8月10日 ①
予定時間を大幅に過ぎてしまいました。
二話あります。22時です。
―――祭り一日目。
小学校のグランドには、数日前から組み立てられたステージが、中央に設置されている。
金属の骨組みで簡単に組立て、解体できる簡易なステージだ。
まず、骨組みだけ完成させ、祭りの看板やステージ用の無垢材やベニヤ板はもっと日が近くなってから設置される。
台風による倒壊を防ぐためと、雨での祭りの中止にすぐに対応できるようにしておくためだ。
幸いなことに、天気予報では今日、明日ともに晴れの予報だった。
日中は33℃に、32℃と真夏日ではあるが、夜には気温も少し下がり、風も少しあるため涼しい夏の夜になりそうだった。
あとは、明日の夜、花火が綺麗に上がることを祈るだけである。
朝から、町の青年団を中心に若い衆たちが最後の仕上げにと、機材やパイプ椅子を設置するために動いていた。
頭や首にタオルを巻きながら、汗を拭いつつ、あちこちから年長組の指示が飛び交う。
毎年決まったことを続けていくので、年長組は手慣れたものだが、若い衆にはまだまだ勝手が分からない者もいる。
こうやって、一緒にやっていくことで、いずれは今の若い衆が年長組となり、次の若い衆へと教えていくのだ。
祭りで行われる音頭や太鼓もそうやって受け継がれていく。
一日目は子どもたちの発表が多く、二日目は大人たちが披露するのが毎年の流れである。
ステージの周りでは、屋台を出す準備が行われている。
祭りで屋台と言えば、別の町や世間では的屋が多くあるようだが、この町では、その9割強が地元民の出し物である。
地元の青年団や、役場職員、商工会、商売をしている個人や、一般家庭など、様々な人が祭りを盛り上げるために、もしくは祭りに乗じて稼ぐために、“出し物”をする。
食べ物は地元で取れた肉や野菜で、とても美味しい。
海月も、毎年焼き鳥を買って食べるのが習慣づいている。
部屋の机の上には、教科書やノートが開かれ、筆記用具が置かれている。
数学の宿題なのか、計算式が、途中で不自然に消えている。
よく見れば一度全て消された跡があった。
二回続けて、計算を間違えて投げたのだろうか。
宿題を解いていた主がそこにはいなかった。
リビングを見ると、その主が、ソファに片足を乗せ、炭酸飲料を片手に、テレビを見ていた。
「ここにいたの。…姉ちゃん、宿題してたんじゃなかったの?」
「休憩ちゅ~」
葉月が声を掛けると、海月がテレビを見たまま応えた。
「なんか、続きやらなそうだなぁ」
「失礼な! ちゃんとやりますぅ。ただちょっと頭をリセットしてるだけだもん。一回頭を休ませることで、違った見方ができるのだよ。葉月くん」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
「うむ。そうしたまえ。
んで? なんか用事?」
最初に「ここにいたの」と言ったのだから、葉月は自分に用事があって探してたんだろうと、こちらから尋ねてみた。
「あー。姉ちゃん、今日祭り行くんだよな?」
「うん。行くよー?」
「その、陸兄ちゃんと行くの?」
「ああ! うん。陸と行くけど…誰に聞いたのさ?」
「いや、うん、陸兄ちゃんがそんなこと言ってたから」
携帯で他愛もない話をやり取りしていた流れで、『今日はデートだ』なんて、陸が言っていたのだ。
陸が“デート”なんて言葉を使う相手なんて、葉月には、自分の姉しか思い当たらなかった。
「………付き、合ってんの?」
喜ぶ陸には聞けなかったことを、海月に聞きたくて探していた。
聞かれた内容に、海月は、ハハッと笑った。
「ちがうちがう。人助けみたいなもん!」
「え、何それ?」
「なんか陸が、誘ってきた女の子を断るために、私を利用しただけ」
「“利用”って…」
「はーくんが、大事な姉がそんな扱いを受けることに憤るのは分かるけれども、大事な友のためだ。一日くらい付き合ってあげなければなのだよ」
「いや、別にそれはいいんだけど」
「いいのかよ!」
「うん。え? 一日だけなの? 明日は?」
「明日は別の友達と約束してたから断りましたー」
即答で「うん」と言われて、ふてくされた物言いで返した。
葉月は、そんな姉よりも陸の心情を察して、憐れなものを見る目で海月を見た。
夕方、陸との約束の時間が一時間と迫っていた。
昼間に見た格好から、着替えもせずにいる海月に―――結局、あのまま宿題は頓挫した―――葉月が声を掛けた。
「姉ちゃん、まさかそのまま出掛けんの?」
「うん? そうだけどー?」
「もうちょっと着飾るとかしなよ、デートなんだし」
「デート?」
側にいた母が反応した。
「葉月、別にデートじゃないってば、陸と一緒に行くだけ!」
「それでも、その格好は祭りとしてどうなのさ?」
「……陸くんと、デート?」
母が、すくっと立ち上がった。
立ち上がり、海月の方を向いた。
「海月、何時から?」
「へ?」
「陸くんとの待ち合わせは何時から?」
「ろ、ろくじだけど…え?」
「あんた、ちょっと来なさい。着付けてあげるから」
「は? 着付けって…いやいや、別にこのままでいいって」
「ダメよ。あんた、去年ばあちゃんがせっかく買ってくれた浴衣、一度も袖通してないでしょ! こういう時じゃないと着れないんだから! ほら、着替えるわよ!」
「ぅええぇぇ~?」
「……陸兄ちゃん、大丈夫かな?」
我が姉が浴衣に着替えようとも、葉月にはなんの感情も沸かないが、陸にとっては“好きな人”である。海月が“人助け”と言うそれを、陸は“デート”だと喜んでいるのだから、デートに好きな人が浴衣で来たら、内心まともでいられるのか分からない。
葉月は、祭りに男友達と行く予定だ。
「帯苦しいって!」
「これぐらい我慢しなさい!」
そんな声が聞こえてきて、葉月はため息を吐いた。そして、陸に一言だけメッセージを飛ばした。
鏡の前で、髪の毛をいじっていた。
前髪を横に流したり、後ろに流してみたり、七三に分けてみたり。
そのどれもに、納得がいかない様子で、鏡に映る自分を睨んだ。
「ああーっ! もう止めだ、止めだ!」
セットした髪を、無造作にぐしゃぐしゃと元に戻した。
「変にセットしないで、いつもの俺でいく! 決まり!」
ピロン
「ん? ………なんだぁ? 『陸兄ちゃん、死なないでね』って、どういう意味だよ葉月?」
飛んできたメッセージに首を傾げながら、これで準備完了とばかりに頷いて、鏡の前を離れた。
リビングの前を通ると、母親から「食べたものは自分で片付けなさい!」という言葉が掛けられた。
海月は祭りで、買い食いするために、夕飯を食べていないが、陸は買い食いだけじゃ足りないからと、夕飯は別腹でしっかりと食べていた。
気持ちが焦りながらも、言われた通りに、カチャカチャと食器を片付け、洗いものまで終わらせた。
ふと、時計を見ると、出る予定の時間をほんの2、3分過ぎていた。
「やべっ! いってきま~す!!」
たった、2、3分でも遅くなったことに慌てる陸。
いつもは時間なんて気にしないのに、今日に限ってバタバタと出ていった息子に、何かを感じ取った母親が「あらあら、あの子も青春ねぇ~」なんて、こぼした。