もふもふ≒サプライズ!?
結婚式関係の建物と教会を繋ぐ小道を横断し、教会の裏手に回り込む。予想はしていたが教会の裏は数十メートルほど行くと結構な断崖絶壁になっていて、春穂が近づこうとしたら律希に止められた。補強工事はしてあるけれど柵がないから危ないらしい。
猫はこっち。そう示されたのは、春穂の腰くらいの高さの小屋だった。下の方にぽこりと丸い穴が空いている。
耳を澄ますと、中から「にー」と高い声がする。
それだけでわくわくしてきた春穂の前で律希は小屋の屋根を開け、おもむろに両腕を突っ込んだ。やがて出てきた手に収まっていたのは━━手のひらサイズの、もふもふした存在。
こちら向いた律希の手の中から春穂とご対面したのは、淡い茶色の縞模様をした子猫だった。きょとんとした目で春穂を見て、「にゃ」と短く鳴く。
顔がゆるゆるになるのも仕方ないことだ。
「ほ、わぁ~……かーわいー……」
「こいつで大体生後三ヶ月くらいかな」
「この子、名前はあるんですか?」
「暫定で『しま』。縞模様はこいつだけなんだよね」
「おお、分かりやすい」
芝生の上に放されたしまを、置いてあった猫じゃらしでじゃらす。ぽよぽよと軽快な動きがまた愛くるしい。
まだ子猫ということで、この場所で生活していて崖から落ちないのかと心配になったが、律希が言うには平気だそうだ。崖の下に猫用のネットがあるのだと。
でもあくまで猫用なので、春穂は行ってはいけないらしい。心配性なんだなぁと小さく苦笑する。
しばらく遊ぶと猫じゃらしに飽きたようなので、芝生に転がるしまを撫でくり回す。しまは特に首周りがお気に入りの模様。
随分と人懐こい性格の猫だ。
「他にはどんな子がいるんですか?」
「大人の夫婦一組と、子猫が三匹。……名前は『助さん』と『角さん』と『さば』と『ぱんだ』と『くつした』」
「……最初の二匹の見た目の想像がつかないんですが。……印籠柄?」
「それが大人の二匹。神父のおっちゃんが当時はまってた時代劇から付けたってことで、深い意味はないよ。子猫は全部俺が付けたから、見た目からそのまんまなんだけど」
お前ももうちょっとでお奉行様になるとこだったよなぁ。呟いてしまの顎を撫でる律希は、どこか遠い目である。
この子がなるかもしれなかったのは桜吹雪のお方だろうか、越前守のお方だろうか、それとも。どれにせよ、春穂としては『しま』の方がシンプルで好きだ。
「さて、もうちょい戯れたい?」
「いえ、満足です。これからたまに戯れに来ます」
「よし。じゃあ反対側回ろうか」
「はい!」
しまは再び律希の手に収まり、小屋へと戻された。上から覗くと隅っこで子猫二匹(おそらくはさばとくつした)がじゃれあってるんだかケンカなんだかで団子になっていて、春穂はとっさにスマホを構えて写真を撮った。和む。
律希は猫にキュンキュンする春穂を眺めて、微笑ましそうに頭を撫でた。仕事が終わってほどいた髪がほわほわと動く。
「春穂ちゃんは猫には似てないね」
「え、友達はよく『お前は怒ると全身の毛が逆立った猫に似る』って言いますよ?」
「うーん……まあ、怒ってないときは。普段は……うさぎ、かな。茶色い垂れ耳の」
「うさぎ。……茶色い垂れ耳?」
今度画像を検索してみよう。
小屋を閉めてから歩いているうちに、地面が芝生から石畳に変わる。
《Harbest》のある並びとは反対側の列の最初は、店名と一つのメニューだけは知っている店だった。
「ここが《Iberis》ですか」
「そう。結婚式の招待客の休憩とかにも使われております」
「ああ、だからこの立地。ってことは、お隣は弥夕さんのお茶のお店ですか?」
「当たり。《千日夕》っていう名前で、日本茶から何から幅広く取り扱ってるよ。たまにどっかから取り寄せた謎のお茶を試飲させられたりするから、行くときは覚悟してね」
「……わお」
経験者は語る、である。
《千日夕》の次にはオーガニックの化粧品店やカトラリーショップなどが続き、行きと同じく百メートルほど進んだところで道は終了となった。道と街路樹━━桜並木を挟んだ向かいには、店の明かりを落とした《Harbest》が見える。見るとほっと安心するのは、春穂にとってはもう《Harbest》がうららロードでの『家』になっているからだろう。
これで春穂はうららロードを一周したことになる。時間にして一時間と経っていないのに、新たな発見が多かったからかひどく充実感に満たされている。
明後日にでもどこか覗いてみようかな、と思って、春穂ははたと気づいた。
「律希さん。うららロードのお店って、今時分には全部閉まっちゃうんですか?」
今回の探検で春穂は律希に全店舗を案内してもらったが、六時前という浅い時間であるのにその何故かどれもが閉まっていたのだ。
《Harbest》はベーカリーなので閉店が早いのは当然なのだが、流石に雑貨屋や化粧品店までこんなに早仕舞いするだろうか。もしそうだとしたら、《Harbest》での終業後に他の店に寄ることが叶わない。
小首を傾げるように律希を見上げると、彼はにっこり笑って答えた。
「今日は特別。春穂ちゃん、ついてきて」
「……? 律希さん、そっちはさっき行った方ですよ?」
「いいからいいから」
律希が歩きだしたので、春穂は訝しみながらもついていく。来た道をそのまま戻る形で、春穂たちはU字路の奥━━カフェ《Iberis》の前へと到達した。
擦りガラスが組み込まれた木造ドアのノブに、『Closed』の看板。ブラインドがきっちりと閉めてあるせいで中の様子は窺えない。
律希はドアの正面に立つと、コンコンと軽いノックをした。
「……律希さん?」
「春穂ちゃん、入って」
「え? でもここ、閉まってますよ?」
「大丈夫だから」
頭に大量の疑問符を浮かべつつも、春穂は言われるがまま金色に光るノブに手をかけた。ゆっくりと捻って、恐る恐るドアを押し開ける。
━━瞬間、店のあちこちから炸裂音が響いた。
「「「春穂ちゃん、うららロードへようこそ!!」」」
煌々と点った照明の下、色とりどりのリボンや紙吹雪が硬直する春穂の頭に乗る。
店内には大勢の人がいて。
前列の人々は上向きにパーティークラッカーを構えていて。
「…………━━ふえぇっ!?」
春穂は正しく、パニックになった。
律希が後ろから促すように春穂の背中を押す。いや、促されてもどうしようもないんですが。
縋るように律希を見ると、彼は彼で『ドッキリ大成功!』とでも言わんばかりのいい笑顔を浮かべていた。
「サプライズということで。━━今日は、春穂ちゃんの歓迎会です!」
「か、歓迎会……?」
「そうよー春穂ちゃん」
人垣を割って現れたのは、つい先ほど春穂が衝撃的な事実を知った《Harbest》の嫁、蘭子だ。手には細長い布を持っている。
蘭子は輪になっていた手の布を春穂の頭にくぐらせ、肩に掛けて腕を通させた。━━金で縁取られたそのタスキに赤字でデカデカと『本日の主役』と書いてあることを、呆然と蘭子を見つめる春穂はまだ知らない。
丁寧にタスキの端を整えた蘭子は、満面の笑みで春穂と目線を合わせた。
「春穂ちゃんがうちに来てから二週間が経って、うちにはもう大分慣れてきた頃かなと思ってね。うちは━━《Harbest》はうららロードの一部だから、今度はうららロードのみんなとも親しんでほしいなってことで歓迎会を開いてみたの」
「そ、れは……ありがたい、です」
「良かった。よし、じゃあ春穂ちゃん、いざ上座へレッツゴー! りっくんは春穂ちゃんの隣ね」
「はい」
蘭子に先導されて、春穂は律希と共に人混みを突っ切る。
席へと誘導される最中、未だに半ば混乱している頭で春穂が一番に考えていたのは━━カフェに上座下座ってあったっけという、素直な疑問だった。