表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

今日は月が綺麗だから

「夜になると冷えるわねぇ。

桜が咲いてんのにね。」


「花冷えですねぇ。

だいたい、

百合さんが薄着過ぎるんですよ。」


私は安心院さんのお姉さんと、

夜道を歩く。



目的地は、

彼女と、

私の思い出の詰まったあの公園、


月見公園だ。


いたる所に咲く、

桜を横目に、



私は彼女の、

照子の遺言書、


というには愛の溢れた、

ラブレターを思い返していた。



結局、

彼女には何でもお見通しだった。



私が納豆と卵ばっかり食べていたことも。

私が一人で将棋ばかり打っていたことも。

私が幼稚な嘘をついていたことも。


私が彼女がいない世界で一人ぼっちだったことも。


そして、

私の心配事すら無駄なものだった。


彼女のことを思ってくれている人がいない。


なんて、

そんなことは全くなかった。


むしろ、

彼女は多くの人に愛されていた。

私が嫉妬してしまうほどに。



彼女のおかげで、

色んな人と心を通わすことができた。



百合さんは、

あれから何度か家を訪ねてくれて、

将棋をなんどか打った。

なかなか勝てないのだが。


百合さんだけじゃない。


絵の上手い裕司くんには最近、

石橋の下で絵の書き方を教わっている。

優しい雰囲気だが、

指導は厳しく、

なかなか頭があがらない。


父の後を継いだ唐揚げ屋の若き2代目は、

私の知らない彼女の話を良くしてくれる。

そして、

彼の知らない父の話をすると、

目を輝かせて聞いてくれる。

いつの間にか常連客になってしまった。


お母さんとは相変わらず痴話喧嘩をしている。

最近の喧嘩の種は、

お母さんの「早く嫁をもらえ」だ。



結衣せんせいに絵の題名を伝えてからは、

健康教室にしょうがなく通っている。


健康教室のあとには、

ときどき裕太の話をする。

「お兄さんが欲しかったから、

あんなお兄さんが理想だった。」

「自分の息子にも見習わせたい。」

と言ってくれる。

鼻が高くなるが、

食生活と運動の話になると耳が痛い。

注意されてる最中は、

だいたい百合さんに笑われる。



彼女がくれた、

人と人とのぬくもりが、

月日を心地よいものにしてくれていた。

彼女が私の心に春を連れてきてくれたのだ。



あの夜、

メモを見つけたあの夜、


この公園に来たのは、

偶然ではなかった。


この公園には彼女がいたのだから。


彼女の身体はなくても、

彼女との思い出が、

彼女の心が、


ずっと、

そこにいたのだ。


彼女は月のように、

ずっとそこにいてくれた。

例え見えなくても、

ずっとそこにいてくれた。


彼女は確かに生きている。


ツバメのように、

私の心に春を連れて戻ってきたのだから。




月見公園に到着すると、

二人で一番見晴らしの良さそうな所へ向かう。


少し、

高台になっているので、

辺り一面が見渡せる。


夜景というには、

家の明かりはほとんど見えないが、

その分、

月見公園という名前が引き立つ。



「確かに月は綺麗だけど、

他にも綺麗な所はあるっち思わん?」


言いたいことを正直に言うのが、

百合さんらしい。

百合さんといると、

ついつい笑ってしまう。


「それに今は花見公園やない?」


私は

少しずつ散り始めている桜を見て答える。

「花の雨ですね。」


強い風が吹く。

桜散る、

次の季節に移るための卒業の風だ。

私もようやく、

暗闇から卒業できる。



「そういえば、わかったん?

あのメモの意味。」

百合さんは、

唐突に言った。


私は静かに答える。

「私に色んな人と関わって欲しかったんでしょうけどね。

でも、

結局どうだったのかなんて、

誰にも解らない。」


百合さんは静かに、

相づちを打ってくれる。


「遺言書の下書きだったんだ、

と思うようにしました。


ただ・・・」

私は静かに考えをまとめる。


百合さんも静かに返す。

「ただ?」


「なんで虹が書いてたか、

というか、

なんでキーワードが、

5つだったかは、

なんとなく思いついたんですよ。」


百合さんは優しく聞いてくれる。

「なんだったん?」


「・・・そのまんまですよ。

虹が5色だからです。」


百合さんが眉間のシワを深くする。

声も大きくなる。

「え?

虹は7色やろ?」


私は静かに教える。

「それは日本だけですよ。

外国だと、5色とか6色とか。

2色なんて国もあるみたいです。」


「え、虹の色がちがうん!?」

百合さんの目が見開く。

声もさらに大きくなる。


私は相変わらず静かに教える。

「というより、

捉え方が違うのかもしれませんね。

昔の日本も5色と言ってたそうなので。」


私は静かに続ける。


「・・・実は彼女が前に教えてくれたんですよ。

虹って国や時代で色が違うんだよ。

その人がどう捉えるかによって違うんだよ。

って。」


「はぁー・・・」

百合さんの感心とも、

ため息とも取れるような声に

自然と笑みがこぼれる。


「彼女のいない世界が

地獄のような暗闇に見えましたが、

こんなに明るくなりました。


同じ世界のはずなのに。」



百合さんの見開かれていた目が細くなり、

ずっと優しい表情になる。

「・・・世界がどう見えるかどうかは、

きっと・・・、

自分次第なんやね。」


「それこそ、

アイラブユーを

『月が綺麗ですね』とか『死んでもいい』って

訳す人もおるもんね」


その言葉を噛みしめながら、

私は目線を上に移す。


「同じ月を見ているのに、

あんなに綺麗に見えます。」


百合さんはさらに目を細くさせる。

「虹の色みたいやね。」

彼女が笑う。


私も笑った。



ずっと、

同じ月を見ていた。


彼女がいた愛すべき日々のなかでも、

彼女がいない地獄のような日々のなかでも、

彼女と過ごした夜のなかでも、

今このときまで、


ずっと、

同じ月をみていた。


同じ月を見ているはずなのに、

こんな風に虹のように見えるのは、

きっと彼女が照らしてくれているからだ。


「名前の通りだな。」

「え?なに?」


私は照子のように、

しししと笑う。


百合さんも、

「なんなのよ」

と言いながら、

しししと笑う。



桜が雨のように降っている。

月から落ちた雫が一面に広がっているようだ。

まるで、月の雨だ。


もともと「月の雨」という言葉は、

月見をしたいのに、

雨でみれない状態を指すものらひい。


月を見たいという思いが強いのに、

実際に月は見えない。

無情にも月を隠す雨雲を

月からこぼれた雫のような、

雨に例えたものだ。



私も

彼女にはもう、会えないと思っていた。


でも、

彼女は最初からここにいたのだ。

ここで、

ずっと同じ月を見ていたのだ。



これからも、

ずっと同じ月をみるのだ。

彼女の思い出と、

心と一緒に。


照子のいる、

この場所で。


月の雫のように言葉がこぼれる。

「死んでもいい。」

思ってもみない言葉が出たのは、

きっと今日は月が綺麗だからだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ