終業≒冒険譚
悩んだ末、ジャンル変更いたしました(。・_・。)ノ
恋愛ってこの話の軸の一つだしなぁ、ということで。
五時。どこか遠くから時報の音楽が聞こえる中、《Harbest》は本日もつつがなく閉店を迎えた。
「今日も忙しかったですねー」
「朝フィーバー乗り切ったらいくらか楽なんだけどね。それはそうと、新作の売れ行きはどうだった?」
「見事完売でございます! お疲れ様でした律希さん」
商品の陳列棚を磨きつつ、隣で売れ残ったパンをまとめる律希に小さくVサインを作る。律希は達成感に溢れた笑みを返してくれた。
今日発売の新作『ストロベリー・スパンダワー』は、放課後の時間帯に近所の女子校の生徒達に人気を博し、早々に完売となった。レジ打ちをしていた春穂は、客が新作を買う度に表情筋がだらしなく緩みそうになるのをどうにか堪えたものだ。
ちなみに、春穂が提案したアイシングの部分は一律レース風のハートを描くことになったらしい。いざ陳列せんと商品を見たとき、その細かい技に感動したのは記憶に新しい。律希に曰く、ネットで調べたらあったからやってみたとのこと。つくづく器用なお人である。
「休みのうちにもうちょいアイディア練って、明後日また出してみるよ。まだ改良の余地もあるだろうしね」
「仕事熱心なのもいいですけど、休みはちゃんと休んでくださいよ? 体壊したら元も子もないですし。せっかくの週に一度の定休日なんですから」
「うん。大丈夫、がっつり朝寝坊する気でいるから」
「あたしも明日は寝坊するつもりです」
布団の中でむにゃむにゃ惰眠を貪るのは、他には代え難い喜びがある。気付けば昼前になっていたというのもままあることだ。
しかし春穂、《Harbest》に勤めてから早起きの習慣がついてしまい、これまでに二回経験した休日どちらも四時に目が覚めてしまっている。いや、ベーカリー勤めとしてはいいことなのだが、休みくらいは長ーく熟睡したいというのもまた本心。体内時計とは地味に厄介な代物である。
閑話休題。棚を磨き終えた春穂は床掃除に取りかかり、律希と二人がかりで平常よりいくらか早く閉店作業を終えた。
休憩室で代わりばんこに着替え、店主夫妻に挨拶してから店を出る。
うんと伸びをする律希を見上げ、春穂は率直に尋ねた。
「それで律希さん、案内したいところって?」
「よくぞ訊いてくれました。春穂ちゃん、うららロードはもう全部見て回った?」
「いえ、まだです」
「なら良かった。今日あたり、ぐるっと一周探検してみない?」
「! したいです!」
「決まり。じゃあついてきて」
「はい!」
春穂の思いがけない夕方は、こうして始まった。
◇ ◆ ◇
素朴な風情の石畳が敷かれた歩道を、並んでのんびりと歩く春穂と律希。
とりあえず順番に行こうかということで、律希はU字路の端にある《Harbest》から立ち並ぶ順に店々を案内してくれている。
「ここはケーキ屋ね。平川が朝言ってたところ。新作のスパンダワーのクリームはここから提供してもらってる」
「もしかしてクリームパンのカスタードもここのですか?」
「正解。下手に自分達で作るより旨いってことでそうなったんだって」
一軒一軒解説を入れながらこういった裏話も入れてくれるので、ちょっとした観光ツアー気分で楽しい。春穂は頭の中でうららロードの地図を組み立てつつ、脳内の『次はこれ食べよう帳』に新メニューを書き込んでいく。
うららロードにある店の種類は実に多彩だ。ベーカリー、パティスリー、カフェなどの飲食系から、雑貨店、手芸店、花屋などに至るまで多岐に渡っている。なんならランジェリーショップまであった(春穂はショッピングセンターやアウトレットモールでしか見たことがなかったので、純粋に驚いた。律希がさくっと説明を流したのは言うまでもない)。
綾深市で生まれ育ってもうすぐ丸二十一年、数年前までは近所の女子校にも通っていたというのに、新発見が続々出てきて春穂は面食らった。そもそもつい最近までうららロード自体知らなかったのだ、地元とは狭いようでいて案外広いものである。
百メートルほど歩いたところで、一度店の並びは途切れた。U字路の突き当たり━━教会に着いたのだ。
近くで見ると純白の壁がなお夕日に輝いて、波音と合わせると映画のワンシーンのように美しい。春穂は無意識のうちに感嘆の溜め息をこぼした。
「綺麗……」
「いい時間帯に来れたね。中、入ってみる?」
「え、ここって勝手に入っていいんですか?」
「中で何かやってなかったら平気だよ。神父のおっちゃんもご自由にどうぞって言ってるし」
「……神父さんを、おっちゃんって呼んでるんですか」
親しみやすいと言うべきか、神父さんのイメージ的にどうなんだと言うべきか。
「……まあ、一応昔からの知り合いだから」
「なるほど」
ほんの一瞬。記憶を探るような目をしてばつが悪そうな顔になった律希だったが、春穂は特に気に留めなかった。昔馴染みならそんなもんかと納得して頷く。教会に対する興味の前には、人の呼び方など些末なことだ。
白の中で唯一濃色の、重厚に艶めく木の扉を律希が押し開ける。
キィ、と微かな軋みの後に、複雑な光の文様が春穂の瞳を満たした。
「ふ、わぁ……!」
少し掠れた風合いの木の床に、同じく木の会衆席がずらりと並ぶ。数段高いところに祭壇があって、その背後の色彩が━━言葉を失うほど、美しい。
十字架が堂々と組み込まれた壁の、上部分はステンドグラス。可憐な花の意匠がたくさん咲いている。
そして下部分は、ガラス。芝生を少し行ったところに、波立つ水面が見える。━━水平線に、今まさに沈まんとしている太陽も。
ガラスを通して空間に広がる朱の中に、ちらちらと多彩な色が重なる。たまに光が揺れるのは海に反射したものも混ざっているからだろうか、その様はどこか炎に似ている。
鮮やかで、冷たいのに暖かく澄んだ、ほむらの海に居るようだ。
どのくらい放心していただろうか。律希にコツンと頭を小突かれ、春穂は我に返った。
「すっ……ごい、ですね……。絶景」
「俺もここまでのは久々に見たなぁ。いい感じに綺麗になってるかとは思ったんだけど、予想以上だった」
「度肝抜かれましたよ……。あー、まだ心臓バックンバックンしてる」
胸を押さえた春穂に、律希が口元をほころばせる。
「そんなに?」
「近年ついぞ無いほどの衝撃でしたよ」
「うん、案内しがいがあった。ちなみにお隣のでかい建物は結婚式の何やかんやが入っております。披露宴会場とか、衣装選ぶところとかね。そこから依頼が来てパン焼くことも多々あるよ」
「横の繋がりが強いんですね、うららロードって」
「ここもここら一帯の店も全部、三十年くらい前にまとめて出来たものらしいからね。今のところ創業当時から代替わりもしてないし、ずっと支え合ってきたってことで結束は強いみたい」
三十年。けっこう新しいな、と思いながら春穂は相槌を打ちかけ━━転瞬、ん? と不可解な現実に眉を寄せた。
「……あの、律希さん?」
「ん?」
「創業当時から代替わりしてないってことは、《Harbest》もずっと今の店長と奥さんで続いてるんですよね?」
「うん。あの二人で立ち上げて、三~四年前に俺が入ったけど……それがどうかした?」
おかしい。
だって店主の剛志はまだしも、蘭子は見た目からして明らかに三十代、下手をすれば二十代後半でも通る。だがその通り蘭子が三十代であるとするならば、《Harbest》が創業した当時、蘭子は年齢一桁ということになるではないか。
神妙な顔をして黙りこくった春穂に律希は疑問を浮かべていたが、やがて察したらしく「ああ」と呟く。
「奥さんなら、あの人五十は越えてるからね?」
「……え……ええええええ!?」
春穂の心からの驚愕の叫びは、教会という空間の静謐さを盛大にぶち壊した。
律希はははっと笑っておかしそうだ。
「懐かしい、俺も昔同じことで悩んだんだよね。そしたら平川が『うちのお母さん今ちょうど五十だけど、あの人お母さんよりは年上だよ?』って言って。いやー、あの時はほんとに衝撃だった」
絶景への衝撃より、蘭子の年齢への衝撃の方が大きいかもしれない。割と本気で。
二人に初めて会った二週間前、けっこうな年の差のご夫婦だなぁ二十歳差くらいかな? とほのぼの思っていた春穂である。
「……あれは美魔女ってレベルじゃないでしょ!」
「奥さんに年齢の話はするなっていうのはうららロードの不文律になってるから、気をつけてね」
「怖っ」
過去に何があったんだ。
「まあ怖い話はさておき。そろそろ出ようか。完全に暗くなる前に回りたいし」
「そうですね」
頭を切り替えて、春穂は眼前の光景を今一度目に焼き付けた。こんな知られざる絶景があったとは、侮りがたしうららロード。
行こうか、と扉の取っ手に手をかけた律希が、不意に春穂を振り返った。
「そうだ春穂ちゃん、猫は好き?」
「もふもふしてる生き物は基本大好きです」
「じゃあ、反対側回る前にこの辺の子と戯れてみる? 地域猫……って言うか、教会猫」
「……! 戯れたい、です!」
「よし、じゃあついてきて」
はい! と返事を弾ませて、春穂は律希の背を追った。
この話の舞台である綾深市は、都会じゃないけどそこそこ発展しているので田舎のスタンダード(?)でもない町、という設定です。
電車で20~30分行ったらでかいショッピングモールがある感じ。春穂達は服を買うときなどはそこに行きます。