Extend 07 ガス燈狂いの女
ジルゼガット視点です。
……世界がああなる前。
私には唯一無二の親友がいた。
私達は平凡で、富もなく、取り立てて強い力があるわけでもなかった。
飛空艇を持っているわけでもなく、高層積層都市に住んでいるわけでもない。
魔法を使えるわけでもないし、武器の使い方なんて自分の身を守る以上には知らない。
でも、それで良かった。
それでも良かったのよ。
私は、あの子の隣にいただけで満たされていたから。
――『ただいま。今日はた~っぷり収穫したよ。ほら、巨人カブがこんなに。人の頭ほどまで育ったのって、なかなか珍しいよね』
――『なるほど。帰りが遅くなったのは、これを運ぶのに手こずったのね。一度帰ってくれば良かったのに、なんでしなかったの?』
――『あたしのお尻を触りながら説教っていうのも、どうかと思うんだ。遅くなったのは、その、ごめんだけど』
――『あっそ。じゃあ、撫でるのやめるわ』
彼女のお尻を強く叩く。
私は彼女へ向けた眼差しに「撫でなきゃいいんでしょ」というニュアンスを含めた。
――『あ痛ッ、あ、あたし一人で充分かと思ってさ。それに、もたもたしてたら他の人に取られちゃうかなって』
――『気を遣ってくれたのは嬉しいけど、私はあなたの無事が一番なのよ……今度から一度引き返して私も呼びなさいよね』
私は……失うのが不安だった。
子供の頃、両親から「働く気がないならいつでも口減らしで売り飛ばしてやる」と言われながら育ってきた。
数年後には更地にされそうな寒村だったし、私は6人兄弟の末っ子だったから、親もいちいち愛情を注ぐ余裕なんてなかったのだろう。
けれど……私の親友は、そんな私の“現実主義”と銘打った敗北主義から、立ち直らせてくれた。
エルフやドワーフ達に比べたらなんてことのない――5年という年数で、私はすっかり、この親友を心の寄る辺としていた。
――『わかったよ。ひと月したら、一緒に行こ』
――『ふふ。約束よ。単純な力なら私のほうがあるんだから。荷物持ちなんて私に押し付けたらいいのよ』
――『二人で一緒に行くんだから、運ぶ時も一緒に』
――『ええ。わかった』
でも、ひと月もしないうちに戦争が起こった。
隣国が国境付近で邪悪な召喚術を行なって、おびただしい数の魔物を異界から呼び寄せたというのが、通りがかった兵士達から聞かされた情報だった。
私と親友は、共に生き延びると誓い、激動のさなか手を取り合った。
けれど安息の地に辿り着いた筈だった私を待っていたのは――
親友が忽然と姿を消した、という事実だった。
異変は、それだけではなかった。
何度も、何度も、時間が巻き戻った。
それも数日から数ヶ月単位。
なぜ私がそれを理解できたのか。
目が覚めた時、数ヶ月前に使い切った筈の消耗品が元に戻っていたからだ。
本来なら有り得ないことが何度も起きるなら、何かがあると確信せざるを得なかった。
何度もやり直す世界。
反動が次第に歪みを生み出していく。
……いつの間にか、私は知らない男と結婚し、子を成していた。
一体何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
私は落ち着いて情報を集め、不自然のないように取り繕った。
この時、一つだけ理解して、そして強い怒りを覚えた。
私の人生が、何者かの手によって根本的な部分まで勝手に変えられていたことだ。
わけもわからないまま流されるのは嫌だった。
私は、情報収集に奔走した。
狂奔して、翻弄されて、嘲弄されて、策を弄するに至った。
時間の巻き戻りを利用して、既にある情報を探偵に渡すことでスムーズな捜査を実現した。
世界は何度も、小さな改変が施された。
その改変によって今まで集めていた情報が何割か無駄になることも少なくなかった。
けれど、それでも。
それでも、ようやく……辿り着いた。
家族に嘘をついて、家を飛び出した。
魔物の大量発生で世界中が混乱しているのだから、抜け出すのは簡単だった。
走って、走って、忍び込んで、追いかけて……
やっと、会えた。
私の、私の大切な親友。
――『■■■■、会いたかった』
でも、振り向いた彼女は困惑と警戒心をあらわにしていた。
まるで下着みたいな鎧は彼女の肌の殆どを露出させていて、なんだか、心が砂で埋まるようだった。
――『……きみは、誰? どうして私を知ってるの?』
――『……私を、覚えて、いないの……? えっと、じゃ、じゃあ■■■って名前、知らない?』
――『ごめんね。どこかで、会ったかな。あたしの熱心なファンってわけでも、なさそうだけど』
――『……――っ』
彼女は腰に差したロングソードの柄に、使い慣れた様子で手をかけていた。
変わらなかったのは――
声、顔、名前、生まれた場所、身体のほくろの場所。
ほのかに漂う、彼女の香り。
消えていたのは――
私に関わる一切の記憶。
……世界がこうなる前。
私には唯一無二の親友がいた。
共に生き延びると誓い、激動のさなか手を取り合った。
けれども、それらは全て、無かった事にされた。
私だけが覚えていた。
立ち尽くす私をよそに、親友は遠くに手を振って駆け出す。
――『あ! 勇者クン! 遅いじゃん!』
――『あの人、お前の知り合いっぽかったからさ、出るタイミング逃しちゃったよ。もしかしてストーカー?』
――『ん~、わかんない。悪い人じゃ、なさそうだけどね』
傍らには、見知らぬ男がいた。
無邪気さの中に潜む傲慢さが、私の精神をひどく動揺させた。
親友は、彼をまるで恋人のように見ていた。
彼の周りにいる他の女がそうであるように。
……ああ、なんということ。
私にとって唯一無二の伴侶だった人は。
彼にとっては“花束のうち一輪”でしかなかった。
その日は黙って見送って、それからは会わなかった。
また巻き戻るまでは。
その後も、世界は巻き戻った。
何度も、何度も。
何度目かのループでようやく手にした情報は、私が見たあの男――私の親友と仲良くしていた男は、異世界からやってきた勇者だという。
……もしかしたら、世界が何度もループする理由も、それが原因だったのかもしれなかった。
どんなに確度が高くても、推測は推測。
実際に、この目で確かめないと。
確定している情報に基づき、彼らがどこにいるかを割り出して、追跡、接近する。
その間にも何度かループしたせいで、それまでの行程を何度も白紙に戻された。
けれど、また追い付いた。
次は、勇者が一人の時を狙った。
――『久しぶりね、勇者様? 単刀直入に訊くわ。ループって、信じる?』
――『……お、お前……どうしてそれを?』
心底、驚いたみたいだった。
……そして、それが答えだった。
それから私は、自分の境遇をすべて話した。
――『たとえ何度この世界が巻き戻っても、あの子を見守るために追い付いてみせるわ』
――『■■■■の事か? 世界の都合で境遇が変わったのなら、俺は悪くないだろ!?』
――『あの子と旅をしている以上、責任は果たしてもらう。たとえ、あの子が覚えていなくても、私にとっては今も親友だから』
彼の仲間から本を借りて、魔術の使い方を勉強した。
他の仲間の盗賊を観察し、罠の解除方法を見て覚えた。
見様見真似で回復術の使い方も、どうにかモノにした。
身体を鍛えて、剣の扱い方を親友に教えてもらった。
商売ごとについては誰も知らないみたいだから、私が独学で習得した。
魂が記憶しているなら、身体を失っても使えるだろうと言っていた。
時には、勇者に身体を許した。
……だって、そうしないと他の仲間から阻害される。
私の大切な親友ですら、私にそうすることを望んでいた。
――『初めてって気が進まないよね。私も、最初は怖かった。それじゃあさ、二人で奉仕してみない? 私に懐いてくれているみたいだし、それなら少しは勇気が出るかもよ?』
そんな言葉、貴女からは絶対に聞きたくなかったけれど。
飲み込んで、事に臨んだ。
それでも、駄目だった。
勇者は若すぎた。
幼すぎた。
守れる筈が、なかったのよ。
勇者は、あの子を何度も死なせた。
彼なりに反省はしているのかもしれないけれど、私は許せない。
だって、何度も死なせたのだもの。
たとえあの子の記憶に残らなかったとしても、私は許せない。
だって、彼と私の記憶からは消えないもの。
途中から、彼はどうしても親友を殺さなくちゃいけなくなったと語った。
世界を救うには、そうしなくちゃいけないなんて話が出てきたのだ。
――『納得できないわよ。理由を、教えて』
――『……そういう、運命なんだ』
悲しげに彼は言った。
毎晩ベッドで水音を立てるくらい、あの子の身体を楽しんでおいて!
(そう、他の女どもと同じように!)
私は、彼――つまり勇者(あのクソ野郎)の許されざる殺人に、抵抗した。
会うたび会うたび、彼を殺そうとした。
彼の心が折れるまで、何度でも殺してやるつもりだった。
あんな奴に世界を救わせない、私があの子と世界を救うんだと、途方も無い事を考えていた。
けれど、もうだめだった。
気がついた時には、私は灰に覆われた世界へと放り捨てられていた。
空も地面も灰色。
太陽も見当たらない。
風も吹かない、足音と呼吸音だけが響く世界だった。
何百年もの間、孤独を味わってきた。
それからの私は老いもせず、空腹や眠気も感じなかった。
けれど懐中時計は変わらず時を刻むし、壁に付けたキズは変わらずそこに在り続けた。
幾度とも知れぬ程に助けを求めた。
やがて、私の声が届いたかのように思えた。
天才的なアイデアが閃いたの。
どんな駄作でも、時間をかければ名作に匹敵する作品へと昇華させる事は決して不可能ではない。
いくらでも時間はある。
魔法陣を書き続ける。
元の世界を観測する術式を編み出した。
試算したところ、観測術式は妨害を受ける。
私の展開速度より、向こう側が閉ざそうとする速度のほうが80億倍の速度を持っていた。
だから私は――
私の魂のエミュレータを殖やす……つまり私を無限に投影して、その誤差から異なる結論や理論を導き出せるようにする術式を編み出した。
――『ッぐ、ああああああ!!!』
30%……攻防は続く。
少しずつ、少しずつ、ヴェールを剥がしていく。
私が今いる場所は、元の世界と地形がよく似ていた。
――『ふぐッ、ん、ううう、うっ、うううう!!!』
50%、75%……鼻血は出るし、両目から血が出るし、ろくなものじゃない。
それでも、常人の身で他世界を覗き見るほどの荒業を成し遂げるなら、まあ安いものだろう。
ブツン。
ちぎれる音と共に、意識が飛んでいった。
理論上は、元の世界へ飛べた筈。
けれど、私が目の当たりにしたのは――




