8月19日 ②
夕暮れ時。
今日は少しだけ風があるが、波に影響はさほどないようで海は穏やかな様子を見せている。
海から吹いてくる潮風がそっと少女達のスカートを靡かせている。
その様子を眺める海月の元には、潮風と共に熱した炭の熱さと舞う灰がはらりと届く。夏の残暑なのか、炭の熱さなのかは定かではないが、熱気を含んでいるのは確かだ。
白浜海水浴場。
海の水質調査で最高評価のAAを取得したという、透明度の高い綺麗な海水浴場だ。
近年、他県からの観光客も多いというが、お盆を過ぎてしまえば、泳ぎに来る人もまばらである。
風の強い日には波も高く、サーフボードに腰かけていい波を待つサーファーも見受けられる。
ここでは、ロングボードの方が多い。
今はいないけれど、お盆前であれば時々、親子でサーフィンをする家族もいて、子どもがサーフボードに寝そべり、父親には波が来たら押してもらうだけの補助で、あとは自分の足で立ち上がって波打ち際まで波に乗るという姿もある。とは言え、そういったものはごく少数だ。
子どもがそのままサーフィンをするようになるかは分からないが、楽しそうではあった。
今は陽も暮れてきて、海とは逆方向へと歩く人の姿がいくつかと、海に沈む夕日がロマンチックなのか、砂浜の向こう側では寄り添い座る男女が残るくらいだ。
こちら側では高校生が騒いでるというのに、二人の世界に浸っているらしい。こちらを気にする素振りも見せない。
戻っていく家族連れの会話の一部が耳に入ってくる。
「クラゲがいたせいで泳げなかったねぇ!」
「もう時期が駄目だったなぁ」
「ねぇ! もう泳げないの!?」
「うん。もう危ないから、また来年来ような?」
「えぇ~、絶対だよぉ!?」
どうも、ここでもクラゲが発生しているせいで、波打ち際くらいしか遊べなかったようだ。先程まで砂浜を掘ってトンネル作りをしていた。砂浜を掘れば掘ったそばからそこには水が溜まっていく。波は届いていない場所なのに水が出てくるのは、砂浜が海からと山からの水を含んでいるからだろう。おかげで砂の城を作るのも簡単ではある。
「おおぃ! お前ら遊んでないで手伝えー!」
生徒たちがやりたいからと引率をお願いしただけだというのに、生徒たちは足を濡らしてはしゃいでいるので、先生や親たちが主導になってバーベキューセットを準備するはめになっていた。
はしゃぐメンバーの中には遠藤唯芽たち、陸ガールズも混じっていた。
クラスのバーベキューなのだから、隣のクラスである彼女たちは参加するはずがなかったが、クラスにいた唯芽の友人たちが連れてきたらしい。「唯芽たちとも遊びたかったし、可愛い子が増えるんだからいいでしょ!」なんて言っていた。半ば強引であり、一部以外からは呆れられていた。それでも、今さらダメだと言う理由もなく、一緒に来ることになったのだ。
戻ってきた生徒たちが集まりだす。
「せんせー! 何したらいいですかー?」
「肉まだ焼いちゃだめー?」
「だーめーだ。ってか、そっちにまだ火起こしできてないのもあるんだから、手伝ってくれ」
「へーい」
「先生~、イラに刺されたー」
数人が浸かった足をアンドンクラゲに刺されたようで、触手の跡が分かるように、赤くなっていた。
それを見た親達が声を上げる。
「あー、触るな触るな。もっかい戻って海水でキレイに流してこい」
「これ、水を汲むのに使いなさい」
「あまり先まで行くとまた刺されるから、波打ち際で流しなさいね」
「はーい」
クラゲに刺されたと言われれば、毒を出したり、薬を塗ったり、病院に連れていったりするものと思うだろうが、島の者なんて、こんなものである。
ひどくなる者も中にはいるので、ちゃんとする時はするが、ここにいる者は、大人も、刺された本人も含めて慣れたものだ。
数人が洗っている間に、火の準備が整った。
それからは、野菜に肉に、ソーセージに焼きそばに、サザエにアワビにと、バーベキューの定番が焼かれていく。
サザエにアワビは大人たちのつまみ用だろう。
母親たちが用意してきたおにぎりものり、昆布、おかかとシンプルだが好評だ。真っ白なおにぎりは網の上に置かれ、醤油を少しずつ垂らしている。
肉の焼ける匂い、ソースの焦げた匂い、醤油の香ばしい匂いが漂い、皆、普段以上に食欲が増しているようで、箸が止まらない。
海月も友達と大いに堪能した。
八月も後半だからか、前よりほんの少しだけ日の入りが早くなったように感じる。朱く染まる空が広がり、海にまでその色を広げる。またさらに少しだけ風が出てきたようで、空に浮かぶ雲が流れる。
「ねえ、全然二人きりにできないんだけど!?」
「当初の目的が果たせないんじゃ、ただのクラスの思い出作りだけで終わっちゃうじゃない…」
「あいつらが陸から離れねえからなー」
「大体なんで来てるのよ」
「いや、別に来ても構わねえだろ?」
「それがこの結果じゃん?」
「てか、アレ分かっててやってるでしょ?」
「うんうん」
「えっ!? そうなん!?」
「これだから…てか、まじどうする?」
「あんたたち、あの子らをどうにか引き離してよ」
「あ、あれをどうやって引き離せっつんだよぉ…」
海月と陸の友人たちは集まって現状打開の方法を模索していた。
海月は、一人波打ち際を歩いていた。友人たちが何やら集まって話していたが、どうにもこそこそしてるようだったので、会話には混ざらなかった。悪い感じはなかった。
皆がいる方を見ればまだ何人か食べているようだし、先生たちは大人同士で世間話をしているようだ。
散歩がてらに歩いていると端まで着いてしまった。
砂浜の終わりには岩場が崖のように立ち、海と山の境には大きな岩がゴロゴロと転がっているような磯になっていた。
海月は、冒険心が沸いた。もう一度、皆の様子を見て、ちょっとだけ、と岩に足をかけた。
「ねえ、ちょっと、あれ」
「ん? あの人何してんの?」
「さあ? でもちょうどいいんじゃない?」
海月の行動に気付いた少女たちは顔を見合わせ頷いた。
磯を危なげなく進む海月は、考え事をしていた。
一人で考えたくて、少しだけ皆と離れた。手頃な岩に腰かけると沈む太陽をぼんやりと眺めた。打ち付ける波の音が時をゆっくりと感じさせる。
考えているのは不思議な友人のこと。
海で出会った友人は、海でしか会わない。町の中ですれ違うことも、買い物中にバッタリなんてことも一度としてなかった。
別れる時はいつも会った場所で、友人がどこかへ帰る素振りなんて見ない。それなのに、帰る振りをして引き返すともうそこには姿がないのだ。
聞いたことのない名前に、不思議な色をした髪と目。日を置かず見てみるが染めているわけでもなく髪の根元から深い青色で、目をじっと覗きこんでもカラーコンタクトを入れているわけでもない鮮やかな青い瞳。
そしてそれらに加えて、魔法としか言いようがない不思議な体験。
―――あの不思議な友人は一体、何者なんだろう?―――
いや、海月は本当は気付いている。気付いているけれど、それを言ってしまうと彼がいなくなってしまうんじゃないかという思いが込み上げ、聞くことができないでいるだけだ。
けれども、父親が言っていた言葉を思えばそんな自分の思いなんて自己中心的なものだとしか思えない。
友人を繋ぎ止めているものが自分だなんておこがましい考えのようにも思えるのに、そうなんじゃないかと思ってしまう。
それならば、彼を解放できるのは自分だけ。
ぐちゃぐちゃになりそうな感情を抑えるように、曲げた膝を抱え込みながら、夕闇の広がっていく水平線を見つめるだけの時間が過ぎた。




