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正面≒覚悟 side弥夕

長らくお待たせ致しました……。

もだもだ弥夕視点、翔琉が頑張る回です。

 担ぎ上げられた翔琉の肩の上でしばらく抵抗していた弥夕だったが、降ろしてくれる気がないことを悟ってくたりと体重を預けた。ある程度の体重はあるはずなのに、翔琉はそれでも小揺るぎもしない。なんだか悔しいようなむずがゆいような感じがする。

 昔はあたしに抱っこされてたくせに、と翔琉の赤ちゃん時代を思い出す。弟妹がいなかった弥夕にとって、生まれたてほやほやの翔琉はそれはもうかわいかった。

 かわいかったのに。


「……いつの間にこんなにかわいくなくなったのよー……」

「十七の高校生男子にかわいさ求められてもなぁ」

「そういうところがかわいくない」

「はいはい、かわいくなくて結構です」


 意識して生意気に作ったであろう口調に弥夕が眉根を寄せるのと、カラン、と聞き慣れたベルが鳴るのは同時だった。

 首を傾けて見てみると、幼い頃から何度も訪れた《Iberis》の店内だ。

 ……まさかここに、翔琉に担がれて入店する日が来ようとは。遠い目になるのも無理はないというものだ。

 カウンター席の椅子が一つ引かれ、そこに降ろされる。


「おうちに帰りたいです」

「却下です」

「……おじさんとおばさんは?」

「昨日遅かったみたいで、まだ寝てるよ。今日どうせ水曜だし」


 昨日一日で色々ありすぎて曜日感覚までどこかへ行っていた。本日水曜日は《Iberis》の定休日である。ちなみに《千日夕》も水曜定休だ。

 目の前の幼なじみがこうと決めたら頑固なことなどとっくのとうに知っている弥夕は、大人しく低めの背もたれに腰を預けた。顔を見るのはまだハードルが高いので、弥夕の顔は斜め下を向いたままではあるが。

 すると頬に翔琉の手が添えられて、強制的に正面を向かされた。

 弥夕の指をきゅっと握っていたあの柔らかい手はどこへやら。弥夕の頬など容易に包む大きな手は、骨張っていて男っぽい。……どうして今までこれを意識せずにいられたのだろう。抑え方も分からず熱くなった頬に、自分自身が戸惑ってしまう。

 せめて目だけは伏せて逸らしていると、不意に耳元を翔琉の指が撫でる。


「……色々とたまんない気持ちになるから、その顔やめて」

「っ」

「そこ座ってて」


 たまんない気持ちって━━それはあれか、そういうことなのか。

 余計に翔琉の顔が見れない。


 落ち着けあたし、と弥夕が深呼吸している間に翔琉はカウンターの中に入って、何やら作業し始めた。カチャ、カチャと丁寧に道具を取り扱っている音が聞こえる。

 進路を確定するにあたって実家を継ぐことに決めたらしい翔琉は、母であり店主である美空にこの頃みっちりしごかれているらしい。その光景自体は見たことがなかったが、この感じだときっと大丈夫だろう。

 弟分の成長に微笑を浮かべて少し落ち着いたのもしかし束の間のこと、翔琉はそっと弥夕に爆弾を渡した。


「弥夕姉は、いつから恋の本物偽物が分かる恋愛の達人になったの?」

「え?」

「弥夕姉の理屈で行くとするとさ。俺、弥夕姉より先に好きになって然るべき人達がいると思うんだよ。……向こうもそれなりに好意寄せてくれてたし、何よりそういうことしたわけだし。五歳上の姉貴分で彼氏いて俺のことなんか眼中に入れたことさえない女の人より、ずっと求めやすくて……好きかもって思うのも簡単だ」


 結局癒されも満たされもしなかったけど。


 苦みをはらんだ声に、弥夕はとっさに面を上げた。どうしてか、無性にそうしなくてはいけないような気がした。

 翔琉は苦痛を堪えるような表情で、けれど言葉と作業は止めない。


「自分でもつくづく最低だと思うけど、でもそんな経験しておいて、俺が今更自分の気持ち勘違いすると思う? そばにいてくれるだけで癒されて満たされて……めちゃくちゃ幸せなのに、同じくらい落ち着かない。これが恋じゃなかったら、むしろ一体何なの?」


 ふ、と向けられた黒水晶の瞳に心臓が跳ねる。弥夕のそれとは似て非なる透き通った黒に、微かな苛立ちと、今まで何度か見たことのある仄かな熱が溶けていた。


 真っ正面から見たのはこれが初めて。


 途端に罪悪感のようなものがこみ上げてきて、弥夕は唇を噛んでまた俯いた。……今翔琉が潰した理屈は弥夕の勝手なこじつけでしかないと、本当は自分自身ちゃんと分かっていたのだ。

 だって、と。内心で呟いた言葉は口からも出てしまっていたらしい。


「だって……何?」

「……だって、あたしがあいつの所に行っても、気にしてなかったもの」

「駄々こねて子供扱いされたくなかったからね。これでも頑張って強がってたよ」

「態度だって、昔から全然変わらない」

「眼中にも入れてもらえてないのに、急に態度変えたりしたら引くだろ、弥夕姉。……離れていかれるのだけは嫌だって、ヘタレてた。そこは、ごめん」

「五歳も、下で。無駄に顔整ってて。同い年の、かわいい彼女だっていたじゃない」

「うん。でもそれは、俺にとっても同じ条件だ。俺の場合、好きになってからもだったからキツかったけど」

「なんでっ……」


 何であんたは、こんなめんどくさいのなんかが好きになったのよ。

 気づけば視界がぼやけていた。水の膜が瞳を覆って、カウンターの木目を歪める。


 ああ、本当に嫌だ。

 意気地なしの自分が何より嫌だ。


 結局、ただひたすらに怖いのだ。ただでさえ同い年で同級生の元彼とも最悪な終わり方をしたのに、更に不安要素がたくさんある翔琉と特別な関係になって、手放し難くなるのが怖い。あんな風に離れて行かれる痛みなんて、もう二度と味わいたくない。

 だからあれこれと理由を付けて逃げて、翔琉の気持ちと向き合おうとしなかった。


 本当に、どうしてこんな臆病でわがままな女を真っ直ぐに好きでいてくれるんだろう。


「……弥夕姉」


 前で緩やかな水音がする。やがて香ばしい匂いが広がり始めた。


「好きだ。……年上とか関係なくて、俺のために全力で怒って泣いてくれて、気が強そうなくせにほんとは怖がりで意地っ張りでかわいくて、笑うととびきり綺麗な弥夕姉を、俺は好きになったんだ」


 初めて言葉にされた想いは、穏やかなのにひどく熱くて。熱に浮かされた雫が一滴、弥夕の睫毛から落ちていく。

 逃げ続けてはいけないことは分かっていた。……正面から向き合わなくてはならない時が、やってきたのだ。

 この真っ直ぐな気持ちをくれた男に、あたしも。


 だったらどれだけ情けなくたって、俯いてなんかいられないわよね。

 これでも姉貴分だったもの。


 両頬に涙を伝わせたまま、弥夕はゆっくりと顔を上げた。お泊まり後のすっぴんのままで良かった、もしアイメイクでもしていたら大惨事だっただろう。

 目が合った翔琉は、弥夕が言うのも何だが愛おしそうに微笑むと、カウンターにソーサーとコーヒーカップを置いた。白いカップに入っているのは━━


「……カフェラテ?」

「うん。いつも弥夕姉が俺に色々淹れてくれるから、たまには俺がと思って」


 ぽってりとした淡い茶色に白で描かれているのは、《Iberis》のラテアートでは定番のハートだ。これだけでも十分可愛いが……これをこのタイミングで、しかも高校生男子が淹れたとなると、妙な微笑ましさがある。

 思わず笑みがこぼれた。


「ありがと。いただきます」

「ん」


 カップに口をつければ、まろやかなミルクの中に奥深い苦みと酸味が包まれた複雑な味が舌に染み込んでいく。初めて飲むが、カフェオレとはまた違った味だ。

 そして砂糖が入っているのか適度に甘い。


「カフェラテもお砂糖入れるものなの?」

「普通は入れないと思うけど、弥夕姉苦いの飲めないだろ? だからちょっと入れてみた」

「ありがと。おいしい」


 たまにブラックコーヒーに挑戦してみては敗北するというのをかれこれ十年は続けている弥夕である。その度に翔琉に笑われるのがいつも地味に悔しいので、いつかは克服してみたい。せめて数年の後には。


 カウンターの向こうから弥夕の隣に来た翔琉に眺められながら、ちびちびと甘いカフェラテを飲む。

 静寂に満ちた店内に、やがて弥夕が飲みきったカップを置く音が小さく鳴った。


「……あのね、翔琉」


 翔琉を見上げて、弥夕は胸にわだかまる感情の結晶を少しずつ削る。


「翔琉のことが好きかどうかは、まだよく分からないの。元々大切で特別だったし、そういうのはしばらくいいかなって思ってたから。……それに……」

「年下は怖い?」

「……春穂ね」

「俺が頼んだことだから、春穂さんは無実だからね」

「共犯よ。さっきの待ち伏せも仕組んでたくせに」


 軽く睨むと、翔琉は一瞬だけそっと目を逸らした。後で春穂共々ほっぺつねりの刑に処そう。


「まあ、それはひとまず置いておくとして。……俺の世界は、確かに弥夕姉が言った通りこれから広がっていくと思う。出会いだってたくさんあるんだろうな、とも思う。でもそれで俺が弥夕姉から離れていくとは限らないよ」

「……絶対ない、とは言い切らないのね」

「そりゃね。だって俺、自分が事故に遭って記憶喪失になるとか多分一切想像もしてなかったし。人生って確証ないんだなってつくづく思ったから……これからだって『もしかして』が起こる時もあるかもしれない。感情なんて、それこそその時になってみないと分からないものだしね」


 ただ、と呟いて、翔琉は弥夕の頬に触れた。指先だけで触れているのに、熱い。


「俺だって、弥夕姉が俺から離れていくのは怖い。言ったろ? 離れて行かれるのだけは嫌でヘタレてたって。……同じだけ怯えてるんだよ、俺も」

「……お互い様、ってこと?」

「ん。たとえ弥夕姉が俺に気持ちを返してくれても、次の瞬間年上の男にコロッといく可能性だってないとは言えないだろ?」

「……無きにしもあらず、ね」


 自分のことだけ考えていたことに、急に恥じ入りたいような気持ちになる。申し訳ない表情になった弥夕を見て、翔琉はどこか嬉しそうに目を細めた。


「俺も弥夕姉も未来予知なんてできないけど、でもとにかく俺は今、弥夕姉が俺のことを同じように想ってくれたら嬉しいし、一緒にいられたら幸せだ。……あと色々できたらなお幸せ」

「ちゃんと言っちゃうのね、そこ」

「今回の件で、弥夕姉にははっきり伝えとかないといけないってのは学習したからね。もだもだしてたらいつかまた何かしらのパニック起こして逃げられる気がする」

「そう、ね。……うん、想像つくわ」


 そしてきっと涙目で駆け込む先は春穂だ。彼女はどうせまた微笑ましげな顔をして、共犯者となって翔琉の元に弥夕をお届けするのだろうが。……春穂に彼氏ができてその人とケンカでもした時には必ずや同じことをしてやろう、と弥夕は密かに仕返しを決意した。


 ふっと笑って、肩の力を抜く。


「ねえ翔琉」

「ん?」

「時間、もらっていい? 必ず答えを出すから、あたしの中の気持ちと向き合うための時間がほしいの」

「うん。ゆっくり考えて。……好きだよ、弥夕姉」

「……日本人の男はそういう言葉ぽんぽん言える性格じゃないってよく聞くんだけど」


 甘酸っぱい空気にいい加減恥ずかしくなってきた弥夕が呟くと、翔琉は照れくさそうに苦笑した。


「恥ずかしいよ。でも言いたい」


 その表情に。その声音に。今日一日で何度弥夕は頬を赤く染め上げただろう。目の前にいるのは真っ直ぐなくせに無自覚に弥夕を翻弄する、もう弟分の肩書きが外れた男。

 見ていると何故か段々と、無性に悔しくなってきたので。


「翔琉」

「うん?」

「とりあえず、諸々含めてほっぺつねりの刑ね」

「へ? っいひゃいいひゃい……」


 姉貴分の肩書きを手放す前に、最後に少しだけ、昔から変わらない無邪気な表情を見せて。

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