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クラゲの夏  作者: 暁 海響
5/21

7月28日

 台風並みに荒れた翌日、カラリと晴れた良い天気になった。

 陸に誘われたサッカー部の練習試合は明日の約束だ。

 どうせ、明日はそれでほぼ一日潰れるだろう。

 昨日の雨風で、湾内の海底は濁っているだろうが、海月はなんとなく泳ぎに行きたくなった。

 もちろん、ちゃんと状況を見て本当に泳ぐか泳がないかは決めるつもりではいるけれど。


 いつもの道を通り、コンビニ前まで行くと海がすぐ横にひらけて見える。防波堤越しに見る湾内の海は海底の砂や泥、色んなものが舞い上がって濁って見えた。

(やっぱり今日はダメかなぁ? いいや。行くだけ行ってみよう!)

 海月はペダルを漕ぐ力を強めた。


 キキィー、カシャン。


 防波堤沿いに自転車を停めて、海を覗くと―――

「わ。きれいじゃん!」

 さっき見た海の色はどこへやら、そこにはいつもの晴れた日に見ている透き通った青の海があった。

 少しだけ不思議に思ったけれど、この場所はちょうど沖に繋がる場所に近い。浮き上がった濁りの原因も流れたのだろうと深く考えるのを止めた。

 海月は一応本当に大丈夫そうかを近くで見るため、海に繋がるスロープへと移動すると、突然歩みが止まった。


(っ!? ビッ…クリしたぁ…え、誰?)

 こんな日に、こんな場所に来る奇特な人なんて、自分かここの持ち主が昨日の雨風で何か異変がないか見に来るくらいだろうと思っていたぐらいだった。

 スロープの中央、波打ち際に座り込んでいる人物が一人。

 体格は同年代から少し上くらいまでの未熟な大人くらいの多分男性。格好は海月が泳ぐ時に着ているようなラフな服装だ。

 気になることといえば、その体を小さく丸め、膝を抱えていることくらいか。

 海月がここで見たことのない人物のようだった。そもそも同年代くらいの人がいるということがなかったのだからとても珍しい。

 泳げるという浮き足だった気持ちに少しだけ緊張の色が差し込んだ。

(……とりあえず、無視だな)

 きれいな海を見てしまったあとでは、海月に“泳がない”という選択肢はなくなってしまった。

 座り込んだ彼もわざわざこちらへ来ることはないだろう。今日は透けるような色のシャツではなく、濃い青のシャツと黒のハーフパンツという出で立ちだ。見ても楽しくはないはずだ。それならば、海月の取る行動は一つだ。

 ―――存在を無視する。


 スロープをそのまま素通りして、いつもの防波堤上へと移動する。一応驚かせてはいけないので、“誰か来ましたよー”という存在をアピールするため足音をジャリジャリとさせながら歩いた。ちらっとだけ見られた気がするのでこれでいきなり飛び込んでも大丈夫だろうと海月は防波堤へと飛び乗った。


 端まで行き、もう一度海の状態を確認すると、「うん」と頷いて距離を取った。

 より遠くへと跳べるように助走をしっかりと取り、思いきり蹴った。



 少年は海月が足音を立てて歩きだしてようやくその存在に気が付いた。わずかに身を震わせて足音の正体へと顔を向けた。少女が歩いているのが見えた。

 おそらく少年に気づいているのかもしれないが、少年は自身の存在を隠すように身を縮こませて、少女の動きに注視した。

 少女は自分から離れて行ったかと思うと、防波堤の上に乗り、海の様子を見て満足そうに笑った。

 かと思いきや、また離れていく。見えなくなった少女を視界に入れようと縮めた首を今度は伸ばして見ていると、突然視界に勢いよく少女が入ってきて、跳んだ。

「!」

 少年は突然跳んだ少女に驚き、消えた海面を微動だにせず見つめていると、少し離れたところで、「ぷはっ」と大きく息を吸い込む少女が現れた。

 その少女の満足そうな笑顔がとても気になった。



 海月は、水道から流れる水のように軽い感触とは違う、海の重い感触に一瞬で満足した。海水が重い理由は海月には分からない。大きな流れがあるからか、この海水一滴一滴に生命が含まれているからか、海月の海に対する思い入れのせいか。分からないが、その重みを一身に受けることで、日々の悩みや感情、しがらみも一緒に押し出されているような感覚になるのだ。

 解放的。海に入るといつもそんな感覚になる。海月が海が好きな理由のひとつでもあった。自然と笑顔になるのも無理がない。


 ひとしきり泳ぐのを楽しんで、もう一度跳ぼうと、スロープへと泳いだ。

 少年はまだいるかもしれないが、いたとしてもどうせあの位置からは動いていないだろうとスロープの端っこへと進路を定めて潜った。

 スロープの先に手がつくと、そこにいた小さな魚やカニが避けていく。表面についた細かな海草を食んでいたのを邪魔してしまったことに、内心で「ごめんね」と謝りながら陸地へと上がる。

 海面から顔を出し、前髪からポタポタと落ちてくる海水をまとめてかきあげて、ふと少し前を見ると、足があった。

「っ!? え?」

 海月が驚いて顔を上げると、目の前に少年がちょこんと腰を下ろして海月を見つめていた。


 さっき後ろ姿しか見ていなかった少年の顔を正面から見てさらに驚いた。

 真っ黒だと思った髪色は光に透けて青みがかった黒をしており、肌も透き通ったように白く滑らか。優しげなその瞳は深い青色で綺麗だった。

 だがそうは言っても見ず知らずの人間が突然目の前に現れたら、例え整った顔立ちをしていようとも、怖い。

 四つん這い状態だった海月は慌てて後ろへと下がろうとして、坂になっていることを忘れてバシャンと後ろに倒れてしまった。

 せっかく拭った海水がまた頭からポタポタと落ちてくる。

 そんなところを見ず知らずの少年に目の前で見られてしまい、恥ずかしさに頬を染めていると、バカにするでもない柔らかな笑いが聞こえた。

 海月がちらっと顔を上げると、声と同様に柔らかな表情を向けられていた。

 海月も「あはは…」と笑いを返した。


 差し出された手に、戸惑いながらも掴むと、ぐっと引き起こされた。少年は見かけによらず力があるのかもしれない。

「ありがとう」

 海月がお礼を言うと、少年はニコッと笑い、「*******」と喋った。

(わっ!? きれいな声! …じゃなかった)

「えっと? ごめん、何て言ってるか分からない…」

 少年が喋ったのは日本語ではなかった。海月にはどこの言葉か分からなかった。

「××××××?」

「あの、えっと、アイッ、キャント、スピーク、イングリッシュ!」

「******?」

「え、ええ~? どうしよう。あの、分からないんだよね…」

「######? ………@@@@@@?」

「あの、ごめん! わ・か・ら・な・い・の!」

 少年は、色んな言葉を喋りながら、う~んと悩んでいるような素振りをするが、海月の方も困っている。

「あなた、外人さんなのね。もしくはハーフとか? 日本語分からないのは困ったなぁ…」

「×××××、ことばわかる?」

「え!? わ、分かるよ!」

 突然、少年が日本語を喋ったことで、海月は焦って返事をした。

「良かった。伝わって」

 少年は安堵した表情を海月に向けた。笑顔が本当に良かったと思っているのだと分かる。

「あなた日本語しゃべれたのね」

「少しだけ」

「そっか」

「おどろかせてごめんね?」

「いや、怪我もしてないし大丈夫」

 そう言ってお互い顔を会わせると、どちらともなく、ふっと笑い合った。


「ねえ、なんで目の前にいたの? …何か用だった?」

 海月はどこまで日本語が分かるか分からないため、少年の反応を見ながらゆっくりと尋ねた。

「用、はない」

 じゃあ、どうして? と海月が聞く前に、少年は続けて言った。

「でも、君が楽しそうで、キラキラしていて、きれいで、話しかけてみたくなった」

「…は?」

 この少年は無意識なのか、無頓着なのか。陸や葉月では歯の浮くような言葉をまっすぐにぶつけてきた。もちろん、そんなことに免疫のない海月は盛大に色を変えた。

「? どうしたの? 顔、赤い」

「ふえっ!? いや! だい、じょぶ!」

 海月は手を伸ばしてきた少年に慌てて、手を掴んだ。

「あっ、ごめん!」

 掴んだ手を離そうとしたが、離れなかった。変に指が絡まったせいだけではない。少年が、ギュッと握り返してきたせいだ。何事か!? と海月は余計に染まったが、その相手はまじまじと掴んだ手を見ていた。

「……あの?」

「………」

「ねえ!」

「…え?」

「手、離して?」

「え。ああ、…ごめんね」

 手を離した後も、少年は自分の手のひらをグーパーグーパーと動かしながら不思議そうに見ていた。まるで珍しいものを見るように。


 ふいに少年が顔を上げた。その顔に、瞳に、惹き付けられ、海月の心臓がドキリと跳ねた。

「―――好き?」

「えっ!?」

「海、好き?」

「あ、うん! すごく!」

「そっか。僕も好き」

 そう言って、少年は海を眺めた。海月は少年が同じ思いを持っていることが嬉しくなったが、続く少年の言葉にきょとんとさせられた。

「でも、ここの海はなんだか悲しい場所」

「かな、しい?」

 不思議なことを言う少年である。

「うん。悲しい声が聞こえる……ここは墓場なのかな?」

「はかっ!? そ、そんなことないよ!?」

「そう?」

 海月は必死に否定をしたが、少年は悲しい顔をして海を見ていた。



 その夜、海月はベッドに横たわりながら、少年との会話を反芻していた。

 あれから少しだけ会話をして別れたが、あの耳に心地いい声と、優しく悲しげな瞳が忘れられない。

『君が楽しそうで、キラキラしていて、きれいで、話しかけてみたくなった』

「はうっ!」

 余計なことまで思い出して海月は足をバタバタとさせた。言葉にならない声を上げながら。しっかりと母親から怒られて。


『ここは墓場なのかな?』

 少年の問いにあの時は否定をしたけれど、そういえばあの場所は“捕鯨場”だった場所だ。確かに墓場と言われれば“墓場”なのかもしれない。

(でも、声が聞こえるって…なんだろう?)

 そんなことを考えながらも、それよりも強い思いが海月の胸に芽生えていた。



「……また、会えるかなあ…」

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