7月26日
ポコッ、ポコポコッ
スマホからメッセージの届く音が連続して聞こえる。
弟とバトルゲーム中だった海月は横から聞こえてきたその音に一瞬集中力が削がれて操作をミスった。
「あっ! あ、うそ、あっ…あ~負けたぁ~」
「よっしゃ! 5戦中3勝! 俺の勝ちぃ~! ハーゲンダッツの新作ゆずのやつ~!」
「バカ! 私のお財布事情はそんな余裕ないっての! 普通にスーパーカップで許してよ」
「えぇ~、別にいいけどさ~、じゃぁチョコのがいい~」
「了解。じゃぁちょっと待ってな」
「早くね~」
ゲームの勝敗でアイスを賭けていた。5戦中4戦を終えて2対2で最終戦なんとか勝ちたかったのに、集中力を欠いて負けてしまった。それほどのギリギリの戦いだったのだ。
外へ出ると、届いたメッセージに目を通した。
『この新作うめえ!』
『ゆずのやつ!』
そんな文章の最後にはキラキラした表情のスタンプが貼られていた。
「ほんとのんきなヤツ…えっと『わ・た・し・は・い・ま・か・ら・コ・ン・ビ・ニ』っと」
海月は数度気温の下がった夜の道を走った。
コンビニのアイスコーナーへ行くと、数種類あるアイスの中で別格とばかりに端に置かれたものに目をやる。新作アイスのパッケージを発見するともに、その金額にも目が自然と向く。
「くそぅ、リッチマンめ」
自慢してきた友人に聞こえない悪態をつきながら自分のアイスを悩み始めた。
何度か自動ドアの開く音がする。
また一人コンビニに誰かが入ってきたようだが、海月は気にも留めていない。アイス選びで忙しいのだ。
「う~~~~~~~ん」
定番にするか、冒険をするか。迷いに迷って、一つを手に取った。
「やっぱり定番かな」
「ふっ、やっと決めた?」
「わっ! もう陸、驚かさないでよ!」
「別に驚かそうとしたわけじゃないけど、なんかすっげー悩んでるから声かけれなかっただけだよ」
コンビニの外に出て、向かいの海の見える場所へと移動した。
防波堤に腰掛けると、テトラポットに小さな波が当たる音が聞こえる。
暗い海はさすがに海が好きな海月でも泳ぐのはためらわれるほどの昼間とは違った存在感を放っている。
それでもザザン、ザザンと下から聞こえる音はやっぱり心地いいものだった。
月明かりが水面に伸びてゆらゆらと揺らめいている。
「アイス買いに来たのかよ?」
「うん。陸のせいでね」
「俺の?」
「うん。白熱したバトルだったのに、陸からメッセ来たから負けた」
「ふはっ、それは悪ぃな」
弟葉月との賭けを察した陸があどけなく笑った。
(はあ、もうあの人たちのことはどうでもいいか。陸が私といるのが嫌だって言ったらまたその時に考えよう)
その顔を見た海月はあの図書館へ行った日から滞っていたたままだった胸のモヤモヤを放り捨てた。
「そういう陸は何しに来たの? アイス食べてたんじゃなかったの?」
「ん? ああ、シャー芯がなくなったから買いに」
陸は買ったものをちらっと見せた。
「ふうん? 陸が勉強?」
「なんだよ、俺だってそんくらいするだろ!?」
「めずらし」
海月が笑うと陸は耳を赤くしてそっぽを向いた。
「海月がコンビニ行くっつーから、買い物行くついでにお前に用事あったし、ちょうどいいと思って」
「用事? 何?」
先ほど考えていたことが頭をよぎり、心臓が小さく跳ねた。
「しあさって、月曜にさ、うちの高校で練習試合あんだよ。良かったらさ、見に来ねえ、かな、って」
「へ? れ、れんしゅうじあい? あ。サッカー部の?」
「それ以外になんの試合すんだよ! ……来れる?」
「うーん、そうだな…」
陸が出るんならきっと彼女らも応援に駆けつけるに違いないだろう。だが、海月はたった今気にしないと決めたばかりなのだ。
「うん。行けるよ」
「マジで!? えっと、試合開始は朝10時からなんだけど!」
「月曜の10時ね。了解」
約束をしたそのあと、少しの間、他愛もない話をして帰路へとついた。
帰ると弟から「姉ちゃん! アイス溶けてんじゃん!!」と怒られ、「文句は陸に」と言ったら「陸兄ちゃんなら仕方がないか」と許された。理不尽である。
汗と潮風でベタついた体を洗い流し、さっぱりしてリビングへ戻ると、父親がビールを片手に野球の試合観戦をしていた。置かれた枝豆を一つひょいと手に取り、横に座った。
「勝ってんの?」
「いや、今正念場だな」
「ふーん…」
海月は体を動かすことは好きだが、テレビで放送されるスポーツに熱狂することはなかった。
(こんな自分が応援に行って何か変わるのかねえ?)
そんなことを考えながら、父親が応援するオレンジ色のユニフォームのバッター勝負を眺めた。
試合は9回裏、5対3のツーアウト、ツーストライク、ツーボール満塁の大一番の盛り上がりの場面。
父親はビールを持つ手も動かさずじっと勝負の行く末を見守っている。
ピッチャーは牽制を繰り返し、バッターの気持ちを揺さぶっている。バッターは覚悟は決まっているのか勝負を一本にしぼっているのか揺さぶりはあまり意味をなさなかったようで、いよいよピッチャーが勝負に出た。
選んだのは今日の審判がギリギリストライクとしている外角ラインへのカーブだった。下手したらボールを取られる位置へのボールはググッときれいなカーブを描きキャッチャーの手元へと向かう。少しばかり狙いとはずれていたのかバッターは、ややフォームの乱れがあったものの最後は力任せに伸ばしたバットをめいいっぱい振りかぶった。ボールがミットの中に納まることはなかった。
きれいに逆転サヨナラホームランになることはなかったものの、内野も外野も上手くすり抜け、ボールがキャッチャーまで戻ってくる頃にはバッターがそこまで走ってきているところだった。
「うおおおおおっ!! ああっ!? よっしゃあああぁっ!!!」
大声を上げながら立ち上がった父親は、テーブルに足をぶつけ盛大にビールをこぼしたが、構わず両手を上げて小躍りした。もちろん、母親からしっかり怒られたが問題ではなかったようだ。試合後のヒーローインタビューを見ながら濡れていないところまで拭いていた。
試合は押していたようで、終わり次第すぐにニュースへと切り替わった。
いつものような政治家たちの中身のないどうでもいい争いや、芸能人の浮気の謝罪会見やらが放送された。
来年誕生日を迎えれば選挙権を持つことができるようになるけれど、ほぼ毎日こんな野次だらけの国会映像を見せられれば選挙に行くなんて馬鹿馬鹿しくなるし、海月の両親は仲が良い。浮気をする人なんて海月にとっては嫌悪の対象だった。恋にはまだ無縁だが、できれば一途に思ってくれる相手が良いと思っている。
海外の地震や大雨の情報なんかも少しだけ流れていた。
地震で建物が崩れて死傷者が何人も出たとか、大雨で住んでいる家が水浸しになったり色んなものが流れてきて困っているとかだ。
日本でも他人事ではないので、ついつい見入って感情移入してしまう。
その流れでどこかの研究所センターの専門家による地震の説明や、海洋生物学の学者が最近の海洋生物の異常行動について語ったりしていた。
「深海では酸素濃度の低下により、生物たちが窒息してしまうという事例もあり…」
「地殻変動の影響で方向を見失ってしまう生物もいて…」
「温暖化による海水温にも影響が出ている…」
海月には深い専門知識はないものの、学者の言葉を聞きながら断片的に海の生物によくないことがたくさん起こっているのだと感じた。自分が泳ぐ海はとても平和に見えるのに。
「地球は危ないね…」
きっとそんな簡単な感想で済む問題ではないのだろうが、海月はただ海が好きなだけで、専門的な勉強もしていないのだから仕方がないのだろう。
(また海に泳ぎに行こう)
海月はなんとなくそう思った。
だが、明日の天気予報で海上は台風並みに荒れるとの予報で明日泳ぎに行くのは無理だと断念せざるをえなかった。
結局湾内でも波が立つほどの大荒れで一日を家で過ごすこととなった。
「これ、もう台風でよくないか?」