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懇親≒フリーダム

 酒が入り、場の空気が大分馴染んできた頃合いで、蘭子が再度立ち上がった。

「さてみんな、そろそろ順番に自己紹介始めましょう! 弥夕ちゃんと翔琉くんはもう知り合いみたいだから、義くん辺りからぐるーっと回っていってねー」

「へーい」


 立ち上がったのは春穂よりいくらか年上と見える男性で、ローストビーフにポン酢をつけて口に突っ込んでいた春穂はもぐもぐしながらも慌てて居住まいを正した。

 今日で全員の顔と名前を覚えられるかは分からないが、せめて可能な限り多くインプットしよう。食べ物に集中するのはその後だ。


「ケーキ屋やってます、滝浦義晴(たきうら よしはる)です。……えっと、今年の六月に結婚予定ですので是非ご祝儀よろしく」

「おい新しく入った子にいきなりせびんなよお前!」

「ちくしょう、美人の嫁さん貰いやがって……! 羨ましいぞこの野郎! と、いうわけで絶賛彼女募集中の食器売り、藤田(ふじた)です!」

「お前は地味にアピールしてんじゃねぇ!」


 てんやわんやの中で若干一名頑張っておられるツッコミ役の方をご苦労様ですという気持ちを込めて眺め、春穂はちびりとビールを含んだ。ローストビーフにはワインもいいがビールも悪くない。黒だったらなお合うだろうか。

 律希がさっきから驚くほどのハイペースで黒ビールを呑んでいるので、また後で取ってもらおう。


 アルコールのせいかとても賑やかに怒濤の自己紹介ラッシュは続き、終わる頃には宴もたけなわという状況になっていた。残念ながら、春穂がきっちり名前を覚えられたのは半分程度だ。仕方がないのでこれからおいおい覚えていくことにする。

 ゆっくりとしたペースで呑んでいた春穂は、ここらでやっと頬にほんのり桜が散る。

 久々に呑んだがやっぱり黒ビールも美味しい。すっかりご機嫌の春穂は、隣で舐めるように度数の低いレモン味のチューハイを呑む弥夕と他愛ない会話を交わす。


「春穂ちゃん来月で二十一なんだー。今あたしより二個下だね」

「ってことは弥夕さんは二十二歳ですか」

「そうそう、四月生まれだから学年は一個上になるの。あたしはそこの短大の出なんだけど、春穂ちゃんは?」

「あたしもです。……あ、そう言えば、入学したときにものすごい美人な先輩がいるって噂聞いたんですけど、もしかして弥夕さんですか?」

「さあどうでしょう」


 含みのある笑みを浮かべた弥夕に、春穂も笑む。知り合ってまだ短いが、ノリが合うので気楽に喋れて楽しい。弥夕も朗らかに笑いだした。


 胃を満たしつつ話していると、不意に背後に気配を感じた。

 振り向けば本日の料理番、《Iberis》店主の美空が皿を手に立っていた。


「はい、春穂ちゃん! うちの名物パングラタンよー! 食べてみてもらおうと思って、一人前だけ残しといたの」

「わあっ、ありがとうございます!」


 今日の朝、春穂の頭の『次はこれ食べよう帳』に記された料理が目の前にドンと置かれた。

 器となってくり貫かれているのは、もちろん《Harbest》謹製の角食パン。今し方焼き上がったばかりなのか、こんがり焦げ目がついたチーズがぐつぐつと煮えたっている。パンとチーズの香ばしコラボが立てる芳香は、それなりに満たされていたはずの春穂のお腹にいともたやすく別腹を空ける。

 添えられているフォークを手に取り、春穂は改めて「いただきます」と言ってチーズの壁を突き破った。

 出てきたのはしめじと、鶏肉にほうれん草。ホワイトソースが絡んだそれらをまとめて突き刺し、チーズも上手に掬って持ち上げると、ふわっと湯気が滲む。

 このまま食べては火傷しそうだ。息を吹きかけて冷ましてから、一思いに口に運ぶ。

 まだソースが熱かったことにはふはふとなる口元を押さえて、いい温度になったところを噛みしめて味わう。


「……! 美味しい、チーズとろとろだー」


 これはもう間違いのない取り合わせだ。まったりしたホワイトソースにチーズの塩気が溶け合って、各々にしっかりした味のある具を見事に調和させている。普通のグラタンとしてもほっぺたが落ちそうな旨さだ。

 だがしかし。これは『パン』グラタンだ。パンがあって初めて完成する一品なのだ。

 今度はフォークで器のパンを切って、具材と共に刺してソースとチーズに絡ませる。同じ轍は踏むまいと丁寧に冷まして、ぱくり。


「ふわ、パンがザクザクでおもしろーい!」


 ミルク系のとろとろした中に、突如として姿を現すザクッと荒々しい食感が新鮮だ。外側の焼かれた部分が時折スープに入っているクルトンのような役割を果たしていて、ふとした瞬間に香ばしさが弾ける。

 逆にパンの内側の部分はソースが染み込んでおり、外側とは真逆のもちっとした歯触りで飽きがこない。

 そして流石は我らが《Harbest》の食パン、グラタンの濃い存在感に引けをとっていない。小麦の風味がちゃんとある。噛みしめていくとほんのりと甘くなっていく、春穂にとっては既に慣れ親しんだ味。

 これはもう、完全にほっぺたがとろけ落ちた。本当にそうなったらご飯が食べられなくなるから困るけれど。

 適度にしょっぱくなった口に、黒ビールを流し込む。うん、やっぱり合う。

 弥夕や律希にグラタンをお裾分けしつつちびちびお酒も入れると、いい具合にほろ酔い加減になってきた。ここからは更にペースを緩めて呑む。

 横目に窺うと、律希は相変わらずのハイペースを保っていた。確認できただけでもビール、黒ビール、ハイボール、休憩のようにチューハイを挟んで現在は白ワイン、とガンガン呑んでいるのに顔色一つ変えていない。彼にとってお酒と水は同義なんだろうか。


「……律希さん、ほんとにお酒強いんですね……」

「うん、なんか酔えないんだよね。旨いから呑むことは呑むんだけど、酔おうと思ったらどんだけ呑んだらいいのか未だに知らない」

「自分でさえ底を知らないって……」


 底なし沼と律希を評した翔琉は正解のようだ。ザルの編目程度の引っかかりもない。


 そんな律希とは対照的に、日本人の一般的な許容量の皆様はそろそろ本格的に酔っぱらいと化してきている。ケーキ屋は食器屋と管を巻き合い、下着屋は雑貨屋とじゃれ始めと状況は混沌の様子を呈してきた。料理もあらかた食べ尽くされている。

 もう終盤かな、と春穂が思った丁度その時、蘭子がパンッ! と大音量で手を鳴らした。


「みんなー! ちょいとカオスになってきたから、この辺でお開きとしましょう! 最後に毎回恒例、ストレス発散大会をして締めとしたいと思います! 靖くんピニャータ用意してるねー?」

「もちろんでーす」

「……ストレス発散大会? ピニャータ?」


 首を傾げた春穂に、ワインをさくっと一本空けた律希が頷く。


「毎回やるんだよ、これ。ピニャータって知ってる?」

「知らないです」

「お菓子詰め込んだくす玉みたいなもんで、上から吊って割るの。ひたすら棒で叩いてね」

「なるほど、だからストレス発散。あ、ほんとだ何か吊ってる。……かわいい」


 学生時代、文化祭などで装飾に作った紙の花によく似たボリュームのある黄緑の花で形が作られ、真ん中に赤いリボンがかかっている球。天井にある飾りの梁から吊されたそれの下で、笑顔で棒を持っている蘭子が妙に怖く見えるのは気のせいだと思いたい。

 周囲の人々がそっとグラスと食器を離した瞬間、スパーン!! と小気味良い音が響き渡った。

 宙にぶら下がっているという不安定な状態のピニャータに、蘭子の袈裟斬り━━ならぬ袈裟叩きが見事クリティカルヒットを決めたのだ。

 ……彼女は剣術でも習得しているのだろうか。

 唖然としたまま硬直する春穂の視線の先で、衝撃を加えられたピニャータからお菓子がこぼれ落ちる。蘭子が棒を渡した人が続けて叩き、また次の人が叩き、愛らしいピニャータは徐々に崩壊していく。

 お世辞にも可愛いとは言えなくなってきたピニャータを微妙な表情で眺めていると、つい今し方ピニャータに凛々しく面を打ち込んだ人━━ランジェリーショップ店主のほんわかお婆さまキヨさんが、春穂ににこやかに近づいてきた。さっきの自己紹介で、極上スマイルを浮かべながら「勝負の時はいらっしゃいな」と(のたま)っていたのでかなり印象に残っている。

 そっと彼女から手渡されたのは、言わずもがな、棒である。


「あと一撃くらいで終わるから、今日の主役が締めてちょうだいな。思いっ切り、勢いよくね」

「あ、は、はい」


 急いで立ち上がって、無惨なピニャータの斜め下に行く。落ちたお菓子を踏まないように足を肩幅に開き、重心がぶれないようにした上で━━そう言えば、あたし今のところストレスなんて特にないなぁと気づく。

 でも折角なので何か念じるとして。

 考えるために一瞬瞑目して、春穂は棒を振りかぶった。

 あの時感じた憤りや恐怖を思い出してむかっ腹を立たせ、ひたひたと沸く感情をぶつけるように、全力で。


 ━━世の中いろいろ理不尽でしたっ!!


 華麗に決まった春穂の一打はピニャータの吊し糸から本体をちぎり、お菓子の雨を降らせる。

 背後で起こった拍手を、春穂はすっきりした気分で聞いていた。世の理不尽の洗礼を受けたあの時に春穂の中にへばりついた負の感情が、ピニャータと共に弾けたみたいだ。思わず笑みがこぼれる。


「キレーな軌道だったね」


 席に戻って開口一番かけられたそのからかうような口調に、春穂は少し唇を尖らせてみる。それからどうだと言う風に破顔した。

 今日はよく眠れそうだ。


「後はお菓子貰ってお開きだね。春穂ちゃん、家まで歩きでしょ? もう暗いし送るよ」

「え、大丈夫ですよ? 明るいところ通りますし、何なら家の目の前交番なのでいざとなったら駆け込めますから」

「だーめ。今何時だと思ってるの。明るかろうが夜道は夜道なんだから、妙齢の女の人が一人で歩くもんじゃないよ」


 こつん、と優しい顔をして額を小突かれる。

 むぅとまた唇を尖らせた春穂に、律希はいたずらっぽく苦笑する。


「あ、それか何、別方面の心配してるの?」

「してません。でもほんとに大丈夫ですよ、変質者が現れたら足振り上げて蹴っとばしてやりますから。これでも高校時代はチア部だったので、経験活かしてみせます」

「そう、じゃあ今まで人蹴ったことは?」

「ないです、けど……」

「うん、大人しく送られようね。いくら得意技でもとっさに判断して実行に移せるもんじゃないんだよ、そういうのは」

「でも」


 この展開今日二回目だな、と思いながら反論を捻り出す。律希はちょっと春穂を甘やかしすぎじゃないかと思うのだが。

 よし、ここは引くまい。春穂が切り返そうとしたその時。


「だったら春穂ちゃん、うちに泊まってけば?」


 小首を傾げた弥夕が、二人の水掛け論に提案という名のストッパーを突っ込んだ。


「……え? ……え、いや、そんなご迷惑をおかけするには!」

「律希くんだって言ってたでしょ? 迷惑ならそもそも提案なんてしないわよ。うららロードに同世代の女の子って居なかったから、もっと春穂ちゃんと喋りたいなーって思って。……駄目?」


 狡い訊き方をされた春穂はうっと言葉に詰まった。美女の下げ眉不安げ上目遣い、まともにくらった春穂は呆気なくノックアウトされた。


「……でもあたし、着替えとか持ってないですし」

「キヨさんにおねだりすれば大丈夫よ。あたし昔からそうしてるし。……貸すとなると、多分あたしと大幅にサイズ違うし……」

「お邪魔、してもいいんですか?」

「もちろん」

「……えっと……よろしくお願いします」


 弥夕は満面の笑みで頷いた。


「うん! 律希くんもこれならオッケーね?」

「ん。女子会ってことで楽しんできなよ、春穂ちゃん」

「はい」

「友達できてよかったね、弥夕姉。念願だっ……」

「余計なこと言わんでよろしい」


 律希にいつも通りわしゃわしゃやられながら、春穂は翔琉の頬を不機嫌そうにつまむ弥夕を見てきょとんと目を瞬く。

 なんだかずっと前からここにいた、そんな気がして。春穂は口元をほころばせた。


 今夜は長くなりそうだ。

次回、女子会編!

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