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誘惑≒至福

 店内では平常営業の時はバラバラに設置されているであろうテーブルが全てくっつけられており、春穂の席は最奥にあった。右隣に律希を筆頭とした《Harbest》メンバーが座り、逆隣には弥夕、翔琉という配置だ。

 全員が席に着く間に春穂が徐々に思考能力を正常まで復活させていると、飲み物を漁って帰ってきた律希が肩を叩いた。


「春穂ちゃん、飲み物何がいい?」

「あ、ノンアルコールのなら何でも大丈夫です」


 なんてったって自主禁酒中の身である。


 横でチューハイやビールを物色していた弥夕が、きょとんと目を瞬く。


「春穂ちゃんって多分二十歳は超えてるよね。お酒ダメなの?」

「いえ、そういうわけではなくて。むしろ強い方ではあるんですけど……まあ、いろいろあって目下禁酒中なんですよね」

「今日くらいは大丈夫じゃない? 一人酒じゃないんだから。大体の許容量だけ申告しといてよ、やばそうだなと思ったら止めるし」


 律希が放った鶴の一声に、春穂の自制心がたやすく揺らいだ。元々お酒は好きな上にそこそこいけるクチなのだ、宴会で素面のままではいまいちテンションが上がらない。

 だが。ヤケ酒に盛大に酔ってその辺で潰……(以下略)というあの人生最大最悪の醜態を晒し、かつ多大な迷惑をかけてしまった相手が目の前にいる今、「大丈夫じゃない?」と言われたからといって「わーい、じゃあ呑みます!」となるのは流石に駄目じゃなかろうか。

 更に律希は春穂が潰れてしまわないよう監視するとまで言ってくれたが、それに頼ると些かどころでなく彼に甘えすぎになる。大恩人である律希に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 意志を盤石なものにして、春穂は困ったように笑って律希に向き直る。


「いえ、これ以上律希さんにご迷惑をかけるわけにはいかないです」


 ━━が、しかし。

 大恩人もとい誘惑の悪魔は、むっとしたような呆れたような、どこか拗ねたような表情で言った。


「迷惑だと思ってたらそもそもこんな提案しないよ」

「うっ」

「むしろ俺がいるときくらい呑んだらいい。俺、ザルでいくら呑んでも酔えないからフォローできるし。それに、俺にならもう既に恥かききっちゃってるでしょ?」

「そ、れも……確かにそうですけど、」

「じゃあいいんじゃない? それとも呑みたくない?」


 反論をざくざく潰され、春穂は返事に窮した。もはや何を言ってもこの人に勝てる気がしない。


 探るように春穂を見る茶色の瞳に、とうとう我慢できなくなって「うう~……!」と唸る。恨みがましく律希を睨んだ。


「もう! 呑みたいですよ呑みますよ! お酒全般好きですから律希さんのおすすめのやつください!」

「ん。いつもどのくらいで酔っぱらう?」

「ご飯食べながらなら、ワイン一本分呑んだらいい感じに酔ってきます。その上で更に二~三杯呑んで、ぽーっとなる感じです。顔が眠そうになってきたら止めてください」

「了解。けっこういけるんだね」

「空きっ腹に入れさえしなければ大丈夫なんですよ。……あの時も多分お腹空いてるときにきついの呑んだんだと思います」


 よしよしという風に律希に頭を撫でられながら、春穂は二週間前を回想する。

 春穂がヤケ酒を浴びたあの居酒屋は、豊富なフルーツベースのお酒が美味しい店だった。今更ながら考えてみると、そういうお酒は甘くすっきり呑みやすいが強いことが多い。

 お酒が呑みたい一心で店に入ったのは覚えているので、何はともあれとりあえず酒! と夕方ご飯時で空っぽの胃袋にアルコールを突っ込んだのだろう。……人間、精神的にしんどいと判断力も落ちるものだよねーとちょっと自己弁護してみる。そうでもしないと「あああああ」と頭を抱えて悶えたくなるからだ。

 されど、その結果が今なんだよね、と考えればあの忌まわしき出来事も案外悪いばかりではないのかもしれない。就職先が見つかったのだし。おいしいパンも食べられるし。


 とにかく今日は胃に物を入れてから呑もうと決意した春穂の前に、ことんと金色の缶が置かれた。さっき弥夕が物色していた中にあったビールだ。


「飯時ならとりあえずこれかな。比較的あっさりしてるし、度数低いからまずは慣らしってことでどう?」

「じゃあこれいただきます」

「あ、春穂ちゃん。律希くんが隣だけど、この人鬼のようなハイペースで呑むからつられないように気をつけてね。ザルの目の粗さが尋常じゃないからね」

「いや、律希さんはザルどころじゃなく底なし沼だろ。っていうか弥夕姉こそ気をつけなよ、酒あんま強くないんだから」

「わかってる。今日は控えめにしとくもん、翔琉ならまだしも春穂ちゃんに絡むわけにはいかないし」

「俺はいいのかよ」


 隣のやりとりを仲いいなぁと眺めつつ、春穂は手酌でビールを注ぐ。しゅわしゅわと膨らむ泡に心も弾む。


 周辺を見渡した仕切り役の蘭子が、立ち上がってぱちんと手を叩いた。


「みんな飲み物行き渡ったねー? さて、今日は歓迎会ということで、主役の春穂ちゃんに自己紹介を兼ねて乾杯の音頭をとってもらいたいと思いまーす!」

「はいっ?」


 大役をいきなり振られて、春穂は素っ頓狂な声を上げた。名前を呼ばれて反射的に立ち上がってはみたものの、ここから一体どうすれば。

 先輩である律希もこれを経験したはずだから、ととっさに横を見ると、彼は綺麗な笑顔を浮かべて目だけで「頑張れ」と伝えてきた。……やるっきゃないのだと理解する。

 小さな気泡が立ち上るグラスを手に取り、脳内で台詞をこねくり回す。が、うまい言葉が出てこない。

 ええい、ままよ。


「佐々木春穂と言います。……今日は、あたしのためにこんな素敵な会を開いて下さって、本当にありがとうございます。あたしは……色々あってここに来て、知らないこともまだまだたくさんあるけど、まずここから、みなさんと知り合って仲良くなっていきたいです! これからよろしくお願いします! ━━乾杯!!」


「「「かんぱーい!!」」」


 わっ、と場の空気が弾けて砕ける。

 開始早々へろへろになった春穂は安堵して椅子に座り込んだ。

 緊張で喉が渇いているが、何も食べていない状態で呑むわけにはいかない。唇を潤すだけに止め、グラスを置く。


「はいはーい! 料理よ、お待たせー!」


 大皿を持って現れたのは、眼鏡をかけた長身のおばさま━━《Harbest》にいつも山形食パンを買いに来る、《Iberis》の人だ。

 彼女は二枚の皿を春穂の前に置くと、「ここの店主の三上美空(みかみ みそら)です、よろしくね!」と言い残してカウンターの向こうへと消えていった。あの人がおそらく翔琉の母だろう。

 皿にはローストビーフと熱々の唐揚げが盛られていて、食欲をそそる匂いに春穂のお腹が鳴りそうになる。翔琉の母は次々に皿を持ってきて、あっと言う間にテーブルはごちそうで埋め尽くされた。

 律希が取り皿を配ってくれて、ついでに適当に食べ物を取ってくれる。飲み会や合コンで女子に一人は居そうなその気配りに感謝しつつ、春穂はいただきますを言った。

 熱いものは熱いうちにということで、まずは唐揚げにかぶりつく。


「ほいひいー……」


 カリッとしっとり、そして口の中に溢れる肉汁。生姜が利いていて食べやすい。ぜひ作り方を習いたいものだ。

 一個食べて、味の余韻が消えないうちにビールをごくごく。中学生くらいの頃に間違えて呑んだ時は苦くてよく分からない飲み物だと思ったのに、今ではたまらなく美味しく感じるのだから味覚とは不思議なものだ。

 ぷはっと息を吐いて、春穂はグラスを置いた。幸せここに極まれり。

 春穂の至福の一部始終を横目に見ていた弥夕は、しみじみ頷いた。


「……春穂ちゃんってさ」

「はい?」

「なんかこう、餌付けしたくなるわね」


 仲間を見つけたように笑ったのは律希だ。


「同感。春穂ちゃん、唐揚げもっと食べる?」

ほひいへふ(ほしいです)


 二個目を咀嚼している口元を手で覆って頷く。あんまり美味しくて止まらない。律希おすすめのビールも唐揚げと相性ばっちりで、生姜パワーとの合わせ技でますます食欲が湧いてくる。

 律希が唐揚げを取ってくれる間の繋ぎとして食べたポテトサラダも、蘭子の味とはまた違って美味だ。こちらはリンゴは無しでキュウリと卵にハム、そしてベースのじゃがいもが塊で残っていて、滑らかな部分との食感の異なりが舌に楽しい。


「うちのはウスターソースかけても旨いですよ」

「へえ、試してみる」


 翔琉の言葉の通りに、春穂はポテトサラダの隅っこにウスターソースを垂らす。


「━━! ほんとだおいしい! よりビールの味だね、これ」


 マヨネーズで和えられてまろやかだったポテトに、ウスターソースの刺激が加わってパンチのある味になった。ソースの辛みをポテトが適度に緩和してくれるので、絶妙のコンビネーションが生まれている。

 もう箸が進む進む。


「……美空さんが見たら喜ぶでしょうね。ここまで幸せそうに食べてくれたら料理人の本懐じゃない?」

「まあ、確実に喜び勇んで料理を追加してくるだろうね。ってほら、弥夕姉も食べなよ。これ以上痩せたら着物似合わなくなるよ」

「そうね。律希くん、ついでにあたしにも適当に取ってー」

「はいはい」


 新妻のごとく甲斐甲斐しくみんなの世話を焼く律希に唐揚げの追加された皿を渡された春穂は、ほわんと無邪気な笑みで「ありがとうございます」と囁いた。

 大きな手に頭をくしゃっとやられたのは言うまでもない。

いつのまにか春穂がえらい食いしん坊になってる……。

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