知らんぷり≒詐欺
「署名集めるにしても売り上げアップにしても、常連さんだけだったら限界があるから、新規のお客さんを確保しないといけない訳でしょう? でもみんなそもそもうららロードの存在を知らないから、確保とか以前にまず来ない。で、何で知らないのかって言ったら」
「宣伝をしていないから、ですね」
「そう。現状維持するだけならそれでも良かったのかもしれないけど、流石に今みたいな状況だとね。うららロードは商売の初歩の初歩が抜けてたんだよ。━━逆に言えば、うまく宣伝さえすれば、うららロードにはもっとお客さんが来るとあたしは思う」
律希に連れられて、初めてうららロードに来た時のことを思い出す。どことなくアンティーク調の並びの奥に、朝日を受けて立つ白亜の教会。思い描いていた商店街像とは全くもって違ったが、どこか乙女心をくすぐられるお洒落な風景にときめいた。
そして歓迎会の前、律希に店の並びを案内してもらって。美味しそうだったり可愛かったり綺麗だったりと、子供のようにはしゃいだ。みんなの温かい人柄に心が和んだ。
あっという間に春穂はうららロードが大好きになった。
だから、まずは知ってもらわなくては。知ってくれれば、きっと。
その旨を夕べの帰り道、家まで送ってくれていた律希に述べて相談すると、彼は優しい笑みを浮かべて春穂の頭をわしゃっとやった。とりあえず同年代で相談してみようかということで、今日春穂達は≪Iberis≫へとやって来たのだ。
「宣伝って、例えば……広告とか?」
「広告もいいけど、翔琉、同じクラスの奴らって新しい店とかどうやって新規開拓してるか分かるか? 特に女子」
「大抵はSNSかな。なんかやたらパンケーキの店やらクレープの店やら、ここ良くない? みたいな感じでよく上げてる。そういえば最近もどっかでアイスの店がオープンしたとかって……」
と言ったところで、タイミング良く翔琉のスマホからSNSの通知音が鳴る。翔琉は液晶を確認した後、何故かとても複雑そうな表情になってそのまま電源を切ってしまった。きょとんと目を瞬く春穂と弥夕とは対照的に、律希は何となく察したような表情をしている。男同士目線のみで交わされた会話の内容を、女性陣は当然知らない。
ともかく、と止まっていた会話を再び滑り出させた翔琉は、厨房からカウンターに肘を突く。
「モノの流行って基本若者からだし、確かにSNSは一番有効かも。特にウチと律希さんのとこと、あと義さんとこは飲食店だからSNS映えする商品もあるし、そこから宣伝していけばけっこう来てくれる可能性は高いと思うよ」
「どこか数店舗だけでも人が集まったら、流れで全体にお客さんが来るわね。そこはうららロードの強みかしら」
「じゃあ、うららロードでアカウント作るって明日の会合で提案してみる。後は各店舗のアカウントだね」
「とりあえず今作ってみる? 俺、ちょっと親父さんと蘭子さんに訊いてくるから待ってて」
「俺も母さんに訊いてみます」
男性陣が消えた≪Iberis≫で、弥夕はこてんと首を傾げる。
「翔琉、どうしたのかしらね」
「さあ……高校生だし、色々あるんじゃない?」
「そっか。……そっか、まだ高校生だもんね」
呟きと共に溜め息を吐いた弥夕の横顔は憂いが滲んでいて、今度は春穂が首を傾げる番だった。
「どうしたの、弥夕。翔琉くんと何かあった?」
「ううん。ちょっと、自分で自分がめんどくさいなって思っただけよ」
「……そんな時は何かして発散しなきゃ。また女子会でもする?」
「いいわね。春穂のお疲れ様もしたいし……今週末、空いてる?」
「うん。大丈夫だよ」
「場所はあたしの家でいい? 春穂の家はこの前お邪魔したし」
「いいよー」
お菓子でも持っていこうかな、などと考えている内に、奥から翔琉が戻ってくる。少しして律希も帰ってきた。手あるのは≪Harbest≫の全てを一括で管理してくれているタブレットPCだ。キーボードは置いてきたようで、タブレットのみ持ってきている。
春穂に笑いかけた律希は元いた席につく。
「オッケーだって。SNSとかよくわからないけど好きにやってみてーって言われた」
「ウチも大丈夫でした。それで、アカウント作るとしたらまずは『Wing』でが無難かな、と」
「そうだね」
『Wing』とは、数あるSNSの中でも国内利用者数が最も多いものである。写真や短い文章を投稿して見てもらうタイプのSNSで、最近ではここから流行が生まれることも少なくない。つい先日も『Wing』で面白いという情報が広まった漫画が爆発的ヒットとなり大量重版になったとニュースで報じられていた。
爆発的ヒットとまでは行かなくても、少しでも人々の興味を引けたなら。そんな思いで春穂は律希からタブレットを受け取り、アプリをインストールする。翔琉も自分のスマホから新しくアカウントを作るようだ。
表示された利用規約に同意して諸々の情報を入力すると、ハンドルネームとアイコン、自己紹介の写真と文章の設定画面が出てくる。ハンドルネームはもちろん≪Harbest≫、アイコンは━━
「律希さん、アイコンどうしましょう」
「ちょっと待って、俺いいの持ってるからそれに送る」
ややあってタブレットに送られてきた写真を見て、春穂は目を丸くした。
春穂が律希との連絡手段に使っているSNSのアイコンのクロワッサン耳のウサギが、フランスパンやコロネがたくさん入った紙袋を抱えて小首を傾げている。思わず律希を見上げれば、彼はこれしかないと思ったと言って笑う。
「もう一枚、一心不乱に自分の耳かじってるやつもあるけど」
「……こっちにします。後であたしにも画像送ってください」
「いいよ。この前見つけてなんとなく保存してたんだよね、これ。あと、自己紹介用の写真に店の外観撮って来たからそれも今送った」
「ありがとうございます」
アイコンと写真を設定し、残るは自己紹介の文章だけだ。さして文才がある訳でもない春穂にとっては一番の難関である。
書き出しが思いつかずにうーんと唸っていると、頭をほぐすように律希に頭を撫でられた。
「気楽に書いたらいいよ」
「うう……でもやっぱりお店のことってなると……。見たいって思わせないといけないですし」
「……これ、どんなことアップするの?」
「そうですね……店のメニューとか、パンの豆知識とかですかね」
「だったらそういうこと書きますよっていうのと、春穂ちゃんの思うウチの紹介を書いてくれればいいよ」
「あたしの思う、紹介……」
むぅ、としばし悩んで、春穂はゆっくりと文字を入力し始める。
「……これって、基本あたしと律希さんでアップしていきますよね?」
「そうだね」
段々とスムーズに文書が浮かんできて、タブレットを滑る指も速くなる。
完成した文章を律希に見せると、彼は一瞬ぱちくりと目を瞬かせてから笑った。
「お客さんに『詐欺だ!』とか言われない?」
「絶対言われません。あたしが保証します」
「……うん、まあ、そんな堂々と断言されると……。他のところちょっと修正入れていい?」
「あ、お願いします」
修正はすぐに済み、変わった後の文章を見てみると。
「……これこそ詐欺じゃないですか?」
「事実しか書いてないよ?」
「律希さんはたまにあたしを過大評価しますよね」
「春穂ちゃんもね」
「あたしが書いたのは客観的に見た事実ですよ?」
「俺もだよ?」
と笑った律希はタブレットを操作して、そのままアカウントを登録し作成を終了してしまう。
春穂は照れ隠しにもう、と唇を尖らせて、頭を撫でる律希の手を知らんぷりした。
『綾深市うららロードにあるベーカリー、≪Harbest≫の公式アカウントです。食パンやクロワッサンなどのおなじみのパンはもちろん、ちょっぴり無口な店長が気まぐれに作る初めましてな外国のパンまで、数多く取り揃えてあります。奥さんお手製のサンドイッチやお総菜パンも絶品です!
ここでは日々のメニューやパンに関する豆知識などを、パンでお城まで作ってしまうイケメン器用なパン職人のりつさんと、食べてる姿がひたすら小動物的な食いしん坊看板娘のはるさんがお届けします。興味を持ってくださった方はぜひお店にもお越しください。水曜日は綾深駅前に移動販売も行っています。 ※土曜定休』
さて、最初はどんなことを書こうか。
頬や髪を律希に構われながら、そっぽを向いたままの春穂は秘かに心を弾ませた。




