8月11日 ②
日付け跨いでしまった…。
半分以上消えるという事故が発生いたしました……。
海月は、家を出たあと、自転車を漕いでいつもの場所へと向かった。今日は浴衣は着ていない。
見せた反応を見てみたいという気もしたけれど、昨日のことが思い出されて断念した。
今日一日中、ふとした合間に思い出しては、赤くなったり青くなったりと忙しかった。葉月には変に思われてたみたいだが、陸が自分をそんな風に見ていた、なんて弟に相談できることではない。
(葉月と陸は昔から仲が良いから、もしかしたら、葉月は知っていたのかもしれないけどね)
ことあるごとに、陸の味方をしていたのだから。
捕鯨場が近付いてくると、防波堤の上に座る影が一つ見えた。幻想的な色合いの夕焼け空が、少年の色を、より幻想的に変えている。
遠くを見つめるアオの表情は、なんだか寂しそうに見えた。
少しだけ、海月がその様子を見ていると、アオはクスッと笑って、海月の方を向いた。
「どうしたの、ミツキ? 早くおいでよ」
やっぱりアオは、海月が近くにいることに気付いていたようだ。
近くまで自転車をひいて、アオの元へと歩いた。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん。そんなことないよ。ただ、ボクがちょっと楽しみにしているだけ」
「そか。良かった。この町の花火は、他所みたいに盛大なものではないんだけどさ、変にこだわってない分、花火らしい花火を楽しめると思う。大きなやつは頭の上に降ってくるって思うほど近く感じるんだよ」
「そうなんだ! また楽しみになった!」
二人は、花火の時間になるまで、今まで行った場所や、まだ行ってない場所の話をして過ごした。
辺りが暗くなっていく頃には防波堤に寝そべりながら、頭を付き合わせて、星を観察した。
パンッ! パパンッ!
夜9時、10分前になると、小さな花火が打ち上げられた。
『もうすぐ花火が始まるよ~、港へ移動する時間だよ~』の合図だ。
小学校は坂の上にあるため、そこからでも花火が少しは見えるけれど、花火を体感したいのなら、港からが一番いい。この島の花火は海から上がるため、どこでも港からがキレイに見える。
祭りの参加者は、その合図に合わせて、商店街を抜けた先の先にある港へと移動を開始しはじめた。
(今頃あっちでは、ぞろぞろと移動してるんだろうなぁ…)
海月もいつもなら、その流れに乗っている頃だったが、今年はアオと見るため、祭りには参加していない。
大変だなあ、なんて他人事で考えていた。
「ねえ、ミツキ。今のが、花火? 夜の虹は音が鳴るの?」
突然、空に響いた音に驚いたアオが、空を凝視していた。
「うん。でも、あれは始まりの合図の簡単なやつだから、今からもっと驚くよ」
「もっと? ちょっと怖いけど、楽しみにしとく」
「うん。もうすぐだからね」
空はもう静かなのに、星が瞬いて、まるで花火が打ち上がるのを今か今かと待っているかのような雰囲気を感じる。
ポシュッ
「あ。アオ、始まった」
打ち上げ筒から花火玉が発射される時の微かな音が聞こえた。
「え!? どこ?」
「ほら、あそこ」
アオはキョロキョロと見渡すがそれらしきものは見えない。
海月は、細い光の筋が空に昇っていくのを目で追っていた。
その指さした先へと視線を送ると同時に、その筋は分離し、小さな炎が破裂した。
パァンッ!!
「わあっ!?」
破裂した花火は、一瞬で大きく花開いた。開いたと思ったら、遅れて大きな音が届いた。
音とともに、空気が震えるのを体全体で感じた。
「すごい。これが夜の虹…夜咲く花…“花火”なんだ……」
アオには珍しく、目を見開いて、キラキラと花火を映している。
「まず一発目。これからこれから!」
まるで自分が打ち上げているかのような口ぶりで、海月はアオの反応を楽しんだ。
ゆっくりと打ち上げられる花火が、次第に苛烈さを増す。小さな花火が連続で上がったり、海の中から放射状に上がったり、大きな大きな花火が上がったり。
赤に緑に黄色に青に。カラフルな花火やキラキラと瞬く花火。大きな花火は、ゆっくりと落ちてきて、もしかしたらここまで落ちてくるかも、なんて思うほどにゆっくり、ゆっくりと消えていった。
はじめは、音や光に都度、声を上げていたアオは、途中からじっと見つめて、感じているようだった。
花火の最後には、小さな花火も大きな花火も混ぜて、連続で打ち上げて盛り上がる。最後の締めに、大きな大きな、心臓にまで響く花火が打ち上がって、その消えゆく光とともに終わりを迎えた。
光の残滓を最後まで見届けても、二人はそのまま動かなかった。
「ありがとう、ミツキ」
「ん?」
「すごく、綺麗だった」
「そう」
「花火って初めて見たけれど、ボク、花火、好きだな」
「そっか。良かった」
花火を初めて見たと言うアオに、「なぜ?」なんてことは聞かなかった。
「ねえ、ミツキ。今日のお礼を今、していいかな?」
「え? 今?」
「うん。今」
「別にいつもアオが教えてくれるものの代わりだったから、お礼なんていらないんだけど…むしろ私がお礼しなきゃなのに…」
「いいからいいから! ミツキ、今なんだか疲れてるでしょう?」
「え……っと………?」
いきなり話が変わって、どう答えていいものか迷った。
「隠しても分かるよ! ミツキ、いつもと違うもの!」
「ええ? ………そんなに分かる?」
「うん。ボクには、ね」
「そか。でも、ちょっと今日は眠れなかっただけなんだよ? 考えないようにしてるのに、どうしても考えちゃうことがあって…目を閉じると、そのことが浮かんできちゃってさ! あはは」
「ふうん? ねえ、ミツキ。ちょっと寝よう?」
「寝ようって…え、ここで!?」
「うん。どうぞ」
ポンポンと、膝を叩くアオに、海月は戸惑った。
見た目同年代の少年の膝枕を躊躇わずして、どうしろというのか。
「いや、どうぞって言われてもさ?」
「ほらほら、早く! えいっ!」
「ちょっ、アオ! うわっ!?」
ぽすっと、海月の頭はアオの膝の上に収まってしまった。
「ふふふ。少し眠ったら起こしてあげるからさ」
「もぉ……じゃあ、少しだけ甘えさせてもらおうかな」
アオの足に髪をまとめたゴムが当たっていることに気付いて、海月は髪をほどいた。緩んだ髪と共に、海月の心も少しだけ緩んだような気がした。
「うん。子守唄を唄ってあげる」
そう言って、透き通ったアオの声で響く歌は、海月の聴いたことのない歌だった。
髪をすくように、触れるアオの指も心地いい。
気持ちが安らぐような、落ち着く声音に、海月の意識は遠のいていく。
「……ふしぎなうた……とっても、綺麗ね…」
「ボクの母さんが唄ってくれる子守唄だよ」
「そう……なんだ……いい歌、だね………………すぅ……すぅ……」
海月の寝息が聞こえてきても、アオは子守唄をしばしの間、唄い続けた。
海月は夢を見ることなく、深く、深く眠った。
「おやすみ、ミツキ」
愛おしいものを見るように、アオは微笑んだ。
海月が深い眠りに落ちて、少し経つと、海月を見つめていたアオは、顔を横へと向けて、首をこてんと傾けた。
「こんばんは」
アオは、誰もいないはずの先へと挨拶をした。
声をかけられた相手が、物陰から観念したように出てきた。
あれから、海月の家に行ってみたけれど、やっぱり会えず、葉月が「最近、やけに楽しそうに泳ぎに行ってた」と言っているのを思い出して、半信半疑でこの場所へとやって来た陸だった。
陸は挨拶を返すことなく、アオと、その膝に眠る海月を見て、口を開いた。
「……お前、誰? 海月の何?」
「ボクはアオ。ミツキの友達だよ」
ニッコリと笑うアオに、陸はなんだかムッとした。
「海月に何してんの?」
「別に何も? 海月が昨日は眠れなかったって言うから、一眠りしたらって勧めただけだよ」
「……だからって膝枕はねえだろうが」
アオの膝の上で、無防備に眠る海月にも言いたいことはあったけれど、アオが言った言葉の原因に覚えがあるため、飲み込んだ。
「君はミツキが大切なんだね」
「……それがどうした」
陸は肯定を返した。
「いや、羨ましいなと思っただけ」
「は? なんだよそれ」
「ううん。なんでもない」
「意味分かんねー」
「ふふふ」
二人がそんな会話をしていると、海月が身動いだ。
「ん、…アオ?」
「おはよう、ミツキ」
「私、どれくらい寝てた?」
「少しの間だよ。どう? 少しはすっきりした?」
「………うん。なんかすごく寝たような気がする」
「そう、良かった」
「ありがとう、アオ」
「ううん。こちらこそありがとう」
「―――っ、いつまでそこに寝てんだよ」
「へ!? 陸!?」
ガバッと起き上がった海月が、声の主を見て驚いた。
「なんで、ここに!? …てか、アオ!? 陸が来たの分かってたはずなのに、なんで!?」
いつもであれば、アオは海月以外の人に、姿を見られないようにしているようだった。それなのに、今、陸がここにいるということは。
「私が、寝てたから!?」
きっと自分を起こすに起こせなくて、隠れることができなかったのかと思った。
「ミツキ。違うよ。確かにボクは彼がここに向かっていたのは気付いてた。気付いていたけれど、それよりもボクが君を癒したかっただけだ。君のせいじゃない」
「アオ……」
「気にしないで? 彼なら大丈夫だと思ったからそうしたんだ」
「―――さっきから、なんの話してんだよ! 海月! もう遅いんだから、帰るぞ!」
「ひ、一人で帰るから大丈夫!」
「一人でって。危ないだろ!」
「大丈夫って言ったら、大丈夫! もう、とにかく、今は陸と一緒にいたくないの! アオ、ホントありがとう。また、ね?」
「ん。帰ったらゆっくり休むんだよ?」
「うん。おやすみなさい、アオ」
「おやすみ、ミツキ」
防波堤の上から、ひらりと降りると、海月は自転車に飛び乗って、陸に「じゃあね!」と言って帰って行った。
陸は自転車を離れたところに置いていたせいで、すぐに追いかけることができなかった。
アオと陸、二人がその場に残った。
「リク、ミツキにはもう少し考える時間が必要だと思うよ?」
「っなんでお前に、んなこと言われなきゃなんねえの!? 俺だって色々考えてんだよ! それに!」
陸はアオをまっすぐ見た。
「俺らのことはお前には関係ねーし! 俺、お前に譲る気ねえかんな!? じゃあな!」
勝手に宣言して、陸も帰っていった。
海月と陸が帰っていった後を見つめながら、アオは呟いた。
「譲られたとしても、ボクとミツキでは、どうしようもないことがあるんだよ、リク……」
ポツリと嘆くような呟きは、誰にも聞こえることなく、夜に消えていった。