陸軍が再爆撃のために整備員と共に滑走路脇に待機させていた爆弾と燃料が、一気に誘爆を起こしたのである。

 だが、その直後―――。


「右舷に敵機! 近い!」


 見張り員の絶叫と共に、インディアナポリスの艦橋を機銃弾が駆け抜けた。

 血飛沫が、脳漿が、臓物が飛び散り、計器板や海図台を赤黒く汚していく。艦橋は一瞬にして、血の海と化した。


「衛生兵! 衛生兵!」


「……」


 そんな叫び声が耳に入ったのを最後に、第三十六任務部隊司令官ウォルドン・L・エインズワース少将の意識は永遠に暗転した。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「これまでのところ、我が軍は米戦艦一、巡洋艦一、駆逐艦二から五隻程度を撃沈、航空機約八十機撃墜、戦艦二、特設空母一、巡洋艦三隻を撃破した模様です」


 横須賀鎮守府の敷地内に置かれた連合艦隊司令部、その会議室で渡辺安次戦務参謀の報告が響いていた。

 この時、日本海軍はメリーランド、ミシシッピー、シェナンゴの撃沈を把握していなかった。攻撃を行った潜水艦が撃沈を確認することなく退避したためであった。


「現地からの情報によりますとガ島にはなおも米軍部隊が残存しており、米海軍は今後も撤退作戦を継続するものと思われます」


「報告ご苦労」上座に位置する山本五十六連合艦隊司令長官が頷く。「ところで、昨夜はガ島飛行場に大きな損害が出たと思うのだが、被害の集計は出来ているのかね?」


「被害を受けたのは、ルンガ川東飛行場です」


 ルンガ川東飛行場は、大型機の発着が出来るガ島最大の飛行場であった。そのため、司令部内に厳しい雰囲気が流れる。


「被害を大きくしたのは陸軍航空隊の燃料と弾薬で、これの誘爆によって同飛行場に駐機していた我が海軍の機体にも損害が出ています。第十一航空艦隊からは、一式陸攻五機、二式陸偵二機、九七艦攻三機、九九艦爆四機が完全に破壊されたとのことです。不幸中の幸いは、零戦はルンガ西飛行場とイリ川飛行場に配備されていたため損害がなかったこと、また搭乗員が無事だったことですが」


 今後も継続して南太平洋の連合軍海上交通網を遮断しなければならない海軍としては、比較的大きな損害である。流石に敵艦隊に昼間雷撃を仕掛けた場合の損害よりは少ないだろうが、それでも数が必要な一式陸攻を五機も失ったことは痛い。

 参謀たちの多くが、渋面を作っている。


「……日進まで喪失するような事態は何としても避けなければなりませんな」


 黒島亀人先任参謀が神経質そうな声で言った。

 日進はすでに空母への改装が決定していたが、空いているドックの関係上、今年九月まで改装工事を行えない。そのため、高速輸送艦としてソロモン・ニューギニア方面で用いられているのだが、もし喪失するような事態となれば今後の空母戦力の増強に影響が出てしまう。

 すでに現地の陸海軍は協定を結び、水上機母艦日進、特設水上機母艦神川丸、国川丸を利用した砲兵隊の輸送を決定していた。これを覆すことは、流石に連合艦隊司令部としても出来ない。


「うむ、護衛には万全を期すよう、第八艦隊に命令を出そう」


 山本も、黒島の意見に頷く。


「長官、よろしいでしょうか?」


 樋端久利雄航空甲参謀が、発言を求めた。


「何かね?」


「第八艦隊への命令ですが、ガ島への米艦隊の接近が確認された際は、これを撃滅するように命ずべきであると愚考いたします」


「何故だね?」黒島参謀が嫌みっぽく尋ねる。「君は米輸送船団の撃滅を主張していたではないか。今更、米艦隊の撃滅を主張するのかね?」


「米輸送船団の撃滅を目指すべきという意見は、変わりません」樋端はきっぱりと言った。「ただ、我々は『輸送船』というものの定義を誤っていた可能性があります」


「どういうことかね?」


 宇垣参謀長が言った。


「『輸送船』と言いますと低速なものを想像してしまいますが、陸軍の行った撤収作業の妨害のための空襲についての報告を見る限り、米軍の用いている『輸送船』は、これまで何度か確認されてきた平甲板駆逐艦改造の高速輸送艦と思われます。故に、米艦隊と共に行動していると考えられ、その撃滅のためには米艦隊そのものとの戦闘を覚悟しなければならないと考えた次第です」


「なるほど」宇垣が頷いた。「確かに、これまでのところ、ガ島へ向かう大規模な輸送船団は確認されていないな」


「はい。米軍による第一次撤収作戦の際、潜水艦から敵輸送船団のヌーメア出港が報告されておりますが、これは恐らく伊一九潜が撃破を報告している特設空母部隊を誤認したものと思われます」


「となると、米艦隊の撃滅はやむなし、か。そうなると、恐らく第八艦隊も損害を負うことになるだろうが、君はそれを許容するのかね?」


 宇垣は、以前の樋端の発言との齟齬を指摘する。とはいえ、相手を追求するような口調ではない。単に、確認しているといった程度の質問であった。


「状況は変わりました。輸送船団だけを叩くことが不可能となった以上、やむを得ないかと。むしろ、米軍に出血を強要出来る機会を逃すべきではないでしょう」


「ふむ。第八艦隊の消極性はいささか目に余るからな。ここで米軍に打撃を与えることも必要だろう」


「はい。基地航空隊の損害さえ少なければ、以後も南太平洋の連合軍には圧力をかけることが可能です」


「長官としては、如何ですかな?」


 方針が定まったところで、宇垣は山本を見る。


「よろしい。第八艦隊に、ガ島に来寇する米艦隊の撃滅を命じたまえ。ここが正念場だ」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 アメリカは、日本の海軍暗号を相当部分、解読することに成功している。

 アメリカ軍は情報戦という分野において、確実に日本を圧倒しているといっていい。だが今回ばかりは、ハワイのONI(海軍情報部)のもたらした情報が南太平洋方面軍司令部に悪い影響を与えていた。

 少なくとも、軽巡クリーブランド艦橋で第六十八任務部隊の指揮を執るアーロン・S・メリル少将はそう思っている。

 現在、艦隊は一九四三年二月十三日深夜のガ島突入を期して北上を続けていた。エスピリットゥサントの航空隊の航続圏内を、ハワイ方面に向けて航行している。

 ジャップにハワイへ向かっていると誤認させる偽装航路である。

 とはいえ、彼らがどこまでこの偽装航路を真に受けてくれるかは判らない。それでも、第六十八任務部隊はガ島への突入を決行せざるを得なかったのだ。

 理由は、ONIがもたらした情報による。

 ソロモン・ニューギニア方面に展開するジャップの艦隊が、陸軍の増援部隊を載せた輸送船団と共にガ島への出撃を計画しているというのである。

 これまでガ島を封鎖して米軍を消耗させていた日本軍であったが、恐らく、合衆国がガ島からの撤退を決断したことで方針を変えたのだろう。増援部隊と海上からの艦砲射撃によって、ガダルカナルの海兵隊を殲滅しようとしているに違いない。

 その作戦が成功すれば、海兵隊第一師団と陸軍アメリカル師団は、文字通り地球上から消滅してしまう。

 故に、南太平洋方面軍司令部は第三次ガ島撤収作戦の実施に一刻の猶予もないと判断、メリル少将に二月十三日を以ってガ島に突入し、残存部隊を収容するよう命じたのである。

 第六十八任務部隊の編成は、次の通りであった。


  主隊

【軽巡】〈クリーブランド〉〈コロンビア〉〈モントピリア〉〈ヘレナ〉

【駆逐艦】〈ド・ヘイヴン〉〈ニコラス〉〈ラ・ヴァレット〉〈ウォーラー〉〈コンウェイ〉〈コニー〉〈ラルフ・タルボット〉〈ブキャナン〉


  輸送隊

【駆逐艦】〈フレッチャー〉〈テイラー〉〈ラムソン〉〈モーリー〉

【高速輸送艦】〈タルボット〉〈ウォーターズ〉〈ブルックス〉〈ギルマー〉〈ハンフリーズ〉〈サンズ〉


 作戦当初の編成である主隊に加え、新たに輸送隊の駆逐艦四隻が加わり、高速輸送艦の護衛と折りたたみ式浮舟の輸送を担当することになった。これら駆逐艦は、これまでの二次にわたる撤収作戦で用いられた駆逐艦の内、比較的損害が少なく、機関部の状態が良いものが選ばれている。

 第一次撤収作戦では約二三〇〇名、第二次撤収作戦では約四〇〇〇名を収容していた。当初の目標の半分以下の数値であった。だからこそ、南太平洋艦隊司令部は稼働可能な残存艦艇を集結させて第六十八任務部隊の輸送能力の強化を図ったのである。

 艦艇の損害と作戦行動中にかける機関部の負荷(敵空襲圏外への離脱のために、長時間の高速航行を余儀なくされる)を考えれば、今回のガ島撤退作戦“クリーンスレート作戦”は、この第三次撤収作戦が限界だった。それほどまでに、太平洋における合衆国海軍は危機的状況に瀕していたのである。


「提督、ブーゲンビルのコーストウォッチャーからの通信が」


 未だ太陽が東の空に存在する南太平洋の午前、旗艦クリーブランドにジャップの艦隊の動向を監視している現地の諜報員から情報が入った。


「大型巡洋艦を含む十隻以上の艦隊が、ニュージョージア島方面に向けて南下中とのことです」


「……拙いな」


 その報告に、メリルは呻いた。

 恐らく、第六十八任務部隊とジャップの艦隊がガダルカナルへ到着する時刻は同じだろう。いや、空襲などを警戒して迂回航路を取る必要のない日本艦隊の方が、ガ島到着は早いかもしれない。

 日本艦隊が揚陸作業や地上攻撃に気を取られている隙に攻撃できれば、まだ活路はあるだろう。また、レーダーに関してもガダルカナル沖海戦時よりも進歩している。特に最新鋭のクリーブランド級の三隻には最新鋭のSGレーダーの改良型が搭載されている。これは、初期型よりも出力を五〇キロワットほど上昇させたものである。

 とはいえ、問題点もあった。

 コロンビアとモントピリアは南太平洋に到着して二週間あまりと日が浅く、艦隊行動を共にするには練度の点で不安があったのだ(一方のクリーブランドはトーチ作戦の延期にともなって、当初の予定よりも早く南太平洋に到着していた)。

 だが、それでも自分たちは進まねばならない。

 合衆国軍人に怯懦は許されないのだ。


  ◇◇◇


 一方、悲壮な覚悟と共にガ島突入を決意していたメリル少将とは対照的に、第八艦隊の三川軍一司令長官はどこか煮え切らない態度であった。

 連合艦隊司令部から命ぜられた、ガ島に来寇する米艦隊の迎撃命令。

 それは、艦隊保全を第一とする第八艦隊司令部の方針と相容れないものであった。

 現在、第八艦隊は次のような編成で、ニュージョージア海峡を南下していた。


司令部直率【重巡】〈鳥海〉

第五戦隊【重巡】〈妙高〉〈羽黒〉

第六戦隊【重巡】〈衣笠〉

第三水雷戦隊【軽巡】〈川内〉

 第十一駆逐隊【駆逐艦】〈吹雪〉〈白雪〉〈初雪〉〈叢雲〉

 第十九駆逐隊【駆逐艦】〈磯波〉〈浦波〉〈敷波〉

 第二十駆逐隊【駆逐艦】〈天霧〉〈朝霧〉〈夕霧〉〈白雲〉

付属【戦艦】〈霧島〉


 その後方に、カビエンから出港した日進以下水上機母艦を護衛する輸送部隊が続く。


第四水雷戦隊【軽巡】〈球磨〉

 第二駆逐隊【駆逐艦】〈村雨〉〈夕立〉〈五月雨〉〈春雨〉

 第二十七駆逐隊【駆逐艦】〈白露〉〈時雨〉〈夕暮〉〈有明〉

輸送隊【水上機母艦】〈日進〉【特設水上機母艦】〈神川丸〉〈国川丸〉


 ヌーメア港を監視する潜水艦から、新たな米艦隊が出撃したとの報告は受けている。

 だからこそ、三川は再度の第八艦隊の出撃を決意したわけであるが、見敵必殺の精神に溢れているとは言い難かった。

 第八艦隊は、米海軍の第二次撤収部隊とおぼしき艦隊の出撃が確認された際、泊地から動かなかった。ショートランドにいた二隻の特設水上機母艦をカビエンまで護衛しなければならなかったこと、そしてそのカビエンでの陸軍砲兵部隊の積み込み作業があったこと、何よりも燃料の問題から出撃すべきではないと判断したのだ。

 しかし、連合艦隊司令部はそうした第八艦隊司令部の消極性を良しとしなかったらしい。

 広大な海域を担当する現場の苦労を知らないから、安易な出撃命令が出せるのだと、三川は密かに連合艦隊司令部に反発を覚えている。


「……」


 そして、そうした司令部の様子を横目で見ている鳥海の早川艦長は、内心で嘆息していた。

 どうやら今回も、司令部は米艦隊との対決に乗り気でないらしい。本気で、旗艦を別の艦に移してくれないものかと思っている。こちらの神経がささくれ立ってしょうがないのだ。

 米艦隊を前にして臆病風に吹かれることだけは止めてくれよ、と早川は切に願っていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 日米両軍は目的は違うとはいえ、同じ島を目指している。

 なればこそ、彼らの激突する海域は決まっていた。

 「鉄底海峡」。

 過去、幾多の艦船を飲み込み、周辺を通過する艦艇の羅針盤すら狂わせるとまでいわれる呪われた海域。

 日もとうに暮れ、南十字星が輝くソロモンの空の下、一九四三年二月十三日、太平洋の覇権を争う東西両国の艨艟たちは、幾度目かの邂逅を果たす。

 二三〇七時。

 レカタ基地から発進した零式水偵が、マキラ島東方に米艦隊の姿を発見した。

 第六十八任務部隊は、日本軍による空襲を避けるため、エスピリットゥサント、サンタクルーズ諸島を大きく回るようにしてガ島への突入を敢行しようとしていたのだ。

 これがこの夜、第八艦隊にとって米艦隊発見の第一報となった。

 両軍の索敵合戦は、優秀なレーダーを持つ合衆国側ではなく、ソロモンの制空権を掌握している日本側に軍配が上がったことになる。

 ガダルカナルの飛行場では、吊光弾を搭載した二式陸偵が発進命令を待っていた。また、可能ならば夜間空襲を行うべく、相応の技量を持った搭乗員たちと少数の零戦、九九艦爆、九七艦攻を待機させていた。

 少なくとも、距離的に米軍よりも早くガダルカナル沖に兵力を展開出来る日本側は、三川の思いは別として、迎撃準備自体はかなりの精度で整えていたのである。

 昼間の航空偵察の結果、サンタクルーズ諸島沖に敵艦隊が発見された時点で、第八艦隊は揚陸作戦の一時中止を決断していた。そのため日進以下三隻の水上機母艦の護衛についていた第四水雷戦隊から、橘正雄大佐率いる第二駆逐隊を引き抜き、艦隊に加えている。

 シーラーク水道を航行する第八艦隊は、かつての第一次ソロモン海戦と同じく、単縦陣を形成していた。

 旗艦鳥海を先頭に、第五戦隊の妙高、羽黒、第六戦隊の衣笠、そして戦艦霧島の順に並び、その後方に第三水雷戦隊が続いている。唯一、第二駆逐隊のみがインディスペンサブル海峡側に配置されていた。

 これは第三次ソロモン海戦の戦訓から、米艦隊出現後はその退路を断つことを期待しての配置であった。

 水偵による最初の通報から約三十分後の二三三九時。

 霧島の二一号電探が距離十八キロで、米艦隊と思しきぼんやりとした反応を探知した。波長一・五メートルでは、いくら水上目標を探知出来るとはいえ、どうしても反応は粗くならざるを得ない。

 その情報は即座に旗艦鳥海に伝達され、三川長官は弾着観測機発進始めの号令を下す。各艦のカタパルトから照明弾を積んだ零式水偵、零式観測機がそれぞれ打ち出された。

 二三四三時。

 鳥海見張り員が距離約十四キロで敵艦隊の発見を報じた。


「取り舵に転舵。敵艦隊の頭を抑える」


「宜候。とぉーりかぁーじ!」


 夜戦艦橋に、独特の調子を付けた操舵員の声が響く。

 ここで、鳥海から霧島までの艦が取り舵に転舵した。一方で、旗艦が取り舵に転舵したのを見た三水戦は面舵に転舵している。

 これは事前の作戦計画による艦隊運動であり、砲戦部隊である重巡四隻と霧島が敵の砲火を引きつけ、その隙に第三水雷戦隊を突撃させるというものであった。

 そのため、三川は三水戦がガ島の島影に隠れるような艦隊運動を取らせたのだ。


「敵艦隊、面舵に転舵。本艦と同航する模様!」


 一方、米艦隊も第八艦隊に丁字を描かれることを恐れたのだろう、同航砲戦を挑むつもりのようだ。


「敵艦隊、発砲を開始した模様!」


 そして、海の彼方に閃光を見つけたらしい見張り員が叫ぶ。

 未だ両艦隊の距離は一万三〇〇〇メートル前後。かなり早い段階で米艦隊は射撃を開始したことになる。


「各艦、右砲雷戦用意! 併せて、観測機に吊光弾の投下を指示せよ!」


 先手を取られたものの、三川の指示は落ち着いていた。いかに米軍に電探があるとはいえ、初弾が命中するとは思っていないのだ。

 刹那、鳥海の周囲に水柱が立ち上る。敵艦隊からの弾着だった。


「ただいまの敵弾による被害なし」


 報告に、早川艦長はかすかに頷いた。

 やがて、東の海面に吊光弾の光がまばゆく輝く。敵艦隊の後方に投下されたパラシュート付照明弾は、くっきりとその姿を海上に映し出す。


「本艦の目標、敵一番艦、妙高以下は航行順序に沿って目標を定めよ」


「宜候。目標、敵一番艦!」


 鳥海の二〇・三センチ主砲塔が、ゆっくりと旋回を始める。砲術長が射撃諸元を定め、その計算結果が各砲塔に伝達され、砲身が仰角を取り始めた。


「射撃用意よし!」


 やがて、砲術長から待ち望んだ声が届けられる。


「目標、敵一番艦、撃ち方始め!」


「てぇー!」


 この瞬間、鳥海の五門の主砲が一斉に火を噴いた。






 一方、第六十八任務部隊は、レーダーにより日本艦隊を距離二十六キロで探知していた。

 艦隊は二十六ノットで航行しているため、霧島の電探よりもおおよそ三分ほど早く日本艦隊を捕捉していたことになる。とはいえ、上空にジャップの索敵機が張り付いているため、実際に先に探知されたのは自分たちの方だろうと、メリル少将は判断していた。

 となれば、ジャップの揚陸作業中に横合いから急襲出来るという可能性は低いだろう。

 こちらも輸送隊を後方に残しているように、ジャップも輸送隊を後方に配置して、第六十八任務部隊の鉄底海峡突入を阻止しようとしているに違いない。

 現在、任務部隊は単縦陣にて航行していた。

 艦の配置は、これまでの巡洋艦部隊と同じく、前衛の駆逐隊、主力の巡洋艦戦隊、後衛の駆逐隊というものである。


「敵艦隊、取り舵に転舵。こちらの頭を抑えつつあります」


 レーダー室からは、刻々と日本艦隊の状況がもたらされている。


「艦隊、面舵に転舵。敵艦隊に対し、同航戦を挑む! 各艦、左砲雷戦用意!」


「アイ・サー」


 メリルの指示により、クリーブランドは徐々に右に転舵していく。


「巡洋艦戦隊は、距離一万四〇〇〇ヤードにて砲戦を開始せよ! 駆逐隊は巡洋艦部隊の射撃開始と同時に敵艦隊に突撃、雷撃を敢行すべし!」


 クリーブランド級軽巡は、六インチ主砲三連装四基十二門を搭載する重武装の軽巡洋艦である。しかも、このMk.16主砲の装填速度は十秒程度と、かなりの速射が可能な砲であった。日本側の重巡が装備する三年式二〇糎主砲の装填速度が約二十秒であることを考えれば、射撃速度において日本側を圧倒することが出来るのだ。最大射程も二万六〇〇〇ヤード(約二万四〇〇〇メートル)を誇っていた。

 一方で、雷撃能力では日本の巡洋艦に劣る。

 だからこそ、メリル少将は自身の巡洋艦戦隊を不用意に敵巡洋艦戦隊に接近させることを警戒していた。それ故、敵艦隊へ接近せず、ある程度の距離を保って砲戦に持ち込む戦法をとったのだ。


「射撃用意よし!」


撃ち方始めオープンファイアリング!」


 クリーブランドの主砲が、轟然と日本艦隊に向けて射撃を開始した。


  ◇◇◇


 マライタ島を背にして進んでいる第二駆逐隊は、南方海域、つまりガダルカナル方面で発砲の閃光と照明弾の吊光が連続しているのを確認していた。


「村雨より信号。面舵に転舵、第二駆逐隊、突撃せよ」


「来たな」


 にやりと、夕立の艦橋で吉川潔中佐は不敵な笑みを浮かべる。


「航海長、面舵に転舵。旗艦に続け」


「宜候。おもぉーかぁーじ」


 村雨、夕立、五月雨、春雨の順で進む第二駆逐隊。

 四隻の駆逐艦は一糸乱れぬ統制の下、海面に一本の弧を描いていく。

 機関の轟音を響かせながら、村雨を旗艦とする第二駆逐隊は米艦隊へと突撃を開始した。夜の黒い海面に、白いしぶきが上がる。


「旗艦より信号。右砲雷戦用意!」


「宜候。右砲雷戦用意!」


 四隻の駆逐艦は、一斉にその砲と魚雷発射管を右舷へと指向する。

 夕立の右舷側海面では、第八艦隊と米艦隊の巡洋艦部隊による砲戦が行われていた。状況はいまいちよく判らないが、だからといって突撃を躊躇う理由にはならない。


「敵の後衛と思しき駆逐艦部隊、こちらに向かってきます!」


「だろうな」


 見張り員の報告に、吉川は特に驚いた様子もなく呟いた。

 相手には電探がある。もとより、背後からの奇襲が成功するとは、橘司令を始めとして誰も思っていない。あくまで、後方を遮断するような動きを見せて、敵艦隊を牽制出来ればそれでよいと考えている。


「村雨より信号! 目標、敵駆逐艦。適宜砲撃始め」


「砲術長、聞いての通りだ。撃ちやすそうな奴から狙っていけ」


「宜候! 目標、敵駆逐艦二番艦!」


 椛島千蔵砲術長から応答がある。


「敵艦発砲!」


「やはり、アメ公の方が早いか」


 夜戦は日本海軍の十八番(おはこ)であったはずなのだが、電探技術の発達と共にその優位性が薄れているのかもしれない。

 とはいえ、慌てる必要もないと吉川は思っている。こちらはこちらの全力を発揮すれば、それでよいのだ。


「射撃用意よし!」


「撃ち方始め!」


「てぇー!」


 米駆逐艦に少し遅れて、第二駆逐隊も発砲を開始する。

 十二・七センチの砲とはいえ、陸軍の重砲並みの口径である。それなりに腹に響く。

 その轟音と振動を心地よく感じながら、吉川は敵の様子を見る。どうも、こちらの針路を塞ぐような形で、四隻の米駆逐艦は行動しているようだった。


「村雨、取り舵に転舵!」


「航海長、村雨に続け!」


「宜候。とぉーりかぁーじ!」


 これで、米駆逐隊とは同航戦の形となる。最善は米巡洋艦部隊に接近するために面舵を取り、米駆逐隊とは反航戦に持ち込んですり抜けることなのだが、すでに砲を右舷側に向けてしまっている。面舵に転舵すれば米駆逐隊を左舷側に望むことになるため、照準の大幅な修正が必要となるのだ。

 恐らく、橘司令は同航戦で素早く米駆逐隊を仕留め、再度、米巡洋艦部隊に接近を試みるつもりなのだろう。

 米駆逐隊との真っ向勝負に、吉川も全身の血が沸き立つような興奮を覚える。

 村雨からは、特に追加の指示はない。魚雷は敵巡洋艦のために温存しておく肚なのだろう。

 二基の十二・七センチ連装砲が、交互射撃を繰り返す。

 艦首付近に、弾着があった。水柱が立ち上り、夕立の姿を敵駆逐隊から隠す。だが、三十五ノットで疾走する夕立は、水柱が崩れるより早くその脇を駆け抜けた。


「米駆逐隊、なおも接近中!」


「ほう、中々闘魂逞しいじゃないか」


 見張り員の報告に、吉川は感嘆の声を上げる。

 第三次ソロモン海戦の際の米駆逐隊の狼狽ぶりを実際に目撃している彼にしてみれば、今、目の前の敵の積極性は十分に賞賛に値するものだった。


「敵二番艦に命中一を確認!」


「よし、その調子で撃ちまくれ!」


 命中の爆炎は、吉川も確認出来た。

 米駆逐隊はこちらに接近するために舵を切りながら射撃をしているらしく、彼らからの弾着は未だ夕立を捉えられていない。

 弾着による水柱の中を夕立は突っ切り、二基の主砲が一斉射を開始する。


「命中、さらに二を確認! 敵駆逐艦で火災発生の模様!」


「……おいおい、いくら何でも近づきすぎじゃないか」


 吉川は意外に近い場所で火災が発生していることに、怪訝な声を上げた。

 米駆逐隊は、なおも接近を試みている。いや、接近しようとしているのではなく、こちらの針路を何としても塞ごうとしているのかもしれない。

 そこで、はっと吉川は気付いた。


「……拙い! 村雨に信号を出せ! 直ちに取り舵に転舵され度!」


 吉川はかつて、第三次ソロモン海戦で同じような光景を目にしている。他ならぬ、自らの操る夕立が同じような行動を取っていたのだ。

 だからこそ、米駆逐隊の意図に気付けたといえる。

 一方の村雨も、このままでは衝突すると気付いたのだろう、夕立からの信号が伝わる前に、その船体が左に旋回を始めた。


「馬鹿野郎! 舵を切りすぎだ!」


 村雨の様子を見て、思わず吉川は罵声を発した。取り舵一杯(左舷三十五度)を通り過ぎて「赤々(緊急左舷回頭四十五度)」に切ったらしい、そのままでは一周回って夕立の左舷側に衝突してしまうだろう。


「取り舵三十度! 急げ!」


「とぉーりかぁーじ!」


 復唱する操舵員の声は、緊張に震えていた。

 今、夕立は左舷を村雨、右舷を米駆逐隊に挟まれている。下手に大きく舵を切れば、どちらかに衝突してしまうだろう。

 その間にも米駆逐隊からの砲弾が降り注ぎ、夕立も負けじと撃ち返す。だが、どちらも変針しながらの射撃のため、まともに命中弾が出ない。

 そして、米駆逐隊も流石に接近し過ぎたことに気付いたのか、一斉に面舵を切って反転していく。

 炎上する米駆逐艦が一隻だけ、戦場に取り残された。


「撃ち方止め、撃ち方止め!」


 どこか投げやりな調子で、吉川は主砲射撃を止めさせる。まったくもってひやりとする場面であった。


「ったく、俺があの時やったことを、アメ公にやり返されるとは思ってなかったぞ」


 取りあえず、衝突の危機を回避した。一瞬だけ安堵の息をついた吉川は、即座に周囲を確認する。


「村雨は? 五月雨と春雨はどうした!?」


「判りません! 三隻の艦影、確認出来ません!」


 最大戦速で突っ切ったことが徒になったらしい。後方に、三隻を置き去りにしてしまったのだ(この場合は、夕立が置き去りにされたのかもしれないが)。


「おいおい、またか……」


 第三次ソロモン海戦の時も、夕立は春雨など友軍艦隊とはぐれ、単独行動を行っている。またも同じ状況に陥ってしまったことに、吉川としては呆れた声を出す以外にない。


「ったく、しょうがない」


 こうなった以上は、吉川自身の判断で戦闘を継続するしかないだろう。


「面舵一杯、目標、敵巡洋艦戦隊!」


 狙う獲物は大きい方がいい。

 吉川の不敵な笑みと共に、夕立はインディスペンサブル海峡から宿命の鉄底海峡へと舵を切っていった。






 第六十八任務部隊の後衛駆逐隊が、第二駆逐隊に対して衝突が危ぶまれるほど接近したのは、彼らなりの危機感があったからであった。

 日本側は第二駆逐隊による退路の封鎖を意図していたのだが、合衆国艦隊は戦闘を行っている主隊の後方に輸送隊が存在していた。駆逐艦フレッチャーを旗艦とした輸送隊は主隊が第八艦隊と交戦している隙を突いてのガ島突入を企図しており、万が一、攻撃を受けた場合、自力で日本艦隊を撃退することが困難であった。輸送隊は駆逐艦にまで折りたたみ式浮舟を積載しており、甲板上に可燃物が溢れていたからである。

 この輸送隊の存在に関してもレカタ基地の零式水偵は報告していたのだが、第八艦隊はその位置を十分に把握していなかった。第六十八任務部隊の後衛駆逐隊と輸送隊を混同していたのである。夜間故の錯誤、あるいは情報処理の拙さが原因といえよう。

 だが、日本側のそうした事情を知らない第六十八任務部隊は、第二駆逐隊の行動を輸送隊攻撃のためのものであると判断し、それを後衛駆逐隊の司令が断固阻止すべく行動した結果、第二駆逐隊の針路を妨害するような艦隊運動を行ったのであった。

 この結果、大きく転舵して左舷側から接近する村雨を避けるため、夕立に後続していた五月雨、春雨は面舵に転舵することとなった。第二駆逐隊の隊列は、これによって完全に崩壊してしまった。

 その意味では、後衛駆逐隊司令の目論見は十分に達成されたと考えるべきであろう。

 海戦終結まで、第二駆逐隊はまとまった艦隊行動が取れなくなってしまったのだから。

 大変申し訳ございません。第五話で完結させることが出来ませんでした。

 物語の最終段階である第四次ソロモン海戦ですが、活躍させたい艦を思うままに活躍させていたら、政治的シーンを含めて五万字を超えてしまいました。

 流石に、次回で完結させ、次期インド洋作戦に繋げていきたいと思います。


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