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お披露目≒眠気

い……一週間と少しぶりです。申し訳ございません:(T-T):

読んでくださっているみなさま、お待たせしました。

 ジューンブライドは元々ヨーロッパの言葉だ。イギリスでは六月に晴天が多いため、この月に式を挙げられる花嫁は幸せなのだという。

 逆に六月と言えば梅雨にぶち当たる日本だが、むしろそんな中で晴れだったら花嫁は一体どれほど幸運なんだろう、と春穂は雲一つない晴天を見上げて思った。


 今日は、ケーキ屋の義さんこと滝浦義晴の結婚式である。


「いい天気ですね」

「天気からしてめでたいねー」


 うららロードの教会の隣、披露宴会場付近の待合室で、礼装姿の春穂は同じく礼装の律希と向かい合ってほのぼの日光浴していた。先日梅雨入りしてからの絶え間無い雨で、もうそろそろ体がカビてきそうだったのだ。今のうちに温かい光を浴びておかねば。

 日焼けは嫌だけれど、人間根っこの部分でお日様は大好きなものである。


 うんと伸びをして、春穂はスマホで時間を確認した。

 時刻は八時半━━丁度、挙式の一時間半前である。


「律希さん、そろそろですよ」

「お、ほんとだ。じゃあ俺らもスタンバイしよっか」

「はい。……どんな反応してくれますかね、花嫁さん」


 顔を強ばらせた春穂の頭に、律希の手が乗る。いつもと違って軽く撫でるだけなのは、整えた髪を崩さないようにだろう。

 緊張すればするほど平然として見えるという謎特性を持つ春穂だが、近頃は少々変わった。初対面で号泣してしまったのとそれから毎日散々甘やかされているせいで、心の壁がでろんでろんに溶かされているのだろう。本人無自覚のうちに、律希の前では表情に緊張や不安が滲むようになった。

 律希は気遣うように小さく笑う。


「緊張する?」

「だってついにお披露目ですから。ちゃんと試作したし義さんには好評でしたけど、いざ花嫁さんってなると……やっぱりドキドキします。……台詞噛まずに言えるかな……」

「フォローはするからあんま気負わなくていいよ。それより祝いの席で眉間に皺寄ってる方が問題じゃない?」

「う。一回ぎゅってなるとなかなかほぐれないんですよね」

「俺が変顔でもしたらいい?」

「見てみたいですけど見たくないです」


 美形の変顔。美しいのに変な顔なのだ。そんなものを見たが最後、今度は笑いを堪えたヘンテコな顔で花嫁さんを出迎える羽目になるだろう。しかめっ面より嫌だ。

 変顔を見ずともいつもの手のぬくもりに肩の力が抜けた春穂は、一度強く目を瞑って開けた。筋肉が緩んで眉間がふっとほぐれる。

 よし来い! 背筋を伸ばしてしばし待つと、控え室の方から白い人影が見えた。

 流れるようなラインにはあまり装飾が無く、しかしそれが着る者のスタイルを優美に引き立ててくれるシンプルなウエディングドレス。戸惑うように辺りを見回して首を傾げるその人こそが、春穂達が待っていた人だ。

 春穂はそっと彼女に近寄り、顔を覗き込んで注意を引いた。


「━━おはようございます、新婦様。ベーカリー《Harbest》より、本日の披露宴に向けての最終確認をお願いしたいのですが、お時間よろしいでしょうか」

「え、あ、はい……」

「では、こちらに」


 微笑を浮かべて新婦を誘導すると、彼女は困惑した様子で春穂についてきた。


 さあ、サプライズの幕開けだ。


 誘導した先は披露宴会場の入り口。一般的な結婚式であればウェルカムボードが置かれて列席者を出迎えるそこには、しかしウェルカムボードの姿は見当たらない。

 代わりに台に乗っているのは、大きな純白の箱だけだ。傍らには律希が微笑を浮かべて控えている。

 春穂は新婦を立方体の前まで連れていき、一歩下がって律希に目配せした。律希も視線を返す。……スパイ映画みたいだな、とちょっと楽しくなってきた。


「では新婦様、こちらをご確認ください」


 春穂の声に合わせて、律希が箱を持ち上げる。


「━━え?」


 ふわり、溢れ出す芳香。

 中に入っていた物を見て、新婦の目が見開かれた。


 それは、甘く香ばしい箱庭。


 赤い絨毯は開け放たれた門から色とりどりのバラの花の間を一直線に奥へと続き、レース調に緻密な装飾の施された建造物で行き止まる。直方体の組み合わせの辺に二対の尖塔を備えた形のその建造物からは半円状のバルコニーがせり出て、指から赤い糸が伸びる男女が寄り添っている。二人の赤い糸は伸びて伸びてバルコニーの前に下がるボードにしゅるしゅると絡みついて、やがて中央で結ばれた。

 飴色に艶めくボードに書いてある言葉は、『Shiho&Yoshiharu The sweet oath of love and happiness』━━愛と幸福の甘い誓いを。


 城から花に至るまでの愛らしい全てが《Harbest》のパンで作られた、これこそが春穂と律希の傑作であり、新郎から新婦へのサプライズプレゼントだ。


「お気に召していただけましたか? ……照れるとはっきり顔が赤くなるとある方からの、贈り物です」


 春穂の問いに、新婦はこくりと頷く。堪えきれなくなったように俯いてしまう瞬間、目が潤んでいるのが見えた。


「……店員さん」

「はい」

「これを贈ってくれた人は、あたしが思い切り抱きついて、大好きだよって、幸せになろうって言っていい人ですか?」

「はい。存分にどうぞ」

「……かわいいお城を、ありがとうございます……。もう、ほんとに、あの人は……」


 式の前なのに。微かな呟きの意味は、手で覆った目元が雄弁に語っていた。恨めしそうな口調もいっそ微笑ましい。

 春の陽気のようなぬくもりが、じんわりと春穂の胸中に広がった。

 大丈夫、直す時間はまだ十分にあるはずだ。……もちろん新郎に愛を伝える時間も。


 『花嫁はパンでウェルカム大作戦(春穂命名)』は、こうして見事成功で幕を閉じた。





 会釈して控え室へと去っていった新婦を見送って、春穂はほっと胸を撫で下ろした。二人掛けのソファに律希と並んで座り、両手を勢いよく振り上げる。


「終わっ、たー……! やりましたよ、律希さん」

「うん、ちゃんと喜んでくれてたね。良かった良かった」

「頑張った甲斐がありましたね」

「ね」


 本日午前二時半より、苦節五時間。試作から更に改良を重ねてようやく完成したのが、先程新婦にお披露目したパンの城だ。 

グリッシーニを応用した門とバルコニーに、ミルクロール生地を使ったバラの花と絨毯とボード。花も絨毯も食用色素を混ぜたアイシングでコーティングしているので、素材が全てパンでもかわいらしい色彩が出せた。形は律希の力量の賜物だ。

 また、城本体とボードは食パンの生地を使っている。文字も細やかなレース調の装飾も、繰り返すが律希の力量の賜物である。デザインしている途中で「ちょっとこれは無茶ぶりかな……」と思いつつも提案してみた部分もさくっとクリアしてくれたこのお方は、本当に何者なんだろう。本日の行程を手伝いながら、春穂はしみじみ思ったものだ。

 だが、装飾より余程大変だったのが尖塔の部分である。実はここ、試作で一番難航した所だったのだ。


「クグロフを使おうってなったのは春穂ちゃんのファインプレーだったね」

「勉強したかいがありました」


 律希に頭を撫でられて、春穂はえへへと笑う。


 元々、尖塔の部分はコロネでいこうかという案だったのだが、試作してみるとあのくるくるした外見がどうにも城のイメージに合わなかったのだ。大人ファンシーを目指した世界に尖塔の所だけ子供っぽさが突っ込まれたようで、妙に浮いて見えた。

 じゃあ代わりはどうしよう、となって悩みに悩んだ。城の食パン生地でどうにか形にしてみたり(芸がないという理由で却下)、コロネにクリームを塗って表面を滑らかにしてみたり(六月に飾ると多分傷むという理由で却下)と色々考えて━━春穂がふっと閃いたのが、クグロフだった。


 クグロフというのはフランスのアルザス地方やオーストリアの伝統菓子パンで、正式名称は『ゲルタールクーゲルフップ』という。名の一部の『クーゲル』には『やや丸い小高い丘』という意味があり、その通り円形の高さのあるパンだ。中心に穴が貫通しており、側面には斜めにうねった模様が付いている。これはクグロフ型と呼ばれる専用の型で焼き上げるからだ。

 オーストリアではクリスマスの定番のクグロフだが、祭や結婚式の時にも出されるものだという。先月から日課にしているパンについてのお勉強でそのことを覚えていた春穂は、これを応用できないかと律希に進言したのだ。めでたい上に見た目も華やか、尖塔にするには先の尖り具合が問題だったが、そこは律希が細工してくれた。

 クグロフが出てくる前に話し合っていた案の一つに、コロネの型に模様を描くように薄く細くパン生地を貼り付けて焼くというのがあったのだが、強度面の問題で却下になっていた。律希はそれを小さなクグロフの土台に乗せて、尖塔を作ったのだ。土台があるので強度もクリア、粉糖を振りかけたクグロフはどこか幻想的で見た目もいい。

 紆余曲折を経てようやっと城が完成したときには、二人で軽く祝杯を挙げたものだ。その夜はよく眠れた。


 なんてぼうっと回想していると、不意に頭の芯からとろりとしたものが滲むような感覚が訪れた。

 猛烈な、眠気だ。

 サプライズ成功で安堵した二時起きの頭が、現在の日向ぼっこ状態も相まって急速に休もうとしている。緊張で寝付きが良くなかったのもあって、瞼が重力に抗えない。

 ついあくびをした春穂の頭を、律希がそっと撫でた。

 ……ああ、今はやめてほしい。

 あったかくて、ねむたい。

 全力疾走でやって来た睡魔に華麗に捕獲された春穂の耳元で、律希の低く掠れた囁き声が聞こえる。


「式までまだ時間あるから、ちょっと寝てな。時間になったら起こすから」

「……律希さんは、ねむくないんですか?」

「慣れてるよ。大学の課題でたまに完徹するときもあるし」

「……たいへん、ですね……」


 律希は睡魔に似ていると、微睡みに落ちゆく春穂は思った。

 いつだって春穂を甘やかして誘惑して、抗えずに堕ちれば満足そうに笑むのだ。睡魔の姿なんて知らないけれど、きっと。

 睡眠とは、人間の本能に刻まれていることだ。こんなことを思うというということはつまり、律希は春穂に備わっている人間の本能と同じレベルで深く、強く春穂を甘やかしているということで。


 ……どうして、律希さん、は……、


「……おやすみ、春穂ちゃん」


 ……ふしぎなくらい、あたしを甘やかすんだろう。

 ささやかな、けれど一瞬確かに抱いた疑問は、律希の声と微睡みの中に静かに霧散していった。

定期更新復活を目指す樹坂です。

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