女子会≒お喋り
読んで下さっているみなさま、お待たせいたしましたm(__)m
「お風呂、ありがとうございましたー」
湯上がりほこほこ状態の春穂は、火照った顔を手団扇で冷ましながらドアノブに手をかけ、部屋をひょいと覗きこむ。
茶屋《千日夕》の二階、居住スペース。その一角である弥夕の部屋だ。
淡いオレンジを基調とした女性らしい室内では、丁度弥夕がスキンケアをしているところだった。春穂は後ろ手にドアを閉め、ローテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす。
「春穂ちゃんも化粧水とか使って? お隣で扱ってるお肌に優しいやつだから、もし肌弱くても大丈夫だと思う」
「ありがとうございます」
差し出された化粧水を開けて手のひらに出し、春穂はうららロードの繋がりの強さをつくづく実感した。
春穂が今着ている服だって、下着だってうららロードのものだ。歓迎会後、弥夕と共にランジェリーショップのキヨさんの元へと伺えば、「可愛いのが一式あるから持っていきなさい」と渡された。よって、上下セットの可愛い下着にインナー、ふわふわのパーカーとショートパンツという女子力の権化のごとき組み合わせが現在の春穂の格好である。
まあそれは置いておいて、とにかくうららロードはみんながみんな仲が良い。店と店の繋がりという組織的なものではなく、単純に人と人とがひとつの大きな家族のように存在しているのだ。律希も言っていた、創業当時から支え合ってきたがゆえの絆は、きっと新参者の春穂が思っているよりもっとずっと強くて深いものなのだろう。
化粧水で水分補給を施した肌に乳液を塗り、クリームで蓋をする。普段から薄化粧派なので、基礎となる肌の調子はしっかり整えておかねばならない。
丁寧に肌を労り終えて、ふと気づくと先にスキンケアを終えた弥夕がまじまじと春穂を眺めていた。
正確には、春穂の胸を。
「……どうかしましたか?」
「いや……春穂ちゃんって、もしかして着痩せするタイプ?」
「んーと、多分そうです。でも今はけっこう体型に沿ったの着てるので、そんなに変わってないと思いますよ」
「……うん、ふっかふかのマシュマロね……それで一切盛ってないんでしょ?」
「盛る、というか……ブラは着けてないです。寝るとき締め付けられるの嫌なので」
確かに春穂は、出るところはばっちり出て締まるところはきゅっと締まるという女性としてかなり理想的な体型をしている。育った胸は何の賜物かは知らないが、腰のくびれは高校時代チアで散々鍛えた副産物だ。お腹が丸見えのタイプの衣装だったので、みんなして死に物狂いで絞ったものである。その時の習慣がなんとなく抜けなくて、春穂は未だに寝る前の柔軟は欠かさず、たまに脚と上半身を床につけずにキープして腹筋をぷるぷるさせている。
しばし春穂の胸を眺めていた弥夕は、側にあったクッションを抱えると顔を埋めた。
「あたしもそのくらい欲しいなぁ」
「え、弥夕さん既にしっかりあるじゃないですか」
「あることはあるんだけど……ってか、あんまり大きくても着物似合わなくなっちゃうからアレなんだけど……うん、まあいっか」
クッションから顔を上げた弥夕は、「そういえば」と話題を切り替えた。
「春穂ちゃんって今年短大出たばかりなんでしょ? 《Harbest》、っていうかうららロード全体で求人なんて全くしてなかったと思うんだけど、どうして《Harbest》に入ったの?」
ぎくり。
純粋な疑問と興味からの質問だろうが、意図せずしていきなり自分の真っ黒歴史をつつかれた春穂は珍妙な表情のまま固まった。
どうしよう、あれをどうぼかしたらいい!?
突然のことに動揺して、誤魔化しきれずに目が泳いだ春穂に弥夕はきょとんとした顔になる。美人は気の抜けた顔でも美人なんだなぁ━━なんて思ってる場合ではなくて。
会社潰れてヤケ酒浴びてその辺で爆睡、翌朝そこで店を出そうとした律希に発見されいろんな意味で保護された。如何にしてオブラートにくるめばこの漆黒をグレー辺りにまで緩和できるだろうか。正直、使える部分が一個もないのだが。
いっそいい感じの嘘を混ぜるべきか、と考えたところで、不意に弥夕が春穂の前に焙じ茶の入ったマグカップを置いた。春穂が全力で考え込んでいる間に淹れてくれたらしい。
ベッドにもたれかかって同じく焙じ茶を啜る弥夕は、「ごめんね」と苦笑した。
「言いたくなかったら別に言わなくていいんだよ? 生きてりゃ色々あるもんだし、単純にちょっと気になっただけだから。……でも実は、てっきり律希くんのお嫁さんとして、二人で《Harbest》継ぐことになったのかなーとか思ってた」
温かい焙じ茶をありがたく頂いている最中だった春穂は、ぶっちゃけられた内容に思わず噎せた。んぐっ、と喉で入る道を間違えた水分がこみ上げてきて咳きこむ。
半ば呼吸困難になりつつも、春穂は立てた手をぶんぶん振った。
「お、お嫁さん、て……。付き合ってもいませんし、そもそも知り合ってからまだ二週間ですよ」
「え、そうなの? ずっと前から仲良しみたいな距離感じゃない。律希くん、しょっちゅう春穂ちゃんの頭撫でてるし」
「距離感が近いのは認めますししょっちゅう頭撫でられてますけど、あくまで職場の先輩後輩ですから。色恋沙汰には最近とんと関わってないです」
「へえ、ってことは春穂ちゃん今彼氏いないんだ」
「短大入って少ししたくらいで元彼と別れて、それっきりですね。そういう弥夕さんはどうなんですか?」
今日見た限りでも悟れる、翔琉は確実に弥夕に想いを寄せている。きっと相当に深く。
だって弥夕を見て、弥夕と話すときだけ瞳の雰囲気ががらりと変わるのだ。年相応の澄んだ爽やかな瞳から、ほんのりと熱情の滲む男のそれへと。女の洞察力検定三級レベルの春穂でも分かるのだから、余程のド鈍感でない限りは気づけるだろう。もしかしたらもう既に、想いが通じ合っているのかもしれない。
朝初めて会ったときから疼いていた好奇心を宥めて答えを待つと、弥夕は分かりやすく眉根を寄せた。声の重みに任せるように、可憐な唇からぽとりと言葉が転がり落ちる。
「あたしはねー……今のところちょっと恋愛はいいかな」
うん、残念。長期戦覚悟で頑張れ。
お隣に居るであろう青春真っ直中の少年に、春穂は無言のエールを送る。弥夕が翔琉の感情に気づいているにしてもいないにしても、恋愛という舞台に立つ気がなければ意味がない。翔琉はまず、弥夕をステージへと引っ張り上げなければ。
しかし。恋愛を不要と言った美結の声は、深夜の恋愛談義の開幕にしてはあまりに沈んでいる。どろりと粘液質な『何か』が錘のごとく絡みついて、上へ行くのを邪魔しているような、そんな印象だ。
生きてりゃ色々あるもんだし、と弥夕は言っていた。……弥夕にもあったのだろうか。春穂と方向性は違うものの、同じくらい心にくっきりと刻まれた『何か』が。
刻み込まれた傷は、つつかれれば当然開く━━あからさまに動揺した先程の春穂が良い例だ。ひとまず無難に穏便に「そうですか」と言おうとする、直前に弥夕がまたクッションに顔を埋めた。光の滑る黒髪が、細い肩から流れる。
「……春穂ちゃん、あのね。あたし、なまじ顔整ってるせいで、学生時代うまく友達作れなかったの。だから……女の子に、っていうか翔琉以外に話したことなくて。愚痴っぽくなると思うんだけど、ちょっと聞いてみてくれない?」
「……はい」
焙じ茶のマグカップで手を温めて、弥夕はゆっくりと切り出した。
「あたしね、さっきも言ったんだけどこの見た目だから、学生の時は一部女子に蛇蠍かってくらい嫌われてたのよ。で、そういう方々ってあたしが知ってる限りは……何て言うか、肉食系でも血の気の多い類なのよね。校内でやたら発言力ある感じの。そんなのに嫌われてる人だから、穏健な人は適度に遠巻きにしてて。かと言って男子と気楽につるめる性格でもない上にいつの間にか高嶺の花みたいな認識で通っちゃってて、基本一人だったのね」
頷きながら、春穂は渋い顔になった。
弥夕の言う血の気の多い類の肉食さんは、春穂の通っていた女子校にも居た。むしろ女子校という同性だらけの場所なので、狩りの際に被るであろう猫が丸剥げ状態になっていて怖かった覚えがある。
そういうグループは得てして何故か女子の一大巨頭となっていて、そこに嫌われるというのはきつい。知らないうちに現れてくる女子界の力関係は面倒で、時に残酷にもなるのだ。
「でもね。高校生になって、初めて彼氏ができたの。生まれて初めて告白されて、付き合って、あたしも段々好きになっていって、そのままずっと付き合ってて。短大にも一緒に行ったのよ。もう一人じゃないんだって思うとすごい嬉しかった。ぼんやりだけど、もしかするとあたしこの人と結婚するのかもしれないなぁとか思ってた。……けど」
逆接を使ったことで、弥夕の『何か』が徐々に浮き彫りになっていく。
「彼ねぇ、浮気してたの」
女の洞察力検定三級
・他人の恋の矢印は薄々感づける。自分の恋はそこそこ鈍感
二級
・明確な他人の恋の矢印は普通に悟れる。自分に向けられる好意にかなり聡い
一級
・自他問わず全ての恋の矢印を見通し、網羅する
……みたいな感じです。