その釣り人は自分はへたくそだと嘯く
【嘯く】
1.平然として言う。
『俺は釣りの達人だ』
2.大きなことを言う。ほらを吹く。大げさな嘘を口にする。
『クジラすら釣り上げたことがある』
3.口笛を吹く。歌を歌う。
『今日も今日とて釣りに出るぅ~、(手で作った輪を口に当てて)プゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ』
4.動物が吠える。
『クゥ、カカカカカカカカカカ(イルカの鳴き声)』
いつかの何処かの夏の埠頭。晴れ渡ったお昼過ぎ。時折さらっと潮風が吹く。直方体をくっつけ並べたようなコンクリートの足場。その一つの先っぽと、穏やかな海が面する場所。そこに一人の男が座っていた――ぼろいぼろい釣り竿から糸を垂らして。
今時、ひどく珍しく、古ぼけた道具。竹の竿か? 長さは2メートルに足らない程度。その先に垂らした糸は、どう回収するつもりなのか。そんな不安を、その男を見たら、誰もが浮かべるに違いない。
男は唾の大きな麦わら帽子を深く被っていて、白のタンクトップに、膝下を破り捨てたジーンズに、何故か草鞋、という奇妙、いや、ちょっとそれでは危なくないか、という風な恰好だった。当然、ライフジャケットなんて羽織っていない。
男以外の釣り人はその日は偶々なのか、いつもなのか、定かではないが、いない。人っ子一人見当たらない。元から海水浴をするような場でもないのだから、男の同類がいない限りは、そこに誰かがいるなんて無いだろう。
「あぁ、釣れん」
低くしわがれた、しかし老人染みているという程ではない老け声でそう言いながら、左手一本で持った竿を、座ったまま、軽く後ろへ引く。まるで、糸は魚の引っ掛かった予兆など微塵も出しておらず、穏やかなものだったというのに。
すると、竹竿が軋み、糸にその力が伝導され、海に浸かった糸が、男の肩を越えて後方へ飛んでゆく。男はそれを、頃合いとみんばかりに、右手で掴む。
すると、激しく水が垂れ、男の前辺りに釣り上げた何かが姿を現す。
「何、だ? これは……。魚ではない。やはり下手だな、俺は……」
それは、古ぼけて痛んだ、黒塗りの鮫革の箱、だった。錆色の金具でできた錠前が掛かった大きさ20センチ四方程度の。男は少しばかり迷った挙句、それを自身の背後に置いた。一応の釣果だと。中身を見ようとしないのは、それだけがっしり閉まっていては、魚など中に入っていそうな筈もない、という考えからだろう。
男はまた、釣り竿を垂らした。針の先に何も付けずに。ルアーの類もつけていないというのに。
「『真に釣り人なら、竿と針と糸さえあれば魚を釣れる』、か。我ながら、爺さんの話にいつまで囚われているのか、全く……」
「はぁ、駄目か、今日も……」
竿を足場にあげていた男はのそり、と立ち上がる。夕焼けが今にも水平線の向こうに沈みそうになっていた。
男の背後には、大量の古ぼけた物々が積みあがっていた。今回は、やけに箱物が多いようである。がっしりぎっちり、鍵がされた、色々な種類の革張りの、海水と経年劣化で痛んだらしい、大量の箱と、昆布などが絡まっていた、その下から出てきた漆器や錆びついた金属の器などが大量に。今にも崩れ落ちて、また海に戻ってしまわんばかりの量だった。
男は立ち上がり、それらの方を向いて、
「……。一応の釣課だ。海に戻すのは忍びない。が、持ち帰るつもりもない。持ち帰っても、自身の負けを反芻するように痛感させられるだけ、だ。それにどうせ、また何処かの誰かが片付けるか引き取ってくれるだろう。……こんなもの持って帰って何が楽しいんだか……。釣り人が持って帰るべきは自身の手で釣り上げた魚、だろうが。そうでなければ意味がない」
ぼそりぼそりと長々しく独り言を口にして心を決め、いつものようにその山を避けて、竿を肩に掛けて、その場を後にした。
「……、行った、か?」
「あぁ」
「じゃぁ、回収すんぞ。同業者はどうやら今日は偶々いねぇらしいしな!」
そう双眼鏡片手に遣り取りしてた、男二人。彼らは、遥か後方の民宿の部屋の窓から、その男が立ち去るのを待っていたらしい。
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すぐさまあの男のいた場所に到着した二人。巨大な荷車を手に。そこにある、あの男の残していった魚としての釣果なんて目でもない、お宝たちを、それに目一杯積み込む。
「いつも思うんだが、あの男は一体、何なんだ……」
「そんなことはどうもいいだろう。唯、奴が、物の価値を知らない大馬鹿者だってことだけ分かってりゃ問題ないだろうが」
「まぁ、そうだな。しかし、何だ。真剣にサルベージするより、あの男の捨て物を拾う方が、ずっとずっと儲かるって、負けた気がするな……」
「そうか? 俺はある種、勝ちな気がするが」
「……。同業者たちはだから、いなくなったんだろうか……」
「どうだか。金が満ち足りたから引退したのか、それとも、得た金で遠くの海で本格的にサルベージおっ始めたのかも知れないぜ。ま、俺としたら、楽して儲けられればそれでいいが、な」
「……。詰み終わったし、早く戻ることにしよう。日が暮れる」
そうして二人は、一列になって荷車を引き、その場を後にしたのだった。
そこの貴方。貴方はどういう答えを出したのか。是非とも聞かせて欲しい。