8月13日
時期ずれました。お盆中の話です。
お盆。
8月の13日から15日までの三日間、帰ってくるご先祖さまを家族または親族一同で迎える日。
海月の両親は、どちらもこの島出身で、地元での結婚だったため、父方、母方ともにお墓が島内にあった。
同じ島内とは言っても、同じ檀家ではないので、父方は毎日、母方は中日に墓参りをするのが毎年の流れだった。
小さな頃は他所にいる従兄弟達が、この時期に合わせて帰ってきたりもしていたけれど、高校生にもなれば、あまり来ることは無くなった。
それでも島にいる祖父祖母に、親戚に従兄弟達が集まれば10人以上の数になる。父方の親戚は皆外へ出ているので、その数は母方の親戚のみのものである。
いつものように、父方のお墓参りのため、夕方から提灯の入った缶と、組み立て式の木材を家族で手分けして担いで行った。
お寺の境内へと入ると整然と敷き詰められた石畳が、門まで続いている。少し色の違う石畳を色縛りで跳びながら進む子どもたちがいて、父親から「早く来なさい! 邪魔になるから!」なんて言われている。
その子どもたちを避けながら、寺の門を潜ると、すぐ目の前には寺の御堂が建っている。
門から御堂の間には広場のような空間があり、そこでは初盆の家庭のための踊りが行われていた。
飾り立てた笠を頭に被り、和装の上着に、下半身には蒲の葉の腰みのが巻き付けられている。足もとにはわらじを履いている。その首からは太鼓が提げられていた。
通常、対象の墓の前で舞われる念仏踊りだが、踊るだけの敷地がない場合、こうして広場での舞になる。
顔は布で覆われているため、誰が踊っているかは不明だが、これを踊るのは男子中高生と決まっていた。
保存会の大人が二人、歌い手として付いており、そのうちの一人は鉦を片手に、カンカン、カカカンとリズムよく少年たちの踊りに合わせて打ち鳴らしている。
低く長く響く声と、少年たちの年若い掛け声、独特の間合いや太鼓の乾いた音が、“念仏”踊りというのを理解させる。
心地よい響きに、不思議で神聖さを感じさせるようなそれは、つい足を止めて見入ってしまう者も数多い。
父親が提灯缶を持って墓へと進んでいく中、海月と葉月も他の人と同じように足を止めた。
(こういう不思議な感覚は、アオの声でも感じるけど、やっぱり違うなあ…こっちは心に響くけど、あっちは頭に響くような感覚。ま、どっちも好きだけどさ)
複数人で輪になってゆっくりと移動しながら、くるくると回る少年達を一分ほどの間、見ていると、目の前でくるっと回った少年の顔を覆った布が、ひらりと舞い、少年と目が合った。
一瞬、二人はビクリとなったが、少年はそのまま踊り続け、海月は早足で雨宮家の墓へと急いだ。
その様子を見ながら、葉月は「はぁ~」っと長いため息を吐いた。
墓へと着くと、父親が木材を組み立てて、すでに半分ほどの提灯立てができていた。
後から来た葉月と一緒に、缶から一つずつ提灯を出して、その中に小さなロウソクを立てて行った。
このロウソクが長く、太いほど、墓にいる時間が長くなる。
わざとロウソクを消すことはせず、自然に消えるまでが墓参りなのだ。
ロウソクを立てた提灯を、父親に渡すとライターで火を点けて、伸ばしたものを渡し返される。それを提灯立てに吊り下げ終わると準備が完了する。風で揺れないよう、上下ともしっかりと固定した。
まだほんのり薄暗い空では、あまり分からないが、もう少し暗くなれば、和紙から漏れる温かな光が、しっかりと辺りを照らし出すだろう。
「海月、水汲んできて」
「え…」
父親から桶を差し出された海月が固まった。
「あー、俺行ってくるよ」
「ん? まあ、どっちでもいいけど……?」
この墓の一番近い水汲み場は、御堂の前である。
念仏踊りが行われているすぐ横だ。
躊躇した姉の代わりに葉月が桶を受け取った。
葉月が水汲み場へと行けば、踊りは終わったところのようで、少年たちは休憩をしていた。
蛇口を捻り、桶に水を溜め出す。
「葉月」
踊っていた少年のうちの一人が近付いてきて、葉月の名前を呼んだ。
「……何、陸兄ちゃん?」
陸だった。
「海月って、その…元気?」
「…………」
「…………あー、いや。うん。すまん。違うよな。えっと、その……俺のことなんか言ってたか?」
「はぁー。兄ちゃんたち、こないだ仲直りしたばっかなのに、またケンカ? こないだ探してた時、会えなかったの?」
「うん…会えたには会えたんだけど、まぁ、なんだかんだで…ちょっとな」
「ふうん? 姉ちゃんは、元気なふうに見せてるつもりだろうけど、なんか変かな。元から変だけど」
「元からって…。そっか…変なのか…」
話の流れから、葉月には、まるで“海月は変な人”と再確認しているようにも聞こえたが、おそらく違うだろう。
「陸兄ちゃん。姉ちゃんと何があったのさ?」
葉月には、海月が陸を避けるそもそもの理由が分からない。海月の味方ではあるが、原因次第では、陸の手助けもしたかった。
「あー………、キ………」
「き?」
「……キス」
「え!? したの!?」
「違う! してない!!」
二人の突然の大声に驚き、周囲の人たちが顔を向けた。
それに驚き、二人も慌てて声を潜めた。
「ちょっと、陸兄ちゃん、何してるのさ!?」
「だから、してないって! ……しようとしたら、逃げられたんだよ」
途端、葉月は哀れみを含んだ目で陸を見た。
先日、珍しくもケンカした二人であったが、今回はまたちょっとだけ質の違うものだったらしい。そう、ちょっとだけ。
「兄ちゃん、そもそもなんだけどさ。姉ちゃんに告ったの?」
「…………」
「兄ちゃん……俺、ちょっと呆れてるかも」
「……だって、海月があんな格好してくるからっ!」
好きな人ができると、こうなるものなのか。
葉月は、抑えが効かなくなるようなほど好きになるという感覚には覚えがない。
“あんな格好”と言っても、ただ、いつものラフな服装が、浴衣に変わっただけのことではないのだろうか。
そもそも、自分の姉が着飾ろうとも、気持ちに何の変化も起きはしないから、陸の気持ちが分かるわけがなかった。せいぜい、「へぇ、祭りっぽいじゃん」くらいである。
とにかく、今の話を聞く限り、自分が手出ししない方が良さそうだと葉月は判断した。いや、少しだけ口は出させてもらおう。
「陸兄ちゃん。俺は、まずそこからちゃんと告った方がいいと思うよ?」
「…おう。分かってる」
「ふぅ。一応、こっちでも話できそうだったら、しておくから。できそうだったら、ね」
「……ありがとう」
水を汲むだけにしては、少しばかり時間を費やしてしまった。
葉月は、重さを増した桶を持って、家族の待つ墓へと戻っていった。
墓へと戻ると、特に咎められることはなかったが、すでに他の家族は線香を立ててしまっていた。
いつの間にか、母親も来ていたらしく、父親と二人連れ立って、知人や友人のところの墓参りに行ったようだった。海月だけがそこに残っていた。
線香の火が消えないように注意しながら、お墓へと水をかけた後、葉月もご先祖様へと手を合わせた。
すると、くいっと裾を引かれる感覚がした。もちろん、海月だった。
「何?」
「葉月、遅かったね」
「うん、ちょっと陸兄ちゃんと話してた」
隠すようなことでもないので、事実を伝えた。
「うん、母さんが見たって。陸、なんか言ってた?」
「うん。姉ちゃん元気かって」
「……そう」
「何があったか知らないけど、そんなに気になるんなら、ちゃんと話して仲直りした方がいいよ?」
「……うん………」
「はぁー。ま、無理しなくてもいいかんな」
「わっ、ちょっ、葉月!? ぐしゃぐしゃんなる!」
葉月は海月の頭を、少し乱暴になでた。
その後は、両親が戻るまで、同じように線香を立てに来てくれた人たちに挨拶をしながら、花火をして過ごした。
「ほんと、この二人は…。大体、俺には姉ちゃんの気持ちが第一なんだから、それ無視して陸兄ちゃんを応援してるわけじゃないんだけどなー」
と、呟いた葉月の言葉は、花火と周囲の人の声にかき消えた。
私は今年もお盆には帰れませんでした。
遠くから手を合わせます。ごめんね。