7月29日 ②
試合が終わり、一段落すると、陸の友人達が海月の方へと走ってきた。
(え? 何? …ああ。皆トイレに行きたいのか)
海月の近くには屋外トイレが設置されていた。
たとえ圧勝だろうと、前後半合わせて一時間以上拘束される。途中休憩は挟んだのだから、その時に行けば良かったのにと思いつつも必死の形相で向かってくる彼らを責められない。生理現象はどうしようもないものだ。
(それにしてもそんなに一気に行くほど? 休憩中水分がぶ飲みしたのかな……って)
「えええ!? なっ何!?」
向かってくる彼らの目指す先がどうにもトイレとはずれており、自分を目指しているようだった。
そして海月は囲まれた。
「「「あ~ま~み~や~~」」」
「は!? なに!? 私なんかした!?」
「なんかした? じゃねえよ! まじで頼むわ!」
「も~、試合中俺らハラハラドキドキよ!?」
「魔王降臨とかしちゃったらどーしてくれるわけ!?」
「はあ? 魔王? なんの話?」
「俺らの応援に来といて、相手チーム応援すんなし!」
「え? あーごめんごめん! でも応援いっぱいいたから私一人くらい、いいじゃん?」
「お前一人が、ダメなんだっつの!!」
「なんでよ!?」
「なんでって、お前のせいで陸が…」
「あの、ちょっといい?」
先ほど海月が応援の言葉をかけた少年が声をかけてきた。
「あ、さっきの。試合お疲れ様!」
「うん。試合は残念だったけど、その…さっきは応援ありがとう」
「あー、どういたしまして? いや、私一人くらいいいかなーと思ってさ!」
「はは。うちのチーム喜んでたよ。俺含めてさ」
「そ? なら良かった!」
「お、おい?」
「この展開は…」
「ヤバくね?」
「それで、その、良かったら君の名前を…」
「ねえ、どいてくれる?」
「「「ひぃっ!? 魔王降臨!!」」」
そこへ遅れて魔王…もとい、陸までもがやって来た。無表情で。
「陸!」
「海月、ちょっとあっちにいい?」
「え、あ、うん。あ、でも今この人と話して…」
「ああ。……ごめん。ちょっと彼女と話があるから、いい?」
「っ! あ、ああ」
陸の顔を見た少年たちは一歩下がるようにして、コクコクと同じような動きをさせて了承した。
「アリガトウ。さ、あっちに行こう?」
「お、おう? あの話途中でごめんね?」
海月は彼らに謝りながら陸に手を引かれて行った。
残された彼らは二人の背中を見つめていた。
「えーと…あの二人は付き合ってるの?」
「あー、いやー、そうとも言えるし、そうとも言わないようなー」
「あー、うん。なんとなく分かった」
「うん。…お前も残念だったな」
「………いや、まあ。大丈夫…」
「おお落ち込むなって!」
「そっ、そうそう! あいつらの被害者は結構多いんだよ!」
「あっちで話そう! な!」
彼らはチームの垣根を越えて親睦を深めた。
その裏でこの二人は―――校舎の玄関口に来ていた。
「り、陸? あの、ごめんね? 応援しなくて。でも他に応援いっぱいいたからいいかなーと思ってさ。その……怒って…る?」
友人のこんな無表情を見ることは滅多にない。
海月が海で泳いでケガした時とか、試合で負けた時とか、何か感情を抑えてる時にこういった表情をすることはあるものの、今は海月に何かあったわけでも、試合に負けたわけでもない。
大抵がその後、泣くか怒るかになるのを海月は今までの経験上理解っている。だから今、陸が何かを我慢しているのだとひしひしと感じていた。どちらかといえば、怒っていると践んで恐る恐る言葉に出してみた。
「……………」
「り、陸?」
「はぁ~~~~~~~」
陸は大きく長いため息を吐いた。
海月はどうしていいか分からず挙動不審にきょどきょどと視線をさ迷わせた。自分の行動に何か原因があるのだろうから。
「……海月」
「はい!?」
「あの、さ。海月は誰にでも愛想振りまくのは止めた方がいいと思う」
「…………はい~?」
「あんな風にしたら、被害者が増えるだけだと思うんだよ」
陸は友人たちとの会話にあった言葉が口をついて出たのを意識できていない。自分でもあの時にムッとしたはずなのに。それほど今余裕がなかった。目の前で自分の好きな相手を口説かれそうになっているのを見てしまったのだから。
そんな陸の心情を海月が知ることはなく、愛想を振りまいた覚えもなければ、さらに被害者がいるなんて言われれば意味が分からない。海月は人の嫌がることを率先して行うなんてことは絶対しないと自分の中で決めている―――陸好きガール達の“嫌がること”は少し毛色が違う―――むしろそういう人のことを嫌悪している側だ。
それなのに、『お前は人を傷つけている』―――そんな風に仲の良い陸に非難されているのだ。自分のことを昔からよく知ってるであろう、陸に。
海月にとっては青天の霹靂状態だった。
「……ヒガイシャって何?」
今の今まで陸を怒らせたのかと、オロオロしていたのに、あまりの言いように冷眼になった。
陸もまた、海月のその反応に過敏に反応を返した。
「相手に応える気がないなら愛想振りまくのは止めた方がいいって言ってんの! さっきだって俺らの応援しないであっちのチーム応援してさ。あんな風にしたら勘違いするやつも出てくんじゃん!? 現に言い寄られてたし!」
「はあ? 言い寄られてたって何? 誰もそんなことしてなかったじゃない。なんかよく分かんないことは言われたけど、あの男の子だって応援してくれたことに対してのお礼言いに来てくれただけだし。陸、マジで何言ってんの?」
「はぁ。こんなに無自覚なんて。だから俺の気持ちにも気づかないんだろうけど…」
「え? 聞こえないんだけど?」
「海月は無頓着すぎるって言ってんの!」
「は!? 何それ! てか、なんなの!? 陸に誘われたから来たのに。そりゃ陸たちの応援に来といて、応援しなかったのは悪かったけど。でもっ、そこまで怒ることないと思う!」
「今日だけのことじゃないんだよ! バスケ部のキャプテンとか、うちの山口とか…きっとほかにもいるだろ!?」
陸が言ってるのが自分に告白してきた相手だと、海月は分かった。
「何? なんで陸がそんなこと知ってんの? てか、私のプライベートのこととかとやかく言われる覚えないんだけど?」
「あ」
陸は自分の失言にようやく気がついた。
「私が誰に何を告われようと、その結果がどうだろうと、陸には関係ない!」
「かっ、関係ないってことないだろ!? お前の返事で今後が変わってくんだから!」
陸の言葉に海月は愕然とした。
(……陸は、私が誰かと付き合いだしたら、友達ではいてくれなくなるって言ってるの? 陸の中ではそれだけで関係が変わってしまう、もしかしたら終わってしまう関係だったってこと…?)
海月の考えと、陸の考えは行き違っていたが、本人たちにはそんなことは分からない。ただ、自分の行き着いた考えに海月は泣きそうになった。
「……っ、もういいっ! 帰る!!」
「あ、おいっまだ話は……」
帰ろうとはや歩きで進んでいた海月がピタリと止まった。
呼び止めたものの、止まると思っていなかった陸は少し驚いた。
くるりと振り向いた海月は下を向いたまま、ずんずんと陸に近づき、その手に持っていたトートバッグを突き出して、その胸へと押し付けた。
「えっ、あ、あっ、おい!?」
反射で陸が受け取ると海月はそのまま走り去って行った。
陸はしばしの間、その場で固まっていた。
そして、ぶわりと冷や汗をかきはじめた。
(やっ……ちまったぁぁぁぁ……!! どっ、どうしよう!? だ、だって、あんなところ見たら居てもたってもいらんねぇだろぉ!? そりゃ、応援してくれなかったのには少しだけイラついたのは確かだけど、それでも責めるつもりなんてなかったんだ! そういうとこ含めて海月らしいって思ったし! でも、あれはないだろ!?)
陸の脳裏には先ほどの、少し頬を染めた相手が海月の名前を聞こうとーーー今後も関わろうとしている場面を思い出していた。
きっと海月のことだ。普通に何も思わず名前を教えて、仲良くなるに違いない。海月がいずれ誰かと付き合おうが付き合うまいがそれは確かに海月の気持ち次第なのだが、それを目の前で易々と看過できる度量は陸にはない。
玄関先で頭を抱えながら、うなだれていると、先ほど海月が押し付けてきたバッグが目に入った。
「てか、あいつ、何渡してきたんだ?」
バッグを膝に乗せ、チャックを開いて中を覗き、陸は一瞬固まり、またもやうなだれた。
「はぁ~~~~~~~~。もぉ~~……マジでどうしよう」
そのバッグは保冷できるもので、中身はレモンを輪切りにしてハチミツと塩に漬けられたものだった。
海月が朝早くから準備したものだ。
陸は泣きそうになった。
その後、それを独り占めしたかったのに、一人で戻って来た上に、その手に何か持っていることに気づいた友人たちにより、陸のやってしまったことにダメ出しをされながら半分近くも食べられてしまった。なぜかまだ一緒にいた少年も一緒に。
(仲直り、しなきゃな……)
陸は真上に上がっていた太陽を眩しく見上げた。
クスクスクス
高い声が笑い声を上げていた。
「ふふふ。ざまぁないわよね」
「うんうん。いい気味!」
「勝手に自滅してくれるなんてねぇ」
「ねぇ、唯芽。チャンスじゃない?」
「え? でも、私…」
「だぁいじょうぶだって! 邪魔な雨宮さんのいない間にさ!」
「そんな。私、雨宮さんこと邪魔だなんて…」
「もう! 唯芽ってば優しいんだから!」
「ただの友達にそんな遠慮しないでいいんだって! ね!」
「…う、うん。私、頑張ってみるね?」
「そうそう! その意気よ!」
陸好きガールたちは海月と陸の会話を盗み見していた。話してる内容までは詳しく聞き取れなかったものの、二人がケンカ別れしたことは分かった。
そして、陸が『断った』という遠藤唯芽を後押しした。