7月22日
ミーンミンミンミーン
ミーンミンミンミンミンミーン
まだ夏休み入ったばかりだというのに、外で鳴くセミは休みなんて関係ないと力の限り鳴いている。
暗く冷たい地中から急転夏の暑く熱い陽の下に出たせいで、ああも激しく鳴くほどに驚いてしまうのだろうか。
外に出てから約二週間から一ヶ月という短い命の中で、恋をして、夫婦となり、新しい生命を作ると、その短い生涯を終える。
その新しい生命は、幼虫として何年も何年も長い時間を地中で過ごすのだ。成虫になって青春を謳歌するのが幼虫よりも短い時間なんて、なんて理不尽なんだろう。それがセミの生態なんだと言われればそれまでなんだが。
それでも、海月にとっては騒音の一つでしかない。夏のうだる暑さに拍車を掛けているのだから余計にだ。なんで命を懸けてまで恋をしようと言うのか。夏休み前に焦って恋人を作ろうとする同級生たちのことも含めて海月には理解できない。
「う~……あぢぃ~」
窓を開け放った風通しの良いリビングで、淡いターコイズブルーが爽やかな印象を与えてくれる、柔らかなリネン生地のカバーを掛けたソファーの上で、横になった海月がそんな声を漏らす。
セミの声に掻き消されるほどの絞り出したような声だ。
「海月ぃ~、あんた今日家にいるなら部屋の掃除でもしなさ~い!」
「ぅえぇ~? このあっつい日にぃ~?」
「ちゃっちゃとやってしまった方がいいでしょ! 母さんこれから仕事だから、お昼はあるもので適当に作って食べてね!」
「ご、ご飯まで…」
「夏休み中のあんたのご飯なんて面倒見きれないもの! この間は制服汚して帰ってくるし! なんで制服で泳いだりしたのよもう!」
「う………なんで即行バレたかなぁ…?」
のそりと起き上がった海月は半袖ハーパンに、タオルを首に巻いた出で立ちで自分の部屋の前に仁王立ちした。
「よし! やるか!」
部屋の中は昨日の夜まで読んでいた漫画が積み上げられ、小さなテーブルの上には飲みかけのお茶、ベッドは今朝起き上がった時のめくれた状態で維持されたままだった。そこまでひどくはないはず、と思いながらも一つ一つ片付けていく。
気が付くと、もうじきお昼の時間だった。
「あるもの、あるもの」
冷蔵庫を開けて数秒。玉ねぎにピーマン、卵、魚肉ソーセージを手に取り、溶き卵にそれぞれをみじん切り。フライパンでそれらを炒め、ご飯を一人分投入してばらつきがないように全体をしっかり回しながら味を整えた。
「うん。我ながら絶品ですな!」
焼飯を自画自賛しながら食べ終えると、汗だくになったシャツに風が通るようにパタパタと上下させた。
「やっぱり暑い………」
着替えるか、このままでいるかを考えて「よし」と立ち上がった。
「泳ぎにいこう!」
第三の選択だ。
そうと決まれば早速と、干してあった布団を取り込み、小さなトートバッグを提げて、自転車を走らせた。
額から流れる汗はこめかみを伝って自身の長い髪へと染み込んでいく。まとめた髪は後方へとなびき、自転車を漕ぐ動きに合わせて右へ左へと忙しく動く。
建ち並んだ家々の右手が急に開けて、海が広がった。湾内であってもしっかりと光を反射する水面を視界に入れると、自然と口の端が上がった。
漕ぐのを止め、車輪の勢いだけで走る。海から吹いてくる潮風が無防備な首元をなでていく感触を楽しみながらずっと奥に見える目的地へと目をやる。
「よし」
もう一度大きくペダルを漕ごうと立ち上がった途端、海月を呼ぶ声が聞こえてきた。
「みぃ~つきぃ~!」
キキィッ
グッと握りしめたブレーキから手を離すと、海沿いのコンビニの外に見知ったサッカー部の面々が見えた。
キョロキョロと左右を確認して、そちらへと方向転換し、道路を渡った。
「何?」
自転車に乗ったまま声をかけた先には陸がいた。
「いや、見かけたから声かけただけ」
「なんだよ。部活?」
「うん。今終わったとこ」
「朝から大変だね」
「この暑さだからね~、午前中に終わらせないとさ」
「ふうん。オツカレサマ」
海月は逸る気持ちを邪魔されたことを少しだけ不満に思ったが、陸には用もあったしいいか、と自転車から降りた。
「陸、アイス食べる? こないだのお返し」
「食う~」
陸が立ち上がってコンビニへ入る海月について行こうとすると、一緒にいた部員の中からブーイングが起きた。
「えー! 陸だけかよ~、俺らには~?」
「ダメ。陸だけ」
「ずりぃ~!」
「そおそ。俺だけなの。君たちは自分で買いなさい?」
「お前けるぞ!?」
「ふははは」
「陸、いるなら早くして!」
「へいへい、今行きますよ~っと」
海月はさっさと海に飛び込みたかった。
二人がコンビニへ入ると、残された部員達は集まって話し始めた。
「なあ、あいつらって付き合ってんの?」
「いや、実は付き合ってはないらしい」
「え? まじで? あれで?」
「そう。あれで」
「早くくっ付きゃいいのにな」
「ほんとそれ」
そんな話をしながら中にいる二人へと視線を送った。
コンビニ内。
アイスを選ぶ二人は悩んでいた。
「う~ん。私、これにしよっかな」
「え、じゃあ俺はこれ! 新・商・品!」
「ほほう。うむ。ではおごってしんぜよう」
「ははあ! お願い致します~!」
種類の違う棒付きアイスを手に支払いを済ませて外へ出ると、すぐさま開封してかぶりついた。
「あ、うま」
新商品に手をつけた陸が一口食べるとそう感想をもらした。
「え? ほんと? 私もそっちにすれば良かったかなぁ? こっちと悩んだんだよねぇ」
「一口食う?」
「食う食う!」
陸の手ずから一口貰う海月。
「うん! んまい! じゃあ、私のも一口」
「ん。サンキュ。やっぱこれもうま」
陸にも海月から食べさせてやった。
「「「「「……………」」」」」
「なあ……あれで?」
「言うな!」
「イチャついてるだけにしか見えねっつの!」
陸の友人達はやるせない気分になった。
「じゃあ、私もういくね」
「お~、アイスサンキュなー。今度は俺が奢るから」
「うん。よろしく」
この間奢ってもらったのを今返したばかりだというのに、次の奢りの約束をする陸。二人の間では奢って返してというのは通常だった。
海月が去った後、陸は友人たちから早くくっつけと急かされることとなった。
そして、二人がくっついてもらわないと困るなんて話も。何が困るというのだろうか。それよりも、一番友達の域から出たいのは当の本人である。
「いや、でも実際さ。お前らがくっついた方が一番丸く収まると思うんだわ」
「あ? なんだよそれ」
「お前、こないだ遠藤さんに告られたろ」
「はあっ!? まじで!? お前ふざけんなよ~!」
「遠藤さんってあれだろ? 1組のおしとやか可愛い系の遠藤さんだろ!?」
「何々!? 付き合っちゃうの!?」
「ばっ! 付き合うわけないだろ!? 断ったよ!」
「え? お前本気で言ってんの? かーっ、もったいねえ!」
「そう。こいつその前にも別の子から告られてっから、まじで誰かとくっついてもらわなきゃ俺らが困るわけ」
「なんでだよ」
「俺らも彼女が欲しいんですぅ~!!」
「別に付き合いたきゃ付き合えばいいじゃねえか。って、いてえよ! マジで蹴んなよ!」
「被害者続出なんだよ!」
「陸、お前そんな風に余裕ぶっこいてるけどさ、知らねえの?」
「何をだよ?」
「雨宮のヤツ、上級生から何度か告られてるぞ?」
「………は?」
「あ、俺も知ってる! バスケ部のキャプテンが告ったとかって聞いた!」
「うちの山口先輩も告ったとかなんとかって」
「は? あの山口が?」
サッカー部の山口とは頼れるが寡黙な先輩で色恋に興味があるとは思えなかった。はずだ。
「俺らの学年じゃぁそんなに人気があるとも思わないけど、案外上級生受けはいいみたいなんだよなぁ」
「………」
「陸く~ん、早くしないと誰かに横からかっさらわれちゃうぞ~? あてっ」
「うるせっ!」
さっきまでの余裕はどこへやら、自分以外に海月に近づくやつがいるなんて深く考えたことがなかった。
陸は海月が走っていった先へと視線を送った。