目覚め。
コールドスリープ状態になった人間には時間という概念はなくなる。細胞がその活動の全てを停止しているのであれば老化は起きないし、エネルギーを消費することが無いのであれば、摂取する必要も排出することもない。もし、自分に意識がないという問題をクリアできるのであれば、多くの金持ちが望む不老不死というのはこういう状態の事じゃないか。とも思ったが、これでは不完全すぎることだろう。
もし仮にこの状態で意識を取り戻してしまった暁には、関節運動は起こせない、食事やその他五大欲求は一生満たせず、何より、怪我をしてしまった場合、出血もしないがその傷も一生埋まることはないだろう。
故に、意識が無い事が、このコールドスリープの一番の利点ともいえるのだ。
こんなことを思いながら、カプセルの中で目覚めた雅は、自分の指が動くことを握ったり開いたりしながら確認する。
何をしているのかと思う人も多いことだろうが、これは、コールドスリープが正常に作用していたか確かめるために重要な手順なんだとか。
廃用症候群という筋や関節を使わない時期が多いと起きてしまう可動域、活動制限も正常な生命活動をしているからこそ起きる者であった、仮死状態の彼らにはそれすら起きない。らしいのだが、医学関係でもないし、入院など意識のない乳幼児くらいにしか経験したこともない雅にはあまりわからない話である。
と、言うより本当にコールドスリープが成功したのかどうかは、外界を見ることのできないカプセルの中からでは認識するもままならない。
「・・・・・。」
はっきり言って失敗したのではないかと思える。カプセルの中の非常に密閉された空間の中で、自分の思考以外何もない。そんな中で、寝て起きたら数万年経過していましたなんて信じれるものがいれば是非とも挙手してほしい。そして、是非とも経験してもらいたいものだ。
「・・・・。」
カプセルの中で両手の指を握ったり伸ばしたり、動ける範囲で動いてみても寝る前と全く変わらない。実感がない以上は信じることができない。
と、思い出したように雅は、左手の手元にある吸引口をおもむろに口へと運ぶ。
そこから再び何の味のしない液体が口の中に流れ込んでくる。これは、先程の。いや、正確には寝る前である数万年前に口にした薬とは全く違う効能を持った液体で、言ってしまえば栄養剤である。凍結状態から一気に活動のできる状態にしたのだから、体の中の栄養は全くないに等しいだろう。その体に必要なだけの栄養素を吸引する。それは、普通の食事とは比べ物にならないほど高栄養なものなので必要以上の吸引すると死ぬ可能性だってあるものだ。
そうはいてもその量はコンピューターでしっかり計算されているので間違えることはない。出てくる全てを吸引しているとその供給は突然止まる。それが終わると、今まであったふわふわした感覚はなくなり、不思議と失敗したのではないかという不安も無くなっていく。
その理由は恐らく、この液体が正常に供給されたからだろう。もし不測の事態で機械が不具合を起こし、凍結が中断されていたのならこの液体は出てこないか永遠供給され続けるかだ。いやまず、不測の事態なんてものが起きていたら雅は目覚めていないわけで冷静になって考えてみればすべてがうまくいっているはずなのだ。
「あーあー。聞こえてるか?」
という投げやりな雅の言葉に反応するかのように寝る前にあったディスプレイが起動する。いや、正確にはディスプレイではなく、脳の中に埋め込んだインプラントシステムが目の前にディスプレイがあるように視覚情報を改変して見せているに過ぎない。
その目に映る視覚情報の中では、一体のヴァーチャルキャラクターが丁寧なお辞儀をする。人間とほぼ同じ等身のロボットは、吹き出しを出しながら雅に正常な起動をお知らせする。
「おはようございます。マスター。無事のお目覚め何よりでございます。」
「無事以外じゃお目覚め出来ない気もするが、まぁいいや。外界情報をくれないか? 何年経過した?」
「はい。外界情報としましては、気温はおよそ298K。大気圧は1019hPa。大気の構成成分は酸素26%、二酸化炭素1%、窒素70%その他計3%で構成されております。記憶時間は、セシウム133規定で、およそ10億年が経過いたしました。」
「・・・10億?」
「はい、十億年です。また、外気は少々酸素が多く、今まで観測したことのない物質の浮遊も確認しております。」
ロボットは画面の中にグラフを出してくれるのだが、雅からすれば大気の構成物質などどうでもいいことである。いや本当であれば今、雅が考えていることの方がどうでもいいことなのも理解しているのだが、それ以前に現実を受け止められないという方が正しい。
10億年。
そんな人間の文明ですら到達したこともないほど途方のない時間が経過しなければ人間が生活することのできる大気の構成状態にならなかったというのだろうか。さすがに今この瞬間にその比率になったわけでは無い事は十分に理解している。
ある程度の生態系が構成され、安定してくるのに数百万年はかかるとか講義で言っていたので、その安定期に入ってから目が覚めたのだろう。だとしても9億年以上もかかっている訳で、かなりの長い歳月を過ごしたことになる。
「いや、そんなものかもしれないな。」
と、今のさっきまで考えていた自身の思考を否定する。
なぜならばこの大気構成になるためには酸素を構成する大気循環の作用が必要になってくる。その為にも、雅の記憶では最低でも恒星の存在は不可欠である。今回は、光合成以外の方法で酸素を構成しているのかもしれないが。
さらに、重力、気温、微生物に至るまで生存可能と判断されたのだから凍結状態を解除されたわけで、意外にも早かったと思えるくらいだ。何せ、太陽軌道からはずれ、地球自身が宇宙を遊走する惑星になったにも関わらず、再び太陽のような恒星の重力の衛星軌道上に入り、生態系を確立したのだから。
もしかしたら、以前太陽系内に残っている可能背も考えられる。かの天体の衝突は回避したものの、その影響を少なからず受けた人類は、ほぼ絶滅。シェルターに残った面々も自身の生活に手一杯で、我々冷凍冬眠勢を起こすこともないまま、ここまでの時間が経過してしまったと考えられる。
それらの疑問に答えるには一言こう聞いてみればいいのだ。
「ちなみにここは太陽系か?」
「観測情報が少ないので提言しかねます。」
・・・・ダメでした。
「ドアを開けても平気か?」
「周辺スキャン可能範囲、500メートルに生命体の反応は見られません。また、地中に埋まっているという事もなさそうです。」
地下に建設された施設なので、地震やれ海面の上昇なりでカプセルのドアを開けた瞬間死ぬ可能性がよぎったので口にしてみたが、その心配もない。そして、猛獣に食い殺されることもなさそうだ。
大気圧や気温、今感じている重力も正常であることは確かなので、このままハッチを解除する旨を伝える。
ピシュー。
と、カプセルの中に充満していた雅にとって適切な空気が漏れていく。代わりに外気が入ってくるのを感じる。特に違和感はないはずなのだが、大きく息を吸い込んでみるとなんとなくいい空気な気がしてしまう。
そして、カプセルのハッチが開き、視界が広がった瞬間。オレは驚愕の言葉を止まることができなかった。
「な、なんじゃこりゃー!」